11_青空読書回
相手の心に踏み込むのは怖い。
ただのおせっかいや迷惑になることもあるし、拒絶されることだってある。
自分の心に踏み込まれるのも怖い。
自分の大事なものが軽んじられたりしたとき、酷く傷つく。
俺が人の好意を受け取れないのは、最初から距離を保っていれば致命的な傷を負わなくて済むという考えもあるのだろう。
踏み込みもしないし、踏み込まれもしない浅い付き合いが俺には一番よくて、ミコト以外の人間とはそんな関係を続けていた。
だけど、一度だけ深く踏み込んで失敗したこともある。
大学一年生の二月頃の事、ミコトが大きく変わった。
口調は"オレ"から"わたし"になり、髪を伸ばしたり、メイクをしたり、声の高さや抑揚も女性に近づき、女装のクオリティは大きく上がっていった。
そうすれば次第に、ミコトの傍に近づいてくる人間も増えた。
今まで離れていった同期や、良く知らない先輩たちが見た目に釣られて近づくたび、作られた笑顔を振りまいた。 ……だが、内心で無理をしているのは明らかだった。
春が近づく三月頃、俺は意を決してミコトへと問いかけた。
「お前はそんな無理して、何がしたいんだ」
「……だって、キミはわたしと一緒にいて避けられてるでしょ? わたしがちゃんと女の子に見えたら、隣にいてもキミが避けられないんじゃない?」
驚いたことに、ミコトはそれを俺のためにしていたのだという。
その気持ちは嬉しかった。 だけど、俺は別にそんなことのために無理をしてほしくはない。
今も先輩たちに向けるような、作られた笑顔を俺に向けて笑う。
確かに見た目は可愛いかもしれない。 多くの人を引き付けるだろう。 だが俺が惹かれた、心から楽しそうにしていた笑顔は陰りを見せており、俺にはそれがとても寂しかった。
「俺は別にそんなこと望んでない」
思わず出てしまった言葉。
それを聞いた瞬間に見せたミコトの表情から、自分が何か致命的な間違いをしたことを悟った。
「……そっか、わかった」
何と言えばいいかを考えているうちに、ミコトは足早に去っていった。
次の日からミコトの口調は私からボクになった。 メイクや声色は女性に近づけたままだが、作られた笑顔をするのはやめて、近づいてくる人をあっさりとあしらうようになった。
「好きな服を好きに着るのもいいけどさ。 好きな服を、似合うように着れたら最高でしょ?」
そう言って笑う表情に嘘も無理もなく、俺は楽しそうに振舞うその姿を喜んだ。
……でも、女性に近づける振る舞いが嫌じゃなかったのなら、ミコトは何を無理していて、俺は何を間違えたのだろう。
未だに答えの出ていない、後悔の想い出。
***
五月十六日、土曜日の夜二十一時。
毎週土曜日に行っている配信だが、先週は3Dお披露目があったため休んでいる。 そのため定期配信を行うのは二週間ぶり。
俺は配信開始ボタンを押すと、リスナーに向けて挨拶をした。
「こんばんは、本や物語を紹介するVTuber紙カクシです。 皆さま、二週間ぶりですね。今日は青空読書会のお時間です」
青空文庫と呼ばれるwebサイトがある。
著作権が切れた作品や、著作者が許可を出した作品が収められたwebサイトだ。
青空読書会では、最初の方にリスナーと今はどんな本を読んでいるかを雑談して、その話題の中から朗読する作品を決めている。
ミコトの動画やチャンネルに何度か参加させてもらったため、同時接続は400人にまで跳ね上がっている。 普段の十倍の数ではあるが、以前からのファンも残ってくれているのがコメント欄にあるメンバーバッジや名前でよくわかる。
「最近は皆さんどんな本を読みましたか?」
>コメント:本屋大賞の奴何冊か買って読んだよ
>コメント:来るの初めてだから、古本屋の100円コーナーで適当に有名なの買ってみた。
「本屋大賞、良いですよね。 とりあえずで手に取ってみるには良い基準です。 100円の古本は昔の名著が多いですね。 作者の方には利益がいかないので申し訳ないんですが……私も学生の時、何度も利用していました。 ……あ、作者の方にSNSで、古本で読みました! とかは禁句ですよ? 読んで面白かったことだけを伝えましょうね」
普段よりも沢山のコメントが殺到するためか、目に留まったものを矢継ぎ早に捌いていく。 しかし読めないコメントの方が圧倒的に多い。
>コメント:Web小説とかでもいい?
>コメント:最近webから書籍化とかアニメ化してるのも多いよね。
「Web小説でもいい? 勿論! きちんとした出版社から出ている本というのは一定の面白さを担保されています。 ですが、個人で出している物語は商業では出来ないやり方で魅力を出しています。 漫画でもライトノベルでもなんでも楽しんでいきましょう」
>コメント:ラノベはともかく、漫画って読書なのか?
