2nd stage
あの火事から2週間。私はまたおじいちゃんの研究所に来ていた。前回から改良を加えたらしい。
「本当にもう直ったの?」
あの着にくい服を簡単に着替えるのも難しいだろうし、おじいちゃんのデザインセンスもあやしい。
「うむ、順番に説明するぞ。まずは『マスクをすると息が苦しい』じゃ」
そう言って図面を見せると説明を始める。この説明が長いのもおじいちゃんの欠点だ。
「要するに小さな呼吸穴が空いているから大丈夫ってことね』
風邪のマスクみたいなものになったようだ。
「うむ、次に『ダサい。ボディライン見え過ぎ』じゃが、これは似たようなものが多いから後で説明するぞ」
おじいちゃんが次の課題『現在のパワー設定が使用者に分からない。パワーコントロールが難しい』の説明にはいる。
やっぱりダサいままかも……
そう思いつつも黙って説明を受けた。
どうやらパワーコントロールがヘルメットにつながり、ゴーグル部分の内側に現在の値が表示されるようだ。
「続いて緊急のとき着替えに時間がかかる件じゃが、5秒とかからずに着替えられるようになった」
「えっ、5秒? 普通の服を着るだけでももっとかかるよ」
私は驚きの声を上げる。
「うむ。最初の1秒で準備をし、次の2秒で着ているものを全て剥ぎ取る。1秒でスーツを着込み、残り1秒でプロテクターを付ける」
おじいちゃんは自信満々に胸を張る。そしてゴツいベルトとスマートフォンを取り出した。
「これじゃ。このベルトにスーツとプロテクターが入っている。ベルトを装着し携帯でこのアプリで操作を行なうと、突風が着ているものを全て剥ぎ取り、そのあとベルトからスーツ、プロテクターと順番に飛び出し装着される」
おじいちゃんが説明する。
スーツが肌に張り付く特性を利用しているそうだ。マネキン実験ではビジネスマンのスーツを着込んだ状態から、3.7秒ほどで着替えることも出来たらしい。余裕をもって5秒で調整したとのことだ。
一度全裸にはなるのは避けられないようだ。どこかのヒーローみたいに隠れて使う必要がある。
しかし、よくベルトサイズに収められたものだ。
「5秒なんて、もう着替えっていうより変身ね」
おじいちゃんは私のつぶやきは無視して説明を続ける。
「欠点は、スーツを脱いでもう一度元通りベルトに収める機能はないことかのう。そのうち作りたいところじゃが」
一回使ったら、戻るのは大変だしもう一度使うのは面倒ということか。まあ緊急事態がそう何度も起こることもないだろう。
「最後にデザインじゃが、ベルトサイズに無理矢理押し込めるためにパーツを最小限にする必要があった」
おじいちゃんがいう。やっぱりデザインは期待出来ない。
「だからプロテクターはヘルメット、拳、肘、膝、靴に絞り、スーツの上にもう一枚伸縮能力の高い生地を重ねる事にした」
前よりも胸の部分のプロテクターがない。前より酷い可能性もある。
「その条件で、デザイナーを雇いお前の希望を伝えた上でデザインしてもらった自信作じゃ」
デザイナー? 自信作? これはちょっと期待出来るかもしれない。
いや、実際にこの目で見るまでまだ分からない。
「見せて」
私がお願いするとおじいちゃんはベルトとスマートフォンを差し出した。
「この中に入っておる。さっき言ったとおり、一度出すとしまうのが大変じゃからな。見たければ使って見るが良い」
これをテストするために研究所に呼んだくせに、使わせるのは特別のようにいう。バイト代を誤魔化すつもりか。
「バイト代はちゃんと貰うからね」
私は釘を刺す。
おじいちゃんは支払いを渋るというより、お金を用意するのを面倒くさがるタイプだ。なのでこっちがちゃんとしないと本当にバイト代がすっぽかされる。
私はベルトとスマートフォンを受け取って奥へ行った。
スマートフォンは特別な物ではない。これはおじいちゃんのものだが、私も持っている機種だ。ベルトとはBluetoothとかいう通信方法で繋がるらしい。
アプリさえ入れれば私の携帯でも問題なく使えるはずだ。
とりあえず教えてもらったアプリを起動する。いろいろな設定表示が出てくる。それぞれの処理の時間設定や出力設定などらしい。これらをいじる必要はない。
私は服を脱いで下着姿になる。おじいちゃんの話では服も脱げるようだが、まだマネキン実験しかしていないし、なんとなく服を着たままというのは怖い。
シャツは着ているので初回の実験データとしても問題はないだろう。
ベルトをしっかりと付けて、アプリの実行ボタンを押した。ベルトの信号受信ランプが点灯するのを確認し、両手を広げて大の字になった。
マネキン実験ではこの格好が一番うまく行ったらしく、全ての数値がそれで設定してあるらしい。
一瞬間があって。
人間でも吹き飛んでしまいそうな凄まじい突風が巻き起こる。ベルトを中心に風が起こっているので私が飛ばされる事はないが、シャツがこれでもかというくらいにめくれ上がった。さらに風は強くなって目を開けていられなくなった。
轟音で耳も聞こえない。肌の感覚もあまりよく分からないが、服は脱げた気がする。
そう思った瞬間、風がやむ。
いや、まだ結構強い風が吹いていたが、突風というほどではない。
