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サカサマのセカイ

作者: Nicola Neely



 私が目を覚ますと、綿よりも柔らかく、絵の具よりも透明な白の上に伏せっていた。ふわふわと頼りない白に肘を立て、体を起こす。

 白い。

 見渡す限り、地平線までずっと白が続いていた。

 現実とは思えない白の世界に圧倒され、空を見上げようとしたところで声がかかった。

「ああ、起きたね、はぐれ星」

 柔らかく耳に触れる、高い声だった。

 空を見上げるのを中断し、そちらへ顔を向ける。華奢で美しい少年が絵本に登場する天使のように笑んでいた。

 はぐれ星という単語も気になったが、私はそれよりも確認したいことが頭に浮かんでいる。


 私は死んだの。


 問う。

「ここにいるということは死んでいるだろうね」

 少年は答える。

 その回答に、やっぱりと納得した。こんな見渡す限り白の世界など、私は知らない。


 ここは天国か、地獄なの。


 私がもう一つ問うと、少年は鈴の音のように笑った。

「人間っていうのは、どうしてみんな同じ問をするのだろうね」

 少年が柔らかな手を差し出してきたので、私は恐る恐るそれに触れた。しっとりと柔らかい彼の指が私の手を握る。

「死ねばどこか新しい世界へ逝くと思っている人間の多いこと多いこと。ここは天国でも地獄でもない、サカサマのセカイ」

 少年の最後の言葉を、口内で転がすように繰り返す。

「そう、サカサマのセカイ。ほら、地上を見上げてごらんよ」

 地上を見上げるとはどういうことか、と考えるよりも先に、私の視線は少年の指先を辿って頭上へ移動する。

 真っ白な世界の空。

 そこには、地上があった。遥か遠く、ミニチュアのように見える地上が私の頭上に広がっていた。

 爪先から頭のてっぺんまで一気に悪寒が駆け上がり、鳥肌がたつ。地上が遠い、まるで航空写真を見ているかのような。

 鳥肌に震えながら、私は座っている場所を見下ろす。

 透明感のある、綿の地面は。

「ようやく気づいたね。今、君が座っているのは雲さ。気をつけてね、雲から落ちれば宇宙まで真っ逆さまだから」

 雲。

 私の知識によればそれは水蒸気の塊で、こうやってのんびりと座っていられるものではない。しかも、私の向きは重量に反している。

 髪の毛はきちんと頭から肩へ落ちているし、頭に血が上る感覚もなかった。

「ここはサカサマのセカイ。雲に立ち、地上を見上げ、空に落ちて、宇宙まで真っ逆さま。雨は地上に向かって昇り、雷は地上を目指して駆け上がる」

 少年が笑う。あまりに整った顔のそれはわずかに恐怖すら感じられた。

「死者の魂がひっかかる場所さ」

 私は少年の言葉が頭を素通りするのを感じながら、少年の手を握ったまま立ち上がった。

 雲は柔らかく足首まで沈んでいるものの、不思議としっかりとした反発力があり、足踏みをしても雲に沈んで溺れることはなさそうである。

 地上を、見上げる。

 

 私は死んだんだ。


 改めて実感し、呟く。

「未練を残して死んだ、が正しいかもね。未練のない魂はここには引っかからず、まっすぐ宇宙へ落ちていく。ここにいるということは、宇宙へ落ちようとしない未練があったということさ」

 未練という言葉をキャンディーのように口の中で転がした。しかし、私は私が何故どうやって死んだのかを覚えていない。

「未練を消化すれば君も宇宙まで落ちることが出来る。自棄を起こして消化不良で落ちたって、またはぐれ星になって戻ってくるだけだからね」

 つまり、何が未練かも分からない私は成仏――いや、宇宙へ落ちること――が出来ないのだ。


 はぐれ星って、何。


 少年は私の未練を知っているのだろうか。

 そんな疑問も湧き上がっていたが、私は二度目の登場をした言葉を尋ねた。出会ってすぐにも言われた、はぐれ星。

「はぐれ星というのはね……ああ、ちょうどいいタイミングだ。見てごらん」

 少年が指差した方向で、キラリと一筋の光が雲を突き抜けて打ち上がった。

 流れ星だ。

 光の一筋がすっと地上と空の隙間に消えるところまでは何ら変わりない――サカサマになって見ている、という点を除く――が、一旦消えた光は豆電球のように灯ってこちらへ降ってきた。

 豆電球は少し離れた雲へ着陸する。

「あれが君と同じはぐれ星。さあ、見に行ってみよう」

 少年が私の手を引く。

 雲の地面は思いの外歩きやすく、すぐに慣れることができた。死んだ理由も、成仏出来ないほどの未練も覚えていないというのに、歩き方は死んでも覚えている。

 しばらくふかふかと雲を進むと、横たわる男性の影があった。驚いた私が駆け寄ろうとしたが、少年はそれを制する。人が倒れているのに、と私が非難の目を向けると、彼は黙って人差し指を男性に向けた。

