第二話・②
おじさんも受難。
ふと目を開ければ、白い天井だった。
いつの間にかよく眠っていたらしい。
(…なんか、すごい変な夢を見たような)
印象に残っているのは赤い色。
どこかに呼ばれて、よろよろと歩く自分の姿をはっきりと思い出せた。
(夢……だよな……?)
声が聞こえて、どこかへ行って、そのあとどうしたんだっけ。
それにしても変な夢だった。何か綺麗な女の子が出てきたような気もするけど。
寝惚けた頭で考えていた、その時。
『だからここから出しなさいって言ってるでしょ!?』
がつんと、目覚めたばかりの頭に、怒った時の教官並に響く誰かの怒鳴り声。
(え………え!?)
殴られたような衝撃と共に、全部思い出した。
あの子のことも、亜鷹さんがあの場所にいたことも、その後起きたことも。
***
鏡に映っているのは、変な科学者と疲れたおじさん、そして、黒い壁。
どうしてこの部屋に鏡があるのかは知らないが、そこに映った自分はクレーム対応に辟易したしょぼくれたおじさん以外の何者でもなく、なんだか余計に嫌な気分にさせられた。
(…だめだ、逃避している場合じゃない)
「本当に解剖しちゃダメなんですかぁ?」
「駄目ですよ。上からの命令ですから」
「えぇ……絶対その方が世の中の為になるのにぃ」
本気で悲しそうな顔をしている隣の科学者から視線を外し、溜息をつく。
世の中のためになるかは知らないが、その解剖瀬戸際のブツは一応人間らしいかたちはしているのだから、倫理的にはもうちょっと躊躇いを見せてほしいところだ。
(しかも、あんなに綺麗なんだからねえ)
全く倫理的ではないやり取りを引いた顔で見ていた、まともな方の職員に声をかける。
「なんとか傷つけないように鎮静できませんかねえ……こう、天井から薬剤を散布できるスプリンクラーとか、ないんですか」
「ええと、この部屋は対衝撃に特化しててそういう設備はないんです……色々準備すれば、換気扇から鎮静ガスくらいならできるかもしれませんが」
「では一応、準備しておいてください。このまま落ち着かなければ、そういう方法を取らざるを得ないと思うので」
はい、と答えて、まともな方の職員は指示を出しに走っていった。
「合歓さんはいい加減に帰ってください。どれだけ見つめても解剖はできませんよ」
まともじゃない方の職員に改めて声をかける。
「うぅ、このイヂワルおじさん!」
「気持ち悪い言い方はやめてください。色々落ち着いたら、抜け羽根くらいなら提供できると思いますから」
「抜け……羽根……?」
さっきまで泣き出す寸前の幼児みたいな表情だったのが、今度はおもちゃを見つけた幼児みたいな顔になる。
(こっちも黙ってりゃ美人なんだけどねえ)
黒縁メガネにぐしゃぐしゃの髪、よれよれの白衣でその表情ではもう面影も何もあったものではない。
「本当に……?ありがとうございます、もう一声!」
「競じゃないんだから。とりあえず今は帰ってもらわないと羽根の1枚もあげられませんよ」
「は!謹んで帰らせていただきます……」
そう言いながら1ミリも動こうとしない。
「言葉通り帰ってください……」
「…でも本当に早く鎮静させないと、大事な身体に傷がついちゃいますよ、あの子」
彼女はふとまともな顔でそんな事を言う。
その見つめる先には、『ぶち切れ』という言葉が相応しいような表情で目の前の黒い壁の部屋の中、開いた救命ポッドを背にガラス扉を叩き続ける、赤い翼の生えた少女がいた。
「分かってますよ」
「はあい、では大人しく退散します……」
至極残念そうな顔で部屋から出ていった彼女と入れ違いに、見知った顔の男が入ってくる。
こちらはこちらで至極不満そうだ。その整った顔には、赤い掻き傷が何本か入っていた。
「ちゃんと手当してもらえましたか?」
「これくらいで来るなと追い返されました」
「ちゃんと未確認生物に引っ掻かれたって伝えました?」
「これぐらいの傷なら有害物質は入り込まないと」
「はあ、なら良いんですけど」
「……もうちょっとで撃ち殺すところでしたよ」
「もし本当にやっちゃったら、亜鷹くんも私も関係者全員クビを通り越して多分処刑ですからね。やらないでくれて良かったです」
「……しかし、生命力が強そうだ」
話しかけた彼……亜鷹くんは私の軽口には答えず、神妙な顔でガラスの向こうを見つめている。
「……カメラは処理しましたが、そちらは無事済んだんですか?」
「……なんとも……」
小さく囁き合う。
彼がそんな歯切れの悪い返答をするとは思わず、思わずちらりと彼の顔を見た。
「……詳しい話は後で聞きましょう……」
小声は部屋の外から響く足音に途切れる。
「……救命ポッド、開いたんすね」
(次から次へと)
声に振り返れば、部屋の外から真顔の妃隊員が覗いていた。その後ろからはいつも通りふざけた顔の楊くんも。
「あ、朔弥部長、すみません。例のブツがどんな感じなのか確認しておきたくて」
「…まあ、君たちなら構いませんが」
その言葉を受け取って、二人は部屋に入って来る。そして目の前の『例のブツ』を興味深そうに眺めた。
「マジで羽が生えてんだな」
「……鳥型とは言えないな、これは」
(この調子では、もう基地中に話は広まっているな……)
亜鷹くんの『なんとも』はこういう意味も含んでいるのだろう。
色々予想外の事態があったであろうことは想像がつくので、一概に責められるものでもないが。
真顔でその生物をじっくりと見ていた楊くんが、こちらを見る。
「叫んでる様子なのに、全然声がしないんすね」
「発声はしていないようなんですよ。どこから来た生物なのかまだ分かりませんが、我々とは違う方法で意思疎通をしていたんでしょう」
「何だってこんなモノが救命ポッドに……」
妃さんの眼差しは、訝しげでありながら興味も隠しきれていないようだった。
「あ、あの……!」
「次は何ですか?」
部屋に駆け込んで来た誰かを見ようと、振り返る。
血色の悪い顔で、肋を押さえながらだらだらと汗を流して、その知った顔の青年は慌てた様子で言った。
「その子、ずっと叫んでるみたいだったので……!」
「ん……?」
「て、念話を使うんじゃ、ないかと……」
(んん?)
能面のような顔の裏で必死に計算をしている亜鷹くんと、ガラス扉を叩くのをやめて青年を驚いた顔で見ている少女をちらり盗み見る。
なにか面倒なことになっているらしい、ということだけが、今わかったことだった。