第五十六話 白旗
「クラーケン、二体とも暴走せずに、無事敵の方へと向かっていきました!」
「そうか……どうやらロアのご加護が、今になって効いたようだ! 行け、クラーケン! 蛮族の船を、海の藻屑にしろ!」
先程から彼らが言っているのクラーケンとは、ゼウス大陸の海に生息していた、大型の海洋の魔物である。
どのような軍船でも、その怪物の前では無力で、瞬く間に海中から、海に引きずり込まれる。まさに海の最強の存在であった。
ディーク神聖王国軍は、このクラーケン二体を捕らえ手懐けるのに、これまでに途方もない数の犠牲と、莫大な財力を払ってきた。
今その莫大な浪費の成果が、ここで見せられるときが来たのである。
(いかに強大な船でも、水中からの攻撃には何も出来まい! 蛮族共め、このディークの力に恐れおののくがいい! そして我らをあれだけ犠牲を出させたことを、存分に後悔させてやる! 最初はこの津軽とか言う国、巣くっている蛮族の七割ぐらいは、しばらくの間奴隷として生かしてやる慈悲をくれるつもりだったが……もうそんな慈悲はいらん! これだけの所業の罪……ただ皆殺しにするだけでは生温い! 女子供からジワジワと存分に苦しめながら……)
ドォオオオオオオオンーーーー!
クラーケンが向かっているあきづきが映し出された映像を見て、ライアンがこれからの津軽占領後の事を考えている時だった。
一瞬でそんな計画を考える必要がなくなる事態が起きた。
ディーク艦隊と、あきづきとの境界にある海。多くの竜騎士達の、細かく分解された遺体が無数に浮かぶ海面で、突如轟音ととも大量の水飛沫が発生したのだ。
海底火山かと誰もが思ってしまう程、海面が盛大に爆発する海。それは二カ所で引き起こっている。
その空中に吹き上げられる大量の潮が、実に美しく空に舞い上がり四散していく。
「何だ今のは? 海底火山という奴か?」
映像を見て、この世界ではむしろ一般的な認識をするライアン。部屋にいる従者や、これを目撃した各艦の船員も、同じように考えていたであろう。
するとその部屋に、従者がもう一人、大慌てで駆け込んでいた。
「召喚魔道船から伝令が来ました! あの爆発の直後に、クラーケン二体の生命線が途絶えたとのこと! どうやら二体も死んだようで……」
「はぁああああっ!?」
ライアンの絶叫は悲鳴とも言えるものであった。
映像に映し出される海の風景には、先程の爆発で起きた大雲のような水飛沫が徐々に収まり、やがてその向こう側にいる無傷のあきづきの姿が映し出されている。
しかもこのような状況にありながらも、あきづきは全く変わらず、砲撃を繰り返しており、ディーク艦隊の数を減らし続けている。
「馬鹿な……何が起きたと言うんだ? まさか今の爆発でクラーケンが?」
そのまさかである。何が起きたのかというと、答えは簡単。
あきづきの放った魚雷二発が、海中を進み、こちらに接近するクラーケン二体に両方命中。着弾と共に起きた、水中爆発により、クラーケン達は竜騎士や艦隊同様に、海中で粉々になった。
しばらくすればこの竜騎士の残骸が無数に浮かぶ海面に、クラーケンの残骸が新たに加わることになるであろう。
ちなみにクラーケンとは、船一隻に匹敵するほどの、超大型のイカの魔物である。吸盤付きの巨大な触手で船を襲い、船底を触手の鞭で破ったり、船で船体に掴み込んで海中に引きずり込む恐ろしい魔物だ。
だがこの船上においては、そのクラーケンの戦闘力はおろか、クラーケンそのものの姿すら、誰一人目撃することなく、戦いは終わってしまった。
そしてそれは、ディーク艦隊の保有する、あきづきに対する全ての対抗戦力を失ってしまったことを意味した。
「もう終わりだ……撤退……は無理か。降伏だ! 全艦白旗を上げろ!」
