07 受付嬢
シオス・アーゲラ。
それは、生ける伝説である。
迷宮を舞台にして、その身ひとつで成り上がった女傑。長身とは云え、所詮は細見の女性でありながら、筋骨隆々とした男達が揃ったパーティーでも踏破できない迷宮の深部へ、単独で易々と踏み込んで行く。
幅広の短刀と細剣だけを頼りにして。
時に、ミノタウルスを――。
時に、ラミアを――。
ただの人間が、一人で屠ると云うのだ。
どんな夢物語よりも、それは荒唐無稽な話である。
しかし、どんな冒険譚や英雄譚よりも心震えるものだ。
さらには、普段の暮らし振りにおいても、享楽的に奴隷を買い、金銀黒髪の美少女を取り揃えて豪奢な屋敷でハーレムを築き上げていると、これまた心躍らせるような噂が国中に流れている(さすがに、黒髪の美少女が『男の娘』であるという事実はなかなか知られていない)。
夢見るようなサクセス・ストーリー。
貧しく飢えた人々が飛びつく気持ちはよくわかる。
「というか……」
思わず、つぶやく。
「御主人様が凄すぎる」
冒険者ギルドは、今でこそ見る影もない。
だが、御主人様が活躍を始めた頃は全盛期だった。ハーレルアの冒険者は、ほとんど全てがギルドに所属しており、ギルドから白眼視されたならば、まず迷宮では生きていけないような状況だったわけだ。
それなのに、御主人様は、そんな冒険者ギルドの存在を完璧に無視した。
まあ、向こう見ずで血気盛んな若者も、少しばかりは居たに違いない。御主人様も最初はそんな風に思われたのかも知れない。じゃじゃ馬な女の子であると、そんな風にお目溢しされている情景を思い描くと、なんだか非常に滑稽であるけれど――。
もちろん、御主人様は常識の枠内で語られるような人ではない。
僕は肩をすくめる。まあ、仕方ないのだ。
どう足掻いたところで――それこそ、冒険者ギルドが最善手を打っていたとしても、御主人様を御すことができたとは思えなかった。
真に愚かしいのは、ギルドの対応の仕方である。
自由奔放に振る舞う御主人様を、それはそういう者と認めなければいけなかった。
その上で、ギルドはどういう風に動くべきか――それを考えることが重要だったはずなのに、思考をストップさせて、右往左往するだけの無能さ。結局、御主人様の登場を契機にして、ギルドは衰退を始めてしまった。
ため息。
僕は、受付カウンターに頬杖を付く。
午後のまどろみ。
心地よい静けさ。
僕はあくびを噛み殺しながら、室内を眺め回した。
ギルドホールはさながら、閑古鳥の鳴く酒場のようである。
現在の冒険者ギルド。
繰り返しになるけれど、組織としては崩壊している。
僕は、ギルド長なる人物に受付嬢として雇われ、毎月の給金を得ている。平たく云えば、ただのアルバイト。しかし、ここで実際にギルドの組織図を表してみたりすると、それはもう素晴らしい事実が浮かび上がってくるのだ。
ギルド長――(総務部)僕
(経理部)僕
(営業部)僕
(以下、虚しいので略)
ヤバい。この世界の受付嬢とは、こんなに激務だったのか。
そんな誤解すら生じさせてしまうような惨状である。
身も蓋もなく云ってしまえば、ギルドの実質的な働き手は僕だけだ。
ギルド長は、その名前、レオン・ガーランド。
わお。なんだか、強そうである。
実際、強かったらしい。三十年ぐらい前までは――。
元冒険者のレオンおじいさん。血気盛んに長剣を振り回して、迷宮で活躍していたのも今は昔である。折れ曲がった腰で杖を突きながら、真っ白でぼさぼさの髪と髭。口数は少なく、ギルドホールに居る時は、ほとんど日向の窓辺で居眠りしている。
なお、「おじいちゃん、ご飯ですよ」「おじいちゃん、お茶ですよ」などと、ギルド長に給仕をしたりすることも、僕の業務に含まれている。
僕は、声を大にして云っておきたい。
週に半分しか来ないアルバイトの僕が、全ての業務をこなしている。そして、僕だけで全てがどうにかなってしまうぐらいに、ギルドは組織として何も機能していない。酷い時には、ギルド長にお茶を出すぐらいしか仕事がない時もあるのだ。
