18 同行者
御主人様は迷宮にソロで挑んでいる。
冒険者ならばパーティーを組むのが一般的であるけれど、御主人様はそうしない。それには幾つかの理由があるが、ここでは割愛しておこう。別に大した理由ではないさ。説明しないのは、あくまで僕の気分の問題である。
御主人様はソロプレイヤー。
最強だから孤独なのか、孤独だから最強になったのか。
何はともあれ――。
御主人様は、パーティーを組んでいる冒険者よりも遥かな深淵を目指していく。地下五〇階以上に至ろうとすれば、一週間という時間をフルに活用する必要があった。そしてさらには、迷宮に入る際には沢山の食料を持ち込み、魔物の跋扈する中で警戒しながら眠らなければいけない。
長い間、御主人様はそれらを全て一人で行っていた。
重い荷物を担ぎ、浅い眠りを繰り返しながら――。
さすがに、それが非効率なのは誰の目にも明らかである。
だから、僕は一年前に意を決して進言した。
『お願いします。戦う仲間――パーティーメンバーとして、ではなく……』
ソロプレイヤーとしての矜持を守りながら、さらに高みを目指してもらうため。
『荷物持ちや見張りとしてのサポート役として、ルーシーを連れて行ってください』
当然のように、最初は拒まれた。
説得するだけで一ヶ月以上は費やしたものだ。
ルーシーをサポート役として迷宮に同行させるという提案を、御主人様は滅茶苦茶と思ったかも知れない。僕自身、最初は考えてもいなかった。僕ら二人――〈黒〉のマリアと〈銀〉のルーシーは、奴隷としての時間をぴたりと寄り添うように過ごし、御主人様に買われることで、まったく同時に新しい人生をスタートさせた。御主人様から〈黒〉と〈銀〉の名前を与えられる以前の過去は、既に捨て去ったも同然であるけれど――。
だが、それでも――。
悪夢のような時を共に過ごしたことは、僕らを強く結び付けている。
御主人様に買われた後、迷宮都市ハーレルアにおける奴隷ながら楽しい日々が幕を開けて、二人がようやく心から笑い合えるようになった頃、僕は、彼女がわずかな余暇の時間を利用し、迷宮にチャレンジしていることに気付いた。
怪我をするかも知れない。
最悪、死ぬかも知れない。
だから、やめなさい。などと――。
無茶だから。と――。
僕だって、最初はそう云った。
『強くなりたい』
彼女はそう答えた。
僕は驚いた。
遊びでもなければ、モラトリアムを謳歌している訳でもなく、ルーシーは、これからの人生で何を為すべきなのか、その時には見つけてしまっていたのだから。
彼女は、自分の才能というものを見出していた。
だから、僕は御主人様に進言したのだ。
理由の半分は、御主人様がさらに冒険者としての高みに上ってもらうため――。
理由の半分は、ルーシーに最高の修行の場を与えてやるため――。
ああ、まったく。
僕はお節介である。
そして、甘い。
昔から、彼女に対してはそうなのだ。
「はい、マリア」
呼びかけられて顔を上げれば、屈託のない笑顔。
「終わったよ。さあ、行こう」
ルーシーは、返り血の一滴も浴びてはいない。
迷宮の回廊と、その奥に続いていた小部屋は、無数のGラットの死骸に埋まり、あちこちの壁と床は血飛沫で汚れている。最初、回廊の途中で遭遇したGラットは三匹だけだった。だが、僕らの運が悪かったのか、その先にあった小部屋はGラットの巣窟になっていたようで、すぐさま数十匹の応援がやって来てしまったのだ。
最弱の魔物と云えども、群れると脅威。
レベルの低い冒険者パーティーならば、下手すると全滅する程度には危険な状況だった。
地下一階は、ハーレルアの迷宮の中では最も安全なフロアであるが、既に説明した通り、一週間毎にランダムで構造が変わるため、その時々によって危険度は上下する。何十匹ものGラットに遭遇するような構造は、正直に云えば最悪の部類なのだけど――。
さすがに、ルーシーは意に介さなかった。
武器も防具も持たず、その恰好は夕暮れを散歩するようにラフなもの。手ぶら。ただし、魔法ならばいつでも使える。戦闘態勢に入った瞬間、ルーシーの身に付けた神秘石のアクセサリは輝きを増した。すなわち、彼女は魔力を高めていた。それまでの蛍が舞うような淡い緑光は、途端に、細長い回廊の果てまで照らすものに変わる。純粋一系統の風属性。歌うように詠唱される魔法。人畜無害なのんびり屋の笑みが、刹那、にやりと、戦う者のそれに変わった。
ルーシーは構える。
その手には、何もない。
ただし、音は鳴る。
荒れ狂う風。
獣の爪のように広げられた五指。見えないけれど、そこには嵐があるようだった。不用意に近づいて来たGラットに向けて、ルーシーは片手を薙ぎ払う。間合いは遠い。彼女の手はまったく届いていなかったが、風ならば、届いていたようだった。
Gラットは弾け飛んだ。
さながら、竜巻にねじ切られるように――。
最強の冒険者。
その、同行者。
戦場で肩を並べ合うようなパーティーメンバーでは決してない。
ルーシーの仕事は荷物運びであったり、御主人様が休息を取る時の見張りであったりと、あくまで戦闘以外の所に本分がある。しかし、それでも、自分の身を自分で守ったりしている内、腕は自然と磨かれていくだろう。複数の魔物に取り囲まれた時などは、最低限、しばらく自分の身を守るぐらいできなければいけない。御主人様がいくら最強でも、目の前の魔物を片付けている間にやられてしまうのでは庇うこともできないのだから。
詰まる所――。
最強の冒険者に同行する内、ルーシーはそれなりの実力を獲得した。
その『それなり』がどれくらいのレベルかと云えば、正式に叙勲された王国騎士が降参するレベル。冒険者と街中で擦れ違う際には、八割方が背筋を伸ばして道を譲ってくるレベル。ルーシーの身分が奴隷であることを思えば、これらは異常事態である。『それなり』のレベルが、少しでも理解してもらえると嬉しい。
僕は笑った。
むせ返るような血と臓物の匂い。壁や床をべったりと汚す赤色と、それを柔らかく照らす緑光。暢気な笑顔で、ルーシーは相変わらずの調子である。いつものように、僕にべたべたと接してくる。
「強くなったな」
しみじみと、僕はそう云ってやった。
ルーシーはきょとんと首を傾げる。
「さあ、行こうか」
彼女が、僕の胸中を察するよりも前に――。
僕は少々強引に、彼女の手を引いて歩き始めた。