「漫画が読書か、ですか。 私が子供の頃は確かに、そんな風に言われていましたね。 でも、皆さん最初は紙芝居や絵本から文字に触れるでしょう? 昔は絵巻物という絵と物語がセットになったものを楽しんでいましたし、私は表現方法が違うだけでそれも読書で良いんじゃないかな、と思ってますよ」
漫画は低俗だと学校では禁じられることも多かった。
だがそんな学校の図書室にも、手塚治虫や横山光輝、その他学習漫画シリーズは置いてあった。 基準なんてあやふやなもので、別にあれは読書ではない、など狭める必要は無いと思う。
>コメント:でもこの間の3Dお披露目とか、今昔物語とか好きって言ってなかった?
>コメント:古事記とかもだけど結構難しい本読んでない?
「古い文体だから難しく見えるだけで、軽い言葉に置き換えればただの笑い話だったんだってなるものも多いですよ。 古くから伝わる名作でも、当時の人にとってはきっとただの娯楽の一つだったでしょうしね。 私のチャンネルの紙芝居動画とかは、そんな感じで作品を親しんでもらえたらいいなと作っていますから、気が向いたら御視聴くださいね」
おそらく、ミコトのチャンネルから来てくれたのだろうリスナーに、自分の物語に対するスタンスを伝える。
文体は大きなハードルだが、色んな作品を親しんでくれると嬉しい。
「さて、今日はどんな話にしましょうか。 ご新規の方が結構来てくれているので、何か親しみやすいものが良いのですが……どんなものがいいか、希望はありますか」
>コメント:[1000]えっちなの読んでほしい
>コメント:[1000]ミコちゃん見たいな可愛い男の子が出てくる奴
「うわ。 コロネさん、たゆまさん、スーパーチャットありがとうございます。 えーっと……、どうしましょうね。 えっちなの……、は田山花袋の蒲団かな? 流石に読めないですけど。 可愛い男の子というなら、怪人二十面相の小林君が思い浮かぶのですが、長編なので朗読時間が足りませんね」
>コメント:作品の候補はすぐ出てくるんですね
>コメント:蒲団調べたら結構倒錯的なの出てきたわ
>コメント:小林君は十二、三歳の少年……ほうほう。
「ミコトは普通に大人の男性なので小林君と体格は全然違いますが、どちらも可愛いですからね。 青空文庫以外だと少年系も、官能的なのも色々候補が出てくるのですが……。 ここはそうですね。 二つを組み合わせて二十面相の作者、江戸川乱歩の人間椅子の朗読を致しましょう」
>コメント:おぉ、名作だ
>コメント:どんな本?
>コメント:始めて聞くから楽しみ
コメントを見た感じ、読んだことがあるという人は一割くらいか。
人間椅子は、自身の制作した椅子に住み着いた男の告白と、それを知った女性の恐怖を描いた作品だ。 その告白に描かれた男の感情や行動は少し官能的ではあるが、あまり直接的すぎる表現でもないため、朗読しても問題ないだろう。
「佳子は毎朝――」
***
「――以上で、人間椅子のお話はおしまいです。 いかがでしたか?」
>コメント:面白かった。
>コメント:途中、女性に座られてる感触を感じようとする男が気持ち悪かった
>コメント:結構短いのに、ゾクってなったけど、最後のオチが良いね。
朗読中は横目で軽くコメントを追っていたが、終わってからも含めておおむね好評だった。 新規に来た人にも楽しんでもらえる作品を選べたようで何よりだ。
「この作品は青空文庫で無料で読めます。 江戸川乱歩の作品は多く収録されていますが、所持したいと思った方は江戸川乱歩全集などがありますね。 全集の場合は読みたいお話のついでに他の話を読んでみたらそっちの方が刺さった、となることも有りますしオススメですよ」
>コメント:今度探して読んでみます
>コメント:試し読みしたいので、一度図書館で探そうと思います
>コメント:全集って聞くと高いイメージですけど、意外とお値段もそんなにしないんですね
コメントでは紹介した本を様々な方法で読もうとするコメントが見受けられる。
そこから色んな物語に触れるようになってくれたら何よりだ。
そう考えていると、あるコメントが目に止まった。
>コメント:ところで、青空文庫以外だったらどんな候補があったんですか?
