第十一話 リースの幼なじみ
「それでリースちゃん。許婚って?」
「う……やっぱそこに行くんだ」
料理もあらかた食べ終わった頃、愛華はさっきから気になって仕方ない事をリースに聞いた。リースは照れて頬を掻いている。
「うんとね、あたしのお母さんとその許婚――アレンっていうんだけどね、でアレンのお母さんが昔一緒に働いていた時があって、それで仲良くなったんだって。それでね、あたしが小さい頃お母さん同士が酒盛りしてた夜、その時にあたしのお母さんが酔って勝手に決めちゃったんだ」
「へぇ〜。でも、勝手に決められたって割にはまんざらでもなさそうだけど」
愛華がそう言うと、リースはうっ、と声を詰まらせて顔を赤らめた。
「……そりゃあ、許婚になる前から……あたしはアレンが好き……だったし……」
だんだんと声が小さくなっていって最後の方はよく聞こえなかったが、なんとなく何を言っているかはわかった。
――リースちゃんもちゃんと女の子してるんだぁ……。
と、愛華はひどく共感した。
しかし、リースは恥ずかしさのあまり暴走していく。
「……許婚は……むしろうれしかったっていうか……好都合っていうか……もうっ! 恥ずかしいなあ!」
朱に染まった頬に手を当てて、もう一方の手はバンバンとテーブルを叩いている。その度に空の皿が激しく揺れ、コップがひっくり返り残っていた中身をぶちまける。
さすがに危険を感じた愛華は慌てて声を掛けた。
「り、リースちゃん! 落ち着いて落ち着いて!」
三度目の声掛けでようやくリースは止まってくれた。
「ま、まあ、そんなわけよ。じゃ、次はアイカの話を――」
リースの言葉はそこで止まった。テーブルの上に大きな影が落とされている。
愛華はその影の下を辿った。だんだんと視線が上に上がっていく。そこには、酒に酔った大柄な男がニヤニヤ意地汚い笑みを浮かべて立っていた。
「おう、嬢ちゃん達。随分と賑やかじゃねえか。俺も混ぜてくんねえかな」
愛華は部屋に戻ろう、と小声で囁くがリースは気づかなかったのか先程とは一転し、リースは鋭利な雰囲気で男の言葉を鼻で笑った。
「お生憎ね。あたし達はつまらない男には興味ないの。他を当たってくれないかしら」
男はその気の強い言葉にヒュウ、と口笛を吹き冷やかした。まだまだあきらめるつもりはないらしい。
「まあそう硬い事言いなさんなって。見たところ女の子の二人旅なんだろう? 何なら俺が同行してやってもいいんだぜ?」
そう言って男がリースに手を伸ばした。
「ふんっ」
――バシン、とリースは男の手を払う。さすがにカチンと来たのか、男は両手をテーブルの上に叩きつけた。
「……おい、くそアマ。あんま調子に乗ってっと痛い目見ることになるぜ。こんな風になあっ!」
男は拳を振り上げる。危ない! と愛華は思わず目をつぶってしまった。次の瞬間、愛華の
耳に入ってくる壮大な転倒音。
「リースちゃん!」
愛華ははっ、と目を見開き立ち上がった。だが、愛華の目に飛び込んできたのは想像していたリースの姿ではなかった。代わりに床にひれ伏しているのはリースを殴ろうとした男の姿。
「り、リースちゃん? 大丈夫なの?」
愛華は心配してリースの傍に駆け寄った。そんな愛華に平気平気、とリースは手をひらひらさせる。
「この男のパンチおっそいからさ、軽くいなしてやったら派手にすっころんじゃった」
「こ、このガキが……」
怒り心頭といった様子で起き上がってくる男。リースは挑発的な目で男を見据えた。
「あらやる気? 女の子にかわされるへなちょこパンチの持ち主じゃあ一生賭けても当たらないわよ」
その言葉に呼応するかのように遠巻きに見ていた他の客の野次が飛ぶ。
――いいぞ嬢ちゃん! そんな野郎ぶっ飛ばしちまえ!
――いい歳した男がやられっぱなしになってんじゃねえよ! ねじ伏せちまえ!
