第四十一話 神聖なる国の姫
「ようしっ! 今だ! やれえっ!」
外での巨人眼妖との戦いは、収束に向かっていた。度重なる攻撃で、両腕を落とし、仰向けに倒れた巨人眼妖。そんな彼らの頭部に、大勢の看守が飛び移る。
そして顔についている防護膜を、力尽くで引き剥がし、そしてそこに一斉に武器で突き刺した。
無数の気を纏った刺突が、その眼球をズタズタにしていく。そうしてようやく、巨人眼妖は沈黙した。だが彼らの戦いは、ここで終わったわけではなかった。
「ふう……ようやく……」
「大変です! 囚人が逃げました!」
敵を倒して一息ついた看守達に、急に飛び込んできた、彼らにとって最悪の知らせ。その途端に、城壁の向こう側から、慌ただしい声が聞こえてくる。
「今までよくもやってくれたな、お前ら!」
「うらぁあああああっ! 看守共を皆殺しにしろ!」
「待て! 殺すな! 捕まえて人質にするんだ!」
「ようし、みんないけ!」
刑務所の入り口から、蟻の大群のように、ワラワラと出てくる囚人達。彼らは刑務所内から奪った武器を持って、看守達に飛びかかってきた。
「馬鹿な!? 一体どうやって!?」
「どうやらあの異人の司祭が、この騒ぎに乗じて、中に潜り込んだようで……」
困惑する高官にかけられた報告に、彼は歯ぎしりする。
「くそっ! やはり眼妖は異人共の手先だったか! いくぞ! 何としても再度捕まえるんだ! この際、死人が出ても構わん!」
刑務所内で起こる大乱闘。看守達と囚人達の激闘は、最後には囚人達の勝利で終わる。こうして千江梨刑務所は、ブルーノの活躍によって、拘留されていた異人達に占領されることとなった。
それから一時間ほどして、捕らえた看守達を、刑務所内の檻の中に入れ直し、皆が落ち着き始めた頃。
「ルシア王女殿下である! 皆の者、頭を下げろ!」
突如刑務所内の敷地内に響き渡る声。その声を聞いた途端に、皆がその声がした方向に一斉に目を向ける。
そこには何人かの囚人と、ブルーノについていた騎士達に囲われて、一人の女性が彼らの前に姿を現していた。
それは金髪碧眼で長髪の、背の高い白人女性。顔つきは三十代半ば程と思われる。十年収監されていたにしては、髪も綺麗に整えられていて、健康的な体つきである。
それは彼女だけではなく、収監されていた囚人は皆、この国の風紀を重んじる考えのもと、きちんと整えられた生活を送っていた。
その女性は、囚人服を着ているせいか、外見では他の囚人との見分けがつかない。だがその女性の顔を、ここにいる殆どが知っている。
ブルーノも、直に見たことはないが、写真でその顔を見たことがある。その女性こそ、彼らが探し求めていた女性の、ルシア・ディークであった。
その場にいる全員が、その王女の姿にどよめき、即座に跪いていく。
「何だよこれ? 王女?」
「ディークって、まさか……うわっ!?」
彼女のことを知らない、異人狩りで捕まった囚人達は、この状況がよく判らず、跪かずに困惑している。
そんな彼らを、周りの囚人が無理矢理跪かせる。刑務所内で行われる、囚人達の突然の敬礼式。その敬礼を受けている本人は、ブルーノの元へと歩む。
彼女が通るところ、囚人達は大慌てで跪いた姿勢のまま、地を這うように動いて、道を空けていく。そしてルシアは、足下で跪いているブルーノを見下ろし、彼に優しい言葉で声をかける。
「あなたがブルーノですね。よくぞ私たちを、解放してくれました。あの汚れた檻の中で閉じ込められて、多くの苦難を受け続けること十年、よもやロアは私達を見放したのかと、半ば絶望仕掛けていましたが……ですがあなたロアに代わって、私達を救ってくれた。ディーク王国に代わって、あなたに大変な感謝をいたします」
「あっ、ありがたきお言葉です! この私のような、若輩の司祭に、それほどのことを言われるなどと……私も、どうお言葉を返せばいいのか……感激のあまり、言葉でない次第です!」
実に眩しく、聖女のような微笑みで語りかけるルシア。王女に直々にお声をかけられて、ブルーノは感動のあまり震えているのか、落ち着きのない声で返答する。
そんな彼に、ルシアが優しく微笑んでいた。
