新生活
僕は新しい住居へと向かう。
なっちゃんと僕が一緒に住む部屋、家賃65000円の2DKだ。
なっちゃんと家賃は折半なので実質32500円になる。
部屋の中に2部屋あるので、なっちゃんと僕で使い分ける予定だ。
部屋を借りる時に、また保証人が必要になったが再び智恵理先生にお世話になった。
また、初期費用が結構掛かり、バイトで貯めた貯金の7割ほどを支払った。
部屋を借りるということは、これほどお金が掛かるのだ。
部屋の前に着いた。
鍵を使ってドアを開ける。
中に入ると、なっちゃんは寝ていた。
ベッドの上ではない。
ちょうど陽の当たる床で寝ていた。
「なっちゃん、風邪ひくよ」
まだ、3月。
こんな寝方をしたら、体調が悪くなってしまうだろう。
「勇気君?」
なっちゃんはゆっくりと、体を起こす。
「どうして、そんなところで寝てたの?」
「なんか、ここで寝たら気持ちよさそうだなって」
動物っぽくてほほえましいと思った。
「勇気君」
「何?」
「今日から、よろしくね」
「うん、こちらこそ」
今日から始まるんだ。
二人の生活が。
その時、なっちゃんのお腹が鳴った。
「お腹空いたね」
時刻はもう11時だ。
「料理はどっちがする?」
「勇気君で」
即答だった。
「料理、嫌いなの?」
「う~ん、苦手っていうか」
要領を得ない答えだった。
苦手なら、無理にさせることもないか。
「じゃあ、買い出しに行こうよ」
そう提案した。
「うん」
なっちゃんは頷き、2つある部屋の内の片方に入った。
何をするのかと思ったら、衣擦れの音が聞こえて来た。
外出用の服に着替えているのだ。
ドア一枚隔てた向こうで着替えているかと思うと、恥ずかしくなる。
一緒に暮らすとは、こういう事なのだ。
「お待たせ」
なっちゃんが出てくる。
「それじゃあ、行こうか」
「うん」
部屋を出て、一緒に近所のスーパーへ向かう。
スーパーまでは徒歩15分ほどで着く。
「なんか、こうやって一緒に買い物してると、夫婦みたいだね」
買い物の最中、なっちゃんがそんなことを言った。
そんな風に思ってくれているなら、嬉しい。
「うん、そうだね」
なっちゃんはこのスーパーによく来てるらしく、どこに何があるのか把握していた。
なので、僕がかごを持って、なっちゃんが商品を取りに行く。
スーパーなので、子供連れも多い。
いつか、3人あるいはそれ以上の人数で来ることになるのだろうか。
会計を済ませ、アパートに戻る。
手早く調理し、食べた。
施設にいたころから、一人暮らしを見越しての調理の指導は受けていた。
それに、僕は料理が好きだ。
これからも、苦にはならないだろう。
午後はそれぞれの部屋で、趣味の時間を過ごした。
夜になった。
交代で風呂に入り、いざ寝る段階になる。
寝室は別々のつもりだったが、なっちゃんが枕と布団を持って僕の部屋に来た。
「勇気君、添い寝していい?」
おそらく、なっちゃんなりにトラウマとの戦いを始めるつもりだろう。
僕は了承した。
「なっちゃん、大丈夫?」
「うん、勇気君だもん。大丈夫だよ」
布団を並べて寝る。
手を握り合った。
「勇気君の手、好き」
この手が少しでも安心感を与えられるなら、嬉しい。
子供を作るなら、セックスは避けて通れない。
今はまだその時ではないけれど、いつか必ずすることになる。
セックスとレイプは違う。
合意があるかないか、ということだけではない。
愛情の積み重ねがあるかないか、ということだと思う。
でも、膣に挿入して射精するという行為自体は変わらない。
僕たちはトラウマを乗り越えることができるのだろうか。
もし再燃してしまったら。
そう考えると、不安に押しつぶされそうになる。
ぎゅっと、手を握る。
握り返される。
2人で乗り越えて行こう。
2人の力を合わせて。
そう思った。
夜は更けていった。
初出勤の日が来た。
作業着で出勤してもいいし、私服で出勤し更衣室で作業着に着替えてもいいと言われている。
面倒なので、作業着で出勤することにした。
なっちゃんは僕より 早く出勤している。
鍵をかけ、アパートを出た。
駅でバスに乗り込む。
一緒に乗っている社員はもう、他人ではない。
同じ会社の仲間である。
工場に着いた。