一瞬にして酒場内が騒然と沸きあがり、賭けさえも出てくる始末。
愛華はおろおろしてリースを見つめていたが、リースは大丈夫、下がってて、と声を掛けた。愛華はしぶしぶながらも数歩後ろに下がる。
他の客がテーブルを下げたのだろうか、リースと男がいる場所にはまるでリングのような空間が出来上がっていた。
「へっ、この俺を怒らせたからにはただで帰れるとおもうんじゃえぞ」
「うわぁ、明らかに三流悪役のセリフね、それ」
そんなリースの一言で酒場内がどっと沸きあがる。ますます男の顔が怒りに染まった。
「ぶっ殺す! 『来たれ』!!」
男がそう唱えると、その手の中に穂が三叉になったトライデントと呼ばれる槍型の魔導具が握られていた。どうやらこの男、魔法が扱えるらしい。酒場内が騒めき始める。
だが、魔法が使えようが使えまいが関係ない、とでも言うようにリースは表情一つ変えていない。
そんな態度も気に触ったのか、男は腕を引き、リースに向かって思いきり槍の一撃を放った。
明らかに殺意の篭った一撃。もし当れば即死は免れないだろう。三叉に分かれた槍に貫かれているリースの姿が愛華の頭によぎった。
しかし――
「おっそ〜い」
貫かれる、と野次馬全員が思った瞬間リースの姿が忽然と消えた。男は突然の出来事に目を見開く。
遠巻きに見ている野次馬には見えるであろう。消えた次の瞬間には、男の背後で青い装飾が施された巨大なハンマーを振り上げているリースの姿が。
「えい」
そんな躊躇もへったくれもない言葉と共に巨大なハンマーは振り下ろされた。
酒場内に響き渡ったのは雷が落ちたような轟音。野次馬はあっけに取られてシーンと静まり返っている。
「よいしょっと」
リースが重たそうにハンマーを退けると、そこには白目をむきながら男が失神していた。
静かだった野次馬達がハッと我に返って歓声が上がる。
――すげえぜ嬢ちゃん! 最強だ!
――小さいのにたいしたもんだ!
リースはそんな言葉を受け、ハンマーを消し、手を振りながら答えている。
愛華は心配そうな顔をして近づいていった。
「大丈夫? どこも怪我ない?」
「大丈夫だってば。アイカは心配性なんだから」
リースは笑いながらそう言ったが、腕に軽い切り傷を負っている。愛華は目ざとくそれを見つけた。
「怪我してるじゃない、もう。ちょっと待って、確か薬が……」
愛華はマラハ村から持ってきた傷薬を取り出しリースに塗ろうとしたが、リースはまた大丈夫だって、と言いながら傷口を手で押さえた。
「こんなのすぐ治るから。見てて」
リースが数秒傷口を押さえていた手を離すと、多少の血は残っていたものの、既に傷は塞がっていた。その人間離れした治癒能力を見て愛華は驚きで目を見開いていた。
「これはね、あたしの導力『治癒』。簡単な怪我くらいならすぐに治るわ」
「……何だかこっちの世界に来てから驚かされる事ばっかりだよ……」
「さてと、今日はもう休もう。久しぶりに戦ったら疲れちゃった」
そう言った瞬間、リースは人目もはばからず大きなあくびをする。愛華もそろそろ休みたいと思っていたので賛成した。
そして、二人は先程の野次馬達に見送られながら酒場を後にした。
愛華とリースが借りた部屋には二つのベッドとトイレと洗面所があった。愛華の世界での風呂や冷蔵庫はない。リースが言うには、この部屋はまだいい方で、ひどい部屋にはトイレや洗面所がないらしい。
一応この世界でも湯船に浸かるという概念はあるのだが、湯の沸かし方がどうやら違うらしい。科学の発展していないこの世界では当然湯沸かし器なんて物がなく、湯を沸かすには魔法を使うというのだ。
二人が借りた部屋は風呂場がないので、仕方なく洗面所でリースが召喚魔法で炎の精霊を呼び出し、湯を沸かした。二人は濡れタオルで体を拭き、頭を軽く洗う程度にしておいた。その時にリースが悪乗りして愛華の胸を揉んだりしたのはまた別の話。
「ねえ、リースちゃん」
「ん? 何かしら?」
愛華は備え付けられたベッドに腰掛けながら、濡れた髪をタオルで拭いているリースに尋ねた。ああ、とリースはわかったように言う。
