第一話・②
ヒロくんの日常。
ああ、遠くで目覚ましの金属質な音が鳴ってる。
やばい、早く起きないと、殴られる。
「っ……!」
がばりと起き上がって、一拍置いて息を吐く。
そうだ、もう教官はいないんだ。
(はあ……慣れないな)
安心なんだか困惑なんだかわからない溜息をもう一つ吐きながら、ベッドサイドから眼鏡を探す。
二度寝でもしようものなら文字通り叩き起こされる、なんてことがなくなってから、確か今日で4ヶ月目。
夜勤の後はどうも疲れが取れない。
(まあ、非番だから二度寝したっていいんだけどさ)
昔は社畜と言って、夜勤の後そのまま朝出社する人もいたらしい。
そんな時代や訓練所の頃に比べれば、随分と贅沢な暮らしをしてるもんだ。
(…………眠気が飛んじゃったよ)
うっすら疲れてはいるけど、眠くないものはしょうがない。
一つ伸びをして、ベッドから立ち上がった。
***
「お、ヒロ、早くね?」
近づく足音に気づいたのか、Stellaの足元に座り込んで何やら作業をしていた妃さんが振り返る。
「おはようございます…あ、もう昼でしたね」
「ん?あれ?やべ、本当だ」
妃さんは腕時計を見ながら呟いた。
(…この人、寝てない?)
確か、当直後、俺たちが帰る時も妃さんはスタジオに残ってメンテナンスをしていたはず。
もしかしなくても、多分それからぶっ続けで作業をしていたのだろうか。すごい集中力だ。
「さすがにまずいな……とっくに交代も来てるし寝よ」
「そうした方がいいですよ」
「ヒロは何しに来たんだ?」
「もうちょっと、Stellaの起動に慣れておこうと思って」
「真面目だねえ」
妃さんは笑いもせず軽く呟く。そして何故か俺のことをじっと見て呟いた。
「…お前一人に独占させてやれなくて、悪いな」
「え?」
そんなことを言われるとは思わなくて、少し驚く。
「あと3機は欲しいよなあ、デクマ」
「まあ、しょうがないですよ」
多分妃さんは、俺たちが当番制で同じ機体を共有していることについて言っているんだろう。
俺たちの所属する基地、東京都市アクイラではA〜Dの4チームが組まれていて、それぞれが持ち回りで基地の警備にあたっている。
1チームの人数は3人から4人。うちにはStella、MONDO、Echo以外にも固有名のない機体が2体あるけど、もちろんパイロット全員分のデクマはないから、楊先輩のMONDO以外の機体は基本的に他のチームのパイロットと共有していた。
「昔はここにもちゃんと10機あったんだよ。ほとんど無銘機だったけどな」
「……報告書で読みました」
「真面目だねえ」
妃さんは呆れたように呟く。
「ほら、ちょうどそこの壁、そっから色が違うだろ。それが『アクイラの悲劇』の痕だ」
妃さんが指差す方を何も言えずに見つめる。確かに古びた壁と新しい壁が綺麗に補修の跡で分かれていた。
「このスタジオが、鳥型に真っ二つにされたんだよ。一直線にシールドをぶっ壊してここまで来られてな。それで、パイロットが乗ったばっかのデクマも発進できないままほとんど潰された」
「…………」
聞いているだけで胸が痛くなる。確かあの報告書には、6人のパイロットが亡くなったと書かれていた。
「なんとか一体は楊が倒したんだけどな。そんで、もう一体がStella……旧Stellaを持ち逃げしてって、残ったのがMONDOと Echoだけ、ってな」
「…聞けば聞くほど、酷い話ですね」
「ま、逆に最近はあのハーピー野郎以外での被害はほとんどないけどな。鳥型は何せ頻度が少ないから、撃墜数も情報も少ない」
「今のシールドなら、鳥型が一撃で壊せはしないんですよね……?」
「ん。まあ、そもそもあの鳥型が規格外にデカかったってのもあるけど、今はだいぶ改良されたよ。そういう時には予算も出るんだけどな、ここ最近平和だからなー」
「はは……」
「もうちょい予算が増えたら、亜鷹とお前のも固有機にしてやれるんだけどな」
「十分使わせてもらってますから…」
「そう?ならいいけど」
徹夜のせいか、いつもより妃さんは饒舌だ。
「もういっそ俺が作るか……?」とさらっと凄いことを呟きながら自分の部屋に帰っていった。
(妃さんだと、冗談に聞こえないんだよな)