受付で今日が初出勤である旨を伝えると、上司に取り次いでくれた。
そのまま待っていると、一人の男性が来た。
会社見学の時、案内してくれた人だ。
「おはようございます。今日から働かせていただきます、岩佐勇気です」
「おはよう。俺は班長の神谷。この後入社式だから、付いて来て。後、俺のことはさん付けか班長って呼んでくれ。まあ、現場では班長が好ましいな」
その後、入社式が行われた。
今年は4名が入社した。
その次に、会社の説明が行われる。
就業規則や給料の説明などだ。
事前に渡された書類にも書いてあるので、確認のような感じだ。
そして、昼食の時間になる。
この工場には食堂がある。
弁当を持ってきてもいいし、食券を買って注文してもいい。
僕は弁当だ。
午後は安全講習などの座学だ。
それが終わり、実際に現場で配属されるチームの傍で仕事を見学する。
現場では、多くの人が様々な機械に向かっている。
機械の作動する音、独特の臭い。
工場という現場を感じ取った。
そして、一日目は終了。
「今日は楽だったろ?」
神谷さんに言われた。
果たして楽と答えていいのだろうか。
研修だが、給料をもらっている。
それを楽と表現していいのだろうか。
迷っていると。
「まあ、明日からが本番だからな」
そう言われた。
簡単な終礼をして、工場を出る。
バスに乗り込む。
ほとんど、座学だったので学校のように感じた。
もう時刻は8時。
眠気をこらえ、駅まで起きていた。
部屋に帰ると、なっちゃんはまだ帰っていなかった。
そういえば、なっちゃんがいつも何時くらいに帰っているか知らなかった。
1人で夕食を食べるのも寂しいので待つ。
9時過ぎになっちゃんは帰って来た。
「お帰り、なっちゃん」
「ただいま、勇気君。どうだった?」
「ほとんど、座学だったよ」
「まあ、一日目だもんね」
そして、夕食を作り食べる。
今日はカレーにした。
「人に作ってもらうって、楽でいいね」
なっちゃんはそう言った。
たまには、なっちゃんの料理も食べたいと思ったが言わないでおいた。
「工場って大変そうだよね」
「ホテルもホテルで、大変じゃない?」
「まあ、そうだけど」
僕の方はまだ、始まってすらいないようなものだ。
これからが大変だと思う。
でも、一人じゃない。
好きな人がいる。
それだけで、頑張れる。
食事を食べ終え、入浴し、寝る。
いつも通り、添い寝だ。
時折、手を握り合う。
既に添い寝が始まって、3週間ほど経つ。
そろそろ、次の段階へ行くべきかと思う。
だけど、なっちゃんからの提案を待つことにした。
これはなっちゃんの問題だからだ。
僕が先に動くべきではない。
そして、眠りに落ちた。。
翌日。
今日も仕事だ。
バスに乗り込み、工場に着いた。
今日から早速現場に入って作業をする。
と言っても、難しい作業ではない。
高卒で特に資格もない僕に任される仕事なので、あまり難しくてもラインがストップするだけだ。
運ばれてくる部品を運んで、機械にセットする。
これだけだ。
大体のことは、機械がやってくれる。
難点は2つ。
1つは運ぶ部品が予想以上に重い。
1回2回運ぶだけなら問題ないが、何回もとなると腕が痛くなる。
もう1つの難点は、この単調な作業が約8時間続く。
運んで、セット。
運んで、セット。
運んで、セット。
正直、舐めていた。
時間の進みがとてもゆっくりに感じられる。
しかも、立ちっぱなしなので足が痛い。
立っているので寝てしまう心配はないが、痛みと遅い時間経過のせいでまるで拷問を受けているかのようだ。
時間というものは、何をしていても過ぎていく。
だが、その過ぎ方はあまりにも遅く、まるで止まっているのではないかと錯覚する。
作業中、失敗して怒られることはあれど、会話はない。
会話が得意な方ではないので、別にいいがさすがに寂しくなる。
早く家に帰りたい。
なっちゃんに会いたい。
そのことを考えて、耐えた。
そしてようやく、一日に仕事が終わる。
腕と足が痛い。
終礼をして、帰路に就く。
もう、何も考えられないほど疲れた。
この調子で、明日からもやっていけるのだろうか。
部屋に着いた。
鍵を使って開ける。
限界だ。
そのまま、倒れ込んだ。




