02 故意犯
「マリア―。ねえ、マリア―!」
僕を呼ぶ声がする。
「何処にいるの? 変態―、変態ー!」
おい。
ちょっと待て。
「こっちだよ!」
僕は声を張り上げた。
夜の帳が降り始めようとしている。
小一時間ぐらいは湯に浸かっていた。さすがに、そろそろ上がろうと思っていた矢先である。タイミングが良いのか、悪いのか――この場に続く屋敷の扉がそろりそろりと開く。
ちなみに、この露天風呂は屋敷の裏手に設けられている。
「また、お風呂なの?」
うっすらと開いたドアの隙間から、呆れたような声。
「風呂は良いよ、美容にも良い」
僕はちゃぽんと湯に沈みながら返した。
平均して、僕は一日に三回ぐらい入浴している。
「ねえ、入って大丈夫?」
「キャー、エッチ!」
「……死ね」
渾身のギャグに冷淡に返され、僕、ショック。
「入るわよ?」
最終確認と見せかけて、一言が付け足される。
「……ねえ、ちゃんと隠してる?」
どうして、僕を露出狂みたいに扱うのか。
「大丈夫だから。何かあった、シャロン?」
恐る恐ると云った感じで、彼女は風呂場に足を踏み入れて来た。
「うん、よし。ちゃんと湯に浸かっているわね」
「ん? 立ち上がった方が良い?」
「殺すわよ」
びっくりするぐらいに殺伐とした物言い。
春も近いと云うのに、極寒の眼差しだ。
「怖いよ、シャロン」
「誰のせいよ、マリア」
風呂の湯気を挟んで、僕らは互いに肩をすくめた。
僕が黒の少女ならば、彼女は金の少女。
名前は、シャロン。
端的に云えば、奴隷仲間。
本日は、彼女が料理当番である。
それだから、エプロン姿。
夕闇の中、僕はまじまじとその姿を見つめた。
「なによ?」
「いや、別に……」
僕は言葉を濁した。
うん。これを認めると弊害があるし、何よりも悔しい。だから、本人に対しては絶対に云わないのだけど……。まあ、何と云うべきか。どうしようか。
うん。
可愛いよね。
ああ、可愛い。
シャロン、可愛いよ。シャロン。
「なぜかしら、鳥肌が……」
季節外れの木枯らしだろうか、シャロンが背筋を震わせていた。
年齢で云えば、僕よりも一つだけ下らしい。
とはいえ、身長は同じぐらい(僕が小柄で、彼女はモデル体型)。
金の少女――だから、当然、金の髪。宝石のように透き通る蒼の瞳も相まって、美少女として、一番わかり易い条件をクリアしている。ちょっと羨ましい。その長髪は自然なウェーブが掛かっている。外に出掛ける時は降ろすけれど、屋敷内で色々と働く時は結い上げる。
大体、ポニーテル。時々、サイドテール。
希少価値が高いのは、ツインテール。
個人的には、着飾って澄まして、貴族然としている時よりも――。
エプロン姿で腕まくりしている時こそ、一番可愛いと思っている。
「まあ、可愛いとか云ってやらないけれど……」
「ん、なに?」
僕の独り言に対して、シャロンは小首を傾げる。
「いや、何でもないさ。それより――」
僕は尋ねた。
「風呂場まで押し寄せて何の用? 僕の裸を見たいならば、それこそ……」
「はいはい、黙れ黙れ」
シャロンは素っ気なく云った。
なんだか、最近、僕のあしらい方に慣れてきたようだ。
悔しい。というか、ちょっと寂しい。
「ビンの蓋が開かなくて……」
シャロンは、塩入りのガラス瓶を差し出してきた。
「あれ、また?」
食材保存用のガラス瓶と木造りの蓋。
ぐるぐると蓋を回して開け閉めする構造は、現代でもおなじみのもの。
そしてまた、時々、がっちりと開かなくなることも同じである。