スタジオの機器類で妃さんの手が入っていないものはない、らしい。
ならデクマだってさらっと作ってしまいそうだ。
もちろん、膨大な予算で製造する人間が乗れるロボットなんてモノを、個人の力で造れるわけないとは分かっているけど。
(はあ……練習しよ)
さっきはああ言ったけど、確かに俺の今日使える時間は、残り少ない。
***
「お疲れ様です、ヒロさん」
不意に、背後から聞こえた声に振り返る。
「あ……ごめん、集中し過ぎてたみたい」
「あはは、確かに相当集中してましたね」
慌ててインカムを外しながら見上げた先には、同僚の綾がいた。
人好きのする笑みをたたえて、邪魔にならないように立って俺が退くのを待っている。
「ちゃんとご飯食べました?」
「食べてない……」
時計を確認すればもう2時間も経っている。
次の当番が来るまで、1時間くらいの練習のつもりだったのに。
「ごめん、遅くなっちゃって…」
「いえいえ、大丈夫ですよ!あとは僕に任せて、早くご飯食べてきてください!」
「う、うん、ありがとう」
彼の目がぎらりと光っているような気がして、少々焦りながらコクピットの椅子から立ち上がる。
俺がどいた後の席に座った彼がインカムも着けずに機器をいじりだすのを横目に、その場を離れた。
***
(失敗したなあ…)
こうならないように、時間には気をつけていたつもりだったんだけど。
食堂への廊下を歩きながら、小さく溜息をつく。
(ここに来る前は、もっとちゃんと話せてたと思うんだけど)
彼の態度が変わったのは、訓練所からこの東京都市に配属されてから。
(理由がわからないんだよな)
なんとなく刺々しい。気のせいかと思いたいけど、多分違う、と思う。そこまで鈍くはない。
「うーん……」
気にはなるけど、いつまでも悩んでいても仕方ない。
カウンターで配給食を受け取り、空いているテーブルにつく。とっくに昼時を過ぎているからか食堂には人もまばらだ。
訓練所育ちだから大人数での昼食に慣れてはいるけど、ここに配属されてから一人でとる食事の良さにも気づき始めていた。
いただきます、と手を合わせたところで、向こうのカウンターに立つ人と目が合う。
(あれ?こんな時間にどうしたんだろ…お互い様か)
彼は俺と同じ天丼をお盆に載せて、こちらに近づいてきた。一緒に食べるつもりらしい。
(…まあいいか)
一人で食べるのも良いけど、誰かと囲む食事も悪くないのも確かだ。
***
「この時間になると、こんなに空いてるんすね」
「落ち着いて食べられていいよね」
「…来ちゃって良かったですか?」
目の前の彼は、神妙な顔で呟く。
「え?もちろん。竜くんと食べれるの、嬉しいよ」
「良かったです」
あまり表情を変えない彼だけど、少し嬉しそうだ。そういう顔をしてもらえるのはやっぱりこちらも嬉しい。
いただきます、と手を合わせた彼は、綾くんと同じく歳下の同僚。名前は竜と言って、綾くんと区別するため皆からはリュウと呼ばれている。
「天丼、うまいよね」
「ですね。基地のはやっぱり、海老の再現度が高いです」
「訓練所のアレはかまぼこですらなかったもんね」
たわいのない会話をしながら、黙々と天丼を平らげていく。
「…ヒロ先輩は、亜鷹さんが昨日どこに呼び出されてたのか知ってます?」
不意に竜くんが声のトーンを落とした。ゴシップというより、真面目な話という感じだ。
「え、いや、知らないけど」
「それが、センターらしくて」
「え?」
センター。俺たちの暮らす東京都市を含む、86個の空中都市をまとめる、アメリカ上空にある中央都市の基地。
つまり、俺たちの基地に予算をつけたり指示を出す上層部のことだ。
「亜鷹さん、もしかしたらセンターに引き抜かれるかもって…」
「えっ…!?」
思わず持っていた箸を取り落とした。
「センターって、中央基地だよね…?」
「……ですね。人手不足だとは聞いてましたけど…」
「…本当だったらかなり困るな、それ」
確かに、センターは他の基地に比べて敵の襲撃回数が明らかに多い。
何度か大規模な攻撃にも晒されているし、何より世界の中心部であって一番守られるべき場所だということは常識だ。
だけど、亜鷹さんはこの基地の主戦力だ。
