第二十二話 真実
目の前で起こった突然の出来事に、誰もが全く反応できなかった。まるで時が止まったかのように。
だが現実はそうではない。王の胸から突き出ている剣を伝っておびただしいほどの血が流れ落ちた。
「……あ……ぐ……」
「ふん」
そして、何のためらいもなく剣は引き抜かれた。それに伴いリングサーク王の出血の量が増大する。
ゆっくりと崩れ落ちていくリングサーク王。その事実をいち早く受け止めたのは優音だった。
「い、いやああああああ!!!! お父様ああああああ!!!!!」
優音の悲鳴にアレンとベルブランカは素早く反応し、次の瞬間にはリングサーク王を突き刺した人物に飛び掛かっていた。
「貴様ぁ!!! よくもおおお!!!!」
「絶対に許しませんっ!!!!」
二人の手にはすでに魔導具が出現されている。アレンは風を纏った弓で直接叩きつけ、ベルブランカは鉄爪での切り裂く一撃。
標的は一人。漆黒のローブにフードを目深に被り、手にはリングサーク王を突き刺した細身の剣が握られている。だが、その剣で二人の攻撃を防ごうともしておらず、避けようともしていない。
「……ぬるいな」
バシィッ、と音を立てて二人の攻撃は弾かれた。
しかし、フードの人物は一歩も動いていない。優真には何が起こったのかさっぱりわからなかった。
「風の結界か……。厄介だな」
隣でジュードが忌々しげに舌打ちをする。その両手にはすでに魔導具が出現している。
「お父様ああ!! お父様ああああああ!!!」
「っ!? 優音! 待て!!」
フードの人物の足元に倒れているリングサーク王に向かって優音が駆け付けようとするのを、優真は何とか止めた。
「いやあっ!! 離してっ!!!」
「落ち着け!! 危険だっての!! ジュード!」
「任せろ。『雷走』」
ジュードは空中に素早く魔方陣を描くと、ジュードの両足に電気が迸る。そして、瞬時にリングサーク王の所に移動し、リングサーク王を抱えてまた一瞬の内に戻ってきた。
「リース。治療を頼む」
「わかったわ。王妃様もこちらへ」
「え、ええ……」
目の前の惨状を見て王妃は茫然としていた。
リースはアレンとベルブランカが飛び掛かるのと同時に危険を感じ、王妃を離れさせていた。
「リースちゃん、私にも何かできる事ない?」
「そうね……、アイカは傷口を導力で止血して。後は私がやるわ」
それまで優真と一緒に優音をなだめていた愛華は、リースを手伝って治療を始める。その隣で優音も心配そうにリングサーク王を見つめている。
その一連の様子をフードの人物はただ何もせずに眺めているだけだった。
「……他愛ない。『天下無双の魔将』と呼ばれた魔導士でさえも不意討ちでこの様か」
「なんだよ……。なんなんだよお前っ!!」
突然現れ、リングサーク王を刺したフードの人物に、怒りを顕にし叫ぶ優真。
吹き飛ばされたアレンをジュードは蹴で起こし、レンはベルブランカを優しく助け起こす。
「私か? 私は……」
フードの人物はゆっくりとフードを脱いだ。
その素顔を見たアレンとベルブランカは驚愕し、息を呑んだ。
「なっ!?」
「そんな……」
まず目についたのは漆黒のローブとは対照的な鮮やかな長い金髪。そして、まがまがしいまでのその魔力。それは目に見えるほど濃度が高く、色は黒、というよりも黒を何度も塗り潰したようなどす黒い色だった。
「久しいな……アレン、ベルブランカ」
「ラークイス……王子……」
王子、というアレンの呟きに優真は眉をひそめた。聞いたところによると、リングサークには王子はすでに存在しないはず。
その疑問に答えたのは、ラークイス王子という名に反応したレンだった。
「もしかして……、ラークイス王子って、リングサーク第三王子のラークイス王子!?」
「第三王子って、リーザリス訪問中に行方不明になったっていうあれか?」
「はい。戦争のきっかけを作ってしまった事件です。リーザリス側が誘拐したという噂が流れていたのですが――」
「ラークイス!!!」
レンの言葉を遮って、王妃がその王子の名を叫ぶ。名を呼ばれた王子――ラークイスは大げさに手を胸に当て頭を下げた。
「お久しぶりです、母上。お元気そうで何より」
「そんな事はどうでもよいのです! ラークイス、貴方何故ライル様を……、実の父をっ!!!」
「目障りだったからですよ」
王妃の悲痛な叫びをラークイスは無感情に一蹴する。
誰もが予想だにしなかったその答えに、その場にいる全員が絶句した。
「…目障り……?」
そんな中で優音はぼそりと呟いた。だが、その呟きは誰の耳にも届く事はなかった。
「父上が悪いのですよ。兄上達が亡くなり、王位を継げるのは私一人となってしまったのに、いつまでも王の座を明け渡さないから」
「そんな……それだけの事で……」
愛華の悲しげな呟きを、ラークイスは一笑に伏した。
そして両手を高く掲げ、悦楽を感じているかのような表情で天を見上げた。
「だが、そんな事はもはやどうでもよい事。私はこの戦乱の世を終わらせる術を見つけたのだから。それさえ手に入れれば、一国の王などという小さな器ではなく、世界の王として唯一無二の存在となれるのだ!」
「世界の王だと?」
いきなり何を言いだすのか、と優真は吐き捨てた。未だラークイスの目的がはっきりつかめない。
不気味な男である。
まがまがしい魔力の渦巻きはより強くなってラークイスの体を覆っている。
