第二話 神域の勾玉
それからどれほどの年月が経ったであろうか?
そこは冥土ではない、生きた者達が住まう現世の世界。その中のとある森の中。日本国であるならば、蒸し暑い夏の気候に入った、とある森の中。
空から照りつける日光を、無数の枝葉で受け止める、照葉樹林の森林の中で、ある者達が大慌てで走っている。
(くそっ! 何なんだあいつらは!?)
最前列で走っているのは、何かに追われているらしい一人の女性であった。薄い青色の着物で、下には濃い青色の袴を動きやすく縛った軽杉が履かれている。
一見和風女子だが、何故か着物の首後ろの襟に、頭に被るためと思われるフードがついている。このような着物、日本の民族衣装にはないであろう。
しかも足に履いているのは、下駄や草履ではなく、スポーツに使いやすそうなシューズである。
腰には刀を差す鞘があるが、刀はどこかでなくしたのか、鞘にも彼女の手元にも、刀はない。
容貌からして十代後半から、20代前半と思われる女性。短髪で容貌だけでは性別の区別がつきづらいが、後部に巻かれた白いリボンからして、女性であることが判別できる。
彼女にはそれ以外にも、身体的な特徴があるのだが、今は手間なのでそれは伏せておこう。
ともかく彼女は何かに逃げるように、この森を疾走していた。彼女の着物は、走ってきた影響からか、所々汚れている。
走り続けた彼女は、ようやく森から脱出した。だがそれは危機を脱したことを意味しない。
彼女が辿り着いたのは、森林の中の山村であった。瓦屋根の木造建築という、純和風な家屋が建ち並ぶ、小規模な集落が、この森林の中にあったのである。
所々に田畑があり、古い二本の里山のような光景がそこに広がっていた。ただし家屋とその庭は少し大きめで、綺麗に手入れがされており、大昔の日本の田舎より、豊かそうだ。
「おおい! 大変だ! 変な化け物が、こっちを追ってきている! ここに警官はいないか!?」
女性は叫ぶが、それに応える者はいない。というかこの村に、人の姿が全くなかった。
(ここは廃村だったか!? しかしこの畑は……)
廃村かと思われたが、見ると田畑には、まだ収穫前のある程度育った作物が実っている。そしてその大半が、土を掘り返されたり、作物が食い荒らされたりして、酷い状況になっている。
これは野生動物に食い荒らされたのであろうか? ともかくここは、つい最近までは人が住んでいたようだ。
畑を放置して、村民はどこにいったのかと気にかける余裕はない。女性は大急ぎで、山村の中を走り出した。
女性が辿り着いた先は、とある村の中の神社であった。まだそれほど荒れていない、田畑の中の人気のない小さな神社。
その石造りの鳥居を潜り、人工的に植えられたと思われる小さな林の中の、参道を走り抜けて、境内に侵入する。当然ながら神社には、宮司や巫女の姿もなかった。
(ここまで逃げてきたが……果たして神社の神気が通じる相手ならいいが……うん?)
ふとその女性は、境内の真ん中に落ちているある物の存在に気がついた。その場所まで寄ってみると、それは空からの太陽光を反射して光っている、一個の勾玉であった。
「何だ? 宝石か?」
どうやらこの女性は勾玉という物を知らないらしい。不思議そうにそれを拾い上げて見つめるが、すぐに現実に引き戻される音が聞こえてきた。
「あれえ? もう逃げないのか~?」
「キャキャキャッ! 姉ちゃん、鬼ごっこは終わりか!?」
背後から聞こえてくる陽気な男の声。女性が振り返り、今自分が通った山道を見ると、そこには数人の人らしきものがいた。
“人らしき”という表現になるのは、それがどうも、人とはかけ離れた容姿をしているからである。
それは人の体型をしており、身長は170センチ程度。足には黒いブーツのような物を履いているが、着用物はそれだけで、丸裸の姿である。
全身が真っ黒なゴムのような質感の表皮で覆われている。これが服なのか地肌なのか、一見しては判らない。
そして頭には、後ろ向きに伸びている灰色の髪が生えている。
そして顔には、大きな一つ目があった。人間のように、顔の両側に二つの目があるのではなく、こいつには目が一つしかないのである。常人の三倍ぐらいの大きさはありそうな眼球が、顔の真ん中についており、ギョロリとした気持ち悪い目線で女性を見つめている。
口には口裂け女のように頬がなく、口内が剥き出しになっている。狼のように発達した犬歯が二本伸びており、異常に発達した舌が、口から出て蛇のように機敏に動いている。
この容姿はどう見ても人ではない、さっき女性が口にした通り、人に近い姿をした化け物である。
その人数は全部で十人ほど。見ると参道以外の、両側の鎮守の森から、何人か出てきている。社殿を背後に、完全に取り囲まれた状態だ。今まで自分を散々追い回してきた、この不快な一団に、女性は怒りの表情で叫び上げる。
「くそっ、何なんだお前らは!? いきなり出てきて、破廉恥なことをしてきおって! 何が望みだ!」
「ええ~それは勿論、あんたで色々遊んで上げるためだよ~。あいつから自分の言うことを聞いたら、好きなだけ女をやっていいって言われてるからな~。まあ鱗だらけの女でも、入るとこは入るだろうし~」
楽しげに、そして嫌らしい言葉を口にして、女性に詰め寄る一つ目達。ジリジリと詰め寄ってくる一つ目に、彼女はどうにか抵抗しようとするが……
(くそっ、もう武器がない……刀があっても、それが通じる相手ではないが……)
だが彼女には、この集団を一纏めにできる体力も武器もない。今持っているのは、先程拾い上げた、謎の勾玉のみである。
(せめてこの変な石が武器だったら……むっ!?)
