#1
当然ながら^^;この作品は全てフィクションであり、
実在の人物・事件等とは一切関係ありません。
また、作中の法律や業務内容については実際と異なる場合があります。
#プロローグ
どんなお荷物でも、心を込めてお運びいたします。
サクランボマークの宅配便…チェリー運送。
ええ、例えそれがどんなものであろうとも。
#1
「タテイシさんがオットさんになってくれる。アタシうれしい。この国でまだ働けるね。え?モニカは働かなくていい?そんなこと言わないで!タテイシさんの役に立ちたい。…ありがとう」
携帯での甘いやり取りはとうぶん終わりそうもなかった。彼は今回の雇い主であるモニカ嬢へ一度だけ視線を向け、仕方なく自分の采配で作業を進めていた。
引っ越しは時間との闘い。ましてや今回もまた訳ありと来れば、な。
とは言え、東南アジア系の美女の荷物はそうある訳ではない。家電製品や大型家具は部屋備え付けであったし、当人の家財道具はそのほとんどが服や装飾品で占められていたのだから。ブランド物のバッグやドレスといったかさばる品を処分することもこちらへ任されていたから、傷をつけぬように丁寧に扱い何度も五階と道路へ停めた営業車とを往復する。
後は精算のみ、という段階になっても…電話は終わらなかった。
長電話はアシがつきやすい。まあそれも想定内か、相手にとっては。
一介の業者に過ぎない彼には無関係なことと、このセリフは飲み込んだまま依頼主へと向かう。
彼の視線をさすがに感じたのか、モニカ嬢は一瞥して声をひそめた。
「物音?別のオトコなんか引っ張り込んでないよ。アタシ信じてもらえない?ああ、そうね。確かに若いオトコいるけど」
ふふっと小さく立てる笑い声に艶っぽさが混じる。そんなものはどうでもいいから、早くしてくれ。
「なあにタテイシさん、少しは妬いてくれるんだ。モニカうれしい。引っ越しの人、若いお兄さんが一人。ダイジョブダイジョブ、モニカそんなに軽い女じゃないからね。じゃね、あとで」
チュッと派手にエアキスの音を立てると、ようやく彼女は通話を切った。作業服姿の彼に向かい合うと、下からのぞき込むように微笑む。
「……。じゃあこれで、作業終了っす。ブランドバッグの換金の件ですけど…」
言いかけた彼の言葉をさえぎるように、モニカは手を伸ばした。
「お兄さん、ちょっとカッコいい。バッグはどうせ貰い物だし、全部お兄さんにあげるから」
そう言いながらも、彼女の指は無意識であるかのように彼の鍛え上げた腕を、作業着越しにまさぐる。
「今回は特別引っ越しサービスご利用ですので、前金で頂いた十万。んじゃそこから引取料と換金分を相殺させてもらいますが、いいっすか」
「ソウサイって何?」
モニカ嬢の声は少しずつ湿り気を帯びる。相反するように彼の態度はどんどん醒めていく。
「その分、返金…えっとお客様からもらった金、返しますって言ってるんすけど」
「サトウさん、やさしいね」
モニカ嬢の目は、彼の身分証代わりの名札に注がれている。こっちもプロだがさすがは接客嬢だねえ、サトウと呼ばれた彼は苦く笑う。
「ただし、あのバッグはバッタモンばっかっすよ?唯一…金になりそうなのがエルメスのバーキン。まあ型は古いっすが人気はありますからね。あれだけは並行輸入でもない、正規の代理店通したヤツでしょ」
「サトウさん、引っ越し屋さんのくせに査定できるの?みんなあれ本物ダヨ!?」
片言の日本語を操るわりには『査定』なんて言葉がさらりと出てきやがる。ったく女ってヤツはよ。
苦笑いというよりも彼の口元が歪む。したたかで強くでもなきゃ異国で身体は張れねえよなあ。
「一応、業界独自の資格ですが鑑定士免許は取りましたよ。あんま、意味無いっすけどね」
