第十三話 リングサークへ
「んじゃ、そろそろ行くか」
「ああ」
朝。日が昇る頃。澄みきった空気がとても心地よい。
これから戦地に赴くとは思えないような気持ちのいい朝だ。
全面戦争が開始されるまで一週間を切り、魔法の修行を終えた優真、ジュード、レンの三人。
もはや一刻の猶予もない。エアはあんなでも騎士隊隊長なので隠密行動には参加しない。
優真にとっては戦争よりも愛華と優音を探す方が大事なのだが、これが上手く行けばエアがこの国の王に掛け合って二人の捜索に協力してくれると言う。
だからこんな事はさっさと終わりにしたい。
「それにしても、リル、見送りには来るって言ってたんだけどな」
優真の魔法修行中、ちょくちょくリルが手伝いに来てくれていた。
相変わらずリルの素性は知れないが、何か訳があるのだろうと思っている。
そんな事を言うと、心配するな、とジュードが優真の肩に手を置いた。
「嫌でも会う事になるさ。さ、まずは城に行くぞ」
ジュードがビシッとここからでもよく見える城を指差した。
この国リーザリスは城を中心に三重の円にして成り立っている。住居はそれぞれ身分によって分けられる。城に最も近い円は上流階級、最も遠い外側は下流階級、ここはいわゆる貧民街というやつだ。そしてその間にある円が中流階級である。
ジュードの家は上流階級と中流階級の間にあり、ギリギリ上流階級と呼べなくもないかもしれないような気がする。
そしてこれからその上流階級の住居を通って城に向かうのだが――
「なあ、なんで城に向かうんだったっけ?」
「ユウマさん、出発前に精霊の恩恵が得られるというお祈りをしに行くんですよ」
レンにそう言われてそういえばそうだったけな、と思い出した。
リーザリスは昔から戦場に赴く戦士の為にある儀式が行われている。それを行うとレンが言った通り精霊の恩恵が得られるのだそうだ。
形式的には戦地に向かう戦士が精霊の前で何やら言って祈るだけらしい。しかし、その精霊は本物ではなく、この国の姫が代わりという話だ。
ジュードいわく、この国伝統の精霊魔法らしいが、それほど効果はないという。どちらかというと、儀式よりもこの国の姫を見るほうが大事なのだと力説していた。その後、レンにぶっ飛ばされていたが。
「ま、ちゃっちゃと済ませようや。あんまし時間もないからな」
「ダメだよ、ジュン君。お祈りはちゃんと受けなきゃ。効果は一応あるんだから」
レンが一応なんて言うとは、やはりあまり期待は出来ないのかもしれない。
そんな事を話している内に、上流階級の住居を抜けていたようだ。既に城は目と鼻の先である。
城の周りは防衛の為か堀になっている。城に入るには上流階級の住居の東西南北にそれぞれある橋を渡らなければならない。
ジュードの家は東にあるので一番近い東の橋から入る。
近くで城を見るとより一層高く見える。雲を突き抜けられるのではないかというくらいに。
橋を渡りきると門番らしき騎士が二人直立不動で立っていた。
「はいはい、これ許可証ね〜。はいはいど〜も〜」
ジュードは許可証をヒラヒラさせながら城の中へと入っていってしまった。
というか、騎士はジュードの許可証を一瞥するたけだった。もうちょっと入念にチェックとかしないのだろうか。
「ユウマさん、どうしました? 行きますよ」
「あ、ああ。悪い」
先に行ったレンに促され、優真は小走りで二人の後を追いかけた。
見掛けもでかけりゃ中も広い。
城に入った優真の最初に感じた感想だった。
まっすぐ進んでいるだけでもう五分は経つ。一度曲がったら確実に迷う。そんな妙な自信があった。
「ここだ」
ジュードが指差したのは三メートルはあるかと思われる巨大な扉。どうやら着いたようだ。
「よし、ユウマ。中に入ったらとりあえず膝ついて頭だけ下げてな。そしたら向こうが勝手にやってくれるから」
「ああ、わかった」
王様とか偉い人にあっても何を話せばいいかわからない。まあ適当に聞き流せばいいだろう。
「あと、姫さん見ても驚かねえようにな」
「驚く? そんなに綺麗なお姫様なのか?」
「あーまぁそうだけどそうじゃないと言うか……」
なにやらジュードの歯切れが悪い。心配しなくともジュードではないのだから綺麗な人見て飛び付いたりなどしない。
そんな失礼な事を考えていたが、ジュードはまぁ入りゃわかるとだけ言って扉をノックした。
「失礼します。ジュード・ローゼンクロイツです。レン・グラッド、キリタニユウマの二名を連れて参りました」
「入りなさい」
扉の向こうから男の声が聞こえてきた。恐らくは王なのだろう。優真は少しばかり緊張してきた。
巨大な扉を開いて中に入っていくと、銀髪の男性が王座に座っていた。
男性は四角い眼鏡をかけ、その奥にある眼は見られているだけで萎縮しそうになるくらい鋭い。