絶望のどん底に堕ちたライアン王子。最後の判断として下したの、降伏であった。そしてそれは、ディーク神聖王国の絶対たる誇りを、全て捨て去る行為である。
「何をおっしゃいますか殿下! 蛮族に囚われれば、我らはどのような戒めを受けるか! それに蛮族に屈することは、ロアの教えに背くことに……」
「うるさい! あんな作り話の神より、己の命の方が大事に決まってるだろうが! いいから上げろ! こんな戦いで死んでたまるか!」
「作りばな……殿下、何をおっしゃって……」
「さっさとやれと行ってるのが判らんのか! 貴様ら全員処刑されたいのか!?」
ライアン王子の失言に困惑しながらも、従者達はやむおえず命令通りに、魔具の電報で、今の言葉を全艦に伝えたのであった。
「真澄……向こうが白旗をあげてるけど、どうする?」
あきづき艦橋にて確認された、敵艦隊の行動に、一同は少々困惑する。ディーク艦隊は既に六割が戦闘不能に陥っている。
その残りの艦から、次々と白旗が上がっていた。これはゼウス大陸の海戦にて、降伏を意味する合図である。
異国との交流がある津軽王国の者でも、その合図の意味は通じた。さてこの敵の行動に、艦長である真澄はどう判断するか……
「無視しろ……このまま攻撃を続けろ」
速攻で降伏を受け入れない、無情な判断を真澄は下していた。
「いいのか? ここで無為に殺しすぎると、後の評判が悪くなると思うけど?」
「じゃあ聞くけどさ……残っているあと艦はどのぐらいいる?」
「百十四隻ね。大分減らしたわ」
「百……あんなでかい船が、まだそんなにいるんだぞ。その中に、いったい何万人敵兵がいるのか……。そんな大勢の捕虜を連れてきて、困るのは警察の方。人様に迷惑はかけられない」
恐らくまだ健在のディーク兵は、十~二十万人はいる。この津軽王国の総人口の、一割にもなる人数である。それだけの捕虜を養うのに、どれほどの出費をかけることになるのか?
十年前の侵攻で、漂流してきた数千人の捕虜を捕らえるのにも、あれほどの苦労をしたのである。とてもじゃないが、この小国で、それほどの敵を置いておくことはできない。
下手に生かしておくと、後から反乱を起こされる可能性がある。真澄の判断は、人道上はともかく、採算上は正しい判断ではあった。
「でも捕虜はある程度ほしいか? とりあえず五隻ぐらい残して、後は全部潰そう」
「判りました。……ところで海岸にいる奴らはどうします? もう大分前に、海岸でルシアの手下共は全員集まっていたようだけど」
「ああ、そういやそうだった。すっかり忘れてた」
真澄たちの標的は、このディーク艦隊だけではない。あれと同時に、海岸で召喚の儀を行った、ルシアも始末する気でいた。
ディーク艦隊への、無双戦闘に気分がのって、そっちの方をすっかり忘れていた。
「このまま放置すると、いつ逃げるか判らないし、今撃っちゃおう。あの海岸に、大きな矢を二つ撃ち込め!」
とっておいた切り札の、対艦誘導弾二発。それが二つとも、今発射された。
今まで攻撃を飛ばしていたのとは、全く別方向に飛ぶ、空を舞う炎を吹く矢。それは正確に照準を合わせて、ルシアと彼女の兵団……そしてルチアとブルーノも一緒にいる海岸に向かって放たれた。
「「……」」
さてその十数秒前の海岸は、実に静かであった。海の方では騒がしい爆音と、炎上する艦隊で、一帯の海域がまさに言葉の通りの火の海となっている。
どこの祭りにも劣らないほど、盛り上がっている時間である。だがそれを見るルシア達は、全く楽しめていない。
(何故こんな事に……? 全ての筋書きが狂ってしまった……。これじゃあ私は今まで何の為に、蛮族の檻の中で、十年もの間、堪え忍んできたというの!? こんなの、あんまりよ!)
