踏み出す
「……気君、勇気君!」
なっちゃんの声で、目覚める。
「おはよう」
もう、朝なのだろうか。
いや、窓の外は暗い。
「おはよう、なっちゃん」
「こんなところで、寝ちゃだめだよ」
「うん、ごめん」
「それじゃあ、夕飯にしよう」
そうか、僕が作らないといけないのか。
でも、疲れた。
腕も足も痛い。
このまま風呂にも入らず、食事もせずに寝たい。
「勇気君、疲れたでしょ? 今日は冷凍食品買って来たから作らなくていいよ。ゆっくりしてて」
まるで、心を読んだのかのような言葉。
優しさが身に染みる。
僕は食卓に行き、座って解凍を待った。
「まあ、初日は疲れるよね。私もそうだったもん」
なっちゃんはもう1年も働いているのだ。
素直に尊敬できる。
「なっちゃんはすごいね。ずっと働いてきたんだもん」
「慣れだよ、慣れ」
そして、食卓に夕食が並ぶ。
僕はゆっくりと、食べた。
痛む体をゆっくりと湯船に沈めた後、パジャマに着替えて寝室に入る。
ふと、考える。
なっちゃんは僕が来るまで1人だった。
働き始めた日も、1人で乗り切ったんだ。
なっちゃんは本当にすごい。
言い忘れたことがあった。
「なっちゃん、ありがとう」
「うん、明日も頑張ろうね」
明日もまた、あの作業がある。
でも、乗り切るんだ。
なっちゃんだって、頑張って乗り切ったんだから。
僕はゆっくりと、まぶたを閉じた。
「どうだ? 慣れたか?」
翌日の昼休み、神谷さんに話しかけられた。
「はい、慣れましたけど、やっぱり大変ですね」
「給料もらってるし、大変なのは当然だよな。ところで、岩佐は休みの日は何してるんだ? まあ、働きだしてからの休みの日はまだだけど」
考える。
読書、とかだろうか。
後はなっちゃんと出かける。
「読書ですね」
とりあえず、無難な答えにしておいた。
「真面目だな~。パチンコとかゲームとしないのか?」
ゲームはともかく、パチンコはギャンブルなので嫌悪感がある。
なっちゃんも僕が始めたらいい顔はしないだろう。
「しないですね」
「岩佐はバスだったな、確か。じゃあ今度車で連れってってやろうか? パチンコ教えてやるよ」
せっかくの誘いだが、気乗りはしない。
どう断ろうか、考える。
すると。
「興味ないか。じゃあ、風俗はどうだ?」
神谷さんを勝手に真面目な人だと思っていたが、違うようだ。
「彼女がいるので……」
「マジか! 写真とかあるか?」
僕は携帯に保存してある写真を見せる。
「おいおい、可愛いじゃん。どこで見つけたんだよ?」
「施設の先輩です」
「彼女の家は近いのか?」
どうやら、別々に住んでいると思ってるらしい。
「同棲しています」
「へー、すごいじゃん。じゃあ、風俗の必要はないな。毎日ヤってるのか?」
なんと答えればいいのだろうか。
あまり嘘はつきたくないが、本当のことを言いたくもない。
「まあ、適度に……」
「いいなあ。なあ岩佐、女の子紹介してくれないか?」
女の子の知り合いなんて、0だ。
まさか、由紀を紹介するわけにもいかない。
「すみません、お役に立てそうにありません」
「おう、そうか」
昼休みは終わった。
世の中色々な人がいるなあ、と思った。
この辺りは、割と田舎なので娯楽が少ない。
デパートに行くには隣町に行く必要がある。。
なので、大人はパチンコやゲームをするんだろう。
ちなみに、智恵理先生は休みの日は登山をしているそうだ。
今になって思えば、働きながらよくそんな疲れることができるなあ、と思う。
そして、一日の作業が終わる。
終礼を経て、バスに乗り込む。
昨日同様、疲れた。
こんなことなら、中学時代だけでも運動部で体力作りをしておくべきだったかもしれない、
まあ、そんな後悔は今更意味がないけど。
部屋に着いた。
今日はちゃんと、夕食を作る。
なっちゃんが帰ってくる前に、下ごしらえする。
「ただいま」
