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ガラスの靴、履けちゃった

掲載日:2026/11/03



「ぴったりじゃないか!!」

「マジかよ……」


つま先から踵までぴったりと、見事にシンデレラフィットしたガラスの靴に、顔からすーっと血の気が引いた。


殿下、人違いです。


ちゅ、と手の甲に唇を落とされる私の目は死んでいた。







吾輩は人である。名前は忘れた。

どこで死んだかとんと見当がつかぬ。平々凡々な子供時代を過ごして大学まで進んだことだけは記憶している。


だがその先の記憶がない。


気づいた時、私は天蓋付きのベッドに体を横たえていた。いわゆる知らない天井というものを初めて目にして何度も瞬きした。夢かと思ったがしばらくしても何も起こらず覚めもしない。ひとまず、と滑らかな見た目のわりに肌触りの悪い毛布を払い、体を起こした。

実家の自室より遥かに広い部屋の中には、見るからに高級そうなドレッサーやクローゼット、調度品が並んでいて、はて、私は美術館で寝泊まりしていたんだったかと錯覚しそうになった。


どこだここはと数秒考えて、ぽわわーんと何となく思い至る。

これはまさか転生した件、ってやつか。


私は乙女ゲームを知らぬ。どちらかというと少年漫画を読んで獣を捕まえて旅するゲームを嗜んでいたタイプのおなごである。ただ近年流行りの悪役令嬢ものというジャンルは存じている。


ベッドの下に靴を見つけてつま先をひっかけた。しなやかな手足を動かして歩き、おそるおそるドレッサーを覗き込むと、そこには美少女が映っていた。

髪は日本人だった頃と同じく黒いが、色素の薄い灰の瞳は西欧のそれである。ちなみにその目は吊り目気味で、これはもしや悪役令嬢側ではと嫌な予感がした。

鏡の中の美少女も、げ、と顔を顰めていた。


しかしどうしたものか、随分と金持ち感のある部屋である。十中八九どこかのご令嬢だろうが、生憎私はそれらしく振舞える知見がない。そもそも言語は一緒なのか?


「あら」


ふいにがちゃりと扉が開いて、使用人らしきメイド服のおばちゃんが顔を出した。第一村人の発見に体が強張る。


「イザベラお嬢様!もうお目覚めになられていたのですね!」


珍しいこと、とニコニコ笑って部屋に入って来た彼女に、ずんと気分が沈み込んだ。


私はイザベラという名前らしい。すごく悪役っぽくない?いや偏見が過ぎるな。

いや落ち着け、そもそも悪役令嬢ってもう勝ち組だから。それもうヒロインとイコールみたいなところあるから。とりあえず逆境が来ても負けないように備えることが大事でそれさえ超えれば何とかなるはず。


はず。


「マチルダ」

「はい、お嬢様」

「……何でもないわ」


使用人のおばちゃん、マチルダは、はい?と不思議そうな顔をしていたが、私も同じだ。不思議だ何だコレ。彼女を見ていると急にふわっとその名前が浮かんできたのだ。自然と出た声は凛としていたし口調もお嬢様然としていて口にしても違和感がなかった。

どうやらお嬢様としての振る舞いや記憶はちゃんと覚えているらしい。よくわかんないけど。


無様晒さなくて良かったーと思いながら、服の着せ替えが終わるのを待った。下着姿になっても羞恥心を感じないのも引き継がれているらしい。これっていいことか?





さて、私がイザベラお嬢様になって二か月が経った。

どうやら私はアールグレイという伯爵家に生まれた長女らしい。なぜ紅茶の名前なんだ、つか英語にしたらアールアールグレイになるんじゃないのか、そもそもアールグレイの語源はグレイ伯爵だろう、など色々言いたいことはあったが、これが現実なので受け入れるしかない。


父親のアールグレイ伯爵は紅茶好きの温厚な人、母はどうやら病で他界したらしい。跡継ぎになる弟は王立学園で寮生活らしくまだ顔を合わせていないが、マメに送られてくる手紙からして仲は悪くなさそうだった。


