#5
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雑居ビルの建ち並ぶ一画を器用にすり抜けて、大輔は商用車を動かす。ちょっとデカ目のトラックくらい手慣れている。運転免許という免許は全て全部取らされたからだ…防衛隊にいた頃に。
別に輸送科所属というわけでもない。空挺四班は独自の動きをすることがあるからと、手当たり次第にさまざまな資格と技術を身に付けさせられた。苦に感じるような大輔ではなかったが。
細い路地には派手な看板が目につくようになってきた。派手というより、どぎついという言葉の方がしっくりと来るか。
一軒の店を確認すると、その看板の目立つ表ではなく裏口へと宅配トラックを滑り込ませた。
「ここで、何をする気ですか?」
こわばったままの声で美羽子が詰問する。別にあんたを売り飛ばそうなんざ考えてねえから、と軽口で返す。
「もうこれは宅配屋のお仕事が始まってるんだからな。うすらボケてんじゃねえぞ」
低く彼女に釘を刺しておいてから、大輔は「おはよーございまーす!」と声を張り上げた。
「なあんだ、大ちゃんじゃない。今朝もまた本舗さんトラブったのぉ?」
疲れの残る顔で店のママが腕を組む。そうなんすよ、ったくあの担当どうにかした方がいいっすよ、あくまでも明るく大輔が応える。
「新しいバイトぉ?ずいぶんまあ、若い女の子だけど。今日の分、けっこう荷物重いわよぅ。大丈夫なのぉ?」
「自分は体力には自信があります!」
きっぱりと言い切る美羽子に、はん、無駄に元気がいいこと、とママはタバコの煙を吹きかけた。
「っつうらしいっすから、おれ楽でいいわあ」
先ほどまでの怖い表情をおくびにも出さず、大輔は呑気に首を回す。ママは彼の肩に手を掛けると顔を近寄せた。
「ねえ、一回でいいから客で来ない?みんな期待してるんだけど」
「いやあ、千早姉さんのとこさマニアックすぎて。おれの勉強不足っす!」
やだぁ、露骨に拒否られちゃったあ。千早と呼ばれたママはころころ笑う。
「これで…全部ですか?」
体力には自信があると言ってしまった手前、大輔に持ってくれとは意地でも頼めないのだろう。何箱もある使用済みのタオルを持ち上げ、美羽子はその重さに歯を食いしばっている。
…あーあ、頑固で強情だなあ、この女…
それでも「持ってやろうか」とも言わずに、ゆっくりと伝票に必要事項を書き込んでいくのは大輔。いい性格をしているとはよく言われること。
「では、と。『きのうのニョー』様のお荷物、確かに承りました。納品は本舗からになりますので」
はいはいはい。わかりきったことはいいからと手を振るママに頭を下げて、大輔は軽いカバン一つをぶら下げて口笛を吹きつつ歩く。横でよたつく美羽子に薄笑いの視線を向けて。
「ずい…ぶん、重いものですね。おしぼり程度の大きさのタオルなんですよね」
「ああ、それ?使う前はまだそう重みもないけど、水分含んじゃうとねえ」
『きのうのニョー』って、変わった店名ですね。重さから気を逸らせたいのか、美羽子の口数が増える。
「最近流行の実写版アニメ映画みたい。キャバクラですか?」
「キャバクラって…似合わねー、あんたの口からそんな単語。あの店さ、おれも客で行くには敷居が高くってさ」
そんなに高級なんですか、声がうわずる。
「いや、店の名の通り…中級マニア向けっつうかなんつうか。同好の士じゃなきゃムリじゃね?」
「マニアって?」
本気できょとんとする美羽子に、意地悪げな含み笑いを向けて大輔はひょうひょうと言葉をつなげた。
「そのまま漢字変換してみ?まあその女王様っつうのがいてな、朝っぱらから何だけど…そちら様の小の方を掛けていただくというプレイが中心の…」
いくら何でも意味がわかったのだろう、美羽子の動きが完全に止まる。じゃあ、このタオル…呟くあとが続かない。
「お客様からお預かりした大切な商品だ。落としたら信用問題に関わるからな。し・っ・か・り・持てよ!?」
こんなときばかりドスを利かせてみせる大輔に、美羽子は一瞬だけ恨めしげな視線を向けた。
荷台の手前にきちんと並べてしまうと、美羽子は息を大きく吐き出した。
「本当にこれ、通常業務なんですか?」
