14 抱擁
古の時代には、荘厳な神殿だったのかも知れない。
ハーレルアの迷宮の入口に立って、僕はそんな風に思っていた。
悠久の時を経て、風化した柱をわずかに残すだけの殺風景な光景。地面にぽっかりと空いた大穴には長い石階段が備えられている。まるで巨大なドラゴンが口を開いて、ギザギザの鋭い牙を見せつけているように不吉で不気味だった。
僕は浅く、静かな呼吸を繰り返す。
この緊張感には、なんだか覚えがあるぞ。
うん、そうだ。
まさに、お化け屋敷のそれである。
僕は別に怖がりではないけれど、怖いものが待ち受けているとわかっている以上、どうしても身構えてしまうタイプなのだ。用心深いと云うべきだろうか。驚かされると知っているから、驚かされてなるものかと、不必要なぐらいに強く用心する。うーん、ただの天邪鬼かも知れないね。
「えへへ、お待たせー」
迷宮の入口を前に、僕がため息を三度ぐらい吐いた所で待ち人はやって来た。
「わあ、可愛いね。マリア、可愛い」
体当たりのように勢いよくハグしてくる彼女、銀の少女ルーシー。
僕よりも年下で小柄なのは、前にも云った通りだ。
ぎゅっと抱き締められると、ルーシーの額が僕の唇の辺りに来る。そして、僕のお腹の辺りには、彼女の胸の膨らみが押し付けられる。特筆すべきことなのかわからないけれど、ルーシーは着痩せするタイプだ。確かに全体的には華奢ではあるのだけど、手足や腰の方に行くはずだった肉は、どのような原理が働いたのやら、胸元に一点集中の特化運用されている。
「えへへ」
シャロン曰く、スキンシップ過剰。
今日はなぜか、いつも以上に激しい。
「デートだね、デート」
歌うような声色で、ルーシー。
「マリアから誘ってくれて、とっても嬉しいな」
「いや、迷宮に潜るのがデートになるのか?」
僕は素直な疑問を口にするけれど、ルーシーのハイテンションの謎は解けた。
「百歩譲ってデートだとして、そんなに嬉しいか?」
「嬉しいよ。当たり前だよ」
仔犬のように、僕の胸元に顔を擦りつけてくる。
出会い頭の軽い挨拶程度と思っていたハグは、まるで付き合い始めの恋人同士のように、がっちりと剥がしがたい熱烈な抱擁になってしまっていた。
密着度が増せば、彼女の成長度合いも肌でより感じられる。
僕はため息を吐いた。
見た目に反するコケティッシュな魅力。天真爛漫で太平楽、普段はのんきな少女であるから、そのギャップに惑わされる男も多いとか。まあ、それでも、僕が道を誤ることだけは決してない。それだから、別に良いだろう。冗談のつもりで、僕からも彼女を抱き締めてやった。ルーシーは一瞬、ぴたりと動きを止めた。驚いたらしい。理解が及ぶまで数秒。「うふふ」と、押し殺そうとして押し殺せなかったような含み笑いが漏れ始めた。
さらに強く深く、彼女は僕の胸元に顔を埋めて来る。
「いやー、しかし……」
思わず、僕はしみじみと漏らした。
「ルーシーは大きくなったな」
「うん。さわってみる?」
「いや、さわらないけど……」
間髪入れずに返って来た言葉の中には、ちらりと刃のような鋭さが感じられた。
不穏なものを感じ取って、僕は反射的に彼女から身を離していた。
「あー、もっと、ぎゅーっとしようよ」
「いや、そういうのは家でやってやるから……」
冷静に考えてみれば、人通りの激しい往来で抱き合っているのも変だろう。
そう思って、周囲をぐるりと見渡してみれば――。
わお。
大注目である。
ここは、すり鉢状になっているハーレルアの底。
地理的にも経済的にも階級的にも、最底辺の区画である。
迷宮の入口を中心にして、冒険者のための安宿や酒場、武器や防具を威勢よく売っている出店が渦を巻くように並んでいる。上層で暮らしている貴族や豪商のような富裕層がここまで降りて来ることはまずない(御主人様を除く)。無法者と紙一重である冒険者と、彼らを相手に商売を成り立たせる無法者一歩手前の商売人ばかりが大勢行き交っている。良くも悪くも、スリリングな活気に満ちた場所なのだ。
そして、迷宮の入口付近は最もひと気が多い。
そこで美少女二人(否、最高の美少女にしか見えない僕と普通の美少女)が熱烈にじっくり抱き合っていれば、注目を集めるなと云う方が無理だろう。さすがに恥ずかしい。別にやましい事をしていた訳ではなく、僕らは待ち合わせをしていただけである。そして、挨拶代わりのちょっと長めのハグを交わしただけなのだけど――いや、そんな説明を演説のように始めるよりは、すぐさま退散してしまった方が賢明に違いない。
「仕方ない」
僕は、ルーシーの手を引いた。
「とりあえず、迷宮の中に入ろう」
「わー、手を繋いでくれるんだ。嬉しいな」
結局、ルーシーは手を繋いだ所から腕を組むように身体を寄せて来たため、迷宮の最初のフロア、地下一階に下るための石段の一歩目を踏み出す際には、恋人同士のようになっている僕ら。
「どういう関係なのニャ、君達は……?」
肩の上で終始呆れていたリリィは、僕にだけ聞こえるような小声でそうぼやいた。