とりあえず家庭環境はクリアである。


私の目下の課題は主人公を探すことだ。ここが乙女ゲームか悪役令嬢小説かは知らないが、ヒロインがいるのは間違いない。どうせヒーローは王子とか隣国の皇太子とか宰相の息子とか王弟殿下とか最年少で宮廷魔術師となった妾の子とかそんなところだろう。


言い忘れていたが、この世界には魔法なるものがあるらしい。なお、イザベラは魔力量が少なすぎて無理らしい。現代を生きてきた者として魔法は憧れだったから何度も試みてはみたものの、蛍のような明かりを灯すのが精いっぱいであった。悔しい。


結局この二か月間、イザベラは淑女としての教育を受け、いつストーリーが始まるかとびくびくしながら過ごすのみだった。





「この果実酒、とてもおいしいわよ」

「あら、私もいただこうかしら」


豪奢なシャンデリアが吊り下げられた大広間。時刻はとうに宵を過ぎ、空には満月が輝いている。バルコニーからそれを見上げていた私は、煌びやかな仮面の女性に差し出されたグラスを、摘まむように受け取った。


仮面舞踏会。日本にいた頃にこの言葉を聞いたならきっと曲名だと思っただろう。しかしここは中世ヨーロッパに近しいファンタジー世界、ガチの仮面舞踏会である。


色とりどりの鮮やかなドレスと仕立てのいいスーツを着た人々があちこちを行き交っている。彼らの顔はそれぞれ仮面で覆われており、そこに立っているのが誰なのか、少なくともすぐにはわからないようになっていた。


かくいう私も光沢のある仮面をつけており、さっきから目の周りがむず痒い。


「ねぇ、あなた知ってる?」


果実酒をくれた女性が囁くように言った。


「ここに第二王子がいらっしゃってるって」

「珍しいこと。舞踏会にはめったにお顔を出されないのに」

「あんなに綺麗な方なのにね。ね、誰だと思う? 私、あのブロンドの殿方だと思うの」


彼女が指差す方を見るが、ブロンドってどれだ、何人かいるけど。

私の反応が鈍かったので、ほら、あの方よ、と彼女は付け加えた。


「今踊ろうとされている方」

「あぁ……」


華奢な女性の手をとって、進み出る男性を見つけた。明るいブロンドの髪が、シャンデリアの光を反射して一等きらきらと輝いている。

アルヴィン・パトレイア。このパトレイア王国の第一王子であり王太子である。

顔は見えないしそもそもあまり記憶にないから確証も持てないが、立ち振る舞いは確かに優雅で堂々としている。自然と人の目を引き付けるその様はオーラとでも言おうか、その類のものが滲み出ている気がした。


「……お相手はどなたかしら」


隣の彼女がグラスを回しながら呟いた。


曲に合わせて二人の足がステップを踏む。女性は踊り慣れていないのか覚束ない動きで、しかし王太子と思われる男のリードでなんとか形を保てているといったところ。会場にはクスクスと嘲笑がさざ波のように広がっていた。


しかしイザベラは笑わなかった。道徳の問題ではない。自分もダンスの経験に乏しいためである。一応指南を受けた記憶はあるが、人前で披露することなどそうそうなかった。ダンスの先生は褒めもしないし貶しもしない不愛想な人だったので、まったく自信がない。今日だって参加するつもりはなかったのだ。ただヒロインが現れるならきっとこういう場だと思ったから渋々見に来ただけである。


あ、ひょっとしてあの子がヒロインだろうか。でも顔が見えないからどこの誰だかさっぱりわからない。心当たりもない。


じぃっと見つめているうちに、一曲踊り終わったらしい。拙いダンスだったが二人はとても楽しそうだ。もしかしたらストーリーは私の知らぬ間に進行していたのかもしれない。まああれが王太子ともヒロインともわからぬわけだが。