「もしかして、その服きつい? 特に胸が」
愛華は今、パジャマ代わりにリースの服を着ている。愛華が着ていた服は洗濯し、部屋に干されているので着れない。という事でリースの服を着ているのは当然といえば当然なのだが、いかんせん、リースの服では出るとこ出ている愛華には少々きつそうだ。
だが、愛華は顔を赤くして首を横に振った。どうやらそういう事ではないらしい。
「違うよぉ。いや違くはないんだけど、私が聞きたかったのはさっき持ってたあのトンカチって前に見せてくれた綺麗な剣じゃなかったみたいだけど」
「ああ、正確にはあの剣もハンマーも魔導具じゃないのよ。あ、魔導具っていうのは魔法を使う為の道具の事ね。で、あたしの魔導具はこの指輪」
リースは右手の薬指にはまっている青い指輪を見せた。ランプの光に反射してキラリと光っている。
「これはあたしが思い描いた武器に形を与えてくれる魔導具なの。普通は一つの武器の形にしたりするんだけど、あたしは多種多様の使い方をしたいからこういう力にしてみたんだ。後ね、あたしの場合は特に魔力が多いみたいで常に魔導具が具現化した状態なのよね。まあ、指輪だから気になんないけど」
「へえ〜、そうなんだぁ……」
愛華はまじまじとその指輪を見て感心したようにそう言った。
「だからかな、あの三人あたしには結局勝つ事出来なかったけど」
そう言ってリースは楽しげに笑った。その表情は過去を懐かしんでいるようだった。
「幼馴染達の事?」
「そうね。十二歳まで一緒にいたんだけど、あいつらホントに魔法ヘタクソだったんだよねぇ……」
リースのそんな表情を見ながら愛華は、先程から気になっている事を尋ねた。
「ねえ、どうして離れ離れになっちゃったの?」
「うんと、確か母さんの仕事の都合。あたしのお母さんがある国の宝を守る用心棒みたいな事をしてたらしいんだ。それである日泥棒が来て、その宝を盗む時に魔法使って逃げちゃったんだって。それからあたしは親戚がいるマラハ村に預けられて、母さんはその泥棒を追い続けてるらしいんだけど……」
「だけど?」
「盗む時に使った魔法が召喚魔法と方陣魔法を合わせた“複合術式”で、聞いた事も見た事もない呪文と魔方陣だったんだって。で、もしかしたら異世界にでも逃げたんじゃないかって、時々帰ってきたお母さんがぼやいてた」
その話を聞いた瞬間、愛華はふとある事に気がついた。
「もしかしたら、それを使えば元の世界に帰れるかもしれない……」
愛華の呟きに、リースは無理ね、と首を横に振った。
「どうして?」
「確証があるわけじゃないし、それに異世界がアイカの世界だけとは限らないと思うわよ?」
至極尤もである。正論を叩きつけられた愛華ははぁ、とため息をついた。世の中そんな簡単にはいかないという事か。
「ま、地道に探せばいいじゃないの。見つかるまでこの世界を楽しみなって。あたしも付き合うしね」
「うん。ありがとう、リースちゃん」
「さてと、もう寝ましょう。明日はアイカの魔導具作りに行ってから情報収集よ」
リースはランプの光を消し、ベッドの中に潜り込んだ。愛華も同じようにベッドの中に潜り込んだ。
久しぶりのベッドの感触に、愛華の意識はすぐに溶けていった。
次の日。早朝から部屋を出た二人は朝食を食べる為に再び酒場に来ていた。二人以外には数人の客がいるだけだ。昨日の活気立っていた雰囲気がまるで嘘のように静かである。
「うーん、朝は静かでいいねぇ」
「そうだね。賑やかなのは嫌いじゃないけど、私こういうのも好き」
二人はそんな会話を交わしながらメニューに目を通していた。そんな時である。隣の席から一組の男女の話が聞こえてきた。
「そういえば旅の商人から聞いた話なんだけどな。何でも、次の満月の日に北のリーザリスとリングサークが戦争をおっ始めるんだと」
――リースの動きが止まった。目を見開いてその男女の会話に耳を傾けている。
愛華はそんなリースを不思議そうに見つめている。
「ええ? じゃあ、ここも危ないんじゃないの?」
「いや、ここからは結構距離があるし、戦争には巻き込まれないらしいぜ」
