第二話・③
名付け親。
「……話を整理しましょう。つまり君には、あの生物の声が聴こえているんですね?」
まるでファンタジー小説みたいな質問だ。
けれど当然、目の前の朔弥部長は至って真面目だし、自分が今全然笑えないような状況に置かれていることは自覚していた。
「そう、みたいです」
神妙な顔で答える。
研究棟の、白く殺風景な部屋の中。
怪我人だからと一応白い簡素な椅子に座らされて、目の前には3人の偉い人が立っている。
副所長とおそらく研究科の偉い人をバックに、部長は小さく溜息を吐いた。
「…今、あの生物の声は聞こえてますか?」
「いや……僕がさっきあの部屋に来てからは、ずっと静かにしてる……と思います」
俺の話を聞くと同時に、部長は手元の端末に何か打ち込む。
程なく返信が来たらしい画面を見て、難しい顔をした。
「どうやら君の言っていることは本当のようですね。まあ君がそういう嘘をつくタイプではないのは知ってますが」
「……ありがとうございます」
どうやら与太話ではないと信じてはもらえたらしい。
(余計厄介なことになりそうな気もするけど)
「あの生物には、君の声が聞こえているんですか?」
「……そうみたいです。多分、俺が目に見える位置にいなくても聞こえるみたいで」
「……まあ、そうでなければあの場面で黙りませんよね。内容も理解しているんですか」
部長は難しい顔をしたままだったけど、その裏には、少し興味が見て取れた。
「た、多分……朝遭遇した時の感じだと、できてるんじゃないかと……」
(昨日の夜のことはまだ言わない方が良いよな…?)
少なくとも、もう一度亜鷹さんに会えるまでは。
けどその曖昧な一言だけでも、部長は何か考え込んでいるみたいだし、後ろの二人からは、もっと不躾に見られている。
(俺、どうなっちゃうんだろう…)
あの子諸共、何かの実験材料にされてもおかしくない。
自分の行動のせいだから、文句なんか言えるわけがないけど。
そんなことをぐるぐると考える俺の前で、朔弥部長は吹っ切れたように一つ溜息をついて俺を見た。
「とりあえず君はしばらく、迂闊なことは話せませんね。全てあの生物に聞かれているわけですから」
「……そうですね」
それは本当にその通りだ。
部長の困ったような、けれど普段の優しげな雰囲気を失わない瞳はまっすぐ俺のことを見据えている。
「ではまず、洗いざらい検査をしましょうか。終わるまで喋っちゃいけませんよ」
黙って頷く。
きっと朔弥部長なら、そんなに非人道的な扱いはしないでいてくれるだろう。
***
(あ………甘かったかもしれない)
全ての検査が終わり、やっと元いた白い部屋に放り出されるころには夜の時間帯になっていた。
壁に沿って置いてある備え付けの白いソファに、よろよろと腰を下ろす。
もともと負傷者としてパイロットのシフトからは外されていたから業務に支障はないけど、それにしたってとんでもない時間だ。
(……まあ、それだけ大事ってことだけど)
そして今、ようやく検査を終えた俺に告げられるのはどんな処遇なのだろうか。
(さすがにパイロットを辞めさせられる、とかは考えたくないけど)
こんなに人手不足なのだから。でも、処分の重さによってはそういうこともあるかもしれない。
(そしたら、また迷惑かけちゃうな……)
自分がどうなるかというより、そちらの方が気にかかった。当然の処分だとしても、それはあまりにも辛すぎる。
自分がしでかしたことが肩に重くのしかかってくる気がして、床の一点を見つめ気を落ち着かせていたら、ガチャリとドアの開く音がした。
そちらの方を見たら、そこにはかなり意外な光景が広がっていた。
(な、なんで?)
朔弥部長に連れられて、あの羽の生えた彼女がこの部屋に来ていた。
白い簡素な服を着せられて、その手足には白く無機質な合成樹脂のリングが嵌められている。
背中に生えた鮮やかな赤い羽を僅かにそよがせ、見るからに緊張しているようだが、今朝の様子から比べたら随分と大人しくしていた。
「君たちの処遇が決まりましたよ」
朔弥部長が、真面目な顔で告げる。
「君の体に差し当たって異常は見当たりませんでした。彼女についても、とりあえず羽以外はほぼ人間と同じような構造の生き物だと判断がつきました」
(そ、それで…?)