度の入っていない太いセルフレームのメガネ越しに見下げてやると、彼女はやや悔しげに唇を噛んだ。
それでも指先は彼に触れたまま。表情をわずかに変えたモニカ嬢がそっとささやく。
「じゃあ、あと何でソウサイできる?アタシがキスしたら前金ゼンブ返ってくるとか。それ以上でもイイヨ」
しどけなさを含ませた声色。悪いがこっちも聞き飽きている。彼はキャップ越しに頭をかくと、カーテンの隙間を見やった。
「すんません、仕事中なんで。それよか…早いとこ出た方がいいんじゃないっすか?さっきからずっとそこの道路に停まってますよ、ごっつくて白いベンツが」
ま、おれには関係ないっすけどね。そう言いつつ差額分の紙幣と領収証を取り出そうとした彼に、モニカ嬢は突然すがりついた。
「さっきからっていつよ!?何で教えてくれなかった!?」
いやだから、おれには関係ないし。お客さんずっと電話してたし…。彼の言い訳など聞こえぬように、モニカ嬢は形相を変えて食ってかかってきた。
「アンタもグルね!?店とナカマ!!アタシ騙して十万取ってまた売り飛ばそうってんでしょ!!」
先ほどまでの甘い雰囲気はどこへやら。極度の怒りが伝わってくるほど彼女から腕を掴まれた。どうってことはないけれど、ここで客をねじ伏せる訳にもいくまい。
はあ、とため息をつくとサトウと呼ばれた彼は腕をそっと避け、代わりに彼女の肩に手を置いた。
「いいですかお客さん、こっちはあなたから頼まれて引っ越し荷物を運ぶだけ。深夜特別料金で十万を前金で頂いた。ブランド物は処分していいと言われたから、差額をお客さんに渡してこっちは帰る。それでおれの仕事は終わりです。そうですよね?おれ何か間違ったこと言ってますか?」
だいたい、急ぐからって言ってたのお客さんの方っすよね。長電話までおれのせいにされたらたまったもんじゃない。
この繰り言も軽くスルーされた。モニカの顔つきがまた変わる。
「じゃあ、ホントに店と関係ないのね!?助けてよ!!だったらアタシも荷物と一緒、運んで!!」
複雑な思いを全て飲み込んで、我慢強くサトウは黙って彼女の言葉を聞いていた。ほうっと一息ついてから事務的に告げる。
「お客さんを送り届けるとなると別料金になりますが…」
「いくらでもいいから!!あいつらに見つからないようにしてよ!?」
それはまた、特別プラン料金で高くつきますがいいっすか?淡々と言い返したサトウは、モニカから激しい目つきで睨まれた。
ったくしょうがねえなあ。
ぼやきさえも火に油を注ぎかねない。「じゃあこちらからタテイシ様の方に請求させてもらいますんで」とさらりと付け加えると、彼はおもむろに商売道具のガムテープを取り出した。
深夜だというのにマンションの廊下へ荒々しい足音が響く。ヘビだかワニだか知らないが、高そうな革靴はこつこつと言うよりドタドタという少々品のない音を立てていた。
腕っ節だけではなく根性まで据わっていそうな屈強な男が五人、真っ直ぐに一つの部屋を目指して向かう。三つほど手前にいた作業着の青年は、あやうく突き飛ばされそうになった。
ドアフォンを押すヤツと直接扉をどんどん叩くヤツ、それだけではなく大声でモニカ嬢の名を叫ぶヤツ。
…だったら最初から、名前だけ呼べよ…
青年は自分に浮かんだそんな思いをおくびにも出さずに、伝票を取り出して何かを書き付けている。
「モニカ!!モニカてめえ、そこにいるのはわかってるんだぞ!?ドアぶち破られてえのか!!」
一番偉そうな一人が顎をしゃくる。合い鍵あるなら騒ぐなってんだよ、青年の声なき声はあくまでも胸の内。
手下と思われる若い衆が無駄に大きな音を立てて鍵を開け、中に土足で踏み込む。
「服も荷物もすっからかんです!!あのアマもいません!!」
