幕間 ミラの決意
私は内心、恐怖に震えていた。皆の前では必死に取り繕っていたが死にたくなかった。
そんな今の私を支えているのはミナやアリスなどに対する思いと意地に近い強がりだけだ。それが緩めばきっと情けないくらいに泣き出してしまうだろう。
実際、スライムさんが、私が犠牲になるかもとわかって我を忘れて怒ってくれた時に恐怖を抑え付けていた心の壁が崩れそうになったくらいだ。
それに、代わりになるなんて言われた時は正直、本気でドキッとしてしまった。もし、あの時相手がモンスターでなく私と同じエルフや人間だったりしたら完全に好きになっていたくらいに。
(何考えているんだろう。私ったらバカじゃないの)
仮にそうなったとしても片方が犠牲になるのはほぼ確定しているのだ。そんな悲劇のような状況をわざわざ招く必要はない。
(それにしても私がこんなことをするなんて、ちょっと前までだったら考えられなかったな)
この村に来るまでの私は同族のエルフだろうともちろん人間なんて信じていなかった。私がこうして里から出たのも早くに両親を亡くして孤独だったことが関係している。もちろん一番は外の世界が見てみたいという好奇心が大きかった。でも、それと同時にもうエルフの里にいるのが嫌だったことも否定できない。
そもそも数百年は生きるエルフにおいて十代で里の外に出すということはミナくらいの子供を放り出すことに相当する。普通ならそんなこと許されないのだ。
早くに親が死んだ子供なんて同年代の子供からすればいい標的だ。数が少ないからこそそこで孤立すれば居場所はない。親のいない私には頼れる相手なんてほとんどいなかったのだから。
長寿のエルフにとって本来なら親とは百年以上も共に過ごす。親から様々な知識や経験を長い間を掛けて教え込まれることでエルフは初めて一人前とされる慣わしがある。
当然、十歳になる頃に天涯孤独の身になった私には教えてもらったことなどほんの僅かでしかない。そんな私を里のほとんどの人が愚かな子と呼び蔑まれてきた。
もちろん一部の庇ってくれる人もいたにはいたが、それもあくまで自分達が損にならないところまでだ。それは仕方ないことだと思うし、実際私が逆の立場なら同じことをするからしょうがないことだと思う。
けど、その時から私は心のどこかで他人を信じられなくなってしまった。これまでの旅でもほとんどの人が珍しいエルフだからと捕まえようとしたり、あるいは犯そうとしてきたりしたこともあった。
少ないけど良い人はいる。けれどそれはあくまで少数であり、私を含めその人達でさえ自分の身が一番かわいいというのが真理だと思ってきた。
でも、この村に来て私にとっての一番は変わった。自分のことなんかよりこんなずるくて嫌な私を本当の姉のように慕ってくれるミナやアリスがいつの間にか何よりも守りたいものになっていた。きっと自分でも気づかない内に家族の愛情とやらに飢えていたのだろう。
だから、ミナ達を守るためなら命を懸ける意味があると本心から思えた。
もちろん、このままただ死ぬ気はない。何としてでも一矢報いるつもりだ。あわよくば奇蹟が起きて倒せてしまうなんてこともあるかもしれない。そう思う事で私は怯える心を叱咤していた。
そうして、
「……まさか、ここまでの数がいるなんて」
肉屋さんに持っていたほぼ全財産で対価を払って教えてもらった場所に辿り着いたが、そこはまるで地獄のようだった。
大量のゴブリンがお互いに殺し合い、食い合っているのだ。流石にモンスターと言えど同族を殺すのはよっぽどのことがない限りしない。互いに容赦なく殺し合っている時点でもう限界近くまで飢えているのだろう。
そして、その中で明らかに異常な個体があった。こんな状況だというのに目を瞑っている巨大な個体があった。どう見たって眠っている。襲われることを全く恐れていないだけで力の差が嫌でもわかるというものだ。
間違いない、あれが名付きのホブゴブリン。肉屋さんから聞いていたよりも明らかに大きいしその上、太っているように感じたが気のせいだろうか。
そんなことを気にしてもしょうがないのですぐに忘れて、気合を入れなおす。
「皆さんはしばらくここで援護をお願いします」
村人達がこの中に飛び込んでも無駄な犠牲が増えるだけだ。まずは私が道を切り開く。その為にここにいるのだ。
それに今なら奇襲できる。
弓を弾いて風の精霊に呼びかける。エルフ族は精霊と話が出来、その力を借り受けることが出来るのだ。風の精霊の力を纏った矢を、こちらに気づき今にも襲い掛かるとして来るゴブリン達に向かって放つ。
矢が飛んでいき、先頭のゴブリンにあたる瞬間そのゴブリンは矢が当たる前に纏っている風によって吹き飛ぶ。その後ろの奴らも同じように吹き飛ばされ風によって切り刻まれていく。
精霊の力を宿した矢は並大抵の威力じゃないのだ。
私だって伊達に何年も旅を続けていない。スパークフィッシュの時のように焦っていたり、不意を突かれたりしなければゴブリン如き敵なんかじゃないのだ。
飛翔し続ける矢はゴブリン達を仕留めながら狙ったホブゴブリンの元へ一直線に飛来していく。これで倒せるとは思えないがわずかでもダメージを負わせられれば勝機はある。
