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#3

くどいようですが、実在の団体組織とは一切関係ありません。

名称等は北川独自の創作によるものです。実際にはありませんってば。

…チキンなもので、念のため。

#3


空が白々と明け始める。

早くも始発電車が動き始めようとしているそのとき、サクランボマークをつけた宅配車はレインボーブリッジを抜けてさらに海側へと進路を取った。


モニカも既に声もなく、荷台室の壁にもたれたまま。暴れたせいで汗をかいたのか、とうの前に口に貼り付けられた伝票などはがれてしまったというのに。


見慣れたサイドミラーに、うっすらと照明の名残を見せる橋が映る。その上を走っているときには全体は見えないのにな…ほうっという青年の吐く息がわずかに辺りを曇らせる。


「…カワサキには、行かないネ」


タテイシさんが待つという川崎駅前。おそらくそこにはそいつだけではない輩どもが、モニカを待ち受けているだろう。彼女は手荒に扱われることもない代わりに、欲しかった日本人の妻の座もおそらくはもらえはしまい。大事な金づるだから。



そのまま黙って再び倉庫街へと向かう。あるコンビニの前で青年は車を停めた。

運転席との仕切りを開け、彼女の手の縛めをとく。憔悴しきったモニカの瞳が彼を捉える。


「ここ…」


「行きつけの場所、でしょ?おれはここまで送った。降りてからのあんたに関心なんか無い。選ぶのはあんただし。好きなところに行けばいい。返金がまだだったっすよね。それでタクシーをつかまえれば川崎駅まで行けるっすよ、タテイシさんの待つ」


モニカはしばらく、自由になった両手で自分の顔を覆った。涙を流すふうではないが、こみ上げる何かがそうさせているのだろう。


「サトウさんにはわからない。あたしが稼ぐ、故郷くにに送金する。それで一家七人がようやく暮らせる。弟も妹も学校に通えるし、父は病院にも行ける。あたしはまだ、帰れない」


途切れ途切れの、モニカの呟き。このセリフも、言っちゃ悪いが聞き飽きている。それでも真剣なまなざしで青年は振り返った。


「じゃあ、そのあんたが死んじまったら…誰が家族に送金するんすか。あんたに掛けられた保険金は組がそのまま吸い上げる。待ちわびるあんたの家族には一銭もわたらない。このままの生活を続けて、こんな綱渡りを繰り返してたら、確実に消されますよ。そうでなくても、商品価値が下がれば捨てられる。そこから地道に働こうと思い直したところで、不法滞在のあんたに何の援助も保護ももらえない。それでもいいんすか」


モニカは強く唇を噛む。夜に護られていたエキゾチックで妖艶な美女は、容赦ない朝の光の下で素肌を晒す。


そこにいるのは、生活に疲れ果てた……ただの女。



「故郷に帰ったら」


「家族と一緒に暮らせますよ。命を張る、緊張しきった毎日から解放される」


「ハタラクところなんかない」


日本での暮らしを思えば、どこでも生きていける。青年の言葉は誰に向かって言ったのか。





しばらく躊躇していたモニカは、離さずにいた自分のバッグをたぐり寄せると中から一枚の写真を取り出した。


「これ、娘ね」


ふっとこぼれる彼女の笑顔。そこには今までにない柔らかさがあった。


げっ、子持ちかよ…。青年の脳裏へとっさに浮かんだ言葉は必死に押し込められ、へえかわいいっすね、というぎこちない返答へと変換さえれた。


彼は集金バッグからいくばくかの札が入った封筒をつかむと、彼女へと渡す。


「すんません、こういう状況なんで明細書出せませんが。自費出国のチケット代の足しにでもしてください。強制送還使うより、出国命令で自分のカネでさっさと帰った方が時間も掛からない。ヤツらがどういう手を使ってくるか、見当もつきませんからね」


これ…。震える手で封筒を受け取るモニカに、ブランドバッグの買い取り分っすから、と笑う。自腹切れるほどこっちも時給高くないんで、と。


沈黙の時が過ぎる。モニカのきつくつむられた目から、涙が流れ出す。

バックミラーで見るも無しに見ていた青年は、やはり一言も口を開かなかった。


やがて、涙を手でさっと拭き取った彼女は、バッグから化粧道具を取り出すと手早く崩れたそれを直しに掛かった。手慣れたもんだねえ、ヘンなところで感心をする。


何かが吹っ切れたように顔を上げたモニカは、仕切りをまたぐと助手席へ座った。青年の顔を手で押さえると自分に向けさせる。化粧品の残り香が辺りにただよう。

そこには疲れ切った女ではなく、意志の強い美女が微笑んでいた。彼もモニカをじっと見返す。


「サトウさん、ウソの名前ネ。本当は?」


ちょっとしたためらいのあと、彼は呟く。


「大輔」


ファーストネームだけ?いたずらめいて笑う彼女に、それでカンベンしてくださいよ、と大輔も苦笑いで返す。


「ありがとう、ダイスケ。あなたのおかげ」


モニカは大輔の顔を引き寄せると、今度は自分から唇を押し当てた。優しく彼の上唇を噛むように、それからそっと舌先で触れる。

されるがままの彼は、薄目でそれを見やるだけ。何の反応もせずに動かずにいた。抱き寄せてやれるほどの甘さもないし義理もない。単純に彼女の好意を有り難いと思えぬほどには、世の中を知りすぎていたから。