くぁ、と零れそうになった欠伸を噛み殺す。いけないいけない、今の私は淑女である。しかし時刻は真夜中近い。美容のために早寝早起きを徹底していた私には辛いものがある。


そういうわけで、私は舞踏会が終了する前に城を抜け出したのだ。





さてここからが問題だった。


「知ってるかい?」


数日後、アールグレイ伯爵、すなわちお父様が朝食の席で切り出したのだ。


「アルヴィン王子が先日舞踏会で踊ったご令嬢を探しているそうだ。そのご令嬢が落としたというガラスの靴を履かせてね」

「シンデレラやん」

「どうかしたかい?」

「いえ、なんでもございませんわお父様」


シンデレラじゃないか。びっくりした。

何食わぬ顔で紅茶を口に含む。いやほんとにびっくりした。

悪役令嬢ものだと思ってたのに童話の方だった。人混みで足元までは確認しなかったから、まさかガラスの靴を履いていただなんて気づきもしなかった。ひょっとして私はストーリーに関係ない人間なんだろうか。


「そのご令嬢は真夜中を迎える前に城を抜け出してしまったようで……その、もしかしてイザベラがそうなのかと」

「人違いですわお父様。わたくし舞踏会では一曲も踊りませんでした」

「そうか!いやそれならいいんだ、そうかそうか……!」


この父親、娘を嫁に出すのがよほど嫌だと見える。無理もない、最愛の妻に先立たれ、娘はその妻の面影を宿しているのだ。転生者が入り込んでしまって本当に申し訳ない。


仮面舞踏会以降、あちこちから噂が聞こえてきた。公爵家のご令嬢はガラスの靴に足が入らなくて引きこもってしまったとか、辺境伯の娘も強引に足を入れようとして王子に睨まれたとか、我こそはと令嬢たちが名乗りを上げて、城には連日列ができているという。中には未亡人や既婚者が混じってるなんて話もあるが、さすがに既婚者は嘘だと思いたい。


しかししばらく経ってもガラスの靴の合う女性は見つからなかった。業を煮やしたアルヴィン王子自らが国中を探し回っているらしい。まだ試していない令嬢は数えるほどだったから、順番が回ってくるのは早かった。


朝方に聞こえた馬のわななき。イザベラの美貌を鏡で鑑賞していたところにやってきた足音に、私は窓を少し開けて外を覗いた。

まさに白馬の王子様だ。芦毛の馬から軽やかに降りるとブロンドの髪が柔らかく煌めく。ついにガラスの靴が我が家にやってきたのである。振り返った彼の瞳がかちりとイザベラの目と合った。


うわ、ガチイケメン。


通った鼻筋も目の形も、遠目からでもはっきりわかる美形である。

王子様ってすげー、と思いつつ、イザベラは失礼にならないようにと淑女の笑みを浮かべて、出迎えに向かった。





そして冒頭に戻る。


「ぴったりじゃないか!!」

「マジかよ……」


つま先から踵までぴったりと、見事にシンデレラフィットしたガラスの靴に、顔からすーっと血の気が引く。


「殿下、人違いです。私は舞踏会には出席しましたが踊ってはいません」

「ふふ、君は相変わらず往生際が悪いね」


きっぱりした口調で言ってのけたのに、殿下は嬉しそうにほほ笑むばかりだ。はちみつのような甘い笑顔という一文が脳裏に過る。落ち着け、落とされるんじゃない。


「僕には君しかいない、あの夜にそう確信したんだ。ダンスであんなに足を踏まれたのも罵倒されたのも初めてだったよ」


恍惚と宙を見つめる王子に理性が一瞬にして帰還する。


よし、落ちない落ちない、落とされてたまるか。この王子やべーやつじゃん。


あの夜の思い出と称して、その後令嬢が働いたらしい無礼の数々を熱烈に語る王子に、目は自然と遠いところを向いていた。


王子として敬われるばかりの人生を送ってきたせいか、どうやら性格がねじ曲がってしまったようだ。悪役令嬢界隈ではよく聞く話である。

いやジャンルとしてはシンデレラのはずなんだけど。


王子の後ろに控える騎士は王子の様子を見て、うへぇと若干気持ち悪そうに表情を崩している。お付きの人から見てもきもいんだ、やっぱり。


その騎士と目が合って、何とかしてくださいよと目だけで訴えかける。しかしはははと苦笑されるだけで騎士は一歩も動かなかった。それどころか、彼はどこからともなく何かいい感じの棒を取り出した。その棒の端を持って、ビューンヒョイ、みたいな動きをしている。つまり杖を振って魔法をかけているような素振り。


「まるで魔法にかけられたようだった」


つまり魔法をかけたということ?


