第十二話 謎、もう一人の自分
商業都市レイドから数百キロ離れたキグ草原という場所に愛華とリースはいた。
愛華は猛烈に走る馬の上に跨り、その馬の手綱を握っているリースの腰にしがみついている。
向かう先はリースの許婚がいるというリングサーク神王国。レイドから一週間ほど馬を走らせた場所にリングサークはあった。
レイドで馬を借り、走らせてから三日目。まだまだ時間が掛かりそうな距離に、リースは焦っていた。
やがて馬の体力に限界が来たのか、だんだんとスピードが落ちていくがリースは気づいていないようだ。
「り、リースちゃん! ちょっと、ちょっと待って!」
「なに!? アイカ!」
風を切る音に邪魔されながらリースは大声で聞き返した。
「馬が疲れてるよ! そろそろ休憩にしなきゃ!」
「何ですって! この馬! もっと根性見せなさいよ! じゃなきゃ馬刺しにして食ってやるわよ!」
リースは焦りすぎて物騒な事を言い始めている。心なしか馬のスピードが上がったように感じた。
だが、さすがに走れなくなったら困るので愛華は慌ててリースを止めた。
「焦っちゃ駄目だよ、リースちゃん! 落ち着いて! とにかく今は馬を休ませてあげよう?」
「でも……」
「焦りは禁物。リースちゃんも少しは休まなきゃ、ね?」
愛華の言葉にリースはしぶしぶ頷いて、馬のスピードをゆっくりと下げていく。
近くにあった泉で馬を止め、愛華達も馬から降りた。
「はぁ……」
水辺に座ってため息をつくリース。その隣に愛華が座り、心配そうにリースの顔を覗きこんだ。
「大丈夫? リースちゃん」
「うん、まあね……」
と、言いながら全く大丈夫そうではない。
「ああもう!」
リースはイラついたように美しい金髪を掻き乱し、手足を投げ出して寝転がった。
「どうしてこんな事になっちゃったのかなぁ……」
「……どうするつもりなんだろうね、リースちゃんの幼馴染達」
リースの問いには答えず、逆にそんな事を言う愛華。リースは真剣な表情で呟いた。
「……きっと戦うんだろうなぁ、あの二人。それが男だ、とか何とか言って。バッカみたい」
リースの呟きは空に消えていく。愛華は何も答える事が出来ない自分を歯がゆく思った。
もし、優真と優音がいつもの喧嘩ではなく、殺し合いをしようとしているなら自分はどうするのだろう、と愛華は考えた。
――きっと、リースちゃんみたいに無我夢中で止めるだろうなぁ。
愛華は水面に移る自分の顔を見ながら、やりきれない思いを感じていた。
そんな時である。
「ほう、もうこんな場所にまで来ていたか」
「え?」
声のした方を振り向くと、そこには漆黒のローブに身を包んだ人物が立っていた。
声と背丈からして男らしいが、フードを目深に被っているのでよくわからない。
「誰よ、あんた?」
素早く立ち上がったリースは愛華を背に隠し、警戒しながら男を睨みつける。
――リースちゃん……震えてる……?