潤んだ瞳のまま唇を離したモニカは、バッグ一つで車のドアを開け、ゆっくりと歩いていった。

コンビニの真向かいは、朝日を受けて碧く光る入国管理事務局の高いビル。

調査第三班へそのまま自主出頭すれば、今まで犯してきた数々の法令違反をばっくれていれば、モニカでさえ黙って自国へと帰れるだろう。


彼女の姿が建物に吸い込まれるのを見てとると、大輔は念のため、辺りをぐるりと見回した。追っ手はいない。まあ、追っ手を送りつけること自体ムリだとは思うけどね。


右手の甲で自分の唇をぬぐう。べっとりとつく赤い色素に、あきらめてその辺のタオルを探す。何度もこすってようやくそれを取ると、クセなのかまた首をぐるりと回した。


「ありゃまたやるな、フホニュー。名前もパスポートも変えて、ご苦労さんだわ。こんなんで懲りるタマじゃねえだろうしなあ」


ぼそりと呟くと、大輔は再び車を走らせた。







彼の運転する営業車は、ある建物の地下駐車場へと吸い込まれてゆく。肩を回しながら降りると、受付の係員に声を掛ける。


「お疲れ様っす!」


「おはようございます」


笑顔一つくらい見せろっつうんだよ、愛想ねえんだから。ここに来るといだくいつもの感情。受付にいる無表情の男に、心の中だけで思い切り八つ当たり。こっちだって疲れてんだよ。少しはねぎらえよ、ったく。


温かな反応をあきらめた大輔がそのまま社員証を機械にかざすと、認証が済んだピッという合成音がかすかに響く。そのまま彼は、煌々と灯りのついたままの廊下を進んでいった。



警視庁組織犯罪対策室。



早朝というのに、そこには既に人の気配。ただ、一般的なイメージの警察署と違うのは怒声もけたたましい電話の呼び出し音もないこと、か。


ドアの入り口でもう一度社員証をかざすと、大輔はノックしてから勢いよく扉を開けた。習性で帽子を取り、お疲れ様っす!と頭を下げる。


部屋にただ一人いた男は……無言のまま。

はあ、とこれ見よがしに大げさなため息をつき、大輔はグチグチと文句を言い始めた。


「あーやだやだ!これだからお役所仕事は、っつわれるんっすよ。可愛い部下が生命の危険も顧みず職務をこなして帰ってきたってのに、お疲れさんの一言も言えない上司なんかのもとで労働の意欲が湧くとでも…」


ぶつくさ言い続ける大輔を一瞥すると、男は再びPCのモニター画面に視線を戻す。


「これだけ言っても反応無し!老化で耳が遠くなったんすか!?チーフ!室長!堂本警視!?補聴器でもプレゼントしましょうか?還暦のお祝いで!!」


大声でがなり立てられた警視の堂本は、左手で額を押さえると「…お疲れさん」と吐き捨てた。


「はい!?聞こえませんが何か!?」


「…調子に乗るのもいい加減にしろ。いいからさっさと報告したまえ」


だいたい還暦だ何だと、私はそんな歳ではない。堂本の呟きを聞き逃すような大輔なはずもなく「反応するとこはそこなんだ」と嫌みったらしく言い返す。


「人の上に立とうってヒトは、そういう心配りこそ大事なんじゃないっすか?部下から言われなきゃねぎらいも言えないような…」


「報告をしろ」


冷ややかに切り捨てられる。隙のないスーツ姿に銀縁のメガネ、歳は還暦どころか四十前だろう。泥だらけの作業着をだらっと羽織っただけの大輔とは真逆。



商売道具のマーク入りキャップをかぶり直した大輔は、今度は念のために掛けていた太いセルフレームを外した。

茶系の髪を無造作にはねさせ、いつも人を食ったようなシニカルな笑みを浮かべている。ひょうひょうと言う言葉が大輔には一番似合うだろう。そう、目の前の堂本にはないもの。