いや、さっきまで電話してたはずだ。この部屋から出ているはずがねえ。低く地を這うようなうなり声に手下ですら怯えているようだった。
青年は作業の手を休めない。視線がこちらを向いたことには気づいていたが、それでも平静さを保っていた。
睨め付けるような目で様子を伺っていたお偉いさんが、たまりかねたように青年へと声を掛ける。
「おい、そこの兄ちゃん。こんな真夜中に宅配便かい?」
「あ、どうもお疲れ様っす。うちも今度、深夜特別サービスってのを始めまして」
愛想なく頭を下げて、さらりとかわそうとする。足元の荷物を軽々と持ち上げつつ。
「…へえ、最近の宅配ってのはすげえなあ。その箱の中身、見せてくれねえか」
いやあそれはちょっと。会社の信用問題になるんで…。
「何が入ってるかくれえ教えろや、兄ちゃんよ」
その辺のちんぴらでさえビビりそうなドスの利いた声に、あー布団っすよ、と軽く応える。
「深夜便なんか頼んどきながら、山田さん留守なんだもんなあ。営業所持って帰んなきゃなんないんすよねえ。ほら今、コンビニで二十四時間受け取りできるから、こっちも対抗するんだって言われてて」
肩にその一メートル四方程度の箱をひょいと載せ、青年はエレベーターもないマンションの階段を降りてゆく。
背中にべっとりと苦々しげな視線を張り付かせたままで。
路駐の営業車に向かい、時おり肩の荷物を少しだけずらしながら青年は歩く。表情は変わらない。イヤむしろ、何を考えているのかもわからないほどの特徴なき顔。
しかしよく見れば、じんわりと滲む汗でセルフレームがずれ始めているのがわかる。ようやく車まで来ると、彼は荷物をわざと乱暴に道路へと放った。
後ろのドアを開け、先ほどの箱をずいっと奥へ押し込める。赤いラインにサクランボのマークが深夜の街灯の灯を受けて目につく。
ややふてくされたようなふうで首を軽く回すと、彼は運転席に乗り込んだ。
ゆっくりと車を走らせ大通りへと出る。そこで初めて彼は右手で肩を揉んだ。
「ふっざけやがって、あの女。スタイルいいかと思えば全身筋肉かよ!重てえのなんの!!」
ようやく車内で一人になれたという安堵感からか、彼は吐き捨てるように大声を出した。
その運転席の真後ろにある、荷物室からの仕切り格子から呻くような声……。
「…重くて悪かったネ…」
「お客さん、勝手に出てきちゃったんすか…?」
振り向くのも怖い。先ほどの男どもとは違う圧力を後頭部に感じる。
「フザケルナはこっちのセリフね!!痛いじゃない!ドスンだのバタンだの置かれて、最後なんかケッたでしょ!!足で!!」
「しゃあないでしょうが。お客さんはあくまでも通販で届けられた布団なんだから」
深夜ゆえの空いている都内の道路を、サクランボマークの宅配トラックは飛ぶように走り抜けていく。
「これでタテイシさんのとこに連れて行ってくれるね」
「まあ、最大限の努力はしますけどね」
サトウと呼ばれた青年は、横目でサイドミラーを確認する。そんなに甘いはずがないのは最初から覚悟していたさ。目視できたのは、磨かれた車体を光らせつつピタリとついてくる……白いベンツ。
「さあてと、振り切るには荷物が重いと。街のど真ん中でやるのもなあ」
モニカの携帯は取り上げてある。タテイシがどんな輩か確認できない限り、連絡なんぞ取られてはたまったものではない。
…まあ、いっときでも夢でも見てろや…
わずかな格子窓から前方をうっとりと眺めるモニカ嬢の胸中はいかなものか。それを慮る余裕は、どうやらサトウ青年には与えられようもなさそうだった。
はあ。これで何度目かのため息をつきながら彼は頭をかいた。
(つづく)
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