第二話・①
ヒロくんの受難は続く。
「……遅れました」
ドアを開けると同時に発されたよく通る低い声は、しかし広い部屋中で人々が慌ただしく動き回る音にかき消されていく。
その男は少々苦々しさを乗せた顔で、目の前の状況を見つめた。
すぐに見つけた同僚の一人はいつもの場所で、悔しそうにモニターに向かってキーボードを乱暴に叩き続けている。シールドの修復と、遺された機体の捜索をしているのだろう。
そして反対の方、もう一人の同僚はこちらに気づく余裕もなく、フライトスーツを着たままでお偉方と話を続けていた。そのすぐそばには防護ケースに包まれた、金属片のようなものが置かれている。
その顔には彼らしくないほどに疲れが滲んでいて、つい先ほど終わったばかりの戦いの厳しさを物語るようだった。
もう一人、同じ班の後輩はここには居ない。
さっき廊下で、泣けないまま呆然と、救護隊員に引っ張られていくのとすれ違った。
(……彼は同僚の殉職は、初めてか)
自分はといえばただ向き直って、お偉方の輪の方に向かう。
「亜鷹、戻りました。遅くなってすみません──」
得た情報を伝えるには少し遅過ぎたのだと、実感しながら。
***
ぼーっと、手元の端末を見つめている。
白いベッドの上、昨日の衝撃が、まだ身体から抜けきっていない。
悲しみも怒りも湧いてこない。
ただ、不思議で。
少し斜めにしたベッドの上、転がったまま見つめる画面には、いわゆる第一報というやつが時系列順に並んでいる。
ずっと見つめているのは、施設の被害と死傷者をまとめた項目で。
無機質な文字で、個人番号と綾という名前の隣に、死亡と記載されていて、その先を読めなかった。
(……もういないなんて)
実感がない。
一昨日一緒にお茶漬け食べたし、昨日、助けてくれたのに。
とりとめなく考え続けてしまう。
(助けて、くれたのに)
「……こら怪我人。何勝手に書類を読んどるんだね」
「あ……」
ばっと病室の入り口を見れば、小さな人影がこちらを覗き込んでいる。
慌てて端末を隠そうとして、動いた瞬間肋に響いた。
情けない悶絶の声を上げる。
「痛ぁ……」
「そんなもん読んでたら、傷の治りが遅くなるよ」
「…………すみません」
少し怒った顔の、白衣の小柄なお婆さん…なんて言ったら失礼か、看護師の華子さんが、つかつかと部屋に入ってくる。
そのサイズ感には見合わない気迫で差し出されたしわしわの手に、そっと端末を手渡した。
「テレビは観れるんだから、バラエティ番組でも観てな」
「…僕、普段からそういうのはあまり観ないんですよ」
「そうかい。じゃあゆっくり寝てな。治癒促進剤を入れても完治まで1週間はかかるんだ、働かなくても誰も責めないよ」
「……何も情報がないと、落ち着かなくて」
声と顔は厳しいけどその言葉は温かくて、俺のことを考えてそう言ってくれているのは分かっている。
けれど、昨日の今日で落ち着けるわけがなくて。
「聞き分けがないねえ……まあ、仕方ないか。鳥型の襲来から生きて帰ってきたんだもんねえ、あんた」
「……華子さんは、あの悲劇の時からいたんですよね」
「まあね」
華子さんは俺から視線を外し、一つ溜息をついた。
「あの時は、酷いもんだったよ。今回はあの時に比べりゃ、まるで鳥型なんか来てないみたいだ」
「……そうですか」
鳥型の襲来で、死者が出ないことなんて普通ない。
今回だって、色々な事例と比べたらかなり幸運なケース。
分かっているんだけど。
「ヒロ、あんたたちのおかげだよ。こっちだって、感謝してるんだから」
「…………そう、ですかね」
(けど、守れなかった)
見つめたシーツに、一つ二つ、水滴が落ちる。
涙だって気づくのに、しばらくかかった。
「……だから、寝てなさい。そんな状態で読んじゃダメだよ。持ってる本だけ読めるようにしておくから」
