4st stage
ゴールデンウィークが終わって初日。プラネットレンジャーが世に出る1ヶ月近く前のことだ。
桃津由美が帰宅しようと迎えの車に向かっていた。長い艶のある黒髪が風に乗ってふわりと揺れる。
彼女は宝石店で有名な桃津家の一人娘で、毎日お抱えの運転手が学校の送り迎えをしてくれている。いつも彼女が帰る時間を連絡すると、その時間までに必ず校門を出た向かいに車が待ってくれている。
この日は校門に見憶えのない1人の男が立って校舎から出てくる生徒達を見ていた。人を探しているようだ。
髪を金髪に染め、耳にピアスをあけていて他校の制服を着ている。制服には所々に刺繍などが入っていた。由美にはちょっと共感し難いセンスだった。
きっと関係ない人だろう。由美は気にせず通り過ぎようとした。
「桃津由美さんっ」
いきなりフルネームで呼ばれ、ピタッと立ち止まった。
「はい。私ですか?」
由美はどんな顔をしていいか分からず、とりあえず笑顔を作る。
「はい、あなたです。自分、みなみ野第三高校の火野啓介といいます」
火野と名乗った男は緊張しているのか、気をつけの姿勢で喋る。みなみ野第三高校といえば、鳳凰院高校とは距離の近い、しかし偏差値はかなり遠い男子高校だ。
自分と何の接点もない男が何の用があるのか、鈍い由美にはわからなかった。
「自分、あなたを街で見かけて惚れたっす。付き合って欲しいっす!」
火野が頭を下げる。
「ごめんなさい」
由美は即答し、頭を下げた。
元気があって、ちゃんとすれば顔も悪くないが、何も趣味が合いそうにない。服を見ても美的感覚が著しく異なることが分かる。由美は告白してきたこの男に、まったく興味が持てなかった。
火野は頭を抱えて、その場でしゃがみ込む。
「即答かよっ。今年に入って3人連続アウト……俺のどこがダメなんだ……」
ブツブツ呟いている。由美は律儀にもその独り言に答えて上げた。
「わたくしの個人的な感想ですけど、服やメイクを最初から見直した方がよろしいかと思いますわ。初対面の、それも告白しようとする相手に、そのようなバランスの悪い格好というのはどうかと思いますの」
もちろん、今の火野の服装が、彼が一番キマッていると思っているなんて考えもしない。
「それに人前で告白する勇気は素晴らしいと思いますが、された側にしてみれば、かなり恥ずかしい事ですわ。もっと相手の方の気持ちを考えて、デリカシーのある行動を取られた方がよろしいのではないでしょうか」
由美は諭すようにいう。
「あと、あなたはわたくしの事を知っていらっしゃるかもしれませんが、わたくしはあなたの事を何も知りません。いきなり付き合って下さいというのは引いてしまいますわ。まずはお友達で提案された方がよいかと思いますの」
火野が急に顔を上げる。
「じゃあ、お友達から……」
「ごめんなさい。わたくしはあなたにまったく興味が持てませんの」
再び即答。更に由美は無意識にとどめを刺す。
「でもあなたのような方が好みとおっしゃる女性も中にはいらっしゃると思いますので、お気を落とさずに頑張ってくださいね」
由美はもう一度ぺこりと頭を下げて去って行った。
学校の校門前、多くの生徒達が下校する中の出来事だ。火野の耳に、クスクスと通り過ぎる生徒の笑い声が入る。
「……あのクソアマ、ブチ殺す……」
プライドを傷付けられた火野啓介は静かに闘志を燃やした。
そして後日、この男は自分の闘志だけに留まらず、鳳凰院高校の部室棟にまで火をつけてしまった。
その日、赤城貴司はいつも通り空手部で遊んでいた。
黄学人にヘッドロックをする。きつくは締めていないので痛くはないはずだが、しっかり押さえているので、そう簡単には外れない。黄は赤城の腕の中でバタバタ暴れる。
コウガクト、中国人と日本人のハーフだ。身長は152cmとかなり小柄なせいで高校2年生にはほとんど見られない。部活の時以外はメガネをかけている。体格と雰囲気のせいか、オモチャのようだ。