リースは昨日見せた勇猛な姿ではなく、目の前の人物に対し怯えているようだった。
「一目見て、私とお前の力の差を悟ったか。中々優秀なようだ。さて、死にたくなければ、その娘を引き渡してもらおうか」
男は突然愛華を指差し、そんな事を言い出した。訝しく思いながらリースは小声で愛華に訊ねる。
「……愛華、この男と知り合い?」
「そんなわけないよ。この世界でリースちゃん以外に知り合いなんているわけない」
「だよねぇ。――そこの変な人。アイカはあんたなんて知らないって言ってるわよ」
リースは男にそう言い放つが、男はふっ、と一笑するだけだった。
そんな態度が癇に障ったのか、リースは青い長剣を出現させ、臨戦態勢を取った。
「やる気か? 私とお前とでは勝負にはならないぞ」
「言っとくけどねえ、あたしはそう簡単にはやられないわよ! あたしはあの――」
「知っている。八賢者の一人、メイリーン・べルティオーの娘、リースミリス・ベルティオーだろう? だから何だと言うのだ。お前の実力は母の足元にも及ばない」
その言葉でいよいよリースがキレて、男に向かって駆け出した。
「やってみなくちゃ、わからないでしょうが!」
リースは長剣を振り上げ、男に切り掛かる。
しかし、男は軽く体をずらしただけでリースの斬撃を避けた。
後を追い、逆袈裟に切り上げるがまた避けられる。
切る、避ける、突く。だがかわされる。何度も同じ事を繰り返すがそれでもリースの攻撃は当らない。
埒が明かないと感じたのか、リースは男と一旦距離を置くと呪文の詠唱を始めた。
「『集え、流水よ。我が敵を穿つ槍となれ』!」
リースの詠唱で泉の水が槍の形を成し、無数の槍が男に向かって放たれた。
だが――
「『光あれ』」
水の槍は男を貫く前に蒸発して消えてしまった。
いつの間にか、男の手には黒い短杖が握られている。恐らく何らかの魔法で相殺させたのだろう。
「ならこれはどうかしら!」
リースは既に次の攻撃態勢に入っていた。
後ろにある泉に手を浸からせ詠唱を始める。
「『水の精霊神の眷族である泉の精霊よ。我が力を糧とし、その身を現し給え』」
長い詠唱を終えると、その泉から巨大な水しぶきが高く舞い上がった。
水しぶきの中から出てきたのは美しい女性。だが、人間のそれとは全く違う。青い髪、青い肌、全身の全てが水で出来ている精霊がそこにはいた。
その精霊は妖美に微笑みながら、リースの後ろに降り立った。
「召喚魔法か。果たしてどれほど役に立つのか……」
「黙って受けてみなさい! 『放て』!」
リースの命令で精霊は両手の指先を男に向ける。そして、そこから超高密度の水弾が連続で放たれた。
あまりの激しさに土埃を巻き上げ、男の姿が目視出来なくなる。
きりのいいところでリースは水弾を止めさせ、土埃が晴れるのを待った。
だんだんと土埃が晴れていき、そこにいたのは――
「うそ……」
――リースの全力の攻撃を受けたにも関わらず、全くの無傷で男は立っていた。
「ふむ、こんなものか。次はこちらからいくぞ」
男は地面に手を置き、詠唱を始めた。
「『来たれ、大地の精霊。敵を葬る気高き戦士よ』」
男の呪文でリースの周りの地面から土で出来た甲冑が現れた。その数五体。どうやら男は、自分は高みの見物を決め込むようだ。
「なめるんじゃないわよ! 『迎え撃て』!」
リースは精霊に命令し、自らも甲冑を迎撃しようと立ち向かう。
切り、払い、突く。甲冑が追いきれない速さでリースは立ち回っていた。
だが、先の魔法で魔力を消耗していた為か、徐々に押され始めてしまう。
「ああ、もう! なんて硬いのかしら!」
甲冑が硬すぎてあまり致命打にならない。やがて、一体の甲冑の拳が精霊を捉え、弾けるように消し去られてしまった。
状況は一対五。明らかに勝ち目はない。
「逃げて! リースちゃん!」
それまで不安そうに見つめていた愛華だったが、我慢出来なくなったのか涙ながらにそう叫んだ。
だが、それでもリースは止まらない。
「ぐっ!」
リースの顔が苦痛に歪む。甲冑の拳が、リースの腹を捉えていた。