だが、優真には最近王と同じような銀髪をどこかで見た事があるような気がしていた。
「三人とも。よく来てくれた。そして隠密部隊への加入、感謝する」
そう言って王は深々と頭を垂れた。王に頭を下げられるとは、なんだか妙に恐縮してしまう。
王族というのはやたら尊大で嫌な連中という印象だったが、この王はずいぶんと腰が低い。というより、頭を下げるべき相手とそうでない相手を分けていると言うべきか。
王は頭を上げると切れ長の目を優真に向けてきた。
「そなたとは初めて会うのか。言うまでもないが、この国を治めているレータ・グレス・リーザリスだ。話はエアから聞いている。一般人のそなたを巻き込んでしまってすまなかった」
「い、いえ、そんな事ないですけど……、でもこれが無事に終わったら――」
「わかっている。そなたの人探しに全面的に協力しよう」
それを聞いてホッと息をつく優真。エアの性格が性格なだけに言い忘れてたんじゃないかと疑っていた。
「さて、あまり時間もない。これよりそなた達は儀式を受け、すぐにリングサークに向かってもらう事になる」
「はい」
ジュードが膝をついたまま三人を代表して答えた。そこにはいつものおちゃらけたジュードはいない。
「リングサーク城侵入後はジュードの判断に任せる。あらゆる策を以て確実に戦争を阻止せよ」
「はい」
「よし、では儀式を始めよう。リーレイス」
王は王の間のもう一つの扉に声をかけた。恐らく儀式での精霊役の姫だろう。
「失礼します」
想像していたよりも綺麗で透き通った声――
「ん?」
――というか、王の銀髪と同じくごく最近どこかで聞いたような……。
下に向けている視線を少しずつその姫の方に向けていくと――
「!!? りっ――」
そこには優真のよく知るリルがきらびやかなドレスに身を包まれて立っていた。
「『――我は願う。この者に加護があらん事を』」
レンの体が薄く輝き、やがて消えた。儀式が終わったようだ。
儀式はそれぞれ一人ずつ行う。既にジュードは終わり、残るは優真のみ。
そして、リル――リーレイス姫が跪いている優真の前に来た。
「……では、始めます。『水に属する全ての精霊よ。我は水の精霊の長たるウンディーネなり』」
いつものリルではない。今はリーレイス姫としてここにいるからだろうか。
ジュードが言っていた言葉の意味がようやくわかった。レンも知っていたのなら教えてくれればよかったのに。
そんな事を考えながらも儀式は続く。
「『我が力を糧に、この者の体を守り、心を癒し、生きてこの地へ生還させよ』」
この儀式の言葉を聞くのは三度目。だが、リーレイス姫の声はどこか悲しげだった。
「『我は願う。この者に加護があらん事を』」
儀式は終わった。特にどこも変わったところはない。ジュードの言った通りだった。
優真がゆっくりと顔を上げてリーレイス姫を顔を見た。
リーレイス姫は優真と目が合った瞬間だけふっ、と優しい表情になった。この時だけは、優真の知っているリルだ。
だが、次の瞬間には不安そうに顔を伏せた。
「……絶対に、帰ってきてください」
リーレイス姫は優真にだけ聞こえるように、そう言った。
優真はリーレイス姫に何か言葉を返そうとしたが、リーレイス姫は背を向けて王の隣へ戻ってしまった。
「それでは王、行って参ります」
「ああ、必ず生きて戻りなさい」
ジュードは王に一礼すると部屋の扉に向かって歩き出した。レンもその後に続く。
優真はまだリーレイス姫に聞きたい事があったのだが、話しかける事はしなかった。
リルには無事に帰ってきたらそれから聞けばいい。
そう思いながら優真は扉を開けて王の間を出た。
城を出てからというもの、優真は終始無言だった。
ジュードはそんな事はお構い無しに口笛なんか吹いている。レンは優真とジュードの顔を行ったり来たりしながらおろおろしている。
「さーて、これから馬に乗ってここを出るわけだが、その前に作戦を――」
「待て」
優真はドスの効いた声でジュード言葉を遮った。さすがにこの話題はスルー出来ない。
「なんでリルがこの国の王女だって教えてくれなかった?」
「あ、あのですね! 私もジュン君も意地悪で教えなかったんじゃなくて、リーレイス様に頼まれたんです!」
優真が少し怒り気味なのに焦ったのか、レンが慌てて説明し出した。
「リーレイス様はユウマさんの事を友達だと思ってるんです。リーレイス様は自分が王女だと知られると、友達でいられなくなる事が怖かったんです」
確かに普通の一般人なら王女を前にするだけで萎縮してしまうかもしれない。だが優真は普通の一般人ではない。
「……俺はリルが何者だろうが、友達だと思ってる」
「なら、帰ったらそれを言ってやんな。きっとリールン喜ぶから」
「つーか、お前は王女に対してそんなフレンドリーでいいのか?」
ジュードはリルとあの路地裏で初めて会った時から無遠慮だった気がする。