だが、そう甘くはなかった。
ホブゴブリンは危険を察知したのか目を見開くと、太ったその体に見合わず俊敏な動きを見せて、その矢に叩き付けるように手に持っていた巨大な棍棒を叩き付ける。拮抗したのは一瞬、矢はあっけなくそのまま棍棒の下敷きになるように押し潰されてしまった。
棍棒が地面に振り降ろされた瞬間、凄まじい衝撃が走って、私が仕留めたのとは比べ物にならないくらいの数のゴブリンが吹き飛ばされ肉塊に変わっていく。ただの攻撃じゃない、明らかにスキルで強化された一撃だ。離れていなければ私達もひとたまりもないだろう。
私の弓の一撃も風の精霊の加護というスキルによって強化した攻撃だが、それでも相手の物には遥かに及ばないらしい。さすがは名付き、規格外にも程がある。
(でも、まったく勝ち目がないってわけじゃないみたい)
今の攻撃が効かないなら眠ったままで防御したりはしない。危険だからこそあれほどの動きを見せて防いでみせたのだ。そういう観点から見れば勝機はある。
問題はどうやってその攻撃を当てるかだ。私が一人で矢を放っても同じことの繰り返しだし、他のゴブリン達をいつまでも放っておくわけにも行かない。
せめて、もう一人ホブゴブリンにダメージを与えられる攻撃が出来る人がいれば、どちらかが囮になって攻撃を引き付けてくれることもできたのに。そう例えばスライムさんとか。
(もしこの場にスライムさんがいたとしたら……)
一瞬バカな事を考え掛ける。もし、彼がいたとしてもあんな状態で囮になれるわけがない。
(私だけでやるしかないんだ)
また弓を引き、矢を放つ。
精霊の力を借りるのにはかなりの魔力を消耗するので限度がある。けど、その力を借りて敵を蹴散らさなければ数の差であっという間に私達はその波のような集団に飲み込まれてしまうだろう。
拮抗しているように見える戦いは確実にこちらが不利であり、勝負が傾くのは時間の問題だった。
けれど、ここを引くわけにはいかない。
幸い、名付きは先程の攻撃を防いだ後また座り込んで目を瞑って動かなくなったので雑魚相手に集中できる。今の内に数を減らさなければ。
村の人達も決めていた通り、自分達の身を最優先にしながら倒せる敵を弓などで仕留めていく。私はそこからただ無心に弓を弾き続けて、敵を倒し続けた。
絶対にミラやアリスを守る、それだけを胸に秘めて。
けどそれもやがて限界が来る。この場にいるほとんどのゴブリンを倒しきったことの代償にもう魔力がほとんど消費尽くしていた。
村の人達も怪我をしていない人はいないし、中にはゴブリンにやられてしまった人も少なくない。
戦うと決めた時点で全員無事なんてありえないとわかっていたが、それでも辛かった。それでも悲しむのは後、今はそうする余裕なんてない。
もう腕を挙げるのも難しかった。手は弓を使い過ぎたせいかボロボロで至る所が切れて血が出ている。けれど、それでも私は歯を食いしばって弓を構えた。
いつもの倍以上の時間を駆けて矢をつがえ、この期に及んでもまだ眠り続けるホブゴブリンに向かって矢を放つ。顔を狙ったのに傷ついた手では狙いが定まらずに胴体に向かって矢は飛んで行った。
矢は当たった。ただし、あっけなくその体に弾かれてしまったが。他にも幾つもの矢がホブゴブリンを襲うがどれも同じだった。
そうして鬱陶しげに矢を振り払った後、遂にホブゴブリンがゆっくりと立ち上がる。それと同時に私は座り込んだ。魔力の使い過ぎでもう立っていることすらままならないのだ。
結局、予想通り倒すには至らなかったが、ゴブリンの数はかなり減らしたし、ここでホブゴブリンに食われればしばらくの時間稼ぎはできる。最低限の条件はクリアできた。
もっとも、それでも討伐隊が来るまで時間稼ぎができるかはわからないのだけれど。後は運次第、神のみぞわかることだろう。
最後の抵抗として私は必死に立ち上がり、自らホブゴブリンの前に行って真っ直ぐその顔を睨みつける。ここで死んで魂になったとしてもこんな奴に負けるつもりはなかった。こいつに魂を簒奪されたら逆にその体の中で抵抗してやる、そう自分に言い聞かせて。
「グオオオオオ!」
雄叫びを上げてホブゴブリンが棍棒を振り上げる。そして、それが振り降ろされようとして、
凄まじい速さの何かがホブゴブリンの顔面に着弾した。
肉と金属がぶつかる鈍い音がしてホブゴブリンは後ろ向きに飛ばされるように倒れる。
(討伐隊が来てくれたの? ううん、そんなわけない。いくらなんでも早過ぎる)
だったら今の攻撃はなんなのだろうか。速すぎてよく見えなかったが拳大の何かが飛来したはず。
そう思って空中から地面に落ちてくるそれを見て気付いた。あの丸い形は間違いない。
「直撃だってのにこの程度とか堅すぎだろ。どんな顔面してやがるんだよ」
「スライムさん?」
呟きながら着地した彼は呼びかけに反応してこちらを振り返る。その体は、
「色々言いたいことはあるがまず謝っておく。ミラがくれたナイフ食っちまった。すまん」
銀色に輝いていた。




