#6
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あの日……首都圏郊外の山中で行われた訓練は、本来は通常の模擬弾使用であるはずだった。
そもそも他の方面隊が実弾を使う場合は実施前の手続きが煩瑣で大変だということくらい、下っ端の大輔たちにも重々わかっていた。
事前準備に実弾、薬莢の数の確認の徹底。一つでも欠片が見つからなければ夜通し捜させられる。これは別に大げさでも何でもない。
市民の安全を守る為に公的機関に属する現場の人間が職務で銃を使用してでさえも、殺人罪で起訴されうる国…実弾へのアレルギー反応は思いのほか大きい。
が、現実には空挺四班では頻繁に実施される訓練ではあった。当然すべては内々で行われている。実弾と空砲では、撃ったときの反動も違えば手応えも違う。だいたいいざという緊急の有事の際に、誰が薬莢の数を気にしていられるだろうか。
だからこそ、突然に訓練の変更を告げられたときにも、そう違和感を覚えなかったことは確かだった。
山中に散った各々がエアガンを手に配置についた頃、上官がそっと大輔の肩を叩いた。
「久住、今から実弾装備に切り替える」
声が心なしか緊迫感を伝えているような気がした。ただの訓練内容変更ではないのではないか。大輔にも不安感は伝わるが、実働部隊は命令を聞くだけの存在でしかない。
「はい」
短く返答し、重みのある銃を受け取る。
「もう一つ、新たにディレクティブが出された。口外は無しだ」
作戦自体が変更されたのか。指令とは何か。上官の表情がやや曇って見えたのは気のせいか。大輔は身を引き締めた。
「山中に某国の工作員が潜んでいるという情報を入手。十人程度規模のパーティを組み、迷彩の戦闘服を着用しているとのこと。見つけ次第直ちに」
そこで上官は不自然に言葉を切る。とっさに思わず大輔は「捕捉ですか」と問い返した。
が、返ってきた答えは最も厳しい言葉だった。
「いや、相手の身元確認も攻撃を待つことも要らない。発見次第、射殺せよ」
大輔の目が見開かれる。どういうことだ。相手の確認もしないうちに撃ち殺せと言うのか。
「あくまでもこのオペレーションは極秘裏に処理される。証拠を残すな。それが最終目的だ」
「…某国の工作員であるとの確証は?」
震える声で問い質す大輔に、上官は無言で睨み返した。実働部隊クラスの防衛官ごときが判断することではないとでも言いたげに。代わりに彼はこう告げる。
「…久住、防衛隊の存在意義は何だ」
国民の安全を守るべく有事に備え訓練を怠らないこと…大輔の頭に浮かんだ言葉はしかし、口から発せられることはなかった。上官が黙って頷き「その時期が来たと覚悟しろ」と言い添えたからだ。
この指令が大輔一人に出されたものか班全体の共通理解のものかさえ確かめる術もなく、彼は銃を握りしめた。
基本、空挺四班は単独行動を取る。チームを組むのは他の班に任せ、彼らは一人ひとりがスペシャリストとして動けるように訓練されている。
大輔の周りに、今は誰もいない。上官は既に去った。彼はただ一人、全身で敵の存在を感じ取ろうとしていた。
迷彩服の男女十人ほど。与えられた情報はそれだけだ。味方を撃つことのないよう、気を張り詰めた。
仲間はそれぞれ、広い演習場に散らばっている。四班がこの山中を演習場として使っていることを知るのは、防衛隊関係以外では自治体の上層部と友好国の軍部だけだ。某国はその情報を手にしていなかったのか。何もわざわざ演習当日に、ここに入り込まなくてもいいだろうに。
…逆、か…
或いはもしかして、防衛隊では某国工作員の動きを事前に察ししていた可能性すらある。空挺四班隊員には告げず、訓練と称して実戦を行わせる…か。何か事が発覚しても、それであればいくらでも逃げ道はある。
しかし本来、考えるのは自分の役目ではない。大輔は身を伏せ、工作員らの気配を探る。迷彩を来ているのなら武器携帯の確率が高い。敵に撃たせてはならない。その前に仕留める。
支給された折曲銃床式の89式5.56mm小銃を構え、照準器から辺りをうかがう。
かさり。
不用意に踏まれた枯れ草の音。相手としては、一個小隊が潜んでいることを全く疑ってはいないのか。
反射的に大輔は身体を少しばかり起こし、音の鳴った方向へと銃口を向ける。
…小柄な女。
女性兵士など世界ではありふれているし、防衛隊にも女子隊員は多い。が、相手のあまりの無防備さに一瞬こちらが怯む。
