#4
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「あざーす!」
営業所の朝は早い。特に数をこなすことで大手と張り合っているような、後発のチェリー運送などは。
大輔も七時には営業所へと向かい、大きく伸びをして首をぐるりと回した。
宅配業務以外の引っ越しなどは、料金表には載せぬオプション。大抵は訳あり物件なので、バイトの中でも手がけるメンバーは限られている。
それ以外は至って平穏無事な日々が続く…はずだった。
「大ちゃん、おい大ちゃん」
机の端で、法人営業担当の清水が囁き声で大輔を手招きする。辺りにちらっと視線を送ってから、わざと彼はのんびりと歩いていった。
「あざーす」
あくびまじりの挨拶には応えもせず、清水はいきなり手を合わせて拝む仕草をする。
「悪い、大ちゃん。急な仕事なんだけどさ」
「またっすか?清水さん。今朝はどこなんよ」
『オシボリ本舗』さんから泣きつかれちまってさ、清水の声はますます小さくなる。
「あそこの営業、たしか佐橋さんっしょ?ったくあの人って学習しないよね?何度もシフト組み間違えて、どうせ早番の回収が間に合わないとか何とかそんなの…」
そう、そうなのよ。清水はいくぶんホッとしたように表情を緩めた。
「本舗さんにはいろいろと、ね。ここで恩売っといても悪くない話じゃない?」
もう釣りが来るほど売ってますが。こちらはこちらでむっとした顔の大輔が、で今朝は何軒っすか?と訊き返す。それに指を四本ほど示すと、楽勝でしょ?大ちゃんなら、と清水が笑う。
「今日は誰と組むのよ」
「さあ、シフト表まだ見てねえし。まあそっちは何とかしますよ、おれの方で」
要するに営業所、もっと言えばチェリー運送の会社自体を通さない仕事を持ちかけられているのだ。倫理的にと言うより法的にどうかとも思うが、こちらはこちらでしがらみも義理もある。少なくとも大輔にとっては。
清水はそっと、本来ならオシボリ本舗という貸しタオル業者が回収すべき店のリストメモを、大輔の手に握らせた。まあ、四軒なら通常業務の前にさっさと回れるだろう。行き先がちょっと特別なので、清水だって大輔くらいにしか頼みはしない。
素知らぬふうで受け取ってから彼が今日分の通常ノルマを確認しようとすると、今度は営業所長に呼ばれた。
「おーい、大!!大ちゃん、ちょっとこっちこっち!」
いい男はモテるねえ、事務のおばちゃんの冷やかしに、三上さんがあと三十若かったときに言われたかったねえ、と軽口を叩く。
「よく言うよ、こんの尻が青いガキんちょがさ!」
内勤のベテランパートらは、配送担当とは年期が違う。若いうちにしか到底やり切れそうもない体力仕事のバイトたちを、伝票一つでばっさばっさとさばいていくのが彼女たちの腕の見せ所だからだ。
「えー?おれでもまだガキ扱いなわけ?」
けらけらと笑い声を上げるパートのおばちゃんに、あたしらの相手になるにはまだまだ修行が足んないねえ、とさらにからかわれる。
まいったねえ、と頭をかきながら所長のところへと駆け足で向かう。あざーすの挨拶を言うか言わないうちに、大輔の袖を所長はぐいとつかんだ。
「な、なんすか?おれまだ今日は何も悪いことしてねえし」
「だいぶ目はつぶってやってんだけどな。今日は別件だよ。新しいバイトが入るんだけどさ」
頼む、とこれもまた手を合わせて大輔を拝む。今日は厄日かよ…どうせろくでもない用事に決まってる。ため息混じりの彼に、初日付き合ってやってくれや、とさらりと所長が口にする。
「おれが新規バイトの面倒っすかあ!?」
「今日さ、シフト空いてんの大ちゃんくらいなんだよねえ」
ちょっと今日は取り込んでて…と言いかけた大輔に、所長は右の指で丸を作って左ポケット辺りへとそっとあててみせる。それから意味ありげに無器用なウィンクまで付け加えた。
…バッジ絡み、ってことか…
世の中にはいろんなバッジがあらあねえ。どっち方面か、所長も言いたかねえってことかよ。
大輔は、面倒くさそうに天を仰いだ。
「おはようございます!!サクランボマークのチェリー運送です!!ありがとうございました!!おはようございます!!…」
毎朝繰り広げられる大声運動に、かったるそうにそれでも一応は真面目に参加する。挨拶は接客業の基本、宅配ドライバーでもそれは同じ。
皆が集まった頃合いを見て、所長が一つ咳払いをした。
「えー、おはようございます。えー、今日もケガ無く事故無く元気よく!お客様へ真心をお届けしていきましょう!」
「はいっ!」
そこへ「へーい」という呑気な大輔の声が混じるのはご愛敬か。所長がやや呆れ顔でそちらを向く。
「えー、今日から新しくバイトに加わるアサダさんです!」
あさ…だ?大輔の感情が少しばかり揺れる。が、顔に出さないよう保とうと努力するポーカーフェイス。
所長に紹介されて全員の前に姿勢良く立ったのは、若い女性だった。
「アサダ美羽子です!よろしくお願いします!」
若い子は元気でいいねえ、パートのベテランたちはしっかりとした風の美羽子に好感を抱いたようだった。