続きのセリフが全く想像つかない。
「上の判断で、君にはしばらくこの生物の面倒を見てもらいます」
「は、はい?」
喋るなと言われているのも忘れて、思わず声に出た。それを咎めることなく、朔弥部長は続ける。
「もちろん、君の怪我が治るまでは他の人員もつけますから、安心してください」
「そっ、そういう問題ですか?」
「まあ……そう言いたくなるのも無理はないですが」
朔弥部長は困ったように笑って、隣に立たされている彼女の方を見やった。
「彼女がどこから来たのかはまだ分かっていませんが、今の段階ではおそらく敵性宇宙生物の一種なのではないかと言われています」
「……ですよね」
つまり敵の手先、という可能性が高い。
「ただ、今のところ自分を脅かすもの以外への敵意はなさそうですし、何より上が相当、彼女に興味深々みたいなんです」
「上、ですか」
「なるべくストレスを与えるなと言われ、我々で考えた結果が、これです」
「は、はあ……」
「どうやらこの生物が理解できるのは君の言葉だけのようです。なので、君にはこの生物と仲良くなってもらって、必要な情報を聞き出して欲しいんです」
「…………」
(そういうことか……)
ようやく求められていることがわかった。
「何より最優先の任務ですから、当分パイロットもお休みです。彼女には当然逃亡防止の保険はかけてありますが、基本的には目を離さないように」
「本当に俺なんかで良いんですか…?」
任務の重要性も理解してしまって、別の意味で冷や汗が出てきた。思わず聞いた俺に、部長は曖昧に笑う。
「どういうわけか、彼女は君のことを気に入ってしまったようなのでね」
意味深な流し目が、俺のことを見た。
(バ、バレてる……?)
昨日のことが、バレているのだろうか。
でも、亜鷹さんのことを考えると迂闊なことは言えない。彼女も聞いているわけだし。
「では私は、追加の人員を呼んできますので」
「あ、はい……」
そう言い残して朔弥部長は一人、ドアをくぐって行ってしまった。
その場に俺と、目の前に立った彼女だけが取り残される。
「……ええと」
まだ混乱しているけど、俺の今の仕事は彼女と仲良くなることらしい。
上の指示で、と朔弥さんは言っていたけど、上は彼女のことをどれくらい知っているのだろう。
少なくとも俺よりは、状況を把握しているんだろうけど。
『…助けてくれたの、あなたでしょ』
そんな俺の焦りをよそに、朝に比べて随分と控えめな声が頭に響いた。
検査でほぼ人間と分かったらしいけど、改めて見ても羽が生えている以外はヒトにしか見えない。
(油断させるための罠なのかもしれないけど…)
「あ、ええと…うん」
『ありがとう』
おずおずと返事を返せば、彼女の厳しそうな表情が、少しだけ和らいだ。
やっぱり発声はしていないみたいで、側からみると俺が一人で喋っているように見えるだろう。
「……君の名前は?」
言葉を交わした最初からずっと気になっていたことを、口にしてみる。
相手が誰でも、たとえ異生物でも、意思疎通ができるのならまず名乗り合うところからだ。
『私は……』
彼女は言い淀み、そして途方に暮れたように口をつぐんだ。
「…言えない?」
彼女は口をつぐんだまま、黙って首を横に振る。
その青い瞳は潤んでいて、今にも泣きそうに見えた。
「言えないなら無理には……」
『覚えてないの』
泣くまい、としているのがよく分かった。とても嘘をついているようには見えない。
(そういう風に油断を誘ってるのかもしれないけど……)
そう思いたくはなかった。流されないように、と思いつつ、優しく聞こえるように声をかける。
「ええと、名前を思い出せないってこと?」
彼女は黙って頷いた。
(…困ったな)
「この生物」だとか、「彼女」とか呼ばれてはいるけど、決まった呼び名がないと困るだろう。
「……それなら、僕が仮の名前をつけていい?」
『…………』
彼女はしばらく俺のことをじっと見つめ、それから控えめにもう一度頷く。
(…記憶がないってのが本当かは分からないけど、
やっぱりちゃんと会話が繋がるな)
彼女が本当に敵性宇宙生物なら、全く人間のいない場所から来た、はずなのに。
それ自体が、すでにかなり不自然なことな気もした。
でもまだ、そういう段階じゃない。
あえて今は考えないことにする。
(名前…ね)
今目の前にいる彼女からイメージできるものを想像してみる。
(鳥自体は不吉な言葉だけど)
基地が鳥型に襲われるようになってから、らしいけど。
鳥を表す言葉は、基本的に不吉なものとされている。
自分だって鳥型のことは恐ろしいと思っている、けど。
(赤い綺麗な鳥、いたよな……)
かつて見た図鑑の写真を思い浮かべてみる。
ひとつ、彼女の翼の色に似た鳥がいたはず。
「イスカ……ってのは、どうかな」
『イスカ?』
「うん。もう絶滅した鳥だけど、赤くて綺麗なんだ」
(ていうか、大抵の鳥は絶滅してるんだけど…)
『鳥……』
そう言ったきり、彼女は考え込むように目を伏せた。
儚げな容姿の割に、意志の強そうな瞳だと改めて思う。
「どうかした?」
『「イスカ」も「鳥」も、多分、知らない言葉だと思うの。でも……』
「でも?」
『すごく、懐かしい感じがする』
「そっか……?」
『……うん、私、イスカでいいわ。ありがと』
あまりにも不自然で分からないことだらけだけど、多分この子は本当に記憶を失くしているのだろう。
(あまりにも、敵意がなさすぎる…)
そのことに少し困惑しながら、素直としか言いようのない、微笑む顔に頷いた。