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#2

#2


宅配トラックは高層マンションやビル群を抜け、都心から下町方面へ。とは言え、周りの景色は灰色のまま。

人の住む気配は消えてゆき、巨大な倉庫ばかりが見えてくる。


貨物船の埠頭付近には、緑豊かな公園や遊歩道さえ整備されているというのに…もの哀しく思えるのはなぜなのだろう。

異国を感じさせるからなんだろうか。


最近の若者らしい風貌には似合わない感傷を持ちつつ、青年はゆっくりとコンクリート製の埠頭ギリギリに車を停めた。

少し離れて、例のベンツも静かにブレーキを掛ける。高級車らしく音もしない。



青年は自然さを装ってドアを開けると、わざとらしく伸びをした。


「兄ちゃん、配達はどうした?こんなところでサボって何を待ってるんだ、え?」


偉そうな男は、おそらくは組幹部。ミラーへちらっと映る、車と同じ白い色のスーツが夜目に光る。


「…やってらんないっすよねえ。ノルマはきついし時間は厳しいし。ときどき自主的に休憩でも取らなきゃ過労死ですよ、過労死」


青年は大きく首を回しながら海を見つめるばかり、後ろを振り返ろうとはしない。


「過労死の前に、兄ちゃんよお。このだだっ広い東京湾に沈めてやってもいいんだぜ」


陰惨さを含む声に、ようやく青年は半身を男どもに向けた。何も考えてなさそうな無表情、そうこの状況であってさえも。


「ビビりもしねえってことは、覚悟の上か。てめえもシロウトじゃねえな?どこの組だか言えや。それによっちゃあ、こっちの出方も考えさせてもらうんでね」


組?とぼけた声でのんびりといらえを返す。うちはこれでも株式会社っすけど、と。




「チェリー運送ねえ。残念だったなサトウさんよ。あんたの配達先には山田さんじゃなくて、アイリーンが客を取ってたんだがな」


ちっ。微かな舌打ちは聞こえたかどうか。もとよりこいつらをまく気はさらさら無かったがね。むしろいぶり出す為の……。


「組じゃねえっつうんだったら、逃がし屋か。目障りでしょうもねえ連中だが、あんたにはまだ荷が重いんじゃねえの?」


引っ越し屋だけにな。笑えぬ冗談に下っ端は愛想笑いを派手に立てる。


「逃がし屋?何すかそれ。こっちは善良なしがない宅配便のバイトっすよ」


青年はあくまでも呑気に答える。時間でも稼いでいるように思えたのか、幹部らしき男の目がぎろりと光る。


「高い金ぶんどってオンナの足抜けを手伝う輩だよ。まあ、相手が不法入国の風俗嬢とは限らねえらしいがな。極悪な犯罪者だろうがテロでも何でも、金さえ積めば逃がすってね。仁義も筋も通りゃしねえよ、若いヤツらはよ!」


自身は組という組織で根性を鍛えられたとでも言い張りたいのか。思わずもらした青年の失笑に表情が険しくなる。




「こちらとしても、高いリスク被って莫大な投資をつぎ込んでオンナ使ってんだ。てめえみてえな、はした金に目がくらんで人情を踏みにじるヤツはそれなりの制裁を受けてもらわねえとな」


「人情って、言ってること無茶苦茶っすよ?結局カネを回収したいだけっしょ?投資に見合うだけの」


んだとてめえ!!血の気の多い若い衆らが刃物を抜く。遠くのライトがわずかにその刃にきらめく。

それに腕を伸ばして行動を制すると、幹部は低く脅しを掛けてきた。「サトウ」青年へと。


「逃がし屋だと認めるんだな、サトウさんよ。まだ若いみてえだし、物事の道理もこの世界のしきたりもわかってるようには見えねえ。一回だけチャンスをやる。今ここでモニカを黙って引き渡せば、命だけは助けてやる。これきりこちら側には近寄らねえ方があんたの身の為だ、サトウさん」


「モニカって誰っすか?」


言いながら彼は、先ほどの車中を思い返していた。






幹線道路を抜けて港へと向かっているらしい気配を察したのか、モニカ嬢はそれはそれはかまびすしい声を張り上げていたのだ。


…そんなところは、よく気づくよねえ…


青年の苦笑いは、振り下ろされたゴルフクラブの柄で止められた。


「いてっ!!危ないじゃないっすか!!それに勝手に他の人の荷物開けないでくださいよ。会社の信用に関わるっつってんじゃん」


「どこ連れて行くネ!?ここ道路と違う!!ミナト!!船乗せる気!?」


細い格子の隙間からクラブを振り回す彼女の声には、悲愴感さえまとわりついていた。危険はすぐに察知する、それが生き抜く為の生活の知恵。だったらさっきとっとと逃げてればよかったのによ…タテイシさんのとこにでも。


