第二話・⑤
真心。
「……気を取り直して、追加の人員の紹介をしましょうか」
そう言った朔弥部長の顔には、多少疲れの色が見えた。
自分の部署が預かった、超重要生物が急に体調を崩したのだから当然だろうけど。
あの後、一通り吐いてからけろっとした様子のイスカを救護室へ運んで、今彼女は当てがわれた個室で素直に休んでいる。
今のところ静かに眠っているようだ。
「はい」
正直あの青い物質の正体だとか色々と、立場を気にしなくていいのなら訊きたいことはたくさんあった。
けれど今目の前にあるのは、それら全てに勝る優先事項だ。
「…………」
目の前でその人は、シンプルに気まずそうに立っていた。
「…亜鷹さん、その……よろしくお願いします」
「よろしく」
少し躊躇いがちになってしまった俺の言葉に、亜鷹さんは真顔を崩さないまましっかり答えた。
「…彼女には嫌われているようだから、助けになるかは分からないが」
「俺は、心強いです」
俺も、自然とそう返していた。
昨夜のことがあったとしても、それは本当のことだ。
「では、彼女が眠っているうちに打ち合わせを済ませておいてください。後は任せましたよ、亜鷹くん」
そう言って、朔弥部長はドアの向こうに去っていく。多分イスカの様子を見に行ったのだろう。
残された俺たち二人の間に、少しだけ沈黙が流れる。
「……すまなかった、昨日は」
先に口火を切ったのは亜鷹さんの方だった。
普段あまり表情を乗せない顔が、しっかりと謝意を伝えてくる。
「謝らないでください…!」
まさか謝られるとは思っていなくて、慌ててしまう。
「俺がやらかしたんだってことくらいは、分かってますから」
「……まあ、それは否定できない」
「…………すみません」
「…どうしてハッチを開けたんだ?」
そう訊く亜鷹さんの声に詰るような雰囲気はなくて。
ただそれは詰られたって文句は言えないくらい、あまりにも当然な疑問だった。
「…念話で呼びかけられたん、だと、思います。誰だか分からないままあの部屋まで辿り着いて、目の前で生命維持装置が止まったのが分かって……」
どう続けたらいいのか分からず、言葉に詰まる。
自分でも迂闊だったと痛いほど分かっていた。
「……いや、結論から言えば、それで良かったんだ」
亜鷹さんが口にしたのは、意外な言葉だった。
「あの生物の死は全体にとって損失になると、今のところ考えられている」
「損失……ですか」
それを聞いて少しだけ、安心する。
今回の出来事について、少なくとも亜鷹さんにはメリットを認めてもらえているらしい。
「ただ…その仕事を君がやる、というのは想定外だった。止むなく眠ってもらったが……」
「…はい。そういうことなんだとは、思いました」
「…やむを得ず、前後の記憶が曖昧になる程強い薬を使った。だから君がすぐ思い出して駆け付けてくるのは予想外だった」
「それは……イスカが大騒ぎしていて、起こされたんです」
「……イスカ?」
「あ、ええと、彼女の名前です。暫定的に付けたものですけど」
「ああ、そうか……彼女もよくそこまで、場を引っ掻き回したな」
皮肉たっぷり、といった調子で亜鷹さんは笑った。
どう答えたらいいか分からず、笑ってもいいのかも分からずにこちらも曖昧に笑顔を作る。
昨夜、あの時。
亜鷹さんは、俺にひとつだけ質問をして。
そしてその後、小さく「悪い」と呟いて、そこから記憶が霧がかったようになって、気づけば自室で眠っていた。
「……亜鷹さんはどうして……あの場所にいたんですか」
自分でも思い切ったなと思う。
答えてもらえるか分からない質問に、亜鷹さんは少し困ったように笑った。
「…答えられると思うか?」
「…ですよね」
「…君に伝えることができることは少ない。ただ、俺は君の敵じゃない。そして、あの生物の敵でもないことは、分かってもらえると嬉しい」
「……分かりました」
真面目な顔でそう言われて、頷く。
それだけ分かれば、今のところは十分だ。
元々班の中でも一番歳の近いメンバーで、他の2人と同じく良くしてもらっていた。
そんな人をむやみに疑うようなことはしたくなかったから、そう言ってもらえるのはとても、ありがたかった。
(……でも)
あえて訊くことはしない。
多分俺は忘れたと、思われているから。
しないけれど、あの時の亜鷹さんの質問の意味はどういうことなのだろう。
『彼女の声が聞こえたのか?』
あの夜更け、亜鷹さんは確かに、俺にそう訊いた。
俺が救命ポッドを持ち帰った時に共有された情報は、中身が全く不明だということだけだった。
亜鷹さんは多分、俺がポッドを開けるより前に、誰より先に彼女の能力を知っていたことになる、んじゃないだろうか。
(決めてかかるのも、良くないけど)
何かあるのでは、と勘繰ってしまう。
イスカと亜鷹さんの間には、いや、亜鷹さんに指示をした人もきっといるはずで。
(…………俺はそれに、どれだけ関わることができるんだろう)
巻き込まれて言いなりになるだけなのは、嫌だ。
出しゃばることはしたくないけれど、俺なりに情報は集めよう。できることはするために。
交わす笑顔の裏で強く、そう思った。
──第二話・「碧血丹心」