なっちゃんが帰って来た。
「お帰り」
「勇気君、今日はどうだった?」
「昨日よりは、マシかな」
「うん、それなら良かった」
夕食と入浴を終え、布団に入る。
いつも通り、添い寝だ。
「今日は職場の上司と雑談をしたよ」
「へえ、どんな?」
「休みの日の過ごし方とかだよ。その上司、最初は真面目な人かと思ってたけど、いきなりパチンコとか風俗の話とか振って来るから驚いたよ」
そう言った後、なっちゃんはなぜか沈黙した。
「……どうしたの?」
不安になって聞く。
「勇気君もそういう女性のいるお店とか行きたいと思う事あるの?」
「いや、ないけど」
即答した。
なっちゃんがいるんだから、ありえない。
「……あのね、私不安なの。勇気君に我慢させてるんじゃないかって」
我慢。
なっちゃんの言いたいことはわかる。
僕たちは普通の恋人同士がしていることを、していない。
2人で暮らしているにもかかわらず。
「私のせいで……」
なんと、言葉を掛ければいいのだろうか。
僕だって性欲はある。
だけど、なっちゃんのためならいくらでも我慢できる。
風俗に通うなんて、論外だしなっちゃんに対する裏切りだと思う。
いや、我慢できると思ってる時点で、我慢してる時点でなっちゃんとしては心苦しいのか。
「そういうお店、行ってもいいからね」
そんなことを言われてしまった。
たとえ許可を得ても、行きたくはない。
というか、結構失礼な発言ではないか。
僕は許可を得れば、彼女を置いて風俗に行くような人間だとなっちゃんに思われている……。
いや、それは考え過ぎか。
なっちゃんは嫌じゃないのだろうか。
自分のせいとはいえ、彼氏が他の女性とセックスするなんて。
僕が女性だったら、嫌だ。
僕が我慢すれば済む問題ではない。
我慢してる時点で、なっちゃんは嫌なのだ。
まさか、これが原因でこの生活が破綻するとは思えないけど、なんとかしないといけない。
解決するために一つの方法として、なっちゃんに早くトラウマを乗り越えてもらうという方法がある。
急いては事を仕損じるという言葉があるものの、一緒に暮らしだして一ヶ月近く経つ。
できたことは、手を握って添い寝することのみだ。
事実として、なっちゃんはセックスにどれほど恐怖心を抱いているのだろうか。
今までその話題は避けてきた。
思い切って聞いてみる。
「なっちゃんはセックス怖いの?」
「……怖いよ。でも、勇気君が望むなら、いいよ」
怖いことは怖いが、絶対にできないという事ではないのだろうか。
じゃあ、どの段階までは怖くないのか。
抱き締めるのは。
キスするのは。
性器を見たり、見られたりするのは。
愛撫は。
挿入は。
射精は。
「じゃあ、する?」
僕は決心して言った。
なっちゃんの瞳が揺れる。
「うん」
「やめたくなったら、いつでも言ってよ。やめるから。我慢しないでよ」
「うん」
そして、恐る恐る一歩を踏み出した。
その日はお互いの裸を見せ合うところまで行った。
問題は解決していないが、前進はしている。
そう思えた夜だった。
そして、初めての休日がやって来た。
休みは2日ある。
今日はなっちゃんは仕事だ。
なっちゃんは僕より忙しいと思う。
ちゃんと、ねぎらってあげよう。
朝、のんびり9時ごろに起きた。
朝食を取り、溜まってる家事を終えたら暇になった。
なっちゃんが帰って来るまで、9時間くらいある。
由紀に会いに行こうかと思ったが、施設に電話したら由紀は友達と遊びに行ったらしい。
家に居てもやることがないので、デパートへ向かった。
今は4月。
暖かい陽気が、町を包んでいる。
電車に乗り、隣町へ行く。
まずは、本屋へ向かう。
節約のため、ハードカバーの本は買わない。
安い文庫本のコーナーへ向かう。
だけど、欲しい本はなかった。
そして、本屋をぐるぐるしていると、神谷さんに出くわした。