 男性の隣には、先程までは誰もいなかったはずの隣には、少年が立っていた。

 その少年は私の隣に立つ少年とまるっきり一緒だった。背丈も、髪の色も、肌の色も、身につけている衣類ですら。

「僕たちはたったひとつ。はぐれ星を見守る月だからね。――あまりはぐれ星同士は近づかない方がいい。未練が共鳴することもあるからね」

 少年は再び私の手を引き、呆然と少年を見上げている男性から離れていく。

 私の視線は少年と男性のふたりに釘付けだったが、それもあっという間に雲に紛れて見えなくなってしまった。

 真っ白な世界で少年とふたりきり。


 寒い。


 思い出したように呟く。精神的な寒さか、体感的なものかは分からない。

 ただただ、忘れていた寒さを感じたのだ。

 私は少年から手を離し、自身の腕を抱く。たっぷりと地上を眺めたあと、少年を見下ろす。


 未練も死因も思い出せないの。私は何を消化すればいいんだろう。


 そう問うと、少年は微笑んで首を傾げた。

「それは君が思い出さないと。それに、時が来れば全て思い出す。そういうものだよ」



 あれから何日かが過ぎ、私が感じる寒さも日毎に強くなっていった。

 少年は「暖かいことでも考えてみたらどうかな」と笑うだけで、まともな提案はなかった。

 私はとうとう座っていることも出来なくなって雲にうずくまる。雲と同じ色をした息を吐くと、白い息は雲に沈んでいく。

 そうやって雲に埋もれていると、少年がすぐ横にしゃがみこんだ。私の肩を揺らす。

「見てごらん、雪が昇るよ」

 こんなに寒いのに雪なんて、と言葉にも凍えそうになりながら顔をあげた。カチカチと奥歯が触れ合って音を鳴らす。

 白の結晶が目の前をふわりと通り過ぎた。

 雪が昇る。

 地上を目指し、雪が湧き上がる。手をついている雲から結晶が溢れ、それは風船のように迷いなく昇っていく。

 ぼんやりとその雪が行き着く先を見ていると、地上はどんどんと白く霞んでいった。視界も白くなるが、不思議と少年だけはしっかりと見えている。

 少年と目が合った瞬間、思い出す。

 

 そうだ、死ぬ前に雪が見たかったんだ。


 つぶやきは熱く、胸の奥深くに火を付けるようだった。

「そうだね。君は雪を見るまでは死ねないと強く思いながら死んだからね」

 少年が最初に出会った時となんら変わらない表情で頷く。

 熱い涙が、頬を伝った。


 あの子の分まで、雪を見なくちゃいけなかったの。

 同じ病室で、一緒に雪を見ようと約束したあの子の分も。先に死んでしまったあの子の分も。

 雪を見られなかったあの子の分まで、私は雪を見なくちゃいけなかったの。二人で冬を越そうと誓った、あの子のぶんも。


 今まで忘れていたことが嘘のように、未練が涙となって溢れていく。

 両手を地上へ伸ばす。


 死んでごめんね。

 あなたの分まで雪を見られなくて、ごめんね。


 叫ぶ。

 声は雪に染み込み、地上へ昇っていく。

「雪を見られて満足したかな、はぐれ星」

 少年の優しい問いかけに、私は強く頷いた。

 それと同時、私の体は雲に沈んでいく。宇宙へ落ちていくのか、と理解した。


 よく言う、死んだら星になる、というのはあながち間違いじゃなかったんだね。


 私が口元を緩めると、少年は変わらぬ笑顔のまま首を傾げた。

「君は未練があったからここに来ただけさ。死者全てが星になるわけではない」

 それでもいい。

 私は一瞬でも星になれたのだから。天国――いや、宇宙か――にいるはずのあの子にも、私の輝きは見えたのだろうか。

 気づけば、私の体は半分以上雲に沈んでいた。

「さようなら、はぐれ星。あの子も君と同じ雪を見て喜んでいるよ」

 そんな別れの言葉を最後に私は雲に沈み、宇宙へと落ちた。



 彼女が宇宙へ落ちていった頃、同じ雪を見上げている少女がいた。

 彼女は嬉しそうに微笑み、両手を地上へ伸ばす。

「わたし、約束を守れなくて死んだの。とても、とても悲しかった」

 彼女の体が雲へ沈み始める。

「一緒に雪を見ようって。――きっと、あの子も地上でこの雪を見てるわ」

「さようなら、はぐれ星。あの子も君と同じ雪を見て喜んでいるよ」

 彼女は笑顔で雲へ沈む。

「同じ雪を見られたのなら、本当に良かった――」


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― 新着の感想 ―
[良い点] 雲の下に立つというアイデアが面白かった [気になる点] できれば死んだ男性も含めて、綺麗にまとまってほしかった [一言] やりたいことは分かるし、ふわふわとした地に足のつかない作品に魅力は…
2016/12/21 17:20 退会済み
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