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#10

#10


午前中の配達を終え、大輔と美羽子は思い思いの弁当を広げていた。路肩に止めたアルミバンから降り、歩道の低いコンクリートブロックに腰掛ける。

大輔のそれはコンビニで買った二つの幕の内。それをかっこむように口に放り込んでゆく。自前の弁当箱のふたに手をかけた美羽子の動きが止まる。


「先輩、いつもコンビニのお弁当で栄養がかたよりませんか」


「…大きなお世話。てめえみてえにちまちまと料理してるほど暇じゃないんでね」


実際は、夜中まで不法入国者の移送を手伝わせてるのだ。美羽子の方も寝る時間があるのかどうか。宅配便の仕事は朝早く、いったいいつ手弁当など作る暇があるというのだろう。だが、大輔はわざとプライベートな話を一切避けるようにしていた。バディ解消が望めないのであれば、仕事と割り切って感情的な関わりを持たなければいい。


休憩時間は全く口を利くまいとしている大輔に、美羽子の方も普段は余計な言葉をかけることはしなかった。


…こいつはただシフトが一緒というだけのバイト仲間だ。負の感情すら持たない方が良い…


そう思っているつもりだというのに、大輔の言葉の端々には美羽子へのイヤミが混じる。避けることと無関心でいることはどうやら違うらしい。拒絶したい関わりたくない、という思いがすでに彼女の存在を十分意識していることになる。




おれが手をかけて殺した朝田苑子の従妹を騙る女。わざわざ苦労して空挺に入ったというのに、それほど復讐したかったのか、久住大輔に近づくためにチェリー運送へともぐり込んできた…朝田美羽子。

おそらく事情はよく知りながらもバイトと警視庁組織犯罪対策室の仕事まで組ませようとする上層部。何もかもが大輔には気に入らない。


あいつらはおれに何をさせたくてこんなまねを。


上司である堂本警視はめったに表情を変えない。いくら訊き出そうと苦心したところで大輔のような組織の末端に何一つ悟られるへまなどしないだろう。試すだけ無駄だ。




一つ目の弁当をカラにし次を開けようとする大輔へ、珍しく美羽子は問いかけた。


「自炊は全然しないんですか先輩は。あ、すいません。勝手に一人暮らしだと決めつけてしまって」


失言だと思ったのか、彼女の方も口をつぐみ、箸を動かし始める。大輔の感情が少しばかり爆発する。


だからこいつはイヤなんだ。淡々としたおれの日常に波風を立てようとするから。


「何ですかそのイヤミな言い方は。あったまくんなあ、てめえはいちいち。どうせ一人もんだよ!弁当を作ってくれる彼女もいませんしね!それも、嫁さんでもいたらいたで『先輩も幸せな生活を送ってられるんですね』だとかなんとか、オニのようなイヤミを連発するつもりだろうが!」


自分は別にそんなつもりじゃ…。美羽子が口ごもる。もっと強く言い返されると覚悟していた大輔の方が、逆に気抜けする。


「…ずっと一人だよ。メシなんざ作る気も暇もねえし、外で食った方が安上がりだし」


ぼそっと呟く。くたくたになるまで身体を酷使し、部屋には寝に帰るだけ。その方が何も考えなくて済む。


「あんたの方こそ、それだけ手の込んだ弁当作れるなら食い意地の張った男くらい引っかけられるんじゃねえの?」


さっさと結婚でもして目の前から消えてくれ。言外の気持ちが伝わるかどうか。憎まれるのは仕方がない。恨み辛みをぶつけられるのも覚悟はできている。けれど人間の気持ちなど現金なもので、本人自身が幸せならば日常を優先するようになるだろう。憎しみを持ち続けて人は生きられるものじゃない。上官の命令に従っただけとは言え、大輔が一般人を殺めた事実は消えることはない。どうしようもない罪悪感を抱えて生きるのはおれ一人で十分だ。



ここにいる美羽子が本物である確証はない。警視庁か防衛隊が何らかの意図を持って大輔に接触させている可能性だってなくはないのだ。しかし、彼にとってはそれすらもどうでもいいことだ。

ただ、もし本物の従妹であるならば、第一発見者として駆け寄った女性がこいつであるのなら、これ以上関わらせたくはなかった。あれが単なる連絡ミスなどの事故であるはずがないから。大きな何かが動いているのだとしたら、もう不幸な犠牲者の近縁まで巻き込みたくはない。



美羽子は、大輔の言葉に一瞬ためらいを見せた。言うか言うまいか逡巡している様が伺える。


「んだよ!言いたいことがあるならはっきり言えよ!」


沈黙にたまりかねた大輔が叫ぶ。大通りの騒音でそれはあっさりとかき消されてしまうけれど、彼女には届いたのだろう。当てこすりという風でもなく口を開く。


「自分が作ってるんじゃないです。これ、のこちゃんのお母さんが。一人っ子の自分には幼い頃から母がいないので、のこちゃんとは三姉妹みたいに育ったから。今でも本当の娘みたいにしてくれてるんです」


