第二章 正答率九十八パーセント
蒼は、自分が「恵まれている側」にいることを理解していた。
理解しているからこそ、それを誇示することもなければ、卑下することもない。ただ、当然のこととして受け入れている。朝起きれば端末には今日の最適行動が表示され、学校へ向かう時間も、乗る車両も、昼食のメニューさえも、すべてが統計的に最も効率の良い選択として提示される。
そして蒼は、それをほとんど迷わず実行する。
結果、彼の生活は驚くほど滑らかだった。
遅刻はない。体調を崩すことも少ない。小テストの点数も安定している。友人関係の衝突も、予測される前に回避される。
正答率九十八パーセント。
校内掲示の適合指数ランキングで、蒼の名前は常に上位にあった。
昼休み、蒼は窓際の席で端末を操作していた。画面には、将来予測の更新データが並んでいる。
《仮決定:情報都市計画学部》
《長期社会寄与度:高》
《精神安定指数:安定域》
申し分ない。どこにも無理がない。
隣の席に座る恋人――紗耶も、同じように画面を見ている。彼女の端末には、蒼との相性グラフが表示されていた。
《関係安定予測:87%》
《五年後継続率:高》
「更新、入ったね」
紗耶が言う。
「うん。誤差はほとんどないみたい」
「よかった」
彼女は安心したように笑った。その笑顔は自然で、ぎこちなさはない。少なくとも蒼にはそう見える。
――幸福度、基準値内。
蒼はふと、昨日の湊のことを思い出した。
未入力。
あいつは、なぜわざわざ精度を下げるのだろう。
放課後、蒼は屋上へ向かった。そこには湊が一人で立っていることが多い。
案の定、フェンスにもたれかかる姿があった。
「まだ決めてないのか?」
声をかけると、湊は振り向く。
「うん」
「期限、あと四十時間くらいだろ」
「知ってる」
蒼は隣に立ち、街を見下ろす。遠くに見える塔が、夕陽を反射している。
「なあ、湊」
「ん?」
「最適解ってさ、そんなに窮屈か?」
問いは責める調子ではなかった。純粋な疑問だ。
湊は少し考えてから言う。
「窮屈っていうより……決まりすぎてる感じがする」
「決まってる方が楽だろ。失敗しにくいし」
「失敗しないって、本当にいいことかな」
蒼は眉をひそめる。
「失敗したいのか?」
「いや、そうじゃないけど」
湊は言葉を探すように視線を空へ向ける。
「失敗しない人生ってさ、なんか……もう答え合わせが終わってるみたいで」
蒼は小さく笑った。
「答えが合ってるなら、いいじゃないか」
「そうかな」
二人の間に沈黙が落ちる。遠くで電車が滑る音がする。定刻通り、遅延ゼロ。
蒼はふと思う。
もし自分が最適解を外したら、どうなるのだろう。
端末を開き、試しに進路選択画面を操作する。推奨以外の学部を選択してみる。
警告が表示される。
《当該選択は長期損失関数を0.013%上昇させます》
《再考を推奨》
数字は小さい。だがゼロではない。
蒼は一瞬、指を止める。
「……なあ、湊」
「うん?」
「これ、押したらどうなると思う?」
「何も起きないよ」
即答だった。
「多分、ほんとに何も起きない」
蒼は画面を見つめる。確定ボタンが赤く光っている。
押せば、自分の正答率は下がるだろう。教師は心配するかもしれない。親も、理由を尋ねるだろう。
けれど都市は、崩れない。
事故も増えない。
暴動も起きない。
損失関数Lは、わずかに揺れるだけだ。
「……やめとく」
蒼は推奨進路に戻した。
赤い警告は消え、画面は穏やかな青に戻る。
《最適解一致 予測精度維持》
安心感が胸に広がる。呼吸が自然に整う。
「やっぱりさ」
蒼は言う。
「俺は、間違えない方がいいと思う」
「うん」
湊は否定しない。
「蒼は、それでいいんだと思う」
その言い方が、なぜか少しだけ引っかかった。
それでいい。
まるで、別の選択肢があるような言い方だ。
夕陽が沈み、塔の影が街に伸びる。
その頃、オラクルの分散サーバ群では無数の計算が走っていた。
個体ID:A-17-031
試行的逸脱操作:未確定
ΔL予測:+0.013%
最終選択:最適解復帰
影響:なし
処理は一瞬で完了する。
蒼の迷いは、記録される。
だが評価値はほとんど変動しない。
都市は、今日も静かだった。
帰り道、蒼は端末をポケットにしまいながら思う。
湊は何を探しているのだろう。
最適解の外側に、何かがあると信じているのだろうか。
塔の先端が、夜の闇に溶けていく。
蒼の正答率は、九十八パーセントのままだった。
残りの二パーセントが何なのか、彼はまだ考えたことがなかった。
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