するとそこで異変が起こる。先程まで、特に意味なく手に握りしめていた勾玉が、突然光り始めたのだ。
先程のように。太陽光を反射して光るわけではない。勾玉それ自体が、小さな太陽になったように、淡く光り始めたのである。
「何だ~? 手が光ってんぞ? お前魔法とか使えんのか?」
手を開くとそこに光る勾玉ある光景に驚く女性。一つ目達は特に大きく驚くことなく、今だ余裕でいる一つ目達。
その勾玉は、光と共にその形が歪に変形し、大きさも変わり、そして勾玉とは全く別の物質に変質する。
(てっ、鉄砲!?)
それは拳銃であった。さっきまでは勾玉を握りしめていたのに、何故か今は拳銃を握りしめている。
その形状はあの追い出された人魂の故郷であった世界の、H&K USPという機種に近い、黒い9mm口径だ。
この唐突な展開に、女性は目を丸くして、自分の手元を見ている。
(これは魔具か何かか!? 鉄砲を召喚する術というのものあるのか!? しかし鉄砲が一丁だけでは……いや何もないよりマシか)
気を取り直した女性は、即座にたった今、謎の経路で入手した拳銃を、一つ目達に向ける。
スライドを引き、安全装置の有無を確認せず、素早く迎撃態勢をとる。その構えをとるまでの動きは、まるで映画のガンマンのように素早く、これだけ見るとかなり拳銃を使いこなしているように見える。
(……何だ? 鉄砲なんて初めて持つのに……頭の中に使い方が流れて?)
不思議な感覚に襲われ、ますます困惑する女性。一方の銃を向けられた、丸腰の一つ目達は、未だに余裕綽々である。
「かっかっかっ! まさかそんなもんを隠し持ってるとはな。でもよお~もう判ってんだろ? 俺たちゃ、どんなに斬られても死なない身体だぜ? 一人しか殺せない鉄砲なんかでどうす……」
パン!
一人の一つ目が喋っている最中に、女性は口上を待たずに即座に発砲した。銃身から薬莢がコルクのように飛び出て、銃口から細い弾丸が、高速で一つ目向かって飛ぶ。
そしてのその弾丸は、一つ目の顔面にある、その特徴的な巨大な眼球に命中した。
弾丸は眼球を貫き、後頭部へと突き抜ける。眼球に小さな穴が開き、後頭部の皮膚が割れて、そこから灰色の謎の液体が大量に飛び出る。この液体は一つ目達の血であろうか?
撃たれた一つ目は、そのまま動きを止めて、仰向けに倒れて動かなくなった。それに他の一つ目達は、僅かに動揺する。
「くそっ、俺たちの弱点がこの目玉だと、もう見抜いたか!」
(えっ、そうなのか?)
そう言って、やや怒りの様子を見せる他の一つ目達。女性は特に理由なく、何となく目玉を撃ったのだが、とりあえず判っていたかのように、小さく笑って見せた。
「だがもう一発撃っちまったな! 一人減った分、やれる量が増えたぜ! おらぁ、姉ちゃん楽しもうぜ!」
この世界では鉄砲というと、フリントロック式のマスケット銃を意味する。一丁につき一発しか撃てない単発式である。
そのため、普通ならば彼女が一発撃った時点で、この銃は使い物にならない。予備の鉄砲を持っていない限り、一人を殺した時点で、彼女にはもう打つ手などないのだが……
パン! パン! パン!
だが何故か、一発しか撃てないはずの鉄砲を、その女性は続けて何発も撃ち続けている。
発射の度に薬莢が飛び、そして一人また一人と、一つ目達が、眼球を撃ち抜かれて倒れていった。
「ちょっと待て!? 何だその鉄砲は……ぎゃ!」
自動式の銃という物を知らない一つ目達は、訳が分からないまま倒れていく。
一匹が銃口を向けられる前に、女性の前に辿り着き、横から襲いかかろうとする。だが女性は、機敏に動いて、襲撃を回避し、すれ違い様に、背後から一つ目を撃ち抜いた。
当たったのは後頭部だが、それは貫通して裏側の眼球に食いこみ、致命傷を負わせる。更に自分に接近してくる者達も、バックステップで距離を取りながら、射殺していく。
「ちょっと、やばいってこれ!」
「さいなら……はぐっ!」
「逃がすか!」
どんどん仲間が減っていく様子に、何匹かが逃げようとするが、彼女は背後から、正確な射撃で彼らを撃ち抜いた。もはや襲われる側が、逆転した状態である。
そしてその状況に気を良くした女性が、一匹も逃さないという意気込みで撃ち続け、とうとう残りは一匹となった。
「ひいっ!」
銃口を向けられて、絶望的な声を上げる一つ目。慌てて両手で自分の目を隠す。女性は構わず、その手ごと撃ち抜こうと引き金を引くが……
カチ! カチ!