結局その話か。へえそうですか、とスルーしかけた大輔は、三姉妹?と思わず声を上げてしまった。


「のこちゃんにはお姉さんがいたんです。聞いてませんでしたか」


いた。過去形の言葉が小さなトゲとなって危険信号を発している。これ以上聞くな、久住大輔。こいつの語る物語が真実とは限らない。必死に自分へと言い聞かせる。

けれど無情にも美羽子は続ける。思い出話を懐かしがるかのように。


「のこちゃんのお姉さん、範子って言うんですけど、みんな『りこちゃん』て呼んでて」


あとになって資料で見させられた朝田苑子は、やわらかそうな巻き髪を栗色に染めたワンピース姿の可愛らしい女性だった。ここにいる美羽子だとて顔立ちは少女らしさを残している。もう一人の女…似ているのだろうか。


「三姉妹に体育会系が一人混じってたってか。てめえくらいだろ、身体鍛えて戦争ごっこなんざしようと企んだのは」


口の中にできた傷をわざと舌でつつくかのように、治りかけのかさぶたを剥がすかのように、大輔の方から事件へと触れる。

実際、どう考えても結びつかなかったのだ。苑子とサバイバルゲームのオフ会という言葉が。




そもそもサバイバルゲームは日本発祥の一種のスポーツだ。ただその原型はアメリカで既に行われていたペイントボールと言われる。そちらはプロの選手もいるほどでトーナメント方式の公式試合も開かれている。

単なる戦争ごっこではなく、安全とされるペイントマーカー(模擬銃)を用いた戦略的な組織戦だ。サバゲーという呼び名は日本独自であり、BB弾使用のエアガンを使ったものは英語圏では通常エアソフトと呼ばれる。

防衛隊でも軍事教練に組み込まれることがあるほどだ。もっとも空挺では行われてはいなかったので、大輔自身がこれらのスポーツに触れたことはない。

彼ら空挺の訓練は、より具体的実戦的なものであり、自己申告で弾が当たったからと敵が自ら戦場から立ち去ってくれる都合の良いゲームなどしている余裕はなかった。




複雑な感情の入り交じった大輔のセリフに、美羽子は寂しげな笑みを浮かべた。


「サバゲーのチームに入っていたのは、りこちゃんだけです。自分は学生時代ずっとソフトボールやってたから体力に自信はあるつもりですけど、りこちゃんものこちゃんも身体なんて鍛えてなかったですよ」


スノボとかテニスとか、そんな感覚でした。迷彩服を着るのもコスプレみたいだって楽しんでただけだし。



美羽子の声が遠のく。どういうこと…だ。何なんだ、このどうしようもなく気持ちの悪い違和感は。



「なんて言ったらいいんだろう。もっと軽いノリなんです。自分も知らなかったんですけど、本当はかなり体力を使うスポーツらしいですよね。でもりこちゃんのチームは全然そうじゃなかった。新しく手に入れたエアガンを自慢しあって、レアものの軍事用コスチュームを見せ合って、じゃあ遊ぼうかって感じで」


遊び。ああそうさ、あの表情はそうだろうよ。身のこなしも隙だらけの女の子。だのにおれは無意識に銃口を向け、何一つためらうことなく引き金を引いた。



いつもの癖で自分自身を責め立てようとする大輔に、違和感から生じた疑問がわき起こり続ける。


「じゃあなぜ、あの日…よりによってホンマもんの演習場になんぞもぐり込んだんだ」


「予定していた場所が急にキャンセルされてしまったんです。けっこうプレー場所を確保するのも大変らしくて。それで人気のあるあの森に変更しようということになって」


無許可でか。どうしても大輔の方が詰問調になってしまう。アラームは鳴りっぱなしだ。この問題には触れてはならない。このまま黙って会話を打ち切れ!

だが、大輔の思いとは逆に、美羽子は穏やかに話を続けた。責めるニュアンスは含まれていない。避けるように結界を張り続けているいつもの大輔とも違う。それはなぜなのか。


知りたかったのかもしれない、彼にしても。あの事件は解明されないことが多すぎるまま何もなかったことにされた。公の発表すらなかった。オフ会の最中に突然死、というのが関係者に話された唯一の説明だ。



「サバゲーをやっていると、迷彩服姿の集団がいるからって通報されることもあるそうです。住民からは嫌がられるから許可なんかなかなか下りないって言われました。あの森は市街地から少し離れているから、こっそりオフ会で使うチームが多いらしくて」


偶然か。偶然なのか。吸い寄せられるように、本物の防衛隊一個小隊が訓練をしているさなかに迷い込んだ素人集団。そいつらはご丁寧に迷彩服を着込み、別のルートからは一つの情報がもたらされ。


では、某国の工作員らはどこへ行った?本当に存在したのか。


「朝田…苑子の姉は。姉ってヤツはどうしてるんだ?」


訊かなければ知らなければなかったことだ。引き返すなら今しかない。弁当を口に運ぶための箸は止まったまま。食欲などとうに消え失せている。次の配達時間までにはまだ間がある。ここから立ち去ってどこかで暇を潰してくればいい。関わるな、訊き出すな。おれはただの歯車の一つで十分だ!