「リースちゃん!」
「……平気だって。頑丈だけが、あたしの取り柄だものね」
ふらふらと甲冑達に向かっていくリース。それでも男は容赦しなかった。
「殺れ」
無常な男の声が、愛華の耳に届いた。
弾かれたようにリースを見ると、周りを甲冑達に囲まれていた。
「だめ……」
愛華はゆっくりと一歩を踏み出した。
「やめて……」
甲冑達の振り上げる拳がやけに遅く見えた。
「リースちゃん……」
ニヤリと、邪悪な笑みを浮かべている男の顔が目に入る。そして、甲冑達の拳が振り下ろされた。
「やめてえええええええええええ!」
愛華の声に答えるかのように甲冑達の動きは止まった。いや、止めさせられた。突然足元から発生した氷によって。
その氷は瞬く間に甲冑達の全身を覆い尽くすと、やがて亀裂が入り粉々に砕け散った。
「……すばらしい」
男は誰に言うわけでもなくそう呟いた。
辺りは一瞬にして氷の世界に変貌を遂げていた。大地も、泉も、空気でさえも。そして、その中心にあるのは愛華。
「……」
愛華は虚ろな目でリースを見つけると、安心したように笑顔を見せ、そのままバタリと倒れてしまった。
「アイカ!」
リースは痛む足を引きずりながら、愛華に近づきその体を抱き起こした。
「アイカ……」
「あ、リースちゃん……。大丈夫だった?」
「バカ。こっちのセリフだって」
「うん……、ごめんね……」
そこでリースはハッとして、辺りを見回した。
「いない……?」
いつの間にか男は消えていた。突然の出来事に驚いて逃げたのだろうか。
「とにかく、一番近い村まで行かなきゃ。リングサークに行くのはそれからよ」
リースは泉の近くでうろついていた馬を捕まえ、自分と愛華を乗せて走り出させた。
気がつくと、愛華は暗闇の世界にいた。なんとなくこれが夢だとわかる。明晰夢というやつだろうか。
それにしても何もない。どこまでも暗闇が続く世界。何故こんな夢を、と思った時後ろから声がかかった。
「アイカ」
「!?」
愛華が驚いて振り向くとそこには――
自分がいた。全く同じ顔。なのに纏っている雰囲気がぜんぜん違う。
「こうして夢の中で会うのは初めてじゃの」
容姿は全く同じなのにしゃべり方やしぐさがどこか古臭い。
「あなたは……?」
「そなた達と似て非なる存在、とでも言っておこうか。そなたは気づいていないだろうが、私とそなたは昔から共にいる」
突然そんな事言われても、と愛華は困り顔になった。だが、半分夢だと思って割り切っている。
「ふふ、今は私の存在を夢だと思っていい。だが、この先そなたには過酷な運命が待っている。これだけは覚えていて欲しい。私とそなたは共にいる」
「私とあなたは共にいる……」
「そうじゃ。そなたの願いが私に届いた時、私はそなたの思いに答えよう」
何の事を言っているのかさっぱりわからない。そんな時、夢の中での意識が曖昧になってきた。夢から覚めようとしているようだ。
「あと、これだけは言っておこう。そなたの探し人はそなたの向かう先にいる」
その言葉を聞いた次の瞬間には、愛華の意識は完全に闇に呑まれていた。
「ん……」
「あ、アイカ! 大丈夫!?」
ゆっくり目を開けると、目の前に心配そうなリースの顔があった。
起き上がって周囲を見回すと、どこかの部屋のようだ。
ここはどこ、と聞こうとしたが、突然ガバッとリースに抱きつかれた。
「よかったぁ〜〜!! アイカ、丸一日眠りっぱなしなんだもん」
「え? そんなに寝てたの?」
窓の外を見てみると日が高く昇っている。どうやら昼過ぎくらいのようだ。
「そういえばリースちゃん。ここはどこ?」
「あ、ここはね、マーレっていう町の宿屋。レイドとリングサークの真ん中辺りかな」
そう説明するとリースはまた心配そうな顔で愛華を見つめてきた。
「ねぇアイカ。ホントに大丈夫? あんなに強力な魔法使ったから倒れちゃったんじゃないの?」
リースは何故かそんな事を言ってきた。愛華自身魔法を使った覚えはない。というか、使えない。
「え? 魔法? 私そんなの使ってないし、使えないよ」