「青空文庫以外、ですか。 ミコトみたいにクオリティの高い女装となると、古事記のヤマトタケルやギリシャ神話のアキレウス、北欧神話のロキ。 淫靡な感じとなればカーミラなどが候補でしたね」
>コメント:カクシさん、日本文学以外も読むんですね
>コメント:なんかえっちっていうより淫靡って言い換えた方がエッチ度高いね
>コメント:肌色多めの知的お兄さんがえっちな本を読み聞かせするの、もうこれメロいじゃなくてエロい。
「私は確かに和の見た目なんですが、国内外問わず本が好きですね。 ……あと、ちょっとミコトの動画に出てからセクハラっぽいのが増え始めたんですよね。 大丈夫ですか? 私は三十越えのおじさんですよ?」
>コメント:は?四十にもなってない若造がオジサン名乗るなよ
>コメント:三十代はまだお兄さんで通用するだろ
>コメント:三十歳の小娘がオバサン名乗り始めたら三十四歳女の私はキレるぞ
俺の不用意な発言で圧の強いコメントが飛び始めた。 お兄さん、おじさん、お爺さんの年齢の定義って結構難しいと思う。 今の五十代は普通に若く見えたりするし、ミコトとか未だに大学生で通じる見た目だし……。
俺もミコトに言われた通り風呂上がりに肌の手入れなどはしているが、流石にあそこまで若くは見えないはずだ。
「すみません、私が悪かったですね。 それじゃまだしばらくはお兄さんを名乗ることにします」
軽く謝ってからコメントに戻ると、年齢へのツッコミ以外でも質問が来ていたためそちらを拾う。
>コメント:カーミラって名前だけ聞いたことあるけどどんな話?
>コメント:よかったらカーミラの話聞きたい
>コメント:吸血鬼って漫画やゲームでしかみないから古いの知りたい
「カーミラのお話ですか? ……そうですね、配信時間的にまだ三十分ほどありそうですし、お話ししましょうか。 百五十年前の作品にネタバレ警告も何も、という気はしますが、もしまっさらな状態で楽しみたい方がいらっしゃれば、一旦お帰りになられた方が良いでしょう」
カーミラは俺も好きな話だ。
フランケンシュタインやドラキュラと同じく、子供向けの作品に入れられることも多いが、大人になってから読んでも面白かった。 というより、大人になってからの方が楽しめたかもしれない。
「主人公の名前はローラという女性なのですが、そんな彼女がカーミラという女性と出会い、友達になる中、不審死や体調不良など様々な不思議な出来事が起きていく。 幼いころに夢の中で出会った女性とカーミラが似ていたり、百五十年前の婦人の肖像とカーミラの姿が一致しているのだが、これは一体何か関係があるのだろうか。 ……あらすじはこんな感じですね」
>コメント:ミステリーなのかな?
>コメント:いや幼いころに見た姿も昔見た姿も一緒なら犯人ほぼ確じゃん
「ミステリーではなくゴシックホラーと呼ばれるジャンルです。 個人的な感想ですが、この作品の魅力は倒すべき怪物であるカーミラと、主人公ローラの間にある愛です」
>コメント:百合なの!?
>コメント:ちょっと興味出てきたな
「カーミラは明確にローラを恋愛対象にしています。 例えば愛しい人と読んだり、ローラ以外に恋したことはないと言ったり、ローラも恋愛感情を向けられていることに気付いています」
ここからは言っていいものか、と思うのだけど……。 時計をちらりと見れば、時間的には二十二時四十分。 良い子は大体寝ているだろうしいいだろう。
「……もっと直接的な描写ですと、何度も接吻しながら貴方は私のものと頬を染める。 彼女を抱きしめながら頬に口づけをして話す。 胸から血を吸ったり、ローラが寝ている間に喉にキスマークを付けていたりもします」
>コメント:エッッッ!!
>コメント:ちょっと明日買ってきますね
>コメント:怪物から一方的な矢印向けられてる百合いいねぇ
「カーミラからの一方的な感情ではあるのですが、ローラも少なからず彼女のことを大事に思っているんです。 特にエンディングでは、カーミラの足音が聞こえた気がして物思いにふける。 まだ傍にいるんじゃないかと思ってしまう、そんな大事な人を失った寂しさが描かれるんです。 失った寂しさから相手を大事に思っていたことが伝わるエンディングで、私は好きなんですよ」
>コメント:怪物の脅威は去ったけど、複雑な感じ。ビターエンドかな。
>コメント:百合メリーバッドエンド?
「一度は読んでみてほしいですね。 カーミラは普通に日光の下を歩けるので、今の吸血鬼イメージに慣れてる人はそのあたりも驚いてしまうかも」
>コメント:むしろ最近は日中歩いてる吸血鬼が多いような気も
>コメント:日中歩けないと、吸血鬼ヒロインとデートイベントの大半つぶれるんだよな
>コメント:カクシさんはいつ頃この本を読んだの?