「……ありがとう、ございます」
必死に顔を拭う自分の隣で、華子さんは端末を操作して再び手渡してくれた。
そして一つため息をついて、部屋を出ていった。
***
銀色のノブに手をかけ白いドアを開ければ、部屋の中のその人はちょうどコーヒーの供給機からコップを取り出すところだった。
「亜鷹」
こちらを見て、いつも通り笑う。数時間前とは別人のようだ。
「遅かったな。まさか俺よりかかるとは」
「報告が多かったんだよ、こいつの」
後ろから来た楊さんが軽口を叩く。
「……本当に、遅れてすみません」
「……お前に言ってもしょうがないのはわかってるから、気にすんな」
妃さんから渡された紙コップを、軽く会釈しながら受け取る。
もう1つを受け取った楊さんは、乾いた声で笑った。
「今回の防衛戦は、大善戦だったってよ」
「お偉方に言わせれば、だろ」
コーヒーを渡しながら言葉を返す妃さんの顔には、ありありと軽蔑の色が浮かんでいる。
「あいつら、本気で人間を消耗部品だと思ってやがる」
「しょーがねーだろ、実際そうなんだから。特に『第三世代』はな…」
真白く簡素な休養室に居るのは三人だけ。
コーヒーの供給機の微かな機械音だけが響く。
お決まりの、密談の時間だ。
「まあ今回は、鳥型がすでに大怪我してたからな。そうじゃなきゃ最初に襲われた時ヒロも死んでただろ、それだけでも運が良かった」
記録映像を見る限りその通りだろう。隣の妃さんも頷く。
「…まあな」
「鳥型はどうして爆発したのか、分かったんですか?」
妃さんが首を横に振る。
「まだ調査中。順当に下がってた熱反応が、一瞬で上がったことしか分かってない。多分人為的なもの、だろうけど」
「亜鷹、お前でもやられてたかもしれねーぞ」
「…楊さんがそう言うなら、そうなんでしょうね」
個人的にはそんなヘマしないと言いたいところだが、実際のところは分からない。
戦場では生と死は正しく紙一重だ。
「鳥型は爆発四散しちまったけど、一応拾えるだけ欠片は拾ったから、あとは解析待ちだな」
そう呟いた妃さんの目の下には見事な隈が刻まれている。
「それも後回しにされそうだけどな。解析班はそれどころじゃねーだろ」
「…あの救命ポッドですか」
妃さんが難しい顔で頷く。
「……あれ、Stellaの旧機だよな」
「そうだよ」
こめかみを押さえて妃さんは溜息をついた。
「何で正常に機能してるのかも、何が入ってるのかも不明。鳥型が爆発したせいで迂闊に開けられねーし」
「生体反応はあったんですよね?」
「あるには、あるらしい。だから余計議論が進まねーんだけど」
「開けるの躊躇ってるうちに中身が腐りそうだな、そりゃ」
「笑えねーよ」
(……なるほど)
とりあえず、本当に必要な情報は手に入ったようだ。
さてこの後どうするか、と2人に聞こえないように溜息を吐いた。
***
(……眠れないな)
消灯された暗い部屋で天井を見つめて、頭の中でつぶやく。
そろそろいい加減昼夜逆転してしまいそうだ。
寝返りを打つのにも苦労するし、そもそも全く眠気が来ない。
やっぱりまだ興奮が抜けていないのかもしれない。
(……余計なことを考えるくらいなら、確かに寝てる方がまだ建設的なんだけどな)
華子さんに権利を制限されてしまったせいで、手持ちの端末から今の状況はわからない。
まあさすがにまた鳥型が来れば分かるし、今のところ病棟も静かで、落ち着いているみたいだ。多分あれから襲撃はなくて、後片付けをしているところだろうけど。
(……もっと優秀なら良かったのに)
結局入院するような怪我をしたのは俺だけ。
生きているだけで儲けもの、だということも痛いほど実感しているけど、それだけに不甲斐なさは時間が経つごとに増していく。
「……情けないな……」
誰も聴いていない静かな部屋で、ぽつりと弱音がこぼれる。
『……誰かいるの?』
(ん?)