「えーうそぉ。あの時、あたしがさすがにヤバい! って時にアイカが魔法で助けてくれたんだよ。こう氷がそこら中にドババッと」
リースの説明は抽象的過ぎていまいちよくわからない。
とにかく、リースが言うには謎の黒服男を追っ払ったのは愛華だったと言う。
「私が、魔法を……」
と言われても、以前リースが言っていた魔法を使うには魔導具という物が必要らしいし、愛華はそんなのは持っていない。
「まぁいいや。助かったのは事実だし、二人とも無事だったんだし」
それで済ませてしまうリースはけっこうアバウトである。 ふと、愛華はさっきまで見ていた夢を思い出した。
――私はそなたと共にいる――
リースを助けたのは自分の中にあるもう一つの存在だったのだろうか。
そんな事をぼんやり考えていると、リースはよし、と立ち上がった。
「アイカ、あたしもうちょい情報集めてくるね。アイカはゆっくり休んでて」
「え、私ならすぐ行けるよ。急ぐんじゃないの?」
「ううん、リーザリスとリングサークの戦争はもう少し先みたいなのよ。だからそれまでにどうやって止めるか考えてみる。
それとついでにアイカの魔導具もここで作っちゃおう」
それは嬉しいが、そんな事をしている余裕があるのだろうか。
そんな不安が顔に出たのかリースは大丈夫大丈夫と笑って見せた。
「それじゃ、また後でね」
バタン、とリースが扉を閉めて足音が遠ざかっていく。
部屋の中は静かである。何の雑音も聞こえない。
そんな中で愛華は先ほどの夢を思い出していた。
妙に現実感があった夢。夢だけど夢じゃない。自分の中にいるもう一つの存在。不思議ともしそんな人格があっても怖くはない。
リースが危なくなった時、愛華が助けたとリースは言っていたが、正直覚えていない。
無我夢中で、ただ助けたくて。気がついたら叫んでいて、次の瞬間には意識が途切れかけていた。
「――リースちゃんを助けてくれたのは、あなたなの……?」
そう自分の中にいるもう一つの存在に話しかける。だが、返事は返ってこなかった。
「では、準備はよろしいですか?」
「はい、お願いします」
愛華がそう答えると、黒いマントを羽織った魔導士は詠唱を始めた。
愛華が目覚めた次の日。魔導具を作るため、愛華とリースは町の魔法屋に足を運んでいた。
リースの集めてきた情報によると、全面戦争はあと二週間後。満月の日らしい。
それまでにする事は、リーザリスかリングサークに行き出来れば戦争を止めさせ、最低でもリースの幼なじみが戦い合うのを止める事である。
ならば一日でも早く行かなければならないのだが、愛華が護身程度に魔法を使えればいいとリースは考え、今は魔法屋に立ち寄っている。
「わわ!? 足元が光った!」
愛華の足元に描かれている魔方陣が光り輝き、そこから八つの光が現れた。
その中の一つ、蒼い光が愛華の前にふよふよと漂ってきた。
「アイカ、それに手をかざしてみて」
「え、こ、こう?」
言われた通り手をかざしてみると、光が手を介して愛華の体の中に吸い込まれていった。
その光が体の中に入った瞬間、不思議な感覚が愛華を襲った。
まるで広大な海の中をさ迷っているかのような。だが心地よい安らぎを感じる。
「――儀式終了です。あなたは『蒼水』の属性みたいです」
「やった! 色は違うけど、アイカと同じ水の属性だわ!」
「そう……すい?」
なんだかよくわからない属性だ。リースからは一般常識として歴史やら魔法やらの事は聞いていたが。
リースは『青水』で愛華は『蒼水』。同じ水系統だが色が違うようだ。
水の属性は主に回復に特化している。元々戦いに肯定的ではない愛華は水でよかったと安堵した。
「それじゃアイカ。宿屋に戻ろ。これから数日は魔法の練習よ」
「うん」
愛華は自分の中にある属性の不思議な感覚を感じながら、リースと宿屋に戻っていった。
――全面戦争開始まで、残り二週間。優真、優音、愛華。それぞれの歯車が徐々に噛み合っていく――
さて、愛華編も終了しました。次回は優真に戻り、いよいよリングサーク潜入編。お楽しみに!