第二話 異世界の生活の始まり
霧谷優真。十八歳。高校三年生。
大半の事は流されやすく、まぁいいか、で済ませてしまう。
だが、これだと思った事は最期までやり抜き通さなければ気が済まない頑固な面もある。
幼なじみの鳴海愛華が言うには
「優君は優しいからちょっとくらいそんなところがあった方がいいよ」との事。
妹の霧谷優音いわく
「もっとしっかりして欲しい」らしい。
とまあ、こんな性格の優真だからこそ――
「ここどこ?」
いきなり本屋から全く知らない森の中にいてもそれほど取り乱さずに済んだ。
待て。ちょっと待て。俺確か今まで本屋にいたよな? OK。整理しよう。まず本屋にあった真っ黒い本を開けたらむっちゃまぶしい光が出てきて……ああダメだ。そこまでしか覚えてねえ。
「さて、どうしたもんかねぇ」
ポツリとそう呟いても誰も答えてくれる人は――誰も?
「愛華? 優音?」
さっきまで隣にいたはずの幼なじみと妹の姿がない。
まずい、ヤバい。じわじわと優真の心が不安と焦りに侵食されていく。
こんなアマゾンのジャングルみたいなとこにいてトラとかヘビとかに出くわしたりしたら――
「グルル……」
「………」
あれ? なんだか今思い浮かべた二匹と現在進行形で見つめ合っちゃってるんですけど……。
いや、二匹というか一匹というか……。トラというかライオンなんだけど、ヘビというか……。
まあアレだ。ゲームとかに出てくるキマイラとかいうやつだ。
「とか言ってる場合じゃねえ!!!」
「グルアアアアアアアア!!!」
「のわあああああああああ!!!?」
優真は叫び声をあげながら全速力で逃げる逃げる逃げる。
全神経を目と足に集中。どこまで行けばいいのか、安全地帯はあるのか、そんな事は今は考えず逃げ続ける。
木を避け、枝をかわし、木の根を飛び越える。その間も後ろから獣の駆ける音が聞こえてくる。
やがて、少しばかり開けた場所に出た。
「ハァ、ハァ、ハァ………」
ちょっとだけちらり。
「グオオオオオオオ!!!!」
「でえええええええ!!!?」
キマイラはまさに今飛びかかって来ていた。
とっさにしゃがんだお陰でなんとかキマイラの突進を避けられた。
あ、あぶねー。今見なかったら食い千切られてたぞ、俺………。
と言ってもこのままではそれも時間の問題である。
優真は自分が取れる最善の方法を模索し始める。
即座に考えられたのは三つ。
(一つ目、死んだ振り。無理。超今さらじゃん。二つ目、また逃げる。却下。もう体力限界。三つ目、無謀にも戦う)
「………俺の人生短かったなぁ……」
その言葉と同時に優真は走り出す。キマイラの真正面へと。
あぁ、こんな事なら冷蔵庫に入ってるプリン、優音の分まで食い占めときゃよかった……。
何気にしょぼい未練を残しながら優真はキマイラに中断蹴りを放――てなかった。
「がああああああああっっっ!!!!」
優真が蹴りを繰り出す前にキマイラはその巨体でタックルをかましてきた。
そのまま五メートルほど吹き飛ばされる優真。
あ、ヤバい。走馬灯が。
せめて愛華と優音は安全な場所にいると願いたい。
朦朧とする意識の中で優真が最後に見た光景は、赤髪の少年と、ゆっくり倒れるキマイラの姿だった。
「ん………」
赤く染まった夕日の光が窓から差し込む中、優真はゆっくりと目を覚ました。
まず最初に見えたのは白い天井、白い壁。どうやらどこかの家の一室のようだ。
「……く……いつつ……。俺……生きてる……」
なんだかいまだに生が実感できない。あまりに非現実だったからだろうか。
優真は腹の痛みを我慢して起き上がり、窓の近くまで歩み寄った。
窓から見える景色は鮮やかな夕日と明らかに日本風ではない街。いわゆる中世ヨーロッパ風。そして何より巨大な――城。
「城? シロ? SHIRO?」
あ、パニクってきた。ここは日本じゃないーのですかー?