彼女はあの聖女のような笑みもなければ、悪魔のような人を嘲る表情もしない。本来ここでするはずであった、アマテラスを蹂躙する喝采の言葉も上げられない。
ただ呆然と、目の前の惨状を見て絶句していた。失った物のあまりの多さからか、瞳には僅かばかりだが涙が滲み出ている。
それもその筈、この大陸を制圧するために、国の財の多くを潰して結成し、自らの寿命を縮めてまで、ここに呼び寄せた。ディークの最高戦力。
それが児戯のごとく、まともに戦うこともできないままに、たった一隻に船によって、蹂躙されているのである。
これにはルシア達だけでなく、共にいた悟朗とブルーノも、驚愕のあまり言葉も出せないでいる。
ルチルの方は、このあきづきの火力に驚いた風もなく、味方が勝っていることに喜んでいる風もない。ただ海に沈みゆく、祖国の船と犠牲になった船員達に、哀れみの意思で祈りを捧げていた。
女神ロアのための祈りではない。この戦いで犠牲になった者達への、哀悼の意思での祈りである。
ショックから最初に立ち直ったのは悟朗であった。彼はルチルの側により、こっそりと小声で彼女に呼びかける。
「ルチル様、早くこの場から逃げましょう……」
「悟朗さん、いたんですか……」
数分前までディーク兵に取り囲まれていた所、ディーク兵達が唖然として海に釘付けになっている間に、静かな足取りでルチルの元に近づいたのだ。
そんな彼に、ルチルは実に冷たい返事である。
「そうですね……今逃げましょうか? ロビンさん、今からユニコーンになれますか?」
犬の姿のロビンに問いかけると、彼はその言葉が分かるかのように、首を縦に曲げて頷いて見せる。これに悟朗が、怪訝に見る。
「この犬……人の言葉判るのですか?」
「ええロビンさんも、真澄さんの勾玉と同じで、前世は人間ですから」
「ロビンが人間?」
ルチルの答えに、今度はブルーノが首を傾げた頃のこと。
「殿下……どうしましょう? これではアマテラス侵攻は……」
「判っている……口惜しいですが、ここは一端に国に帰る方法を考えなければ。そうですね、ここにいるあの裏切り者達を人質に……!?」
ようやく彼らが落ち着きを取り戻し、言葉を交わし始めたとき、既にルチル達が一足早く手を打っていた。
「ヒイイイイーーーーン!」
発せられたのは勇ましい馬の鳴き声。ディーク兵達が我に帰って振り向くと、そこには一頭の白馬に変身したロビンに、三人が乗りこんでいるところであった。
三人乗りは多すぎたようで、悟朗はロビンのお尻に、強引にしがみつくように乗っている。あれでは走ったときに、簡単に振り落とされるのではないだろうか?
「!? 捕まえろ!」
ディークが武器を構え始める前に、ロビンは猛特急で走り出した。そして最前列に乗っていたルチルが、手綱を引いていない片手の魔道杖を抱えて、その場で神聖なる光を放つ。
「ホーリーライト!」
ブルーノの魔法攻撃が、進路の邪魔になっていた、数人のディーク兵を吹き飛ばす。そしてその進路を、ロビンが力一杯駆け出した。
悟朗もロビンの尻に揺られながら、虫のようにしがみついて、しっかりと彼らと共に逃げる。
「逃がすな! 撃て!」
瞬く間に兵団の間を潜り抜けて、海岸の向こうの林に駆けるルチル達に、ディーク兵達が魔法や弓矢で追撃をかわす。
数十の矢や銃弾、氷や炎が、彼らの背に襲いかかる。だがブルーノが、即座にそれに対抗する魔法を放った。
「シールド!」
魔法によって生み出された、白い半透明の膜のような壁が、ロビンの後方に発生する。それが盾となって、こちらに命中した攻撃を跳ね返した。
慌てて撃ったためか、数十の遠距離攻撃のうち、彼らに当たったのは十発程度。だがその攻撃も、魔法の盾によって跳ね返される。
刃が欠けた矢や、砕けた氷や炎の欠片が、むなしく辺りに散らばっていく。そして彼らはあっという間に、林の中へと飛び込んでいった。
「くう! 逃がしてはいけません! 何が何でも捕らえ……」
「殿下、こちらに矢が!」
海の方見ていた兵が、恐怖に震えた声でルシアに大声で伝達する。その“矢”というのは、今彼らが放った矢のことではないのは明白であった。
「なっ……」
慌てて海の方に振り返り直ると、そこには彼女を更なる絶望に追いやる光景があった。あきづきから二発の誘導弾が、こちらに向かって飛んできているのだ。
あれの攻撃力がどれほどのものか、先程嫌と言うほど見せつけられたばかりである。そしてそれが、もうこちらが対処する暇もないぐらいに、高速でこちらに接近してしまっていた。
二つの矢が、兵団の右列と左列の二部隊のど真ん中に、それぞれ一発ずつ命中した。
砂浜に経っていた兵士を、あの巨大鉛筆のような先端が、上から串刺しにするように、砂浜ごと踏みつぶした。
ドオオオオオオオオン!
そして舞い上がるは、灼熱の炎と、街一つ吹き飛ばしかねない爆風。二つの艦隊ミサイルが、この美しい砂浜で大爆発する。
海岸線の海は爆風で揺れて、高波が通常とは逆方向に流れていく。近くにあった林も、暴風に吹かれて緑色の葉吹雪を散らす。何本かが幹が折れたり、根元からひっくり返ったりして、倒木を起こしている。
この爆風は、おそらく少し離れた所にある、外ヶ浜町にもある程度届いたであろう。
一瞬でディーク兵団がいた海岸は、その爆発により、多量の砂塵と、人肉の欠片を、一帯にぶちまける悲劇の場所となった。