青年は柄をぐいと押さえると、後ろ手で格子窓の鍵を開けた。手を取られて前のめりになるモニカ嬢の頭を持ち、危ないんで黙っててください、と引き寄せた。


「…サトウさん」


目だけは前方とサイドミラーをせわしなく見続け、彼女の唇に自分のそれを押し当てる。はあ、というモニカの吐息を聞きながら…左手で器用に彼女の両手首を合わせて背中に固定していった。ツールはもちろん、商売道具のガムテープだ。


「ちょっとアンタなにす!?」


再び騒ぎ立てる彼女の口には、まず取り敢えず伝票のシート。粘着力は意外とある。耐水性はないけどな。まあこれで、しばらくは黙っててくれや。


念のために果物梱包用のネットを頭からかぶせ後ろに倒すと、もう一度青年は格子窓の鍵を掛けた。






今さら、モニカって誰だと言ったことがばれた日には、後であの女から何をされるかわかったもんじゃない。


…そっちの方がよっぽど怖え…


思い出しの苦笑いに、腹に据えかねたかのような組連中が表情を変える。


「てめえが荷台に匿ってるオンナだよ!!さっさと出しやがれ!!」


「ここには営業所持ち帰りの布団と、朝一配達の荷物しか載っけてませんけど?おれ今夜、このまま走りっぱなしなんすけど、もう行っていいっすか?」


行っていいか訊かれて素直に帰してもらえるとは、いかなサトウ青年でも思っちゃいなかった。


その、人を食ったような返事を合図と見たのか、刃物を構えた若い衆が彼に向かって走り寄ってくる。


「そっちからやってきたってことは、おれが抵抗するのは当然の正当防衛っすよねえ」



最近運動してねえからなあとぼやきつつ、彼は一人目の手首を瞬時に掴むとぐいと捻りあげた。

反撃を喰らうとは思っても見なかった男は、焦ってそのいましめから逃れようとするが青年の手の力は意外と強い。


もう一人、横側から来た別の男に、左脚を伸ばしてそのまま顔に蹴りを入れる。


…道場やら試合やらでやったら、即退場だねえ…


青年は心にもないことを一瞬思い浮かべ、ちらりと視線をそちらに向けた。


めり込む靴先に、血が飛び散る。一度力を抜いて膝を緩めると、男の体重がそこへと掛かる。受けたダメージの大きさが感じられる。

今度はかかとから蹴り飛ばす。横側の男はあっけなくコンクリートの地面へとそっくり返った。


どさりという音に周りが浮き足立つ。さっきから手首を押さえられている方の男は、額に脂汗を浮かべ始めた。ぎり、ぎりりという鈍い音が響く。声にならない悲鳴を上げてヤツは膝から崩れ落ちる。

青年がそいつの両手首をねじったせいだ。骨か腱か。まあしばらくは使い物にはなるまい。



下っ端はあと二人。律儀なのかのちのち面倒なのか、拳銃を出されないのは幸いだ。

何しろこっちは丸腰、やってらんねえなあ。心の中でぼやきながら青年は上着を脱いだ。チェリー運送のサクランボマークが縫いつけられた作業着。その下は半袖のTシャツ。にじんだ汗は今の闘いでというよりも、意外と重めのモニカ嬢を運んだときのもの。


鍛えられた胸筋がありありとわかる。彼は両手で作業着を持つと、わずかに足を前後にずらして開いた。


「兄ちゃんよ、腕っ節には自信があるようだな。そのチンケなプライドが命取りだってこと、教えてやるよ」


幹部の低い声。言葉こそ取り立ててきつくはないが、含まれた怒りが周りを震え上がらせる…のだろう。

残念ながら青年には堪えていなかったようだが。


「別に自信なんか無いっすよ。まあ標準かなあ。もうちょっと入会時のレヴェル上げといた方が、そちら様の組織の為じゃないっすか?」


息も乱さすにさらりと言われ、完全に頭に血の上った若い衆らはうおおっと叫び声を上げて青年に向かっていった。




まるでヌンチャクか鞭のように作業着をしならせると、一人の男の目にバシリと当てる。あまりの痛みにヤツが両眼を押さえて地面を転がる。あーあ、こっちがこれ持ってんだから少しは警戒しろよ。呆れて見下げる青年の視界に、もう一人は入っていない。