一瞬何か聞こえた気がして、辺りを見回す。
けどここは個室で、自分のベッド以外は当然何も置かれていない。
「…気のせい…?」
『…やっぱり、誰かいる』
「!?」
明らかに気のせいじゃない。
誤解を恐れず言えば、頭の中に直接聞こえた。
まさか幻聴とかいうやつだろうか。
(戦闘の時頭を打ったから…?いやいや嘘だよね……)
『……ちょっと、誰かいるならここから出しなさいよ』
「…………」
『黙ってないで!』
やっぱり聞こえる。本格的にまずい。
不幸中の幸いは、別に自分の頭の中がダダ漏れになっているわけではないらしい。
自分でも奇妙な状況に置かれていることを自覚しながら、恐る恐る口を開く。
「……出すって、どこから?というか君は誰なの」
『…………』
今度は頭の中の声の方が黙る。
自分一人しかいない病室で、誰かの声を待って黙る時間は疑問を増幅させていく。
(…本当に何なんだ…?)
相手も同じように考えているのかもしれない。
細い、多分女性の声。聞き覚えのある感じはしない。
念話は研究こそされているけど実用化には程遠いはずだし、まだ自分の幻聴と考えた方が現実的だけど。
『……あなた、動ける?』
「……一応……」
『ここ、真っ暗なのよ。私を見つけられたら、分かることは教えてあげる。来て』
「痛………」
鋭い耳鳴りのような音と、頭痛が襲ってくる。
やっぱり何かの疾患なのかもしれない。そう思いながらも、その声がどこから来るのか、分かるような気がした。
(……病棟の、奥の方)
正確には、研究棟の区画。なんとなく、としか言いようがないけどそんな気がして、怪我した場所を押さえながら立ち上がる。
(……痛いけど、歩けないほどじゃない)
声のする方へ。
手すりを伝いながら、よろよろと歩き出した。
***
(……なんか、怖いくらい誰もいないな)
途中で止められたら幻聴だと割り切って素直に帰ろう、そして検査を受けよう。
そう思いながら進んだ薄暗い廊下で、誰かとすれ違うことはなかった。
基地の病棟に入院してるのは今は俺くらいで、それも別に重症というわけでもないし、そんなに人数は割かれてないからなんだろうけど。
(研究棟の方に、何があるっていうんだ?)
頭はズキズキと痛み続けていて、目指す場所に近づいている感覚もあった。
この角を曲がって、自動ドアをくぐれば研究棟だ。
導かれるように身分証をリーダーにかざし、ドアを開ける。
(…ほとんど入ったことないよな、こんな所)
パイロットの身分なら一応入室はできるけど、分野が全然違うからなかなかここまで来ることはない。
病棟とほとんど同じ、区切られていなければわからないような白い廊下を、ゆっくりと進んでいく。
(…本当に、何してるんだろうな)
こんな夜更けに研究棟の廊下を病衣の患者がよろよろと歩くさまは、不審以外の何物でもない。
(…だけど…)
『近くまで来た?』
「……来たよ」
『……本当に来てくれるとは思わなかった』
「そう?」
『ええ……』
さっきより素直で自信のなさげな声は、俺以外に頼るものがないのだと想像させるには十分で。
(これで幻聴だったら相当へこむなあ)
それは最早へこんでいる場合ではない気もするけど。
そんなことを思いながら、ここだという気がする、突き当たり最後の扉を開ける。
(…あれ?ここ、鍵がかかってないのか……?)
