20 本
リリィ曰く、ハーレルアの迷宮を制覇すれば何でも願い事が叶うらしい。
文字通り、何でも――。
元の世界に帰ることも可能だとか。
だが、僕はそんなことに興味はない。
元の世界に帰ることも、あらゆる欲望を満たすことも――。
確かに、何でも願い事が叶うというのが本当ならば、それは魅力的なクリア特典だろう。ただし、それを為し得るための労力を考えてみた時、果たして釣り合いは取れているのだろうか。
例えば、色々なゲームに登場する隠しボス。
エンディングを迎えるためのラスボスを上回る強さを持った彼らを倒すため、プレイヤーは最高のレベルや最高の武具を求め、そのゲームのあらゆる要素を味わい尽くす。そして、ようやく隠しボスを倒す頃には、特典としてさらに無敵になるようなステータスやアイテムを与えられても、それらの使い道を見失っているのだ。
ハーレルアの迷宮のクリアを目指すというのは、そうした虚しさに通ずるような気がする。
僕は何となく、そう思った。
早い話、リリィから説明された時にまったく気乗りしなかったわけだ。
それなのに、今、こうして迷宮に足を踏み入れている。
「ねえ、どうして?」
ルーシーが疑問に思うのは当然だろう。
キャッチセールスのように、リリィから迷宮攻略に乗り出すように催促され始めたのは一週間前からだけど、僕らはそれ以前に、一年間も迷宮都市ハーレルアで暮らしている。御主人様のサポート役を務めているルーシーは、迷宮攻略が日常の一コマになっているが、僕はそうではない。ルーシーから散歩がてら、迷宮に入ってみないか誘われることもあったけれど、僕は特に興味もなかったので断り続けてきた。
彼女からすれば、僕が脈絡なく心変わりしたように思えるはずだ。
とりあえず誤魔化すため、僕はルーシーの頭を撫でてやる。
くたり、と。
気の抜けた笑みを浮かべるルーシー。
いやはや――。
こういう所、彼女は簡単で良い。
「さあ、降りてみようか」
本題はここからだ。
地下1階は確かにチュートリアルに過ぎないのだから。
下りの階段を一歩ずつゆっくりと進む間、横目で見やれば、リリィと目が合った。透き通る琥珀色の瞳の中に、愉快そうな気配を読み取る。何を考えているのやら――その甘言に乗せられたと思えば癪であるけれど、まあ、物は試しである。
地下2階に到着。
さて、どうなるか。
――お帰りなさい。そして、おめでとう。
「え、なに?」
驚きの声を上げたのは、何も心構えをしていなかっただろうルーシー。
「……お帰り? おめでとう? 何が? いやいや、その前にこれ、誰の声なの?」
ルーシーはきょろきょろと周囲を見渡しながら、盛大に戸惑った様子。しかし、御主人様の同行者として場数を踏み、数々の〈地獄〉を見てきたためか、一瞬の後には戦闘態勢を取っていた。
身構えて、魔力の充填。
神秘石が強烈に緑光を輝かせる。
――〈帰還者〉を歓迎し、行きて帰りし旅に祝福を。
謎の声はそれでも、ルーシーには一切の興味がないようだった。
謎の声――柔らかで優しく、澄んだ水のような女性の声。
ひとまず、〈名無しの彼女〉と称しておこうか。
その〈名無しの彼女〉の声が響いた次の瞬間、ハーレルアの迷宮は勢いよく輝き始めた。僕のすぐ隣に立つルーシーが、「え、〈退場〉?」と驚きの声を上げたことから、一週間に一度やって来る迷宮の変化――そして、冒険者を強制的に排除する〈退場〉の現象に似ていることがわかる。
だが、これは〈退場〉ではない。
また別のイベントなのだ。
僕は、それを予測していた。
だから、それ程の驚きはない。
――この旅の一歩目を記念して、さあこれを……。
迷宮の床や壁、天井のあちこちから黄金色の光が漏れ出ている。
なるほど。そうかも知れないと思っていたが、迷宮の内壁にはかなりの神秘石が使われているらしい。しかし、黄金色の魔力なんて、僕の黒色と同じく、この世界における常識にはないものだ。どんな属性なのだろうかと、そう疑問に思ったのも束の間で――。
僕の目の前に、〈名無しの彼女〉。
迷宮全体から漏れ出した黄金色の輝きが、さながらプロジェクターのようになって、その姿を浮かび上がらせていた。実体がある訳ではなく、ただの虚像。輪郭だけが浮かび上がっている。それでも、僕の不意を突くには充分。背が高く、さらりと豊かな長髪。一瞬で理解できた。当たり前である。この僕が、たとえ輪郭だけであったとしても、その姿を見間違えるはずがないのだから。
「……御主人様?」
思わず、手を伸ばす。
彼女の方も手を伸ばして来た。
そして、僕は彼女から何かを手渡される。
――それでは、良き旅を。
これで、終わり。
否。
これは、始まり。
チュートリアルの終わりで、ゲームの始まりだった。
「なになに? 何があったの、今のなに?」
珍しく早口で、目を回しているルーシー。
何かが起きることは予測していた僕だって、かなり驚いているのだから、彼女のそんな反応は当然だろう。僕は無理矢理に笑みを浮かべて、ルーシーの頭を片手で撫でてやる。そして、もう片方の手にあるもの――〈名無しの彼女〉から渡されたものに視線を落とした。
一冊の本である。
僕は慎重に、最初のページを捲ってみた。
だが、そこにあるのはただの白紙のページに過ぎなかった。