これだけ印象の違う二人に、ただ一つ共通しているのは…。





「モニカ・ブエナを保護、そののち入国管理事務局に送り届けました。以上!」


むすっと言い返した大輔に、堂本が今度は身体ごと向き直る。


「手続きを取ったところまでは確認していないのか。おまえは詰めが甘いと、常日頃から注意しているだろうが」


「…どうせそっちでチェックしてんでしょ?だいたい、彼女が日本中を逃げ回ろうと自国へ帰ろうと、おれには関係ねえし」


「やったことはそれだけではないはずだ。また派手に暴れたそうだな、さっそく所轄からクレームが来ている」


そんな、それを穏便に処理するのがあんたの仕事でしょうが。聞こえるか聞こえないかギリギリの大きさでぼそりと言ってみる。堂本の目がぎろりと向けられる。


「暴れたって…どうせチーフの思惑通りに踊らされてんのはこっちでしょ。やってらんねえ」


モニカ嬢の足抜けの事実を元に、店と組へ一斉に踏み込んだと。おれはきっかけっつうか、言い訳っつうか、結局ダシに使われただけだし。


「で、全部とっつかまえたんすか?」


「そもそもあの店は、白勢会というよりも幹部の児玉が勝手にやっていたことらしい。儲けがいいんで上部も黙認、という形でな。裏から上納させていたのだろうが、こういうことが起きればトカゲの尻尾切りだ。まあ、その為に会公認をわざと避けていたのだろうがね」


幹部の児玉ねえ。あの白スーツのおっちゃんか、気の毒に。見えぬように大輔が浮かべる苦笑。


「こんなモグラ叩きみたいに不法滞在と人身売買ちまちまと摘発して、効果ってあるんすか?おれ一人ババ引いてるとしか思えねーし。だいたい最近、仕事がハードっすよ!!やたら身体張る物件ばっかで。危険手当とか出ねえのかなあ」


たまりかねて堂本がため息をつく。ここにいるのは彼一人、他の職員は出勤すらしていない時間帯ではあるので仕方はないが。


「この仕事で身体を張らずにやれるものがあると思うのか。寝言は寝て言え」


あまりに冷静に返され、思わず大輔は大声を出した。


「保障完備・生活安泰・安全完璧デスクワークの警視庁キャリア国家公務員に言われたかないっすよね!!おれらみたいな細々とした時給いくらでかつかつに暮らしてる日雇い労働者はっすね!?」


「だったら」


堂本から感情が消えた。真っ直ぐに射るような視線を大輔に向ける。彼の方は何かに怯え口をつぐむ。




「元の職へ戻ったらどうだ、久住くずみ。空挺へ」




大輔もまた、表情をなくす。


「空挺方面のトップからは何度も要請が来ている。本人の希望があればいつでも空挺四班は受け入れる態勢はできている、とな。久住大輔を」



防衛隊空挺方面特科第四班は、空挺とは名ばかりの対テロ・ゲリラ等制圧特殊部隊。言うならば日本における非公式のグリーン・ベレー。



「おまえの望み通り、国家公務員で保障は厚いぞ。以前のように」


無駄口を叩くことさえできずにいる大輔に、堂本は敢えて無言を通そうと決めたようだった。しかし、言葉よりも意味を持つその視線に、大輔の方が耐えきれなかった。キャップ越しに頭をかくと、ドアに向かう。


ふう、と息を大きく吐いてから振り向く。平静さを取り戻せ、己に課す厳しいコマンド。


大輔はさっと表情を変えると、またも呑気な声を出した。


「あーあ、つくづく上司に恵まれねえなあ。やってらんねえ。危険手当なんか出せね、って言やあ済むことなんすけどねえ」


じゃ、おれはこれで。頭を下げる。


「久住」


思いを抑え込もうとしている大輔へ向かい、堂本は再び冷静な上司として言葉を掛けた。


「おまえの置かれている厳しい状況はこちらとしても把握している。来週には人員をつけるから、それまで我慢しろ」


「あー、来週っすか?宅配のバイトの方がシフトきついんですよねー。この時期は人手が足んなくて。なるべく、こっちの仕事入れないように調整しといてもらえます?んじゃ」


頭だけは習性で丁寧に下げたものの、ドアはかなり乱暴に閉めてやった。



ざけんな、使えねえメンツなんか要らねえよ。かえって邪魔だってんだ。これは声に出さずに胸にしまい込む。


今朝ばかりは、殺風景なはずの廊下に貼られた防衛隊員募集のポスターがイヤでも目につく。


「商売敵だろうが、警視庁にしてみればよ」


軽口を叩いてはみるものの、大輔の表情は険しかった。無言で、制服姿の男女と後ろに写る戦闘機を睨みつけ、おもむろにその紙を力任せに引き剥がす。床にそのまま投げ捨てると、彼はただ歩き続けた。





地下に停めておいた、見慣れたトラックのサクランボマークになぜか安堵の気持ちをいだく。



「散るがさだめの桜田門より、こちとら実のなるサクランボ、っとくらあ」



今度こそ本物の営業所に向かう為に車を発進させた大輔は、クセのように首をぐるりと回した。


(つづく)


北川圭 Copyright© 2009-2011  keikitagawa All Rights Reserved

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