ドアを開けてから、その不自然さに気づいた。
不意に夢の中から現実に引き戻されたように、冷や汗がどっと噴き出す。
この部屋が何の部屋なのかは分からない。
けれど開けた扉の奥、二重になったガラス扉が何かを防ぐためのものであることは理解できたし、その奥にあるものを見間違えることなんてない。
(Stellaの、救命ポッド……)
Stella本体よりは当然小さいそれも、生身で見れば自分の身長をゆうに超える大きさだ。
その、白く無機質な円筒形のカプセルのような棺が丁寧に、部屋の一番奥に横たえてあった。
その部屋のガラス扉の向こうは全面黒い緩衝材のようなもので覆われていて、それが物々しさを一層際立たせている。
(…こんな大事な物を置いてある部屋が、無施錠なはずない)
けど、現に入れている。
どういうことなのだろう。
『……着いたの?』
心細そうな声が尋ねてくる。
いつの間にか耳鳴りも頭痛も消えていた。
(……どうしよう)
もし、この救命ポッドから呼びかけられていたとしたら、自分には開けられない。
開け方は知っている。けど今これが開けられていないということは、許可が下りていないということで。
開けるどころか、触ることすら許されないはずだ。
『……いるんでしょ……?』
それでもまだ、無垢な声は響いていて。
「……いるよ、ここに」
『……良かった……』
開けられないけど、無視はもうできなかった。
いよいよ追い詰められて、目の前のポッドを見つめた、瞬間。
「え、」
嫌な音を立てて、機械の駆動音が止まり、正常動作を示す青い光が消えていく。
自分で扱ってきた機器だから、分かる。
(電源が落ちた…!)
『っ、なん、で、』
頭に響く声が、苦しそうに悶える。
電源が落ちれば、当然生命維持機能も止まる。
今俺の目の前で、それは棺桶と化そうとしていた。
『たす、けて』
やっぱり中にいるのは人なんだ、と思った。
多分その確信がなくても、身体は動いた。
ガラス扉をくぐり抜け、万が一のためにしっかりと閉じて、救命ポッドに飛びつく。
「今開けるから…!」
外側からレバーを回して、ハッチに手をかける。
その重い扉を力任せに引き上げ、開けた。
それに応えるように、その縁に白い手が伸びて、咳き込みながら起き上がったのは。
「え……?」
そこには想像を遥かに超えた光景があった。
目の前で咳き込んでいるのは、女の子だと思った。
目の醒めるような赤い長い髪は豊かに揺蕩って、その印象を鮮烈にしていた。
服は着ていないみたいで、髪の合間から滑らかな白い肌が覗く。涙を溜めた蒼い瞳は、咳き込みながらも俺のことを真っ直ぐに見据えていて。
そしてそんなこと全てが霞むような、赤い羽、羽、羽。
その子の背中には、窮屈そうに折り畳まれた大きな一揃いの翼があった。
(これは、何だ?)
一瞬作りものかと思ったけど、多分違うのだろう。
目の前にいるのは人の形に近いけれど、全く知らない生き物だ。
しかし、とりあえず裸らしいことは理解してしまったので、慌てて目を逸らす。
同時に果たして目を離してしまっていいのか、という疑問も浮かんでいた。
(もしかしなくても、すごく軽率なことをしてしまったのでは)
多分、ポッドを開けなければこの子は助からなかっただろう。
けれどそもそも、助けてしまって良かったのだろうか。
この子は敵性宇宙生物の手先かもしれない。というか、その可能性が高い。
(というか、話しかけてきたのは本当にこの子なのか…?)
そんなことをぐるぐると考えている間に彼女は落ち着いたらしく、人心地ついたように長く息を吐いた。
そして多分こっちを見ている。穴が開くほど見つめられている。
「……あ、あの、結局君は、何者……」
『……ありがと…』
結局、声はやっぱり頭に直接響いた。
驚いてそちらの方を見た瞬間、彼女は糸の切れた人形のように崩れ落ちて、慌ててハッチの縁に激突しそうになったその身体を抱き止める。
(……まるで人間だ)
一瞬血の気が引いたけど、息はしているようだ。滑らかな肌も触れた感じも、人間と全然変わらない。
けれどやっぱり背中の肩甲骨の辺りから、直接翼が生えているようだった。
(……キメラ、なのか……?)
肋骨の痛みに耐えながら本当にこの後どうしよう、と逡巡していた時、後ろのガラス扉が開いたことに気づく。
「何をしてる……」
その鋭い眼光に凍りつく。
けど同時に、それが知っている人だと気づいた。
多分相手も同時に。
「亜鷹さん……?」
「……ヒロ」
俺だと理解した瞬間、亜鷹さんが焦ったような、困ったような、今まで全く見たことのないような顔をしたから、ああ自分はもしかしなくても、すごく面倒なことをやらかしたんだろうな、と頭の隅で、思った。