リースはメニューを置いて立ち上がる。そして、その男女の席に向かって歩いていった。
「り、リースちゃん? どうしたの?」
愛華も慌ててリースの後を追いかける。リースは男女の席に着くと思いきり両手をテーブルの上に叩きつけた。男女は突然の事に驚き、訝しげにリースを見た。
「ねえ。その話本当? リーザリスとリングサークが戦争するって」
「あ、ああ。本当だよ。商人がリングサークで仕入れた武器を売ってた時に兵士から聞いたんだってさ」
「そんな……」
ふらふらとその場に座り込んでしまうリース。愛華はその男女に詫びを入れると、リースを支えて席に戻った。
常に元気だったリースの様子がおかしい。それだけで愛華は不穏な空気を感じていた。
「いったいどうしたの?」
リースを椅子に座らせ、愛華は優しく声を掛け、リースの顔を覗き込んだ。重々しくリースは口を開いた。
「……あたしに三人の幼なじみがいるって事は話したわよね」
「うん」
「今聞いた、リーザリスっていう国とリングサークっていう国に三人が住んでるんだ」
「え?」
まさかその幼馴染同士で争うという事なのだろう
いや、しかししかし――
「その三人って同じ所に住んでるんじゃないの?」
「ううん。昨日話した泥棒の事件はね、あたしの母さんとアレンとアレンの妹のお母さん、それともう一人のお父さんが当事者なんだ。母さん達三人は今も泥棒を追い続けてる。それで、そのもう一人もあたしと同じような理由でリーザリスに移住したの」
リースは力なく頭を下げた。愛華は慰めたくとも、どうすればいいのかわからない。
「リースちゃん……」
愛華はそう声を掛ける事しか出来なかった。
だが――
「ごめん。アイカ」
リースはそう言って勢いよく立ち上がった。愛華は唐突な展開について行けていない。
「あたし、行かなきゃ!」
「まさか戦争止めに行くの? 無茶だよ! 一人の力じゃどうにも出来ないよ!」
愛華は必死にリースを引き止めた。だが、リースは愛華の言葉を聞いていない。
「約束したのに、一緒に行けなくなっちゃった。
ホントにごめん。もしよかったら、アイカはここで待ってて。出来るだけ早く帰ってくるから。その時、まだアイカがここにいてくれるんだったら、今度はちゃんと一緒に行こうね」
「駄目! 駄目だよ! 友達をそんな所に一人で行かせられない!」
愛華は両手を広げてリースの行く手を阻む。リースは辛そうに顔を歪めた。
「お願いだから、行かせて。あたしはあの三人を止めなきゃならないの」
「絶対駄目! もしどうしても行くって言うんだったら……」
愛華はリースの目をまっすぐに見据えた。
「私も一緒に行く!」
「っ!」
愛華がそう言い放った瞬間、リースは驚き、愕然とした。
「……そう言ってくれて、ホントにうれしい。でも、危険よ? 戦地に行くんだから命の危険が常に伴うのよ?」
リースは搾り出すかのような声で愛華に言った。 本当のところ、愛華は怖いと思っていた。ただの少女である愛華が戦場に行ってもリースの手伝いをするどころか、足手まといになってしまうだろう。たとえ魔導具を作っても一朝一夕で強くなれはしないし、そんな時間もない。
しかし、それでもリースを一人だけで行かせる事なんて、愛華には出来なかった。右も左もわからないこの世界で、リースはすごく親切にしてくれて、一緒に旅をすると言ってくれたのだ。
これは、愛華にとってそんなリースへの恩返しでもある。尤も、恩がなくとも愛華は友達の為なら一肌も二肌も脱ぐ性格なのだが。
「……怖いけど、大丈夫。一生懸命がんばるから」
リースは愛華の決意に満ちた眼差しを見た。駄目だと言ってもついてくるという目だ。
リースは諦めたようにため息をつき、そして笑顔を見せた。
「よし、わかった。一緒に行こう。愛華はあたしが絶対に守る!」
そして、二人の少女は駆け出した。戦争を止める為――延いては幼馴染の為。
「あ、そうだ。あの、どうもありがとうござい――あれ?」
愛華は情報を教えてくれた男女に礼を言おうとしたが、既に二人の姿はなかった。
「アイカ! 早く行くよ!」
愛華は不振に思いながらもリースの後を追いかけた。