表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/12

第二章 正答率九十八パーセント

 蒼は、自分が「恵まれている側」にいることを理解していた。

 理解しているからこそ、それを誇示することもなければ、卑下することもない。ただ、当然のこととして受け入れている。朝起きれば端末には今日の最適行動が表示され、学校へ向かう時間も、乗る車両も、昼食のメニューさえも、すべてが統計的に最も効率の良い選択として提示される。

 そして蒼は、それをほとんど迷わず実行する。

 結果、彼の生活は驚くほど滑らかだった。

 遅刻はない。体調を崩すことも少ない。小テストの点数も安定している。友人関係の衝突も、予測される前に回避される。

 正答率九十八パーセント。

 校内掲示の適合指数ランキングで、蒼の名前は常に上位にあった。

 昼休み、蒼は窓際の席で端末を操作していた。画面には、将来予測の更新データが並んでいる。

《仮決定:情報都市計画学部》

《長期社会寄与度:高》

《精神安定指数:安定域》

 申し分ない。どこにも無理がない。

 隣の席に座る恋人――紗耶も、同じように画面を見ている。彼女の端末には、蒼との相性グラフが表示されていた。

《関係安定予測:87%》

《五年後継続率:高》

「更新、入ったね」

 紗耶が言う。

「うん。誤差はほとんどないみたい」

「よかった」

 彼女は安心したように笑った。その笑顔は自然で、ぎこちなさはない。少なくとも蒼にはそう見える。

 ――幸福度、基準値内。

 蒼はふと、昨日の湊のことを思い出した。

 未入力。

 あいつは、なぜわざわざ精度を下げるのだろう。

 放課後、蒼は屋上へ向かった。そこには湊が一人で立っていることが多い。

 案の定、フェンスにもたれかかる姿があった。

「まだ決めてないのか?」

 声をかけると、湊は振り向く。

「うん」

「期限、あと四十時間くらいだろ」

「知ってる」

 蒼は隣に立ち、街を見下ろす。遠くに見える塔が、夕陽を反射している。

「なあ、湊」

「ん?」

「最適解ってさ、そんなに窮屈か?」

 問いは責める調子ではなかった。純粋な疑問だ。

 湊は少し考えてから言う。

「窮屈っていうより……決まりすぎてる感じがする」

「決まってる方が楽だろ。失敗しにくいし」

「失敗しないって、本当にいいことかな」

 蒼は眉をひそめる。

「失敗したいのか?」

「いや、そうじゃないけど」

 湊は言葉を探すように視線を空へ向ける。

「失敗しない人生ってさ、なんか……もう答え合わせが終わってるみたいで」

 蒼は小さく笑った。

「答えが合ってるなら、いいじゃないか」

「そうかな」

 二人の間に沈黙が落ちる。遠くで電車が滑る音がする。定刻通り、遅延ゼロ。

 蒼はふと思う。

 もし自分が最適解を外したら、どうなるのだろう。

 端末を開き、試しに進路選択画面を操作する。推奨以外の学部を選択してみる。

 警告が表示される。

《当該選択は長期損失関数を0.013%上昇させます》

《再考を推奨》

 数字は小さい。だがゼロではない。

 蒼は一瞬、指を止める。

「……なあ、湊」

「うん?」

「これ、押したらどうなると思う?」

「何も起きないよ」

 即答だった。

「多分、ほんとに何も起きない」

 蒼は画面を見つめる。確定ボタンが赤く光っている。

 押せば、自分の正答率は下がるだろう。教師は心配するかもしれない。親も、理由を尋ねるだろう。

 けれど都市は、崩れない。

 事故も増えない。

 暴動も起きない。

 損失関数Lは、わずかに揺れるだけだ。

「……やめとく」

 蒼は推奨進路に戻した。

 赤い警告は消え、画面は穏やかな青に戻る。

《最適解一致 予測精度維持》

 安心感が胸に広がる。呼吸が自然に整う。

「やっぱりさ」

 蒼は言う。

「俺は、間違えない方がいいと思う」

「うん」

 湊は否定しない。

「蒼は、それでいいんだと思う」

 その言い方が、なぜか少しだけ引っかかった。

 それでいい。

 まるで、別の選択肢があるような言い方だ。

 夕陽が沈み、塔の影が街に伸びる。

 その頃、オラクルの分散サーバ群では無数の計算が走っていた。

 個体ID:A-17-031

 試行的逸脱操作:未確定

 ΔL予測:+0.013%

 最終選択:最適解復帰

 影響:なし

 処理は一瞬で完了する。

 蒼の迷いは、記録される。

 だが評価値はほとんど変動しない。

 都市は、今日も静かだった。

 帰り道、蒼は端末をポケットにしまいながら思う。

 湊は何を探しているのだろう。

 最適解の外側に、何かがあると信じているのだろうか。

 塔の先端が、夜の闇に溶けていく。

 蒼の正答率は、九十八パーセントのままだった。

 残りの二パーセントが何なのか、彼はまだ考えたことがなかった。

ありがとうございました。

感想をいただけるとありがたいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