第十六話 大魔神
「さて残りの林にいる奴は? こっちに来てるか?」
「いえ、まだこっちには……あら?」
残りの眼妖の気配がどうなったかルチルに聞くが、ここでルチルが何やら困惑している様子。
「どうした?」
「穢れた者の気配が、一つ増えて……何でしょう? どんどん穢れが大きくなっていくような? しかもこっちに近づいて」
ドン!
その時一方の林の方角から、雷が落ちたような轟音が聞こえてきた。ちなみに今日の天気は快晴。雷が落ちるはずがない。
ズン! ズン! パキパキパキ……
その後で小さな連続する轟音と、木々が薙ぎ倒される音が響き渡り、こちらにどんどん近づいてくる。正直これは、嫌な予感しかしない。
「どうやら……とても大きな穢れた者の気配が、こっちに近づいているようです……」
「別に気配なんて読まなくても、見れば判るが……」
木々を掻き分けて、街道の向こう側からの林から姿を見せたのは、一匹の巨人であった。それは眼妖に違いない。一つ目がついた、人型の眼妖だ。
ただしこれまで会ってきた人型と違い、体型は少し太めでずんぐりしている。そして表皮は、岩のようにゴツゴツした質感だ。
そして何より驚くはその大きさ。背丈は十五メートルぐらいはあるのではないだろうか? 木々を笹のように簡単に薙ぎ倒して進む、その巨体は、もはや怪獣と言っていいレベルだ。
そして彼の眼には、やはりあの防護膜が張られていた。巨体故に動きは鈍いようで、その動作速度はスローモーション映像のようにゆっくりだ。だが歩幅の差で、普通の人間より歩行速度が速い。
そんなこれまでの敵とは、比べものにならない敵が、唐突に出現したことに、二人は唖然として見上げていた。
「真澄さん……これって新聞に載ってましたか?」
「いや……何だこの化け物は?」
二人が少しの間止まっている間にも、その巨人眼妖はどんどん接近してくる。林を抜けて街道に足をつけて、寺の門まで迫ってきた。
「何か知らんが撃つぞ!」
「はいっ!」
即座に攻撃に映る二人。真澄は即座に銃口を上斜めに構えて、巨人の目玉を狙い撃つ。距離は結構開いているが、的が大きいため、今までのどんな眼妖よりも、弾丸は当てやすかった。
真澄は弾倉が空になるまで撃ち続けた。当然全弾命中。だが巨人は死ぬことも怯むこともなかった。遠くて見えないが、弾丸はあの防護膜に全て弾かれている。
(確かに当たってるはずなのに……あの厚さだと、こいつでも貫けないのか? いや、例え貫けたとしても、あの大きさじゃこの弾丸は小さすぎて、致命傷にならかもしれないが……)
ルチルの魔法も巨人に全弾当たっていた。だがこれもやはり効果がないようだった。腹や胸などに、光弾は命中する。
だが今までのように、一発で浄化とは行かない。当たった部分の表皮が、僅かに浄化されて、泥化して崩れ落ちる。だがその量は、その巨体の体積のほんの一部。あれを全部浄化させるには、どれほどの数の光魔法を当てる必要があるだろうか? その前にルチルが力尽きるのは必須であろう。
そうしている間に巨人はどんどん接近してくる。既に寺の門から、数十メートルまで迫る。
「これは駄目だ! 逃げるぞ!」
「はっ、はい!」
明らかに勝てない相手に立ち向かう勇猛さも無謀さもない二人。すぐにこの場から逃げにかかる。寺の境内の真ん中まで走り、そして右横にそれて、その先にある墓地を通り抜けて、林の中に飛び込もうとする。
その間に、寺の門がミニチュアのように踏みつぶされて、巨人は寺院内に入り込む。
(林の中を迂回して、街道に戻って弘後町に協力を求めるしかないか……。そこまで逃げ切れる程、こっちの体力が持てばいいが……。そういや確か途中でチンピラ共がいたが……まああいつらなら踏みつぶされてもいいか?)
そんなことを考えながら、今まさに林の中に飛び込もうとする真澄。だがその直後に、どういうことなのか、彼女の後ろをついてきていたルチルが、急に足を止めた。そしてあの巨人がいる方向に振り返っている。
「ミルクが! ああ、どうしよう!?」
「はあっ!? 何でだよ!?」
何とあの巨人がいる方向に、ミルクがいたのだ。目の前に巨人の足が迫っているというのに、どういうことかあの白猫は全く逃げようとせずに、そこに座り込んでいる。
眼妖は人間しか襲わないと聞くが、あの位置では確実に巨人に踏みつぶされる。
何故この状況で逃げようとしないのか?という疑問を挟む余地もなく、ルチルがそこに駆け出そうとするが……
「お前は先に逃げてろ!」
ルチルの服を掴んで、後ろに放りだし、真澄がそこに向かって駆け出した。どんどん接近してくる、巨大な脅威に対し、真澄は正面から突進していく。
「お前、何やってるんだ!?」
巨人の影がすぐ目の前にある所で、真澄は即座にその白い毛並みの小さな身体を掴み上げる。そして即座に再度逃げようとするが……
ドン!