急にいなくなりでもしたら、どうなるか全く想像がつかない。
ただ、その穴を今いるメンバーだけで埋めきれるはずがないのは明らかだ。
「直接聞いたわけじゃないんで、本当にそういうことかどうかは分かりません。でも情報源が綾なんで、少なくともセンターに呼び出されたのは確かだと思います」
「あー、綾くん、情報通だもんね…」
平静を装って返事をしたけど、内心かなり動揺していた。
もし本当にそうだとして、もちろんうちの上司は反発するだろう。亜鷹さんだって簡単には頷かない、と、思いたいけど。
「…すみません、飯が不味くなるような話を…」
そう呟いた竜くんも、明らかに不安そうな顔をしていた。
誰かに言わずにはいられなかったのかもしれない。
「いや、教えてくれてありがとう。俺、そういう話は聞き逃しがちだから、急に現場で聞かされるより全然ましだと思う…」
「…それはそうですね」
神妙に頷いた竜くんは、平らげた後の食器を持って立ち上がった。
「…一緒に食べられてよかったです、じゃあ……」
「あ、ごめん、全然関係ないんだけど一つ聞いてもいいかな…」
「…何ですか?」
きょとんとした竜くんに、こんな質問をするのも申し訳ないんだけど。
「 …俺、綾くんに何かしちゃったのかな、と思って」
「え?何か……ああ……」
竜くんには何か心当たりがあるらしい。
「情けない話なんだけど、何か心当たりがあったら…」
「いや、ヒロ先輩のせいではないです」
「そ、そうなの?」
何やら竜くんは渋い顔だ。
「…あいつが勝手に嫉妬してるだけです。楊先輩に心酔してるんで、あいつ」
「……なるほど……?」
返ってきたのは斜め上の答えだった。全く想像もしていない理由で、コミュニケーションが上手くいっていなかったらしい。
「…あいつ、悪い奴じゃないんです。ただ最近、ちょっと根詰めすぎなんです」
「…そうなんだ」
「俺から何か言っておきましょうか?」
「いや、いいよ。俺が何かしちゃったわけじゃないならいいんだ」
慌ててそう言ったら、竜くんは何とも言えない顔で俺を見た。
「…先輩って、優しいですよね。俺ならもう怒ってます」
「そ、そう?」
そんなつもりはないんだけど。
「まあでも、俺はそういう所を見習うべきかもしれません。それじゃ」
それだけ言って、竜くんは爽やかに帰っていった。
(…優しいんじゃなくて、押しが弱いだけだと思うけど…)
何とも言えない気持ちで、まだ少し残った海老天もどきを箸でつまみ上げた。
***
(さて、何をしようかな)
今日は一応休日だから、今から街に繰り出すこともできる。
まだ夕方というほどでもないし、そこそこ遊ぶことはできるだろう。
それか、Stella本体を触るのは無理だけど、基地のシュミレータで擬似戦闘という案もある。
(…どっちもあまり気乗りしないな)
自室のベッドに座り、電子端末を手に取る。
読みかけの本一覧を起動して、ごろりと寝転がった。
その拍子に、何か別のコンテンツの起動ボタンに触れてしまったらしい。
ふっと目の前にホログラムの波が現れて、映像が流れ始めた。
『……デウス・エクス・マキナ、通称デクマを開発した、拾度博士をお呼びして……』
どうやらセンターから発信されているバラエティ番組がついたらしい。
横倒しになったまま、ベッドの上からぼんやりと画面を見つめる先には、パイロットなら知らないはずのない、白髪の割に若々しい顔が微笑んでいた。
(…センターの、拾度博士……)
そりゃあ、仮にこの人が人員を欲しいと言ったら、二つ返事でどこの基地の誰だろうと差し出されるだろう。
(世界の救世主と言っても過言じゃないもんな)
宇宙空間作業用ロボットを元に戦術四肢、正式名称デウス・エクス・マキナを開発し、当時複数の基地に大きな被害を出していた鳥型を初めて撃退するきっかけを作った人だ。
(……テレビ慣れしてるなあ……)
にこにこと当たり障りのないことを話している画面をしばらく見つめて、我に返ってそっと画面を消す。
さっき読みかけていた本のファイルを開いたけれど、どっと眠気が押し寄せてくる。
(こんな時間に、寝たら、体内時計がぐちゃぐちゃに……)
瞼が言うことを聞かない。静かに闇の中に、意識は落ちていった。