肩を上げ下げする彼女に、んな訳ねえだろ小遣い稼ぎだよ、と小バカにしたように声を投げつける。無言の非難の目に、何でうちの会社が弱小のくせにドライバー二人組にしてるのか知ってるか、と問い返す。
「えっ?」
「ふつーさ、宅配のドライバーって一人じゃん。でもうちらの営業所エリア考えてみ?」
少しばかり美羽子の瞳が空を向く。あっ、という声にならない声。
「おっかなくて若い姉ちゃんだけで行かせられっか?ごくごくありふれたマンションだと思って持って行ったら、中に半裸の美女が五人も六人も着替えてたりさ。いろんな事務所様だとクレームの付け方も年季が入ってやがるしさ」
大輔の薄笑いに苦さが加わる。ただの繁華街では済まない地域なのだ。バディ態勢を取る分、ひとりひとりの人件費は抑えつけられる。
「給料安くてやってられねえってね」
生き続けるにはお金がいる、だからどんな仕事も受けるんですか。美羽子の棘を大輔はさらりとかわした。
「今朝は別口のせいで忙しいんだよ。さっさと乗り込め!」
次の集荷先、店名だけでも教えてくださいと美羽子の固い声。怖じ気づいたんか?と嘲笑う。
「そんなことはありません!けれど、こちらにはこちらの心の準備というものも!!」
「あーわかったよ、メンドくせえ女。次は確かええーっと、ああ、あそこだ。『エロサイズのハラ』」
ごふっという耐えに耐えた音が、美羽子の口からこぼれる。客前で顔に出すなよ、あんただってプロなんだからな。たとえ今日が初日でもよ。唸るように言ったのは大輔の方だというのに、当の本人は「ありえねーよなー、このネーミング!」と大笑いしている。
「まあそこは一般的なキャバクラだから、安心しろや」
そこでも大輔一人は、アゲ嬢のクセが抜けきらない若い雇われママに腕を絡め取られる。荷物は美羽子に全てお任せだ。
「次は!?ていうか何軒回れば通常業務の方をやらせてもらえるんですか!?」
さすがの美羽子も、別の意味でキレ始めた。それはそうだろう。貸しタオルと言っても飲食店用と風俗店用では、一応きっちりと分けられている。両者とも使う量は半端じゃないが、搬入までは扱いを丁寧にしないとややこしいがどちらかは火を見るよりも明らか。
「次?まあ行けばわかるよ」
なぜか含み笑いの大輔に、美羽子は朝一番の重い怒りよりももっと単純なむかつきを見せ始める。
…恨みを持ちながら、人は二十四時間生きてられねえんだよな…
日常生活という罠。それは確実に大輔をもむしばんでゆく。その痛みを知っているからこその刹那的な生き方と、堅実な日々をきっちり送る。
それが彼の出した結論だった。何があっても生きなければならないのなら、な。
三軒目の看板前で美羽子は固まった。驚きよりも無表情と言うことは、少しは耐性ができたか。大輔は横を向いて笑いを必死にこらえる。
「『うちゅうへんたい…かまとと…』で、読みは合ってますよね」
声の抑揚までなくなっている。頼むから淡々と音読するのやめてくれ、腹筋が痙攣しそうだと腹を押さえる大輔に、彼女は唇を尖らせた。
「大ちゃんじゃーん!!ひさっしぶりねえ」
夜通しの仕事を終えてもハイテンションの、なじみのオーナーに迎えられる。
「あざーす!てか寺島さん、また店名変えたんすか?今度は何これ」
「『宇宙変態カマトト』いいでしょ!?もうね、自称バージンが集まる、集まる!!」
カマトトってそっちなんだ。ヘンなところで感心している大輔の背中越しに美羽子を認めたのだろう、オーナーが気さくに声を掛ける。
「へえ、大ちゃんにしたら良い子見つけてきてくれたじゃない?」
「ちょっとオーナー、世間ずれしてねえうちの新人バイト、スカウトしないでくださいっすよ」
苦笑いの大輔を無視するかのように、オーナーが美羽子へ「うち来ない?時給いいわよ~」と誘いを掛ける。
「まあ、自己申告で良いんだけど採用条件満たしてるかどうかよねえ。そこんとこどうなの?あんたって!?」
あまりのことに目を白黒させ、硬直しきっていた美羽子はもちろん黙ったまま。そこへ、まあ十中八九は経験無しと見たわねえ、とオーナーが豪快に笑う。
「免疫ないんだから、あんまり遊ばないでやってくださいよ」