だが、ジュードはいいのいいの、とヘラヘラ笑うだけだった。
「とまあ、話しも一段落したところで、作戦を説明するぞ」
ジュードはふふふ、と何やら怪しげな笑みを浮かべている。
またろくでもない事を考えているに違いない。
「作戦名!! あなたのお国を没落させちゃう作戦!!!」
……………。
「で、レン。あっちに着いたら俺はどうすればいい?」
「そうですねぇ。ユウマさんは『封印』の導力を使って敵の魔法を無力化する事に集中してください。その隙に私が――」
「ああん、放置プレイはやめてーーー!!! しかもそこに俺が入ってないのがさらに悲しすぎるーーー!!!」
先に歩き出した優真とレンを、ジュードは半泣きになりながら追いかけてきた。
王に謁見していた時のジュードと目の前の半べそかいているバカが同一人物だと思えない。
「で、俺はレンの言った通りにすればいいのか?」
曲がりなりにもジュードがリーダーだという事には変わりない。
一応ジュードの意見も聞いておいた方がいいと優真は判断した。
「残念。そんなに楽は出来ないな。ユウマもきっちり戦ってもらうぞ」
楽をしようとは思ってなかったが、ジュードとレンに任せていれば大丈夫だと思っていた。だが、どうやら簡単に事は進められないらしい。
「リングサークには八賢者の子が二人もいる。アレン・レビィとベルブランカ・レビィ。どちらも強い。俺が二人を足止め出来りゃいいんだが、そうもいかねえだろうな」
いつも自信過剰なジュードが足止めすら出来ないと言い切るとは、よほど厄介な相手なのだろう。
「なら、三人でその二人を倒すのか?」
「いや、俺がアレン、れっちゃんがベルの相手をする。ユウマはリングサークの王を捕まえてくれ」
「俺一人でか!?」
魔法を学び始めてまだ一ヶ月も経っていないそんな大役が勤まるのだろうか。
相手が王なら恐らく魔法も一級品。優真の『封印』がどんな魔法も打ち消すとはいえ、策を講じられれば通用しないだろう。
「まぁ危なくなったら、『黒闇』使え」
「『黒闇』か……」
『黒闇』。優真のもう一つの属性。 あの異様な力は、出来ればあまり使いたくはない。
『白光』と『黒闇』。この二つの属性を使いこなせば、八賢者すらも越えるとエアは言っていた。
別に最強になるつもりはないが、身を守るためには使いこなすしかない。
「ねぇ、ジュン君。本当にいいの?」
それまでずっと黙っていたレンが、突然口を開いた。
「リングサークにいる八賢者の子って、ジュン君の幼なじみなんでしょう?」
「なっ!? おい、初耳だぞ!」
優真は驚いてジュードに詰め寄るが、ジュードは涼しい顔でそうだな、と言うだけだった。
「お前は幼なじみと殺し合いすんのかよ!!」
「殺されるつもりはないし、何より殺すつもりでいかないとこっちがやられる。れっちゃんも、そういうつもりで戦わないと勝てないぞ」
「うん……」
そう言うものの、レンはあまり気が進まなそうだ。
ジュードの考えが優真には理解できなかった。旧友と戦おうとしているのにどうしてそんな冷静でいられるのか。
「ユウマが気にする事じゃない。俺はリングサークと戦争すると決まった頃から覚悟してた。多分、あいつらもだろう」
「ジュード……」
その時のジュードは、無表情なのにどこか悲しそうだった。
覚悟していたと言っても割り切れない部分もあるのだろう。戦争はどこの世界でも無情だ。
そんな話をしている内に、貧民街を抜けていたようだ。朝も早いせいか、貧民街の通りには誰もいなかった。
貧民街の終わりの所に見上げるほどの門がそびえ立っていた。この門がリーザリスを守る壁という事らしい。
「おー、これがリーザリスの外かー」
目の前に広がる広大な草原。所々に生えている草が風に揺れている。
草原の向こうには森が見える。恐らく最初に優真がいた森だろう。
元いた世界では地平線なんて見られなかった。優真は初めて見る地平線にちょっと感動していた。
「そういえばユウマさん。外に出るのは初めてでしたね」
「ああ。ずっと魔法の修行だったし、外に出る用事もなかったしな。あれ? ジュードは?」
「今、向こうの馬小屋に馬を取りに行ってます」
レンの指の先には、馬小屋らしき建物からちょうどジュードが馬を三匹引き連れて出てくるところだった。
「はいはい、二人とも、乗って乗って」
「うん」
「……」
レンは乗り慣れているのかスルッと簡単に乗ってしまった。
優真は馬の体に手を当てて思った。
馬に乗った事ねえ!
「情けないな、ユウマよ」
「あはは……」
ジュードはやれやれ、と手を広げ、レンは苦笑している。
「仕方ねえじゃん! 馬なんて乗った事ねえんだよ!!」
優真はなんだか恥ずかしくなってきて叫んだ。
結局優真はジュードの後ろに乗ってリングサークへと向かったのだった。