と、優真が目を回して混乱していると―――
「……! ……………?」
「んあ?」
ドアを開けて青い髪の美少女が顔を出した。歳は優音と同じくらいだろうか。だが、その言葉は理解できない。
言語の違いに、優真はここが日本じゃないという可能性がより強くなったと感じた。
「な、なんてこったい……」
「………。……………?」
頭を抱えてうずくまる優真の顔を心配そうに覗き込んでくる青髪美少女。
言葉は分からなくても人の親切が身に染みる……。
「ま、命があっただけよかったか」
「……! ……………?」
速攻で立ち直った優真。順応性が高いのは長所なのか短所なのか。
「しかし、言葉が通じないのは厄介だよなぁ」
「?」
優真の呟きに青髪美少女も困ったように首をかしげる。
そうしていると、また入り口のドアが開かれた。
「………。…………?」
間延びした声をあげながら赤髪の少年が部屋に入ってきた。歳は優真と同じくらい。
あれ? こいつ確かジャングルで会った気が……。
優真が思い出している間に赤髪の少年と青髪の少女が何事か話し合っている。
二、三話すと、赤髪の少年はずんずんと優真に歩み寄ってきた。
「な、なんだおい。何する気だコラ」
「……………」
ヘラヘラ顔で赤髪の少年はむんずと優真の頭を鷲掴みにした。 そして手が何故か青く光りだした。
「うぎゃーー!!? キサマ!! 何やっとるんじゃー!!!」
なんとかして手を払い除けようとするが万力の如き力で離せない。むしろ痛い。
「いでででででで!!!! 離さんかアホー!!!!」
「はい、これで終わり。全くうるさい奴だ」
「お前が馬鹿力なんだろうがっ!!! ……ってあれ?」
何故か普通に会話できている。なんで? どうして? WHY?
再び優真の中で疑問の嵐が巻き起こる。そんな様子を見ながら赤髪の少年は得意気にしていた。
「意志疎通の魔法を掛けた。とりあえずこれで普通にしゃべれるぞ」
「へ〜、魔法。……って信じられるかいっ!! 何が魔法だ! 頭沸いてんじゃねーよ!!」
さすがの優真も順応できず毒を撒き散らす。言われた本人はいぶかしげな顔をしていた。
「なあ、れっちゃん。この世の中魔法信じない奴なんていると思う?」
「ん〜よっぽどの山奥で生活してれば魔法なんて使わないかな〜……」
「お前生まれは?」
何度も魔法なんて単語が出ているくせに、目の前の二人はそれが当たり前といった表情だ。
え? なに? 俺がおかしいのか? とか思いながら優真は問いに答えた。
「日本だ。ちなみにむっちゃ都会」
どうせ言っても分からないだろう、と優真は地名までは言わなかった。
だが二人はそれすらも分からないといった感じで首をかしげている。
なんで分かんねんだよ。ジャパーンとか言った方がいいのか?
「あー、一つ聞くが、この世界の名前は?」
「世界? 地球って事か?」
「……」
赤髪の少年は無駄に驚いたような顔をしている。その後ろで青髪の少女はポカンと口を開けている。
「れっちゃん。どうやら俺は異世界の人を連れてきてしまったようだ」
「ええっ!? ちょっとジュン君どうするの!?」
異世界? いやもはや地球ですらない? あははーなんてこったい……。
「ああ!! だ、大丈夫ですか?」
「ふふふ、夢だ。これは夢なんだ。目覚めよ俺」
「信じられないのは分かるけどな。これは現実だ」
とん、と赤髪の少年が優真の額に指を当てた。
すると――
ジジジジジジジジジ!!!!!