「開けてくれる? さすがに、あたしよりも力はあるだろうから」
おっと。地味に馬鹿にされてないか。
「うん。まあ、良いけれど……」
僕は素直に頷きながら、少し尋ねる。
「ルーシーに頼めなかったのか?」
ルーシー、銀の少女。
銀髪と云えば、僕的にはどこか儚く、高貴なイメージなのだけど、彼女はショートカット。さらには活発で騒々しく、体力バカ。美しい髪色に加えて、黙っていれば、深窓の令嬢を騙れそうな容姿なのだけど、楽天的にへらへらと笑っていることがほとんどである。
ちなみに、彼女と腕相撲をしたら、僕は一秒も経たずに敗北する。
「ええ、ルーシーに頼もうとしたけれど……」
シャロンは呆れたように云った。
「ソファーで寝ていて、起きないわ」
「ああ、なるほど」
僕もため息を付いた。
趣味と特技と好きな事が『睡眠』で統一されているルーシーは、基本、奴隷として働いている時以外はいつでも寝ている。厄介なのは、寝付いた彼女を起こすことは至難の業だということだ。
ベッドやソファーから叩き落した程度では、絶対に起きないのだから。
「やれやれ」
さて、ところで。
名前が出揃ったから、整理しておこうか。
迷宮都市ハーレルアの〈白剣姫〉シオス・アーゲラの屋敷には、御主人様たる彼女に加えて、三人の奴隷少女(否、少年含む)がいる。
僕、黒のマリア。
金のシャロンと銀のルーシー。
御主人様曰く、「この色合いが良い」とのこと。
金銀黒、それに、御主人様の白。確かに四人並ぶと、ちょっと楽しい。
そのため、奴隷の増減は無し。
三人の奴隷はもちろん、容姿秀麗である。僕がその筆頭であることは疑いないけれど、シャロンとルーシーも、大通りに立っているだけで人垣が生まれるぐらいの器量良しだ。
すなわち、これ――。
御主人様のハーレム。
もちろん、僕は〈少年〉であり、異物なのだけど、そこは奴隷商人からの説明を聞く耳持たず、僕に一目惚れして『これ、これ! この娘、買う!』と、ダンボールに捨てられていた仔犬を抱き上げる幼女のごとく、きらきらとした瞳でテンションをマックスまで上げた御主人様が悪い。
代金である金貨三枚を払って、売買契約をきっちり結んで、クレーム無し、返品無しと、奴隷商人にしっかり約束させられた後、ひとしきり僕を撫で回し、「うふふ」と幸せそうに微笑みながら家に連れ帰り、さらに撫で回そうとした所で、ようやく真実を悟った時の御主人様。
ふええ、と。
ガチ泣きした。
大陸中にその名を轟かせる〈白剣姫〉として、果たして良いのだろうか。
僕としては、御主人様のそんなドジっ娘な部分も大好きであるけれど。
あれ?
なんの話だっけ?
ああ、そうだ。
ハーレム。
本来ならば、シオス・アーゲラの屋敷に『少年』は存在しない。だが、数奇な巡り合わせ(端的に云えば、御主人様のうっかりミス)のため、僕と云うイレギュラーが住まうようになったわけだが、御主人様の心の折り合いを付けるためにも、僕は『少女』で在り続けなければいけない。
まあ、とはいえ――。
ガラス瓶の蓋を開けたり、ちょっとした力仕事だったり、実際は『男』である僕だから、頼られる部分と云うのもあるわけなのだ。
「仕方ない」
僕は苦笑する。
「これでひとつ、貸しだからな?」
「この程度のことで、なに云ってるのよ」
シャロンは苦笑していた。
「うん。どれ、貸してみろ……」
仲間とも云うべき奴隷少女。
あるいは、ライバルか。
何はともあれ、手助けしてやろうと思って――。
僕は、湯船から勇ましく立ち上がった。