いけると踏んだのか、ヤツは刃物を振り下ろそうとした。そこへ持ち直した作業着で刃物だけをはたき落とす。


はっとした男の顔面に一発の突き、歩を踏み出しての腹へもう一つ。思わずうずくまりかけたヤツの腰を横抱き気味にクラッチすると、自分は倒れこまずにそのまま相手だけを地面に叩きつけた。


受け身を取る暇もなく、男は既に立ち上がることさえできないで呻いている。





そこまですると作業着をはたき、もう一度上から着込んで右手を自分の肩において揉みながら首を回す。

配達の仕事を終えただけとでも言いたげな青年のひょうひょうとした表情に、幹部は目を見開いた。


「てめえ、何もんだ!?名前ぐらい言え!!」


「名前言ったら、どうするんすか?スカウトでもしてくれるとか」


にやけた笑いを浮かべ、彼は幹部へと近寄ってゆく。肝っ玉は据わっているらしいから、考えてやってもいい。偉そうなセリフの声はわずかに震えている。


「悪いっすけど、おれこの仕事気に入ってるんすよねえ」


「…逃がし屋が、か!?」


まさか、宅配便のお兄ちゃんってバイトがですよ。口ではそう言いながら、腹の中では罵倒の嵐。


…バカかこいつ。そうそう簡単に身バレするようなことしゃべると思ってんのかねえ…


マジンガーだってデビルだって、何があっても正体は明かさねえってのに。特撮ヲタからの余分な情報を思い出し、にやけた顔はくすくす笑いへと変わってゆく。


「こんなことして、てめえに何の利益があるってんだ!?モニカか?あの女は青二才の手にゃ負えねえタマだぞ?どうせてめえはモニカにご執着のタテイシからの依頼だろうが、あれだって別の組のスカウトマンだ。はした金でご苦労さんだろうし、てめえはこっちの組からずっと追われる羽目になるんだぞ!?」


「そのセリフ、モニカって人に訊かせてみたいもんですね。会ったことないっすけど」


なんだ…と…。歯を食いしばって怒りを抑える幹部の顔を、挑発するようにのぞき込む。

たまりかねてヤツが拳銃を取り出して青年に向ける。彼は全く動じない。


「いいんすか?本職が善良な一市民を銃で撃ったりしたら、一生刑務所から出られませんよ?」


「どこが一市民だ!!組の店のオンナを足抜けさせて、若いモン四人をのしやがって。今さらシロウトヅラしても遅せえんだよ!!」


そらそうだ。彼の言葉には一理ある。青年は可笑しさが止まらないという顔で聞いている。


「撃つなら撃ちますか?至近距離って案外当たらないって聞いたけど」


間合いを詰めてくる青年に、心理的な恐怖を感じているのだろうか。幹部ほどの男が銃口を震わせている。


「こん…のぉ…」


トリガーに指が掛かり始めるのを潮時と見たのか、青年は一度すっと身を沈めると右腕を振り上げる形で拳銃をはたき落とした。


怒りに震えた幹部が彼に襲いかかろうとしたそのとき。






一斉に赤色灯とサイレンの音が辺りを埋め尽くした。何が起こったのか、さすがの組幹部も怯えて周囲を見廻すばかり。


青年は急いで自社トラックに駆け寄ると、運転席に乗り込んだ。


エンジンを吹かし、いきなり急加速でバックすると、タイヤを鳴らして方向を変える。


「うわっ!!」


嫌がらせのように、いや多分に本気で嫌がらせに幹部の方へと車を一度突っ込ませると、ハンドルを切って埠頭から走り去ろうとする。クセのように見やるサイドミラーには、警視庁のパトカーが倒れた男どもと立ちつくす幹部を取り囲んでいる。


「大変だねえ、いろいろと。これからお疲れさんだわ、ありゃ」


応援のパトカーが数台、チェリー運送のトラックを追いかける。が、青年の選んだ道はトラックの通れるギリギリの狭い遊歩道。案外と横幅のある警察車輌は、一瞬ためらったかのように見えた。


そのまま、埠頭からの道筋をショートカットして大通りへと戻る。



メロンみたいなネットこそ取れたが、まだ何も話せないはずのモニカ嬢はうーうー唸りながら抗議の音を立てている。格子窓に何度も体当たりをかます振動がけっこう背中に来る。


「本職の方々の方がずっと扱いやすいわ、こりゃ。この女、マジめんどくせえ」


フルフェイスのメットでも被しときゃよかった。というヘンな方向の後悔を残して、青年は首をグルグル回しながら都内へとまた走り続けた。


どこへ向かうのかは、彼にしかわからぬままに。


(つづく)


北川圭 Copyright© 2009-2011  keikitagawa All Rights Reserved

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