「#$%&\@*#*@&\!!!!?」
優真の身体中を電気のような衝撃が駆け巡った。 実際には数秒なのだが、優真にとっては数時間にも思える地獄のような時間だった。
「ハハハ、どーだー。これで夢ではないと分かったかー」
「ち、ちょっとジュン君! やり過ぎやり過ぎ!!」
「む」
その言葉で赤髪の少年は指を離した。ようやく電撃が止み、どすっと優真は倒れた。
「あが……ががが………」
「だらしない……だらしないぞお!! それでは世界を目指せない!! 俺は……俺は悲しい!!!」
なんだこの変なノリのバカは……と優真は薄れゆく意識の中で思った。
ぱちり、と優真はスッキリ目が覚めた。
起き上がるとさっきと同じ見慣れない部屋。
「いや、もうさっきじゃねえか」
窓の外を見てみると、朝日がすでに昇っている。どうやら次の日になってしまったようだ。
しかしえらく体の調子がいい。タックルをもらった腹も今ではもう痛くない。
それもあの電気ショックのお陰か。電気マッサージみたいな効果でもあったのだろうか。
だが優真にとってはありがた迷惑だった。
「あの赤頭。次会ったら殴ってやる……」
優真が密かに赤髪の少年に復讐を誓っていると――
「あ、起きましたか?」
昨日の青髪美少女が顔を出した。持ってきたかごの中にはパンやらミルクやら。どうやら朝食のようだ。
「昨日はすみませんでした。ジュン君のせいでろくに挨拶もできなくて……」
「いやいや、俺も突然の事で驚いてたし」
「朝ごはん、ここに置いときますから食べてください」
ありがとう、と礼を言い優真は朝食を眺めてみる。パンやミルク、目玉焼きなんかもあり、ごく普通の朝食だった。
異世界でも食べ物は特に変わらないらしい。実に安心である。
だが、今はそんな事よりも聞きたい事がある。
「あ、そういえば自己紹介がまだでしたね。私はレン・グラッドと言います」
「俺は霧谷優真。よろしく。なぁレン、俺がいたジャングルにあともう二人女の子がいなかったか?」
「いえ、ユウマさんだけだったと聞いてます」
そうか、と優真は安心半分不安半分といった複雑な心境だった。
もしかしたらこっちに来たのは俺だけかもしれない。だが、まだまだ分からない事が多すぎる。色々聞く必要があるようだ。
「レンは、えーっと魔法は詳しいのか?」
自分で言ってて俺何言ってんだとか思っていたが、レンにとってはバカらしいものではなかったらしい。
「一応人並には使えますけど、それだったらジュン君の方が詳しいですよ」
「……あの赤頭か………」
赤頭と聞いてレンは困ったように苦笑した。言葉の中に悪いニュアンスしか入ってなかったからだろうか。
だがあんな事されて嫌いになるなという方が無理がある。
「ホントにごめんなさい……。ジュン君も悪気はなかったんです……。根はすごく優しいんですよ。ちょっと悪ふざけが過ぎるところがありますけど」
「いや、レンが謝る事じゃないよ。とりあえず落ち着いたし、怒ってない」
ジャングルで助けてくれたようだし、案外悪い奴じゃなさそうだ。バカっぽいが。
第一印象は最悪だが、一方的に嫌うのは止すとしよう。
「で、その赤頭はどうしたんだ?」
「あ、赤頭じゃなくて……」
「ジュード・ローゼンクロイツだ」
「うおわっ!!?」
当の本人がベッドの後ろから突然現れた。だが驚いたのは優真のみで、レンは呆れているだけで特に驚いていない。
「ジュン君……気配消して突然出てくるのやめてって言ってるでしょう」
「ふふん、趣味なので無理です」
ジュードは不敵な笑みを浮かべている。と、その笑みのまま優真をじろじろ眺め始めた。
「な、なんだ?」
「ふむふむ、電磁整体は上手くいったっぽいな」
まさかコイツ、俺の怪我治すために……?
優真の中で最悪だったジュードの株が急上昇し始めた。
「血行促進、肩こり解消などなど、多分できる。ま、いいデータが取れた。ありがとう、実験体第一号」
『実験体だったのかよ!!!』
優真とレンのツッコミが部屋中にこだました。
「で、ユウマだっけか? これからどうするんだ?」
一通り優真にどつかれたジュードは気を取り直してこれからの事を聞いてきた。
「俺がこっちに来る前、幼なじみと妹も一緒だったんだ。もしかしたら二人も来てるかもしれない。だから俺は探しに行きたい」
「なるほどな。で、行く宛はあるのか?」
そう言われてもあるわけがない。そもそも来てないかもしれない。
というより、この世界を全く知らないのに探しに行くというのは無理がある。
優真が黙っていると、ジュードは指をあごに添えてふむ、と呟いた。
「まぁ、どちらにしろ今は世界を練り歩くのは無理だぞ」
「……何でだ?」