真澄を襲ったのは、背後からの強烈な衝撃。巨人が小石を蹴るように、真澄を背後から蹴りつけたのだ。
ゆっくりとした動作だが、その質量と重量から繰り出される蹴りは、途方もない運動エネルギーを持つ。真澄の身体が小石のように、十数メートルほど飛んだ。
そして境内の石畳に叩きつけられて、ゴロゴロ転がりながら、寺院の前に投げ出された。
「ぐはっ……がぁ……」
息を荒げながら、悶絶する程の体力も出せない真澄。彼女の背中の皮は剥けて、大量の血が吹き出て、石畳を濡らしている。恐らく肋骨も相当な本数折れているだろう。
純人よりも身体が丈夫な鰐人族であるが、さすがにあの一撃はかなり効いた。むしろ今の一撃で、即死しなかったのが不思議なぐらいだ。
ちなみに彼女が抱いていたミルクは、真澄が倒れた直後に、彼女の手元から離れて、そそくさと林の方へと逃げていった。
そして倒れた真澄の身体に、真っ黒な影が覆い尽くした。接近してきた巨人が足を上げて、真澄を踏みつぶそうとしているのだ。
(くそっ……こんなところで……)
こうなっては逃れようがない。真澄が死を覚悟する。
「駄目ぇーーーー!」
だがそこに駆け込んでくる一人の少女。ルチルが無謀にも、今踏みつぶされる直後の真澄の元に走り寄ってきたのである。
「ばか……何をし……」
「でもこのままじゃ真澄さんが死んで……えっ?」
今頃もうペチャンコになっているだろうこの状況。だが何故かその時がまだ来ていない。
見上げるとどういうわけか、振り下ろされる巨人の脚の動きが、急激に鈍足化している。元々スローな動作速度であったが、そのスローぶりが更に上がったようだった。
何故かは知らないが、これはチャンスである。
「テレポート!」
ルチルがそう唱え、魔法仗の先端が僅かに光ったかと思うと、二人の姿がその場から一瞬で消えた。
唐突に影も形もなく、一瞬で消滅した二人。その場には、真澄の身体から流れ出た血で濡れた石畳があるだけである。
ズゥウウウウン!
その誰もいない地面を、巨人はゆっくりと踏みつけた。
巨人のいる地区から、一㎞ほど離れた所の林の中。ほんの半秒ほど前まで、寺の境内にいた二人は、何故かそこの林の中の、苔や枯れ葉が敷き詰められた地面の上にいた。
突如出現した彼らに、近くで虫を食べていたタヌキが、驚いてどこかへと逃げだしていく。
「ここは……?」
突如視界に包まれる光景が変わったことに、真澄の朦朧としはじめた意識が、驚きで少しだけ回復する。そしてルチルが俯せに寝かせた真澄の背中に身体を預け、そこに回復魔法をかけていく。
「少し待って下さい……もうすぐ治りますから……」
「うう……」
急速な速度で回復していく真澄の身体。先程の銃創の時より傷が酷いため、さっきより回復に時間がかかっている。だがこの調子だと、全快まで二分とかからないだろう。
「今のは転移の魔法か?」
「はい。でも私の魔法は、あまり遠くには飛べないんです。それに詠唱無しで急に二人分だと、魔力の消耗が凄くて……」
「そうか、すまない……身体がある程度直ったら、すぐにここから脱出しよう」
どうも収入どころでなくなった真澄。一度死なせかけた上に、二度も命を救われたことに、かなり歯痒い気持ちになってきたようだ。
「ミャア~~!」
「ミルク!?」
全快までもうちょっとという所で、ふと聞こえてきた鳴き声に、ルチルが反応して治癒魔法をうっかり中断させてしまう。
草藪を掻き分けて、彼女たちの前に現れたのは、先程巨人から逃走した白猫であった。
「ミルク、無事だったんですね! よかった……」
「全くはた迷惑な猫だ……」
「すいません、この子が……あっ!」
ふと声を上げるルチル。こういうときは大抵碌な事じゃないと、真澄が顔を引き攣らせる。
「林の中にいた眼妖が、何でだか判りませんけど、一気に増えました! しかもこっちに一斉に近づいてきます! それにあの大きな眼妖も……」
「もうこの場所が気づいたのか!? 血の臭いでも嗅ぎ分けられたか!? くそっ、早く逃げるぞ!」
「判りません、たった今急に……ああっ、無理しないで下さい!」
必死に起き上がる真澄。だがその足取りはふらつき、立ち上がっても上手く走れない様子。傷口は大分塞がったが、流れ出た血の量までは、そうすぐに回復できない。
「さっきあんなに血を流したんです! すぐに走るなんて無理です!」
「そのようだな……仕方がない。お前先に逃げろ……今の転移は一人分なら、すぐにできるか?」
「嫌です! 私は真澄さんと一緒にいます!」
「お前な……私がいいって言ってるんだ! 無駄に二人分も命を捨てるなんてアホだぞ!」
「アホでも何でも構いません! 女神ロアは、どんな時どんな命でも、決して見捨てることを許しません! 神聖なる任を得た聖女として、ロアの名を汚すぐらいなら、私はここで死にます!」
「神聖だの、ロアだの……いい加減にしろよ、お前! 神様を敬えばどうにかなるほど世の中は……」
彼女らの口げんかを、状況は待ってくれなかった。林の各地にいた眼妖達が、どんどん迫る。
最初に到着した数匹が、この見通しの悪い林の中でも見えるぐらい、ここまで接近していた。