これが工作員だというのか。仲間ではない。確かに迷彩服を着ている。だが、隙だらけで何も警戒などしていない。油断させる為の手口か。
大輔が考えられたのもそこまでだった。若い彼女は口元をほころばせるような表情を浮かべたかと思うと、おもむろに手にしていた銃を彼に向けたからだ。
反射的に安全装置を外し、連射・三発制限点射・単射の順に切換レバーを素早く操作する。頭の中は何一つ感情すら湧かない。身に染みてしまっている動作を行ったに過ぎない。身元の確認が楽でさらに確実に仕留める為、体躯の中心部を狙う。
相手がレバーに指をかけようとしたその瞬間、大輔の撃った銃弾が彼女の心臓付近を撃ち抜いた。
…な…ん…で…?…
そう、彼女の唇が動いたような気がした。大きな瞳はさらに開かれ、不思議でならないといった表情で大輔を見据えた。
本当に、工作員なのか。我に返った彼は、ライフルをだらりと下げ、思わず息を飲んだ。
どさりと音を立て、彼女の身体が崩れ落ちてゆくのを…大輔は呆然と見つめるばかりだった。
「一番先に、のこちゃんへ駆け寄ったのは自分です。信じられなかった。ふざけて血糊でも用意して倒れたフリをしたんだとばっかり思った。でも、目を開けたままののこちゃんは、もう息をしていなかった。自分たちはサバイバルゲームのオフ会をしていただけなのに」
そう…。大輔が手に掛けた彼女は初めてサバイバルゲーム、いわゆるサバゲーのオフ会に参加したただの女子大生だった。着慣れぬ迷彩服に買ったばかりのエアガン。撃ち方もろくに知らないまま、それらは自身の血にまみれた。
「そのあと、ずっと防衛隊に取り調べと称して拘束され、意味もなくスパイの疑いを掛けられ、誰に何を訴えても取り合ってもらえなかった。家族もみんな脅されて。自分たちは『のこちゃん』の存在すらも忘れろと強要されたんです」
宅配トラックは路肩に停めてある。とても走らせるだけの気力がさすがの大輔にもなかった。大きなハンドルの上で手を組み、顔を伏せる。もうその話は頼むから…やめてくれ。それさえも言えぬまま。
押し込めろ、閉じこめろ。危険な記憶はなかったことにしろ。おれはもう、空挺四班とは何の関わりもない。いくら引き留められようが呼び戻そうと声を掛けられようが、頑なに拒んできた。
おれはもう、ただのバイトでいい。弱みを握られて警視庁の片棒を担がされているのは単なる不運だ。
すうと呼吸を整えると、大輔はその姿勢のままで問うた。
「設定が甘いねえ、朝田さん。何班所属だろうが空挺方面に入るには徹底的な身辺調査と思想チェックが入る。関係者だと言い張るあんたが、そもそも防衛隊員になれる訳がねえ。お涙頂戴話をでっち上げて、どうするつもりだったんですか?えっ?自称・従妹さんよ」
まるで自分に言い聞かせるように。あのことはなかったのだと自分で信じたいが為に。罪悪感からこんな危険な二重生活を送っているつもりなんぞ、おれにはこれっぽっちもないのだから。
美羽子は大輔の方を向く気配も見せず、きっぱりと言い切った。
「全部言いました、正直に。自分は従姉を死に追いやったのが某国であると思っていると。なら、せめて自分自身に力をつけて国を守る為に働きたいと。防衛隊ではその思いを受け入れてくれました。もっとも、放っておくよりは手元に置いた方が安心というほうが本心かも知れませんが」
「…そこまでして入った空挺、何で辞めたの?」
大輔の中で、記憶を押し込める作業は続けられていた。出てくんな。あの驚愕の表情も大きな瞳も。ふざけて遊んでと言われれば納得できるような、隙だらけの銃の構え方も。誰からも責められなかったその後のことも。
すべて、すべて脳の記憶領域から消え失せてしまえ!!
頭の数%で、配達のことを気にしている。時間が迫っていることもノルマがこなせるかどうかということも。
これだけのダメージを受けながらも、日常は否応なしに押し寄せてくるんだ。頼むからおれに普段通りの生活をさせてくれ!
「辞めた理由は一つです。空挺方面に配属されても、久住先輩はもういないということがわかったから」
…従姉を殺したおれが憎いのか、そんなにも…
淡々とした美羽子の物言いに、大輔は何も言い返すことができなかった。
(つづく)
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