アルヴィン王子が言葉を尽くしてあの夜がどんなにおもしろかったかを熱弁する中、私はその騎士のジェスチャーをじっと見つめていた。


騎士は頭の上で棒を振り、くるくるとその場で回ってみせた。別に何が起きるわけでもないが、両手を腰から八の字に動かしている。魔法にかけられて、ドレス姿になった?シンデレラじゃん。それから、棒を捨て、ドレスを摘まむような仕草をしながらその場で足踏みした。そして止まったかと思ったら今度は手のひらで顔の上半分を覆う。仮面のことだろうか。


ドレスを着て、仮面舞踏会に参加したということ。


誰が?


ジェスチャーは続いている。騎士が王子を指差した。王子がシンデレラ?いやそんな馬鹿な。何を言いたいのかと続きを待っていると、騎士は今度は王子の方に両手を伸ばし、ハートの形を作った。そしてそのハートを自分の方に引き寄せる。


「これは運命だ!」


王子の戯言が続いているのをいいことに、騎士はまた同じジェスチャーを繰り返し始めた。魔法で、ドレスで、舞踏会行って、王子から自分へハートを。


いやいやそんなまさか。え?何を言ってる?


私が顔を引き攣らせると、騎士は満足そうに笑った。


魔法かけて、女装して、舞踏会行ったら、王子に、惚れられた。


なるほど、なるほど。そりゃあ見つかるわけがない。まさか自分が惚れた相手が魔法で女に化けた護衛騎士だったなんて、王子も夢にも思わないだろう。


バカだコイツ。


騎士は最後にグッと親指を立てた。声を聞いた覚えもないのに、彼の言いたいことが頭の中に勝手に聞こえてくる。


『あと、よろしく』


国を混乱させた当人は、この件を私に丸投げしようとしているらしい。


「ふ、ふふふふふふふふふふ……」

「おや、嬉しいね。私の言葉で君が笑ってくれるなんて!私が滑稽に見えたのかな?」


私は淑女然とした笑みを浮かべて足を踏み出した。両手を広げる王子の脇を潜って騎士に寄れば、彼はなぜそんなことをするのかわからぬといった様子で首を傾げていた。


王子の求める令嬢の正体はこいつです!!なんて私が主張したところで受け入れられるものではないだろう。この調子だと照れ隠しか何かだと思われて終わるに違いない。足のサイズが合っていたのが致命的である。


「殿下、わたくし……」


このまま婚約者にされてしまっては敵わない、ということで、私は逃げようとする騎士殿の腕をがっしりと掴んだ。


「この方に一目ぼれしてしまいましたの……」

「え」

「は?」


すとんとアルヴィン王子の表情が抜け落ちる。首が滑らかに回って、温度を失くした瞳が騎士を射抜いた。


「殿下は素敵な殿方ですが、それでもわたくしは自分の気持ちに嘘は吐けません」

「ご、誤解です殿下!」


つかつかと騎士に詰め寄る王子に恐れをなして、騎士が私の腕を振り払って後退る。


「すまないがアールグレイ伯爵令嬢、今日はここで失礼させてもらうよ」


言うが早いか、殿下は騎士の襟首を引っ掴んだ。そのまま引きずるように屋敷を出で行く。彼らが門を出るまで赦しを乞う騎士の悲鳴のような声が響いていたが、まあ知ったことではなかった。




さあこの後何が起こったかと言えば、騎士は王子に濡れ衣を着せられて処刑されかけたそうな。観念した騎士殿は自ら魔法をかけて、自分が件の令嬢であると証明することで難を逃れた、らしい。

まさか王子が男に惚れたとか、まさか王子の護衛に女装癖があっただなんて、そんな不名誉な話が早々出回ることはなく、風の噂で伝え聞いたことを元に推測したものである。


そして気づけば王太子はアルヴィン王子から第二王子に挿げ替えられていたのだが、その裏で何があったかはアールグレイ伯爵令嬢には全く関係のないことだ。



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