「ふふふ、では話してやろう。『氷姫の涙』という魔石は知っているか?」
「『氷姫の涙』?」
魔石、と言うからには予想するに、魔力を持った石といったところか。
ジュードに聞いてみるとやはりその認識で合っているようだ。
「魔力が込められた石、というのは世界には数多く存在する。だが、その『氷姫の涙』は氷の精霊神、『セラシス』の力そのものが込められているという伝説がある」
「ま、待ってください! その伝説は僕も聞いた事がありますが、それはあくまでも伝説。真実ではない。それに『氷姫の涙』はリングサークの国宝でしたが、昔賊に盗まれたと」
「それって、リースちゃんが前言ってた……」
驚きを隠せないアレンの言葉で、愛華は止血に集中しながらリースが以前話してくれた事を思い出していた。
その国宝を盗んだ賊を捕まえる為にリースの母が探しているとの事だった。
「そうね。話には聞いていた事あったけど、そんな力を持った魔石なら納得いくわね」
リースはリングサーク王に治癒魔法を施しながら言う。
何が、と愛華が聞く前にラークイスは笑みを深くした。
「レイザード・ローゼンクロイツ、シェリア・レビィ、メイリーン・ベルティオー。八賢者が三人がかりで捜索しているにも関わらず、賊も『氷姫の涙』も見つかっていない」
「そんな魔石だからおじ様達、八賢者の三人が……」
納得したようなレンの呟きが優真の耳に届いた。おじ様、とレンが言うのだからジュードの父親だろう。残る二人はアレンとリースの母親という事か。
「だが、見つからないのも当然。盗んだのは行方不明扱いになっていた者だし、『氷姫の涙』はそもそもこの世界にはすでになかったのだから」
「なに?」
言われた言葉を瞬時に理解できずにそう聞き返す優真を、ラークイスは見下すように鼻で笑った。
「まだわからぬか? 異界の者よ」
「なっ!?」
異界の者。それはこの世界の人間ではないという事。
この男はそれを知っている。優真がこの世界の住人ではないという事に。
「お前……どうしてそれを……。まさかっ!?」
「ようやく気づいたか。そうだ。お前達三人をこの世界に召喚したのは――私だ」
夜が明け、太陽が昇り始めた頃、リーザリスの王女――リーレイスは自室のバルコニーに出てただ真っ直ぐと外を眺めていた。
その瞳には動き始めた町の景観が映っているのではなく、それよりももっと外。リングサークがある方向だった。
「……始まってしまったのですね」
その呟きは誰に聞かせるわけでもなく、スッと朝の澄み切った空気の中に溶けていく。
そんな清々しい朝とは逆に、リーレイスの心には不安が積もっていた。
そういった不安を打ち消すかのようにリーレイスは胸の前で手を合わせ、祈りを始める。
優真達、隠密部隊がリーザリスを出発してから数日。もはやこの祈りはリーレイスの朝の日課となっていた。
「ユウマ様……」
幼い頃から王女として、いずれはこの国を背負う者として教育を受けてきたリーレイスには友人と呼べるような人はいなかった。リーレイスにとっては優真が初めての友人だと言える。
いくつかのパーティーなどで同年代の人達と会った事はあるが、その誰もが王女としてのリーレイスしか見ていなかった。
王女リーレイスではなく、ただ一人の女の子のリルとして見てくれたのは優真だけだった。
「ユウマ様……私、ただ待つだけしかできないのですか……?」
大切な友人の為に何かしてあげたい。リーレイスは、帰ってきた優真の為に何ができるのか考え始めていた。
「お前が……!」
優真は怒りの籠もった目でラークイスを睨み付けた。この男が全ての元凶。優真や優音、愛華をこの世界に召喚し、三人の生活を狂わせた。
「なんでだ! なんで俺達をっ!?」
「待てユウマ。――あんたに聞きたい事がある。さっき『氷姫の涙』を盗んだ賊は行方不明だと言ったな。なら、盗んだのはあんたなのか?」
頭に血が上った優真を手で制し、ジュードの問うた。その問いにラークイスはそうだ、と頷いた。
その答えに王妃は手で顔を覆い、その場に泣き崩れた。実の息子がリングサーク王を刺し、国宝をも盗んだという事実にはショックを受けるのも無理はない。
ラークイスはそんな王妃を一瞥しただけで特に意に介していなかった。
「さすがは八賢者の純血種。その様子では何故私が異界の者を召喚したのかも理解しているな」
「ふふん、まあな」
またいつものように調子に乗りそうなジュードを、レンはラークイス越しに睨んで威嚇している。
だが優真はそんな漫才にいちいちツッコむほど、今は余裕がなかった。
「おいジュード! 知っているなら教えろ!」
「まあ落ち着け。さっきそこの王子が言ってたろ。『氷姫の涙』は自分が盗んだって。そしてその力で世界の王になるとも言ったな」
「それと俺達と、どう関係があるんだよっ!?」
「王子は力を『見つけた』とは言ったが、『手に入れた』とは言っていない。なら、その力を手に入れる為にお前達が必要なんだろうよ」
そう説明されても全く理解できない。未だにその力を手に入れる事と、優真達がこの世界に召喚された事が繋がらない。 そんな優真とジュードを見てラークイスは不適な笑みを零した。
「いい読みをしている。七十点だ、ジュード・ローゼンクロイツ」
そしてラークイスは語りだした。優真、優音、愛華がこの世界に召喚された理由と戦争の裏に隠された真実の物語を。