「本当なら、すぐにでも恩賞を与えたいところですが、今の状況ではそれはできません。ここは異国の地であり、我が国の力はここにある力でしか及ばない。こうして会話している間にも、敵がいつここに来るか判りません。突き返すようですみませんが、今はここから脱出することを考えないと……。しかしこの人数では、すぐに動くのは……」
「それならば大丈夫です! ここから近い所にある町に駆け込み、この件を国中に報道して貰いましょう!」
今は悠長に話す時間もない。いざとなれば看守達を人質にして、ここに立て籠もることを考えているらしいルシア。だがそれにブルーノが、即座に別の案を申し出る。
「国中に報道? しかしこの国は……」
「大丈夫です! 私はこの半年間、この国を多く見てきました! この国の人々は、異国の民である我らに、とても友好的であります! そしてそのほとんどに人々は、ここで行われた蛮行を知りません! 人々がそれを知れば、すぐに皆が我々を擁護し、国に訴え出てくれるでしょう!」
この言葉に、跪いて聞いていた囚人達もざわめきだした。
「友好的? 国に訴えでる! 何を言ってるんだ! 蛮族共にそんな情けなどあるものか!?」
「報道だと! そんなことをして、この国の兵にすぐに殺されるだけだぞ!」
「ブルーノ貴様! 頭の腐った蛮族共と一緒にいる内に、自身の頭まで腐ったか!?」
「この檻の中で、我らがどれほどの仕打ちを、蛮族共から受けたか……貴様はそんな卑劣な奴から、慈悲を求めようというのか!? 恥を知れ!」
困惑はやがて、ブルーノに対する非難に変わる。最初に王女の登場で、一気に静まりかえっていた刑務所内。
だがここで、また騒がしくなり始めた。刑務所内での仕打ちを、しきりに叫んでいる。だがその健康的で小綺麗な姿からだと、むしろその言葉の方が、疑わしく感じてくるが……
「お黙りなさい!」
だがそれは、王女の一声で、一気に静まりかえる。騒がしくなったり静かになったり、まるで機械のように切り替えが早い。
ルシアは周りを見渡した後で、再度ブルーノを見下ろした。
「この国の民は、私達の味方をする……それは間違いないですね?」
「はいっ、間違いありません! 私が会ってきた、この国の多くの人々は、異国を差別しない、誠実な方達でした。一度だけ、罪無き者を苦しめる、卑しき心を持った警察と会ったことがありましたが、それもすぐに民達の正義の意思の元に裁かれております! 事情を知れば、きっと多くの人々が、我らを手助けしてくれますでしょう!」
「そう……判りました、あなたの案にかけましょう」
ブルーノの提案を受け入れたルシア。それに驚いて顔を上げる者もいたが、すぐに慌てて頭を下げる。
「どのみち私達は、この国では孤立無援。ならばこの国で味方を増やすしかありません。皆、すぐにここから脱出します! いつここに敵の援軍が来るか判らない! 皆ここから退避しますよ! 我らがディークと関係ない者も、安全の為に私達がついてきて下さい! ブルーノ、あなたには先頭に立って、皆の避難を誘導して下さい!」
「はっ!」
王女の言葉を聞いて、ブルーノは即座に立ち上がる。そしてとなりでユニコーンに変身したロビンに跨がり、走り出した。
「皆! 王都に向かうのは危険なので、そことは反対側の村々に行こう! さっき空からここまで来たときに、場所は把握している! 民から多くの目撃者がいれば、敵も手を出しづらくなるはずだ! 皆殿下を守りながら、私についてきてくれ!」
こことは反対側の出口へと向かうブルーノに、大勢の囚人達、磁石で引き寄せられるかのように、一斉に立ち上がりついていった。
今ブルーノは、無事王女を救出できたことと、彼女からの感謝の言葉で、その心は喜びに打ち震えていた。
そんな彼に、多くの仲間が後を追う。そしてさっきまでブルーノの護衛であった騎士と、元々彼女の側近であったらしい囚人達に守られながら、ルシアもまた彼らと一緒にここから脱出のために歩み出た。
「くしゃんっ!」
だがここでちょっと変わった声が聞こえた。変わったと言っても、そんな大したことはない。ルシアの護衛に回ったトーマが、彼女の近くでくしゃみをしたのである。
その声一つで、まだこの場に残っていた者達が、一斉に彼の方を向く。
たかがくしゃみ一つ、普通ならばその程度のこと、誰も気にはしないだろう。だが何故か、この場では様子が違っていた。