「読んだ時期ですか? 確か小学校の低学年くらいでしたか。 図書館で借りたはずです」
小学校の頃も学校が終わると良く図書館に行って閉館時間まで本を読み、三冊ほど借りて家に帰るのが習慣だった。
休憩時間はボール遊びや鬼ごっこもしていたが、子供たちは放課後になるとゲームやおもちゃで遊ぶから、放課後の学校に俺の居場所はなかった。
>コメント:子供が読んだら性癖が歪みそうだ
「あはは。 まぁ確かにキスシーンはちょっと刺激がありましたけどね。 恋愛はわかりませんでしたが、猫など愛おしいものには手や指じゃなく唇で触れたいという気持ちはあったので、そのあたりでカーミラの気持ちを自分に置き換えて理解しながら読んでました」
>コメント:なんで可愛いものって口で触りたくなるんだろうね
>コメント:自分も息子の頬っぺたにも良くちゅっちゅするよ
>コメント:犬猫も人にちゅーしてくる
「一番柔らかい部分で触れることで、傷つけないように触ってるのかなとか。 唇はセンサーの役割も有るので、それで確かめているのかとか考えてました。 ……実際どうかはわかりませんけど」
>コメント:わかるー!
>コメント:傷つけないように触るって解釈良いですね
傷つけないように、というのは自分の考えだ。
周りよりも体の成長が早く、筋肉もついていた俺は相手を押したり小突いたりし合う行為で泣かせてしまったこともある。 小学生男子は殴り合いがじゃれ合いの範疇に入ってくるので、そこで徐々に力加減を学んでいったが、か弱い生き物に触れるのは今でもほんの少し躊躇する。
だが唇の場合だと、触れて怪我をさせる、なんてことはまるで想像がつかないので自分でも安心できる。
そこでふと、一つのコメントが目に止まった。
>コメント:私は可愛いのを見ると壊したくなる。
「壊したくなる、キュートアグレッションですね。 可愛いものを見ると傷つけたくなる衝動のことです」
>コメント:そんな名前ついてるのか、ガチで勉強になった。彼氏できた時にDVしそうで嫌になる。
アイコンはぬいぐるみで、可愛いものが好きなのだろう。 そしてだからこそ悩んでいるのかもしれない。
「DVしそう、ですか。 キュートアグレッションは相手を思いっきり強く抱きしめたくなったり、噛みつきたくなったりします。 基本的には理性で抑えられるのですが……。 そもそもそういう感情を抱いてしまう自分はダメな人間だって思うこともありますよね」
俺が本気で強く抱きしめたら相手は呼吸が出来なくなりそうだし、非力な女性でも衝動のまま行動すれば相手をケガさせてしまうのは変わらない。 爪を立てたり噛みついたりする行為は女性であっても十分に相手の体に傷を作る。
「でも、名前がついてるってことは、意外とそんな衝動を抱えてる人は多いってことです。 そう考えれば気が楽になりませんか? ……本の中では、たくさんの作者や登場人物が色んな悩みを抱えています。 いろんな本に触れているうちに、自分の悩みも自分だけのものじゃなかったと知れて安心する。 そういう所も本の魅力だと思いますよ」
違う時代、違う国の人と悩みを共有する。 知識や文化を後に伝えるだけじゃなく、ただ一人だけで抱えるような悩みも後の時代に送ることができる。
俺にはそれが素晴らしいものだと思う。
>コメント:ありがとう、優しいじゃん。 好きになってもええか?
コメントでは先ほどキュートアグレッションで悩んでいた人が少し冗談っぽくコメントをした。
「あくまで私の考えですからお気になさらず。 私より優しい人はたくさんいますよ」
いつもの癖で、好意を受け流して距離を取る。
だがそのすぐ後に、ミコトから少しずつ好意を受け取ってあげなよと言われたことを思い出して、言い換えた。
「……いえ、違いますね。 ありがとうございます。 親愛として推してください、読書仲間が増えると嬉しいですから」
この返し方で良いのかはわからないが、以前よりは少しだけ前進できたと思う。
こうして、少しずつ誰かとの距離を縮めていけるようになれば良いな。
モニターに表示される時間を見れば二十三時。 配信時間としてもちょうどいいだろう。
「それでは、今日のところはこの辺りでお開きにしようと思います。 みなさまお付き合いいただきありがとうございました。 また別の配信でお会いしましょう」
>コメント:おつかれさまでした
>コメント:明日久しぶりに図書館行ってきます
コメントの挨拶を軽く見送ると、俺は配信を停止させた。
ミコトの配信のように、大きな盛り上がり所は作れないが……。
終始落ち着いて、好きな作品を共有し合えるのはコレもまた一つの成功だろう。
少し楽しい気持ちになりながら身支度を終えてベッドに入ると、ミコトと配信をする企画を暗闇の中で練り直す。
以前まではベッドで考え事をすれば良くない思考に飲まれてばかりだったが、今では前向きに次のことを考えられるようになっていた。
VTuberとしての活動を、本当に楽しめるようになってきているのかもしれないな。
なんてことを考えているうちに、いつの間にか意識は眠りに落ちていた。