中学3年の時に苛められていた黄を助けてやってから、強くなりたいという理由で赤城に無理矢理弟子入りしてきた。普段は大人しくあまり自分を出さないが、こう見えても一度決めると何がなんでも実行するタイプで赤城の一番の親友だ。
去年は違ったが、2年生で運良く同じクラスになった。
「なぁ、なんか燃えてねぇ?」
黄にヘッドロックをしたまま赤城がいう。バタバタ暴れていた黄の動きが止まった。
「……確かに、焦げ臭い、ですね」
気のせいではない。何処かで何かが燃えている。
「……外?」
黄が呟く。
「行ってみようぜ」
赤城は黄を解放し、部室を飛び出す。
「待ってくださいよ」
黄もその後を追った。
部室棟の壁が派手に燃えていた。なんだか油臭い。
黄が消防と警察に連絡をしている間に赤城は生徒達を集めてきた。
「濡れタオルとバケツリレー……」
黄の言葉を聞き、赤城は周りに向かって叫ぶ。
「タオルを持っている奴は濡らして火を消せ。手が空く奴はバケツリレーするぞ」
赤城の声を聞いて各自わらわらと行動する。皆、冷静にテキパキ動いてくれていた。
「僕らは学校の他の皆に知らせましょう」
「ああ、手分けするか」
黄と赤城は一旦別れることにした。
「火事だ! 手の空いている人は部室棟に来てくれ!」
赤城はあちこち叫びながら走った。何人かは赤城の声を聞いて、駆けつけてくる。皆、軽く状況を話すと、すぐに部室棟へ向かってくれた。
そうして走り回っている時、一人だけ怪しげな行動を取る男がいた。他校の制服で髪を金髪に染めている。
その男は物陰に隠れるように部室棟の方を見ていた。ここからは結構離れていて煙くらいしか見えないはずだ。
もっとよく見たいのか、男は頭を低くしたり、背伸びをしたりと、いろいろ動いているが、部室棟に近づこうとはしなかった。
「おい」
赤城が声をかけると一度赤城の方を見て、校門の方へ駆け出す。逃げる前に舌打ちしたように感じた。
あからさまに怪しい。
「待て!」
赤城はその後を追った。
前方にひょっこり黄が現れた。偶然だろうが、いいところに来てくれた。
「黄! そいつを捕まえろ!」
赤城の叫び声に反応し、黄がこちらを向いた。赤城が追いかけるその男は真っ直ぐ黄の方に向かっている。
男は懐から光る物を取り出した。ナイフだ。小柄でひ弱そうな黄を脅して突破するつもりだろう。もっとも退かなければ、本気で斬りつける勢いだ。
突然の出来事に黄は驚いて、一歩後ろに下がる。いや、正確には驚いたから下がったのではない。それが戦闘準備だったことが直後に分かった。
「どけ! 殺すぞ!」
男がナイフを持った手を振り上げる。黄は何も言わず、後ろに下げた足をブンと振る。すると足の先が男に向かって飛び出した。靴だ。
飛び出した靴が、相手の顔面を捉える。そして靴が視界を防いでから剥がれ落ちるまでの間に黄が一気に間合いをつめ、無防備になっている相手の股間を全力で蹴り上げた。
「ちくしょう、覚えてやがれ」
赤城は火野啓介が悪態をつきながら、警察に連れていかれるのを見送った。
一般の高校生が放火魔を捕まえたら表彰物だが、赤城の場合それはない。なぜなら彼は警視庁副総監の息子だからだ。警察の身内には表彰されない決まりがある。
別に赤城自身は表彰なんてものには興味がない。
ただ黄も関係者扱いされて表彰されないのが、ちょっぴり残念だ。
というようなことを彼に言ったら笑われた。
「表彰なんて言われたら、そんな面倒なこととか言うくせに。赤城君が認めてくれるだけで十分ですよ」
確かに表彰なんて面倒だ。黄だけが表彰でも授賞式に立ち会ったりと面倒くさい行事があるに違いない。赤城も笑い声を上げた。
もちろん、この時黒木忍が出動しようとしていたことは誰も知らなかった。