第三章 低適合者クラス
週明けの朝、湊は担任に呼び出された。
職員室の空気は、いつもより少しだけ静かに感じられる。壁面の大型モニターには、市全体の予測精度が表示されていた。
《本日予測精度:99.97%》
わずかな誤差が、端の方に灰色で示されている。
「朝霧」
担任は端末から目を離さずに言った。
「進路の未入力、まだだな」
「はい」
「理由は?」
「……考えたいからです」
担任は小さく息を吐く。
「考えること自体は悪くない。ただ、君の場合は“傾向”がある」
画面が回転し、湊の適合データが表示された。
正答率:63%
探索ノイズ指数:高
分散寄与度:微増
「オラクルは君を危険だとは判断していない。だが、効率を落とす傾向がある」
「効率……」
「低適合者クラスへの移動が提案されている。来週からだ」
提案、と言いながら実質的な決定だった。拒否すればできないこともない。だが、拒否した場合の予測不利益が画面に並ぶ。
友人関係安定指数低下。
推薦枠減少。
将来収入中央値低下。
どれも、致命的ではない。だが、確実に損失だ。
「……わかりました」
湊はうなずいた。
廊下に出ると、窓の外に塔が見える。いつもと同じ形。揺るがない。
低適合者クラスは、校舎の端にあった。
人数は少ない。机の間隔も広い。教室の空気は、どこかゆるい。
「新入り?」
声をかけてきたのは、窓際に座る少女だった。黒髪を短く切り揃え、どこか挑発的な目をしている。
「朝霧湊」
「灯。灯でいい」
彼女は端末をくるりと回した。
画面には警告表示が出ている。
《選択逸脱率:高》
《再評価推奨》
「また外したのか?」
後ろの席の男子が笑う。
「うん。面白いから」
灯は肩をすくめた。
湊は席に座る。端末を開くと、通知が一つ届いていた。
《クラス変更に伴う影響予測》
《ΔL:+0.000041%》
《分類:許容誤差内》
許容誤差。
その言葉が、やけに軽く感じる。
「君も、わざと外す派?」
灯が身を乗り出してくる。
「わざと、ってわけじゃない」
「でも選ばなかった」
「うん」
灯は小さく笑った。
「いいね。保留って、いちばん嫌われる選択なんだよ」
「そうなの?」
「うん。外すより厄介。予測が止まるから」
黒板の上のスクリーンに、今日の学習効率予測が映し出される。教師が入ってくるが、叱責はない。ただ淡々と授業が始まる。
このクラスも、特別視はされない。
ただ、評価が低いだけ。
昼休み、灯が弁当を広げながら言った。
「知ってる? 私たち、分散増幅因子って呼ばれてる」
「それ、どういう意味?」
「予測モデルの分散をちょっとだけ広げる人たち」
灯は端末を操作し、ある記事を見せた。数年前の公開討論会の記録だ。
《完全最適化は文明を硬直させる可能性がある》
《設計思想に基づき、許容誤差εを設定》
「εってさ」
灯は弁当の蓋を閉じながら言う。
「私たちのことなんだよ」
湊は黙る。
「完全に排除すると、社会が止まる。でも増えすぎると効率が落ちる。だからちょうどいい数だけ残す」
「……じゃあ、俺たちは必要ってこと?」
「そう。必要なノイズ」
灯はあっさりと言う。
誇らしげでも、悲しげでもない。ただ事実として。
「オラクルは正しいよ」
彼女は続ける。
「事故も減ったし、戦争も起きてない。昔よりずっと平和」
「じゃあ、なんで外すんだ?」
「正しいから」
湊は眉をひそめる。
「正しすぎると、息が詰まる」
窓の外で風が吹く。遠くに塔が見える。
「壊したいわけじゃないよ。壊れないし」
「……うん」
「ただ、従わない時間がほしいだけ」
その言葉が、湊の胸にゆっくり落ちた。
放課後、端末が震える。
《クラス移動完了》
《適合指数再計算中》
同時に、オラクルの内部ログが更新される。
個体ID:A-17-042
クラス変更
分散寄与度:微増
ΔL累積:+0.000072%
対応:不要
不要。
湊は教室を出て、廊下を歩く。
遠くの別棟には、蒼のいる上位クラスがある。
同じ学校。
同じ都市。
同じオラクル。
だが、少しだけ違う軌道を進んでいる。
校門を出ると、宗教団体の小さなチラシが配られていた。
《未定義の会 見学自由》
《保留は罪ではない》
湊はそれを受け取る。
裏面には小さく書かれている。
―― 間違い=無価値ではない。
塔の影が、ゆっくりと伸びていく。
都市は今日も、損失を減らし続けている。
その端で、湊は自分が誤差の一部であることを、初めてはっきりと理解した。
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