「あっ……」
十三匹を全弾命中で倒した辺りで、その銃は機能しなくなった。どんなに引き金を引いても、薬莢も弾丸も出てこない。
(何で!? てっきり無限に撃てる魔法の鉄砲かと思ったが違うのか!?)
さっきまで勝利を確信していた女性が、再び絶望の淵に立たされた。それに気づいた最後の一つ目が、再び余裕を取り戻した。
「何だ、もう終わりか? はっはぁ~~! こいつはラッキーだ! この女は俺だけで独り占めだぁ~~!」
そう言って大喜びで飛びかかる一つ目。両腕を出して彼女を捕まえようとし、それを必死で彼女は回避する。
(くう……だが相手は丸腰が一人。今なら素手でやりあうことも……)
そう考えて、女性が手に持った拳銃を捨てようとしたときだった。
「何!? また!?」
勾玉から拳銃へと変質したその謎の物体が、また二度目の変質を起こしたのである。
先程同様に光と共に姿を変えたそれは、今度は銃器ではなく刀剣になっていた。
それは刃渡り二十㎝程の、小型の刃物。片刃式だが担当とは違う。真っ黒な刃を持つ軍用シースナイフである。
(何か知らんが、これならば……)
ナイフを手にした女性が、こちらに迫ってくる一つ目に、その黒い刃を向けた。差し出された一つ目の手首を、スッパリとソーセージのように斬り落とす。
そしてそのまま突撃し、そいつの胸を切り裂いた。鋭い歯は一つ目の肉を切り裂き、そこから灰色の体液を流し出す。
「はっはっ~~! それで!?」
だが一つ目は平然としていた。本来なら一生残るような切り傷をつけられたにも関わらず、全く応えていない。
それどころか先程ついた傷が、急激な速度で塞がっていく。
斬り落とされた手首が、地面に落ちた後、突如ドロドロに溶けて黒い液体となり、それがファンタジーのスライムのように地面を這って動き、一つ目の足下にくっついた後で、それが奴の身体に見る見る吸収されていく。
そして切断された手首から、まるで草が芽吹くように、新たな腕が生えてきたのだ。ドロドロした液体が切断面から出てきて、それが手の形をなして凝固する。
あっという間に傷つけられた一つ目の身体は、何事もなかったように再生された。
「さっき、散々試したのに、学習しない奴だな! 俺らの身体はどんなに斬られようと……ぎゃぁああっ!」
またもや抗弁の最中に止めを刺される一つ目。女性の持ったナイフの鋒が、一つ目の眼球を深く突き刺したのだ。
さっきは身体を斬られても、平然としていた一つ目は、眼球を刺されると痛みを感じて絶叫する。
女性は素早く眼球からナイフを引き抜いた。黒い刀身は、一つ目の体液で、灰色に汚れている。そして一つ目は、そのまま力をなくして倒れ伏した。
調子に乗りあまりに、女性に弱点を見抜かれたのを忘れたのだろうか? 今この女性を学習しないと馬鹿にしたが。どうもこいつら自身も、あまり頭は良くない様子。
(はぁ……勝った?)
さっきまでは絶望状態だったのに、思わぬ拾い物で逆転勝利した女性。女性は困惑しながらも、今握っているナイフを見やる。
するとそのナイフが、また光り輝き始めた。しかしもう女性は驚くことはない。光が収まると、彼女の手元には、元の姿に戻った勾玉が握られていた。
(しかしこれは何なんだ? この神社の神器か? どうもこの村は放棄されたようだが、こんな大層なものを忘れるだろうか? ……むっ?)
この謎の勾玉に困惑する女性だが、更に次の異変に注意が変わる。それは先程倒した一つ目の死骸。動かなくなった一つ目は、その真っ黒な身体が、急激に灰色に変わる。
そしてその身体が、熱した氷のように、ドロドロと溶解を始めたのである。完全に人の形をなくして散乱するそれは、只の泥の塊のように見える。
それに血の臭いは全くしない。それどころ土のような臭いがする。もしかしたらこれは、比喩ではなく本当に泥なのかも知れない。
周りを見渡すと、先に倒した一つ目達が、これと同じように溶けて、泥水となっている。
(魔法の泥人形か? 意思を持って喋っていたようだが……一体何だと言うんだ? 山道を歩いていたら、急に変なのに襲われて、逃げ込んだ矢先におかしな武器を持ってしまったが……)
状況を今ひとつ判らず、首を傾げる女性。彼女は何も判らぬまま歩き出し、この無人の村を後にするのであった。あのおかしな勾玉を、懐にしまったままに。