「今、この国は戦争状態なんです。下手に国から出たりすると気付いたら戦場って事にもなりかねません」
優真の問いにはレンが答えた。何か思うところがあるのかその顔に陰りが差している。
レンが言うには今優真がいる国――リーザリスは戦時中で、敵国はリングサーク神王国というらしい。
事の発端はリーザリス内では位の高い貴族が、リングサークと軍事及び関税同盟を結ぶ為の調印式の最中、何者かに暗殺されたからだそうだ。
犯人は特定出来なかったそうだが、その時ある噂が立った。
これはリングサークがリーザリスを攻め落とす為の策略ではないかと。
実際、暗殺されたリーザリスの貴族はこれまで軍事面での多大な功績を残していて、いざ戦争になれば指揮系統の質はこれまでとは比べ物にならないほど落ちるらしい。
この事件が元でリーザリスは疑惑の目をリングサークに向けるようになり、調印式は持ち越しになったという。
「でも、これだけではなくてですね。引き金になる事件が起こったんです」
同時期にリーザリス内を観光に来ていたリングサークの第三王子が謎の失踪を遂げてしまったらしい。
王子はリーザリスの手によって捜索されたが未だに手がかりは掴めないという。
だが、リングサークはそれを真実だとは捉えなかった。
「なるほど。人質を取ったと考えたわけか」
「そうなんです。それで戦争が起こっちゃって。今はまだ大規模な戦闘は行われていないようですけど」
「全く迷惑な話だ。お陰で町はピリピリしてて気楽に出歩けねえし」
ジュードはやれやれと両手を上げた。だが特に不都合は感じていない様子だ。 だがそんな事よりも、優真はこれからどうしようと考えていた。
旅立つにしても残るにしてもまずは先立つものは必要だろうし、魔法なんてファンタジーなものが絡んできたら危険もたくさんあるかもしれない。
唸る優真。だがそれを見透かしたようにジュードはニヤリと笑みを浮かべた。
「なあユウマ。魔法学んでみる気はないか? 三食寝床付で」
この非常識男が優真にとって、それほどいい提案を無条件でしてくるはずがないと思った。
会って間もないが、直感的に感じた。
「……何が望みだ?」
「話が早いねえ。条件はこれから毎日料理をする事だ」
優真の目が丸くなった。意外と簡単な事だ。優真にとってはそれは毎日している事だからだ。
優真の両親は幼い頃に事故で亡くなった。それからは祖父が身元保証人となったが、祖父もガンで亡くなってしまった。
それからは兄妹二人三脚でずっと生活してきた。
だが残念ながら妹は全くと言っていいほど家事が出来ない。結局家事全般は優真が一人で請け負っている。
「それくらいなら容易い事だが、二人の両親はどうしたんだ?」
優真がそう聞くと、ジュードはため息をつき、レンは顔を伏せた。
まずい、なんか余計な事だったか……?
「れっちゃんのパパさんママさんは医者をやっていてな。今は戦争中だからずっと負傷者の看護していていない。俺んとこは……いるにはいるが、何してんだかずっと帰ってきてない。
れっちゃんちは隣にあるんだが、一人じゃ寂しいってんで俺んちに転がり込んできた」
「ち、ちょっとそんな事言ってないでしょ! ジュン君がうちに来て無理矢理連れてきたんでしょう!!」
「あれ〜? 案外嬉しそうにしてなかったか〜?」
「む、むぅ〜〜〜!!!」
そこは否定しないんだ……、と半ば呆れる優真。
ジュードはレンをからかうのが至極の喜び、といった表情をしている。
「ずいぶんと仲いいんだな、二人とも」
「そ、そんな事ないですよ!」
「ふふん、何を隠そう……」
ジュードはバッと後ろを振り向き、左手を腰に当て、右の人差し指をズビシッと上に突き出した。
「俺は!! れっちゃんの!! 全てを知り尽くしている!!!」
「な、何て事言ってんの!? ユウマさん、違いますからね! いつものジュン君の悪ふざけですからね!」
所々に力を入れながら宣言するジュードの手を下ろそうと必死になりながらも優真に弁解するレン。
優真はこのノリに乗るか、レンを助けるか迷ったが――
「そうか、レンはもうジュード色に染まってしまったのか……」
結局乗る事にした。
「うわーん!! ユウマさんまでー!!!」
レンは全てを諦めたように部屋から出ていってしまった。
後に残ったのはニヤニヤ顔のジュードと、やりすぎたか、と頭をぽりぽりかいている優真。
「なかなかノリがいいなユウマ。気に入ったぜ」
「いやー、ちょっとかわいそうだったかなと思ってるんだが……」
「大丈夫だ。いつもの事だから」
という事は毎度毎度レンをいじめてるわけだなお前は、と優真は呆れたようにため息をついた。
こうして、魔法を習得するまでの間、優真は二人の魔法使いと共同生活する事になったのだった。