髪を短くすき、染めているようには見えない清潔感あふれる様相と、きりっとした顔立ち。声の張りにも隙がない。今どきの、というよりはばりばりの体育会系か。背は低いが、その分、動きは敏捷そうだ。
「アサダって、浅い深いの浅田?浅田美代子みたいだねえ」
一人のおばちゃんの声に、歳がばれないように浅田真央ちゃんくらい言いなさいよと笑い声がかぶさる。
「いえ、自分は朝日の朝に田んぼの田です」
朝田…美羽子。大輔の瞳が知らずに細められる。
「えー、とりあえず今日は久住くんと組んでもらうから」
今度は所長ではなく、その場の全員からエー!という声が上がった。
「なんなんすか!?その反応は。傷つくなあ、後輩指導には定評のある久住様をつかまえて!」
調子に乗ってぶんむくれてみせた大輔に、朝からヘンなとこに引っ張り込むんじゃないよー!と余計に騒ぎが広がる。
「じゃ、ま、仕事終わったら二人で直帰ということで」
朝田さん、こちらへどうぞ~と手を取ってトラックへと案内する大輔に、他の連中は口々に冷やかしの言葉を浴びせた。
「同じバイトの久住っす。今日は一緒についてきてもらって、端末の使い方と伝票処理の仕方と…ええと、朝田さんって今まで宅配やったことあるんすか?」
にこやかに美羽子へと問いかけた大輔は、彼女の冷ややかな視線に言葉を切った。
「久住さんって笑うんですね。…というか、もう笑えるんですね」
「はあっ?何言ってんのオタク」
トラックにはもう、今日配送予定の荷物が取り出し順に納められている。朝礼の前にささっと大輔が準備しておいたからだ。四軒の別口がある分、今日は手早く仕事を進めなければならない。
が、新しいバイトは若い女性。使えねえだろうから一人で頑張るかと覚悟を決めていた矢先のことだけに、この突き放した冷たさが珍しく大輔を動揺させた。
黙ってドアを開け、運転席へと座る。少々高めの助手席に、美羽子は苦もなくさっと滑り込んだ。
しばし無言。減らず口が信条の大輔にしたら珍しいことだ。いつもならたとえ初対面でも無遠慮に話しかけ、警戒心を解くくせに。バイトとは言え、宅配ドライバーの給料は歩合制の部分もあるから、いかに新規の客を取り込むかが勝負になる。
…カネの為にやってるんじゃねえけど、な…
仕事に熱中していれば、余計なことなど考えずに済む。今という時を消費することが大輔にとっては何よりも大事なこと。
しばらく同じように黙り込んでいた美羽子は、前を向いたまま感情を込めずに口を開いた。
「警視からの伝言です。今夜二十一時に集合とのことですので」
「ケイシ?そんな名字の知り合いはいねえんだけど」
朝の通勤ラッシュはとうに始まっている。その合間を縫うように大輔はトラックを巧みに操る。
バッジってのはそっちかよ。やってらんねえな。胸の中だけの繰り言。
「ご自分さえ平和に暮らせるのなら、全てはなかったこと。そうなんですね、久住さん」
「あのさあ、おれあんたと初対面だよね?何で朝っぱらから突っかかられて絡まれなきゃなんねえの?」
低く唸るように大輔が吐き捨てる。むかつく女。チーフの野郎、監視役でもつける気か。おれが暴れすぎだとぎゃあぎゃあ騒いでいたからな。ため息をつきかけた彼に、美羽子は追い打ちを掛けるような言葉を発した。
「初対面ではありません。久住さんとは一度、お逢いしたことがあります。どうせ…憶えてはらっしゃらないと思いますが」
「はあっ?」
おれに何を言いたいのだ、この女は。それでなくとも朝田の名が、おれを闇へと引きずり込もうとしているというのに。非常に強い精神力でそれを何とか抑え込んでいるのがわからないのか。
「自分は…朝田苑子の従妹です」
きっぱりと告げる美羽子の言葉に、大輔は思わず急ブレーキを踏んだ。そばを通るダンプから、ざけんなバカ野郎!!と怒鳴られ、無意識に片手を上げて頭を下げる。
顔色はおそらく青いどころか白くなっていただろう、大輔ほどの男が。
「久住さんにとっては『のこちゃん』は過去のことなんでしょう?だから笑える。仕事を続けられる。楽しそうに日々を送れる。のこちゃんはできなかったのに。自分たちから、のこちゃんを奪っておきながら」
不意に美羽子の声が途切れた。大輔がアクセルを踏み込んだからだ。渋滞の列に無理やりトラックの鼻先を突っ込ませると、何車線にもまたがってジグザグに道を進んでいく。
黄色から赤に変わろうとしている交差点に、加速しつつ右折をすると雑多な街道へと車を走らせた。
美羽子の表情が凍り付く。そこは二十四時間営業が当たり前のホテル街。
「最初の配達先とは住所が違います!自分をどうするつもりですか!?」
「うぬぼれんな、この自分女!どっかの体育会系実業団にでもいたってか?これも仕事だよ、所長にチクったらただじゃおかねえからな!」
美羽子が唇を噛みしめた。大輔は怖い顔をしたまま、宅配トラックを……歌舞伎町へと走らせていった。
(つづく)
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