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――――……

●◎○


 ……――こうしてルイク・ヴェヌスバーグは、水晶宮(クリスタルパレス)に仕える者となった――偶然と言うより運命と呼んだ方が収まりのいい切っ掛け、ではあったけれど、父親と同じか、或いはそれ以上の働きが出来る様、彼は与えられた役割を、一所懸命と日夜励む事になる。

 その役割とは、記録省の忘却係と呼ばれるものだった――幾つも存在する水晶宮(クリスタルパレス)の部省の中でも、取り分け地位の高い所では無く、偉大なるサハル・ヴェヌスバーグの名の元に、より上層に位置する部省、例えば父親自身が所属していた宮の要、統括省に入る事も可能ではあったのだけれど、ルイクはその可能性を固辞したのである。

 それは、宮外にて歴然と存在する様な賃金格差がここでは余り無かった賜物であり――もしあったとすれば、彼も考えた事だろう――近親の縁故を頼ってしまった事に対する負い目だって無い事は無かったが、一番の理由は、その内容自体に寄っていた。

 偉大なるノアを紀元とするこの世界に、以前が存在していたというのは、誰もが知っての通りである――けれど、その詳細を、真実を知っている者は、誰も居なかった。そもそも偉大なるノアとは誰、もしくは何かすら、ままならない状態であり――記録と呼べるものは、虚実綯い交ぜである伝説、神話の数々や、明らかに人の手の加えられた痕跡のある、道具と思しきもの、とその一部分、という様な具合だったのである。

 記録省とは、名が如実と示す様に、これら紀元前の有様を示す諸々を回収、調査してから、その性質や用途を記録する部省なのだが、その過程には一つの問題があった。

 即ち、何を記録すべきか、すべきで無いか、という選択の問題である。

 ろくに判明していない紀元前の世界が、天の主の想い溢れる、恵み深き雨が降っていないものであった予想は、夢物語を紐解くまでも無く、全ての遺物が海や川の様な水の底より引き揚げられている点、その多く、特に複雑な機械の体をしたものが稼働不能の、実質上の置物として発見されている点を考えれば、容易に推察する事が出来よう。

 となると、浮かんで来る疑問は、紀元に何が起きたのか、どの様な変化が起きたのか、であるが、引揚品の状態を思い描けばこそ、それが良きものだったとは言い難い。もし仮にそうであれば、ここまで記録が滅茶苦茶になっている筈が無く――言い換えよう。残るだけの、残すだけの価値が無かったからこそ、過去は洗い流されたのだ。

 ならば、それを興味本位で、一時の利便を求めて再び世に出してしまうのは、果たして正しい事なのか否か――勿論そこには議論の余地があるが、しかし時は待って等くれない。必要なのは決定であり実行であり――回収と記録の間に調査が横たわっているのはこの為で、水晶宮(クリスタルパレス)は、必要で無いものを再び洗い流すを、良しとしたのである。

 そしてルイクもまた同じ考えなら、彼は忘却の管理人となった――如何に恵み深いものであれ、雨が降るから屋根が在り、勢力増して傘を差す。もし危険だと判断されれば、それは人知れず、『大渦』へと放り込まれる――水晶宮(クリスタルパレス)の底の底にて渦を巻いている、強力無比なる水洗式粉砕処理機械(ディスポーザー)の中に――もし危険で無いと解れば、その時はその時、有益さを特と愉しんでやればいい――例えばそう、あの珈琲の様に――

 ただし、生来の性格は抜け切らないもの、そこに個人的欲求が、知的好奇心があったのは、彼にしても否定出来ない所である――一般市民の手にも耳にも眼にも未だ届いていない代物を、いの一番に観察し、時には使用出来るというのは、間違いなくの特権だろう。それがもしかしたら、もう二度とこの地上に姿を現さないかもしれないとすれば、余計にで――ルイクの先輩なんて、こんな事を述べていた位である、


 ――古代博物館へようこそ。ここは、見るのも触るのもご自由に、だよ……


 尤も、特権ばかり重視し過ぎた彼は、義務の方を疎かにしてしまった様だ。見るのも触るのも自由だが、許可無く持ち出すのはご法度であり――ある朝ルイクが職場へと来ると、彼の席も、彼の姿も、消えていた――水晶宮(クリスタルパレス)に仕えていた、その記録一切を含めて、だ。

 その徹底っぷりには、彼も恐怖を、というよりも畏怖を覚えざるを得なかったけれど、だが仕方がない、不正は不正であって、それは是正されるべきである、と思えば、ルイクは最早名も無き彼から取り返された引揚品の処理を申請し、許可証と一緒に、『大渦』の元へと持って行く――苦心の末、その円筒状の物体が、視覚を麻痺させる、強烈な閃光を放射可能な、ある種の武器だと彼は見抜き、更にそれが造られた背景を、太陽(ザ=サン)の火と光の下で活きる黒子(アルテノ)の事を考え、無用の混乱を招き兼ねない引揚品を、それこそ無用と願い出た。

 投じられた遺物が音を立てて粉になり、跡形も無き跡が水の中へ消え行く様子を眺めながら、ルイクは、半ば与えられた、半ば願い出たこの職務に対する矜持と満足に、うっすらと、しかし確かな笑みを浮かべつつ、こんな思いを胸に抱いたものである。

 世の為、人の為とは何と素晴らしい事なのだろう……


●◎○


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