目を開けると、その風に巻かれて黒い生地が宙を舞っていた。そしてそれはすぐに私の肌につるが巻き付くかのように張り付いて行く。
遅れて今度は所々に白が混じったものと、プロテクターらしきパーツが一旦宙に浮いた後、磁石に吸い寄せられる様に私の身体に張り付いた。事前に受けた説明だと、最初に張り付いたスーツと引き合うように作ってあるらしいが、こんなにうまくいくと思っていなかった。
どうせ後でヘルメットをかぶり直したりと微調整が必要と思っていたのだが、まったく直す必要などなかった。
デザインはどうだろうか。鏡が近くにないので全体的なところは分からないが、普通のレオタードくらいか。普通のレオタードも着た事は無いし、ちょっぴり恥ずかしいが、これなら許容範囲だ。
あと大きかったベルトはバックル以外はちょっと細めのサイズになっていた。バックル部分は制御装置があるせいか、少し大きめのだったが、これくらいの大きさなら目立たない。
服はベルトの中に収納していたというよりも、ベルトに巻き付けるようにしてあったのだろう。
後は全体的なデザインだ。研究所に全身を写せる鏡があったはず。
おじいちゃんのところに戻ろう。そう思ったとき、そこらに散乱している布切れに気が付いた。
一瞬なにかと思ったが、すぐにその正体に気付く。先ほどまで私が着ていた下着だ。
「ああ、ボロボロ……」
ビリビリに破れており、既に服と呼べる状態ではない。
おじいちゃんのことだ。着替えが出来れば後の服のことなんて、考えることもしなかったのだろう。
被害が下着だけで済んで良かったと思おう。
私はため息をつくとヘルメットからはみ出ている僅かに紫がかった髪を触りながらおじいちゃんのところへ向かった。髪を縛っていた紐も無くなっていて、ちょっと変な感じがした。
おじいちゃんが頼んだデザイナーはセンスが良かった。黒を基調に所々シャープな模様が入っており、なかなか格好いい。ヘルメットやプロテクターも似合っている。おじいちゃんに聞いたところ、どうやらそのデザイナーは海外のオタクらしい。なんだか納得出来る。
ゴーグルは内側から見ると気づかなかったが、マジックミラーになっていて外からは顔が見えない。
「もう少しで髪の色を変える薬が完成するじゃろう。それがないと髪の毛だけでお前と分かってしまうからのう」
確かに紫の髪なんて他には居ないだろう。顔を隠しても背格好と髪だけで私と特定出来る。
しかしおじいちゃんのいう薬に引っかかるものがあった。
「ちょっと待って。その薬って」
「うむ。お前の髪を紫にした薬の改良版じゃ」
言い終わる前におじいちゃんが答える。
本来は私も普通の黒髪だった。小学生のころ、その薬の実験をして、それから髪の色が変わってしまったのだ。
実際には黒髪を紫色の薄い幕が覆っているらしい。髪の毛が伸びるごとにその幕も広がって、年々目立たなくはなっているが、未だに紫色が残っている。
最初の頃は遠目にも紫色と分かったし、一ヶ月くらいは静電気の溜まり方も尋常じゃなく、いつも髪形が乱れてかなり苦労した。
髪を縛るようになったのも、無意識に触る様になったのも、その頃からだ。おじいちゃんは無意識に静電気を取るようになったのだろうとか、呑気な予想をしていた。
「使っても大丈夫なの?」
私は顔をしかめる。
「うむ、大丈夫ではないから、まだ使っていないのじゃ」
平然と答えられた。
まだ出来ていないものをこれ以上話していても意味がない。私はため息の後、もう一度鏡の前でくるりと回った。
「確かにデザインはバッチリね。動きやすいし。着替えも簡単だったし。でも服が破れちゃうのはなんとかして」
「服なんぞまた買えばいいじゃろう」
おじいちゃんはどうでも良さそうにいう。
「いやよ。お気に入りの服が破れたら嫌だし。それにこの格好のまま家まで帰らなきゃならなくなるじゃない」
わがままにおじいちゃんは腕組みをする。
「腕を横に広げるんじゃなくて、下にしていたらスルッて脱げたりしない?」
私は実際にポーズを取りながら意見をいう。
「いや、風はベルトから来るからの。それでは脱げんじゃろう」
「じゃあ、上?」
おじいちゃんの反論に私はバンザイしてみせる。
「マネキン実験してみよう」
その日はそのまま着替えのポーズを研究した。破れにくいポーズは大体分かったが、服も破れやすいのと破れにくいものがある。今度の土曜日にでもいろいろ買って試すことにした。
それと、この着替えのことをこれからは変身と呼ぶことを決めた。
それから私はベルトを持って学校に行くようになった。当然、自分の携帯に変身アプリはインストール済みだ。特に目的があるわけではないが、折角あるのだから持ち歩くことにしている。といっても普段付けているわけではなくカバンに入れている。制服姿にゴツいベルトなんて、格好悪い。
使う機会なんてまず無いだろう。そう思っていたのだが。
ベルトを持つようになってから数日後にその日が来た。
いつものように学校へ向かう電車に乗って、ボーッと窓の外を見ていると。
黒服の男が二人、なにかもみ合っている。よく見ると、小学生くらいの男の子を二人掛かりで押さえつけ、引きずって行こうとしていた。男の子は必死に抵抗しているが、当然かなうはずも無い
まさか誘拐?
