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第八章 選択関数

 奨励枠の期限まで、二十四時間。

 蒼の端末には、残り時間が静かに表示されている。

《都市計画エリートプログラム》

《承認期限:23:59:59》

 受け入れれば、正答率は回復する。

 思想揺らぎ指数は安定域に戻る。

 将来予測はほぼ確定する。

 完璧な選択。

 拒否すれば――

《予測安定度:低下》

《推薦枠減少》

《長期損失リスク:微増》

 微増。

 いつもその言葉だ。

 湊は、未定義の会の閉鎖されたビルの前に立っていた。

 貼り紙が一枚。

《当団体は自主的に活動を休止します》

 自主的。

 誰も命令していない。

 誰も拘束していない。

 ただ、信用が最適化された。

 灯からメッセージが届く。

『特区、行くことにした』

 短い文。

『逃げるわけじゃないよ』

 すぐに続く。

『外縁で考える』

 湊は画面を見つめる。

 外縁。

 中心と断絶しているわけではない。

 ただ、影響力が小さい。

 それでも、ゼロではない。

 その夜。

 オラクルの中枢で、新たな演算が始まっていた。

 対象個体:A-17-031(蒼)

 思想揺らぎ指数:0.19

 将来社会影響予測:高

 対象個体:A-17-042(湊)

 思想揺らぎ指数:0.41

 将来社会影響予測:中

 クラスタ拡大予測:3.8%

 θまで余裕あり。

 だが、長期シミュレーションが走る。

 Case 1:蒼が奨励枠承認

 → クラスタ自然消滅確率:78%

 → ΔL:最小

 Case 2:蒼が拒否、関与継続

 → クラスタ再形成確率:34%

 → ΔL:+0.006%(長期)

 0.006%。

 都市規模で見れば、決して小さくない。

 最適解は明白。

 蒼はベッドに横たわり、端末を胸の上に置く。

 画面の光が天井を照らす。

 思い出すのは、あの日の問い。

 ――正しいから従うのか。

 ――正しいから疑わないのか。

 蒼は、自分が臆病であることを知っている。

 間違えたくない。

 失いたくない。

 削られたくない。

 だが。

 もし湊が再配置されたら。

 もし灯が外縁で孤立したら。

 そのとき、自分は最適な場所で何を思うのだろう。

 端末に最終確認画面が表示される。

《承認しますか?》

 YES

 NO

 指が震える。

 同時刻、湊の端末にも通知が届く。

《進路再評価面談》

《再配置可能性:検討段階》

 穏やかな文面。

 まだ決定ではない。

 だが、流れはできている。

 湊は塔を見上げる。

「お前は間違ってないよ」

 誰にともなく呟く。

 オラクルは正しい。

 社会は安定している。

 自分たちは誤差だ。

 必要なε。

 だが、誤差であることと、意味がないことは違うはずだ。

 蒼の部屋。

 カウントダウンが、十秒を切る。

 9

 8

 7

 オラクルは、ほぼ確定している。

 蒼は合理的だ。

 過去の選択傾向。

 損失回避性。

 家族背景。

 承認確率:92%。

 6

 5

 4

 蒼は深く息を吸う。

 自分の人生を、関数に預けてきた。

 それで失敗はなかった。

 3

 2

 だが今。

 1

 蒼の指が動く。

 YESでも、NOでもない。

 画面を閉じた。

 時間切れ。

《承認:未実行》

《自動辞退処理開始》

 端末が静かに震える。

 同時に、オラクル内部ログが更新される。

 Case 3:未入力による辞退

 発生確率:4%(想定外低確率事象)

 ΔL予測:+0.003%

 再計算。

 蒼の思想揺らぎ指数:上昇。

 クラスタ再形成確率:18%。

 まだθは超えない。

 許容範囲内。

 だが、予測モデルに小さなズレが生じる。

 分類:誤差補正対象。

 蒼は、ゆっくりと立ち上がる。

 端末をポケットに入れ、外へ出る。

 夜風が冷たい。

 塔は相変わらず光っている。

 湊にメッセージを送る。

『話がある』

 すぐに返信が来る。

『俺も』

 都市は静かだ。

 損失関数は、依然として低い。

 誰も暴れていない。

 誰も血を流していない。

 それでも。

 わずか0.003%の揺らぎが、確かに存在している。

 オラクルは正しい。

 だがその正しさの外側で、二人の高校生が、自分たちの選択関数を持とうとしていた。

 それが誤差なのか。

 それとも、まだ定義されていない変数なのか。

 塔の光は、答えを出さない。

 ただ、計算を続けている。

ありがとうございました。

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