これでも助け船のつもりなのだろう。大輔ののんびりした声。それよりも大きなオーナーの大声が響く。
「どっちなの!?接客業ならはっきり答えなさいよっ!?」
「どっちって、あの…」
さっきまでの勢いはどこへやら。すっかり怖じ気づいている美羽子に「バージンなの!?どうなの!?」とさらに追い打ちを掛ける。
思わず美羽子は「はいっ!!あ…いいえ」と直立不動の姿勢を取った。
ぐふっ。笑いをこらえようにもこらえられないのはもちろん…大輔。そちらをめいっぱい睨みつけてから美羽子はきっぱりと言い切った。
「いえ!自分は男性経験はあ、あります!」
げほっげほごほ。あまりの笑いにむせ込む大輔は靴先を踏まれて「いて!」と叫んだ。
「プロなら顔に出さないんでしょう!?」
完全に美羽子が怒っている。頬が赤い。その姿を見て、オーナーと大輔は耐えきれずに顔を見合わせて笑い転げた。
「これも職務なんですか!?」
「職務だっつったら、あんた何でもやるの?」
にやにや笑いが消えない運転席の大輔に、ふうと息を吐いた美羽子は最初の冷ややかさを取り戻した。
「自分はもちろんそうします。久住先輩と同じように。生きている人間に銃を向けることもためらわない」
一瞬で醒めた大輔は、面を引き締めた。ぶっそうだねえ、と口では言いつつも。
「威勢が良いねえ、自分女。前職は婦人警官か?それとも現役の、か。まあありそうな話だよな。ケイシさんってお知り合いがいるんならさ」
「自分は」
言葉を不意に切った彼女は、変わったばかりの信号で車が停止したのを確認してからこう付け加えた。
「防衛隊空挺方面特科第二班で通信を担当しておりました。残念ながら、希望する四班には入れなかったけれど」
大輔は無表情のままブレーキペダルに足を置いていた。事故を誘発する急ブレーキを避けさせたのか。小賢しい女。
「何も訊かないんですね」
「かんけーねえもん、おれ」
ぼそっと吐き捨てる。追いかけて来たってか。朝田苑子の従妹と名乗る女。空挺の別班に属し、今また堂本警視とつながりを持ち、チェリー運送でバディを組ませられ。これもみな警視庁組織犯罪対策室の上司の画策だとしたら、面白くねえ。
「次で最後ですね、孫請けの集荷作業も」
「ああ。『オ(-)ラの泉』って店。カッコの意味が今でもわかんねえんだけどさ」
さっき出た物騒な単語は、あっさりとスルーするに限る。大輔の不快感は高まるばかり。
「今までの店名に比べたら、大人しい気がします」
こちらも平然と言い返す美羽子。適応能力はあるということか。けれど、一緒に組む気にはなれない。こいつは危険だ、おれにとって。
「店の名前はふつーだけどさ、そこ、ソープだから。いきなり本番はきついだろうけど、あんたが入店勧められてもおれは止めねえよ?職業選択の自由ってもんがあるからねえ」
嫌がらせなのかと思っていました。減らず口の大輔の挑発にさえ反応を返さず、美羽子はフロントガラスをじっと睨みつける。
「でもこうして風俗店の裏側と接点を持つことで、久住先輩は情報を手に入れる。顔を売り、つながりを深める。外側だけを見ていてもわからない、意味のある行動。先輩は何の為にこの二重生活を続けているんですか」
あのさあ。ゆっくりと動き出したトラックは、今度はスムーズな発進で済んだ。感情を押し殺せ。言葉でいくら責め立てられようと痛くもかゆくもない。大輔の顔に浮かぶ、いつもの表情。
「あんたが今朝になってバイトで来るとも、バディ組まされるとも知らなかったの。わかる?勝手に何でも決めつけんなよ。本気でソープに売りつけてくんぞ!?」
パワハラ。セクハラ。モラハラ。ぶつぶつ口の中で美羽子が呟く。大輔の怒りは沸点に達する。
「てめえあのなあ!!こっちにだって選ぶ権利くらいあんだよ!!悪いが命張ってんだ!てめえみてえな私怨剥き出し女と、組めって言われても危なくてやってらんねえ!!こっちがお断りだよ!!」
「命を張っているんです…か。久住先輩は生き残りたいんですね。罪のない民間人を死に追いやっておいて」
次の信号を律儀に待ってから、大輔はきつく目をつむった。
(つづく)
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