「あなた……今私の前で、何をしたのかしら?」
「はい? えっと……何を?」
相変わらず優しげな笑みを向けたまま、何故か声色が攻めるような口調で、ルシアはトーマに語りかける。周りにいる者達も、トーマに対して、侮蔑の視線を送っていた。
「何を? 今私の側で、何やら汚い息を吐きませんでした? たった今自分がしでかしたこと忘れるなんて、騎士でありながら、あなたの脳味噌は蛮族以下ですか?」
今度は声色だけでなく、言葉の内容自体が、あきらかな怒りを向ける発言。その上で、あくまで表情は笑顔のままなのだから、少々怖い。
これを見て、トーマの顔は急に青ざめた。彼は王女に息をかけるようなことをしていない。くしゃみの瞬間に、顔を人に向けない方向に変えている。
だがその程度の気遣いでは、許しては貰えなかったらしい。
「いや……申し訳ありません! 少々花粉症で……鼻が疼いてどうしても我慢できず……」
「そう、それは仕方ありませんね。今すぐその病を浄化してあげましょう」
ルシアが人差し指で上を指す。すると彼女の頭上から、何かが現れた。何もない空間から、赤い謎の空間が、泥沼のように広がってくる。
縦に円形に広がっていく、その謎の空間は、ここと別の空間を繋ぐ転移の門であった。ただし以前ルチルが使った、テレポートとは仕様が違うため、見た目もかなり違う。
その赤い空間の扉は、水の波紋のように一瞬で広がり、そして即座に、そこから何かを呼び寄せた。
赤い扉から、水から飛び出すように、一気に飛び出してきた者。それは小さな竜であった。
ロビンが変身したワイバーンを、大分小型化したような外見の空飛ぶ爬虫類。大型犬ぐらいの大きさで、全身がマグマのように真っ赤な鱗で覆われている。
ルシアが人差し指を上げてから、二秒と経たずに、瞬間召喚された謎の生物。それが空中を羽ばたかずに浮くように移動し、ルシアの頭上から、トーマの目の前まで移動した。
そして彼の目の前の地面に着地し、彼に向けてその小さながらも、牙が生えそろって厳つい口を、大きく開いた。
「……えっ?」
ゴォオオオオオオオオッーーーー!
一瞬で起きた、この一連の現象に、トーマは何事が起きたのか、思考が追いつかずに呆然としていた。
そして彼が固まっている間に、そのチビ竜の口から、火炎放射が放たれた。
「うわぁああああっ!」
あの小さな口からは、とても不釣り合いなほどの量の火炎が、目と鼻の先にいたトーマに、一気に吹きかけられた。
全身に火炎を浴びたトーマは、当然のごとく身体が焼かれる痛みに悶絶する。全身を火達磨にしながら、その場でのたうち回る。
「ぎゃぁあああああっ! お許しを! いやっ、助け……」
周りにいた者達が、火の粉を嫌って、トーマから離れていく。チビ竜の炎は、倒れて苦しんでいるトーマに向けて、容赦なく継続して浴びせ続けていた。
火を付けるには、まだ明るい時間帯に行われる、人間を薪にした盛大な焚き火。そんな恐ろしい行為を、ルシアは自らが召喚した魔物を使って、平然と行っている。
周りにいた、トーマに攻めるような目線を向けていた者達も、これには戸惑い恐縮仕切っていた。
「汚いものを出して……この私に花粉症がうつったらどうする気だったのかしら? 全く何であなたのような汚いものが、ディークの騎士になれたのかしら? 国に帰ったら、この私に汚いものを近づけた罰として、あなたの家族全員、処刑して差し上げるところです。ですがこの私は、慈悲深いディークの聖女の一人。ここは私の寛大なる心の元に、あなた一人の命で我慢して差し上げます。この私を卑しめた罪を少しでも償うために、出来る限りたっぷり苦しんで死んで下さいね♫ あなたのその、無様に苦しみ悶え死ぬところを見せて下さるところが、この私の傷ついた心を、僅かながら癒やして下さいます。どうぞたっぷり、もっともっと盛大に悲鳴を上げて下さいね♫」
とても晴れやかな笑顔で、実に楽しげに語り続けるルシア。身体が炭になっていくトーマの姿を見て、小さく笑っている。
その長々と語られる侮蔑と断罪の言葉に、彼は返答する余裕はない。そもそも声が聞こえているのかさえ、定かではない。
やがてチビ竜の火炎放射が止む。だがその頃には、トーマはもう悲鳴すら上げなくなり、もうもうと黒煙を上げながら、永遠に止まっていた。