電車はあっという間に通り過ぎ、駅へと入って行った。学校まではまだ二駅あるが、私は電車を飛び出し、改札へ急いだ。
改札を出て、着替える場所を探す。女子トイレが良さそうだ。この時間なら空いているだろう。
カバンを開け、ベルトを引っ張り出しながらトイレに向かう。
トイレには幸い誰もいなかった。しかし念のため個室にはいる。ベルトを巻き、ブレザーのボタンを外した。今のボタンだと変身の際、千切れて飛んで行ってしまう。
スマートフォンを取り出し、変身アプリを起動、腕を斜めに上げ、足は少しだけ開いてかかとを上げる。このポーズが一番被害が少ないのを実験済みだ。
突風が巻き起こり、衣服が舞い上がる。そして後から出て来た黒い布が私を包み込む。
数秒後にはプロテクターも付いて変身は完了した。実験のときと同じでパンツは破れてしまったが、他の服は無事だ。
散らばる服をデタラメにカバンに押し込むと、カバンを掃除用具入れに放り込み、トイレを飛び出した。
どうか取りに戻るまで掃除のおばちゃんが来ませんように。
結構時間がかかってしまったが、男の子を見つけることが出来た。二人組の男が黒い大きな車に無理矢理男の子を乗せたところだった。
すぐに車が発車する。運転手にもう一人いるようだ。
いくらこのスーツでも車に追いつけるだろうか。スーツのスペック的には問題ないだろうが、そんな速度で走ったら転んでしまいそうだ。
しかし追いつけるとしたら、今しかない。今はまだ街中で、相手はさほどスピードを出せていないが、大通りに出られたらそうはいかないし、こちらはあっという間に疲労が溜る。
パワーコントロールをひねり、設定を約10倍にする。初めて経験するパワーだ。
走るというよりジャンプしながら車との距離を詰め、私は一気に駆け寄って車に向かってダイブした。
どんっと車の屋根に乗る。かなり激しくエネルギーを消費して、息が上がって来た。しかしここで気を抜いたら振り落とされてしまう。
私は気合を込めて後部座席の屋根に正拳突きを入れた。屋根がプラスチックかのように震え、穴が空いた。下から男の気違い染みた意味不明の叫び声が聞こえる。
私は出来た穴に両手を差し込み、力を込めると大きく広げた。後部座席には男が一人とあの男の子が座って目を丸くしていた。男の子の手を見るとハンカチのようなもで縛られている。やっぱり誘拐に違いない。
私は男の子を抱き上げ、屋根の上に引っ張り出した。
「もう大丈夫よ」
私はそういうと男の子をしっかりと抱いたまま、車の上から飛び降りた。
追ってくる様子はなかった。車の入れない袋小路に入ったから追ってこれる訳がない。
安全と判断すると男の子を下ろした。
「もう大丈夫よ」
もう一度そういうと手を縛っているハンカチをほどく。結構簡単にほどけた。
「あ、ありがとう」
男の子はまだ夢を見ているような顔をしながら、頭を下げた。
「危なかったわね。気をつけるのよ」
私はそういうとその場を立ち去ろうとした。かなり疲れたし、早く着替えて学校に行かないと。
「あの!」
男の子の大きな声に私は振り返る。
「あなたは、誰ですか?」
しまった。名前、考えておけばよかった。
ええっと、プラスチックメタルだから……
「プラメタレ……ンジャーよ」
レディと言いかけて急に恥ずかしくなって言い換えた。
「え? プラネットレンジャー?」
息が上がっていたし、マスクもあったから聞き間違えたのだろう。しかし訂正するほどのことでもない。
私はコクリと頷いた。
「じゃあね」
男の子に手を振ると、その場を立ち去った。
その日は予想通り疲れきってボロボロだった。止むを得ず、学校は早退した。
家に帰ってゆっくりしているとおじいちゃんが様子を見にきた。
「スーツを使ったんじゃろう」
心配して来たのではない。データ収集に来ただけだ。
「あのスーツ、凄いわ。変身がちょっと大変だけどかなり使えるかも」
おじいちゃんに起こったことを簡単に話す。
いちいち頷きながらスーツのパワーに満足そうにニヤつく。
「あ、そうそう。名前、プラネットレンジャーに決まったから」
しかし私の最後の言葉にはさすがのおじいちゃんもキョトンとした。
「なんじゃ? プラネット? 惑星がどう関係が……」
ブツブツ呟きながら考えていたが、ほおっておくことにした。