ただのアルバイトで、ちゃんと給金が支払われるならば、こんなにも素晴らしい職場はないかも知れない。だって、仕事がないから、暇つぶしに堂々と本を読んでいたりしても、咎められることはまったくないのだ。
ただし、本来の目的からすれば、意味がないにも程がある。
僕は、冒険者の一人である御主人様をサポートするために、ギルドの内側に入ろうと思った。それなのに、御主人様を助けるという意味では、まったく何も意義が果たされていない。そして、このままでは果たせるはずもなかった。
最初は、すぐさま辞めることを考えた。
こんなギルドはもはや潰れてしまえば良いと思ったし、暇を持て余すぐらいならば、屋敷で掃除や料理を頑張る方が、まだ御主人様のためになると思ったからだ。
だが、ギルド長の一言が、僕を寸前で引き留めた。
「儂はなんもわからんから、マリアちゃんに全部まかせる」
「え?」
僕はその時、さすがに言葉を失った。
それから、恐る恐る問い返した。
「全部?」
「うん。全部まかせる」
レオンおじいさんは云った。
「マリアちゃんが、ギルド長をやっても良いぐらいだよ」
僕は絶句したまま、さらに目を丸くしたものだ。
衝撃的すぎて、くらくらと頭を揺らしてみたりした。
ああ。なんてことだ。
なんてことだろうか。
驚きに染まる僕、超可愛い。
僕、超可愛い。
……いや、違うな。
そうじゃない。
「わかりました」
僕は笑顔で応えた。
満面の笑み(やっぱり超可愛い)。
「全部、引き受けますね」
僕は、内心でこう思っていた。
ああ。やった。
冒険者ギルドは僕のものだ、と。
引いては、御主人様のものになった、と。
「……なるほど。興味深いね」
本日もまた、閑古鳥のギルドホールに仕事はない。
だから、僕は暇つぶしをしている。ギルドの倉庫に積まれていた書類の束、あるいは書庫に眠っていた書物。それらを引っ張り出して来て、片っ端から確認していた。
興味を引くものがあったならば、入念にチェックする。
必要なものは、知識と情報。
僕には当然、どちらもない。
冒険者ギルドは、今でこそ崩壊して久しいが、かつては勢いを持っていたのだ。その頃、どんな風に組織として動いていたのか――収入はどんな風に得て、どれだけ合ったのか。人はどれくらい雇っていたのか。具体的な活動方法はどんなものだったか。
知りたい事柄、知るべき内容は山のようにあった。
僕は、今、ゼロからそれらを組み立て直そうとしている。
もちろん、組織をまったく同じ形に修復することはナンセンスだ。
かつての冒険者ギルドが、なんのためにあったか。
その出発点は、ただの弱者の集まりに過ぎなかった。
弱者は群れることで、強者に対する発言力や影響力を獲得した。
上の者の足を引っ張り、下の者を救い上げる。
なるほど、そうした組織の在り方も正しいだろうさ。
だが、僕には必要ない。
御主人様には不要だ。
目指すべきもの。完成系ならば、はっきりと見えている。
僕の僕による、御主人様のためのギルド。
「ふふふ……」
おっと。思わず、笑みが漏れた。
ギルド長は、こくりと船を漕いでいる。
「まったく、さてさて……」
楽しいものだ。
知識と情報の収集段階であるから、まだ先の見通しは付いていない。実際、僕の思い描くようなものが実現できるか、多分に怪しいだろう。だから、ギルド受付嬢として活動することの意味は、現状では未知数である。
まあ、やっぱり無理だと判断すれば、その時は潔く辞めればいい。
とりあえず、やれるだけやってみても、損はないのだから。
「それでも、ちょっとは見えてきたかな?」
さあさあ。
全ての冒険者は、御主人様のために尽くせ。
冒険者ギルドの全てが、〈白剣姫〉の利となるようなシステムを構築してやる。腕が鳴る。笑みも深まる。ただし、もう少しの準備は必要だろうさ。
その時が来るのか、あるいは、来ないのかも知れないけれど。
とにかく、悪巧み――いや、楽しみがあるのは良いことだ。