「りこちゃんは自ら命を絶ちました。自分がオフ会に誘わなければこんなことにならなかったのにって」


大輔は両手を組み、堅く目をつむる。組んだ手がどんどん冷たくなっていくのがわかる。身体のすべての末端から凍り付いていくかのように。頭の芯まで冷え切っているというのに言葉だけが止まらない。


「三姉妹って言われるほど仲の良いあんたらを、二人もおれが殺したって訳か。そりゃ憎みたくもなるだろうよ」


見えるはずもないのに、美羽子の視線を痛いほど感じる。胸中は図り知ることはできないが。それほど…彼女の言葉は乾いていたから。


「のこちゃんのお母さんの心も壊れて、しばらくは泣くこともできないほどでした。人数が足らないからって気軽に誘われただけなのに、どうしてこんなことになったのか。納得がいかなかった。あの場にいた自分がどうして生き残っているのか、それもわからなかった。悔しかった。国民を守ってくれるはずの防衛隊にどうして殺されなきゃならなかったのか」


身を寄り添うように生きてきた女たちの平凡な生活を、おれがこの手で壊した。すべて変えてしまった。


「それであんたは…おれをどうしたい。殺すか?そんなことで気が晴れるならそうしてくれ」


事件にはならないように堂本に頼んでおくよ。おれの方だってもみ消されたんだ、フェアに行かないとな。


心のどこかで常にあった思いが吹き出してくる。早く終わりにしてくれと。その引導を渡してもらうために美羽子が遣わされたのだとしたら、これこそが防衛隊と堂本からの慈悲なのかもしれない。



沈黙が続く。やっぱり耐えきれずに目を開けた大輔に、美羽子は真っ直ぐ顔を向ける。


「のこちゃんが誰に殺されたのか、その人をきちんと見たいと思ったんです。名前も顔もわからない防衛隊員じゃなくて、その人本人を知りたかったんです。事故なのか事件なのか全然わからない。でも、その人がどんな顔で何を思ってどういう気持ちであの子を撃ったのか。どうしても知りたかった」


知ってどうする。だったら防衛隊に乗り込んでいって騒げば済む話だろうが。何でおれの後を追って空挺なんかに。


「誰も教えてなんかくれませんでした。自分は!私は…本当は何があったのか、のこちゃんはどうして死ななきゃならなかったのか、それがわかるまでは私は生きていなくちゃって思ったんです。何をしてでも真実を知りたかったから」


大輔は空を仰いでため息をついた。


「で?おれは今の話を全部真に受けて飲みこめってことなのか?」


自分は嘘など言っていません!美和子の声が大きくなる。


「じゃあ、真実ってヤツをあんたが知ったら、朝田姉妹は生き返るとでも言うんか?」


美和子の話を信じていない訳じゃない。ただ、ヒールならヒールらしく悪役に徹しておきたかった。彼女がためらうことなくおれを殺せるように。


けれども、美羽子は寂しげな表情を浮かべるだけだった。それはどこか痛ましげに大輔を見やるかのように。


「直接のこちゃんに手をかけたのは久住先輩です。だから、確かに自分はのこちゃんとりこちゃんの分、先輩を憎んでいることは事実です。でも先輩だって何も知らないのでしょう?知らされないまま、人を殺させられて罪悪感にとらわれてこんな生活を続けさせられて。久住先輩はそれでいいんですか?」


だからおれはこいつが嫌いだ。おれは…そのままでいいと思っているのに。




わざとらしく袖をめくり腕時計を確かめる。もう一つため息、それはとても重く重くやるせないほど重く。


「さあてと、配達開始だ。午後一指定は数が多いからな。要領よく回らねえとクレームのあらしだぞ。ほら、とっとと乗った乗った」


「先輩!!」


あとは美羽子が何を言おうと、大輔は一切応えずにいた。どれだけ重い話をそれぞれが背中にしょっていようが、宅配便の伝票がある限り、荷台に積まれた荷物を待ち望む人たちは確実にいるのだから。


いつものひょうひょうとした久住大輔に戻れ。


だが、そのコマンドを発揮できるほどの処理能力は今の大輔にはなかった。奥歯をぎりりと噛みしめると、彼はもう一度目を閉じた。


(つづく)


北川圭 Copyright© 2009-2012  keikitagawa All Rights Reserved

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