第一話・①
ロボットアニメ風SFです。
新人パイロットの朝は早い。
(早いっていうか、まだ深夜なんだけど!)
愚痴っている暇はない。敵襲を知らせる警報は部屋の中にも鳴り響いていて、つまり何てったって、基地の危機である。
(まあ、周りの人が頼もしすぎるから、あんまり緊張感ないけど…)
そんなとりとめのないことを考えながら、服を掴んで部屋から駆け出す。
『スタジオ』につながる灰色の無機質な廊下にも、だいぶ聞きなれた警告音がけたたましく鳴り響いていた。
隣のエリアに繋がるドアが開き、子供たちが心配そうに覗き込んでいる。
「危ないから安全基地にいな!」
半分言い捨てるようにして通り過ぎていく。本当はもっと声をかけたいのだけど、現場急行は鉄則だ。立ち止まることはあの子たちの安全を脅かすことにもつながる。
(つまり、もっと走れってこと!)
新米らしく、ベテランに比べると遠い部屋をあてがわれている。誰より速く、走らなければ。
***
「すみません、遅れました!」
「遅い!」
そんな言葉とともにスタジオに入れば、間髪入れず厳しい声が飛んでくる。
ただその声の主は親しみやすい笑みを浮かべていて、非常時なのに少しほっとしてしまう自分がいた。
「そこ、やっとる場合か!っていうか亜鷹まだ」
「機体準備できました!」
スタジオは慌ただしい雰囲気で、あちこちで声が飛び交っている。非常時だけどいつも通りの雰囲気で、なんとなく敵は大したものじゃないと察しがついた。
まああくまで敵だから、撃退に行く時点で命がけではあるのだけど。
「ヨウ、乗れって!お前を待ってんだよ」
「え、俺?アタカじゃねーの?」
「亜鷹はなんか呼び出しらしい」
「あいつまた?」
俺に遅い、と言ったその人がオペレーターに怒られている。
「自分も行けます」
「おう、もちろん」
間髪入れず告げた言葉にオペレーターの妃さんが返してくれる。
いつもと変わらないその理知的な眼差しが、心を落ち着かせてくれるのを感じる。
ヨウ、と呼ばれた先輩は、もうさっさとコックピットの方に歩き出している。その後ろを慌てて追いかけた。
「今日も大したことなさそーだし、ヒロがとどめ刺してみる?」
「…そうですね、やってみたいです」
ヨウ…楊先輩は振り返って、陽気な顔でさらりと重い提案をしてくる。
色素の薄い髪によく似合う人懐こそうな目は、言葉の意味をよく考える前に頷きたくなるような魅力に満ちていた。
もちろん内容は、不用意に頷いていいようなものじゃないんだけど。
「緊張すんなって。できると思ってんから言ってんだし」
「緊張はしますよ…」
これまで何度か出撃はした。けれど自分の役割は基本、主に敵を引き付けた先輩の補助だった。脇から攻撃を仕掛けたことはあっても、正面から迎え撃つことはなかった。
仕損じれば当然、周りの被害にも繋がる。
けれどもちろん、断る選択肢はない。いつかは経験しなければいけないことだ。
「ま、緊張しないって言われた方がこっちもこえーわ」
「…ですよね」
「じゃーがんばれよ、ヒーロー」
「…はい」
ここにきてもあくまで先輩は陽気だ。見習いたいと心から思う。
軽く挨拶を交わし、それぞれのコクピットに別れた。
通称『スタジオ』は、正式名称を「基地防護用戦術四肢発着場」という。長ったらしいし意味が通りづらいので、似た場所の名前を借りて皆「スタジオ」と呼んでいる。
高い天井にはたくさんのライトが取り付けられ、黒く塗られた防護壁にも様々な整備用の道具が釣り下がっている様は、確かに映像で見た「スタジオ」によく似ていた。
(本物は見たことないけど)
そんなことを考えながらスタジオに来る直前に着替えたフライトスーツの具合を確かめ、問題のないことを確認してインカムを装着する。
『通常交信確認。聞こえますか?』
「通常交信確認。大丈夫です」
インカムから流れる妃さんの低く落ち着いた声に応えながら、機器の具合を確かめていく。
一つでも異常があれば命取りだ。丁寧に確認したいけれど、素早さも求められるのがもどかしい。
『正常動作確認』
「…正常動作、確認」
一拍遅れてなんとか追いつく。少し指が震えていた。緊張しない方がまずい、と言い聞かせて拳を握りこむ。
目の前のモニターは一斉に光り出し、問題なく起動している。メインパネルが音もなく透き通り、ハッチの扉の裏の、殺風景で黒々とした壁を映し出す。
(…家族の写真でも貼りたくなるな)
まあそんなもの、いないけど。
『スタンバイ、オーケー』
「スタンバイ、オーケー。発進できます」
今の自分にできるのは、操縦桿を握り、前を向くこと。そして先輩と連携して『敵』を撃退することだ。
(……しっかりしなきゃ)
『MONDO、発進確認。Stella、発進』
「Stella、発進」
壁が開く。
壁よりも黒々とした空の中へ、静かに唸りを上げ、機体が滑り出す。
手にじわりと汗が滲んだ。
***
ぐらりと無重力に放られる時特有の揺れが来て、それを上手く乗りこなすように機体の四肢を操っていく。
泳ぐような、藻掻くような、ままならない力を上手く征服しようとするその瞬間は、実のところ少し気に入っていた。
(なんて、楽しんでる場合じゃないんだけど)
しっかりと態勢を立て直し、基地から離れた、『敵』のいる方向へと機体を飛ばす。
上へ、上へと。
(…いた)
基地を守るのは、漆黒の宇宙に薄緑のガラスのように光るシールド。その球状に張られた八角形の鏡面に向かって飛んでくるのは、槍を持った『敵』だ。
『ヒロ、見えるよな?』
楊先輩からの通信が耳元で響く。
「見えます。熊型、ですよね」
『ああ。まずは俺が牽制すっから。後ろに回れるよな?』
「…はい」
いつも通りに対応すれば倒せる『敵』だ。
まだ手は震えていたけど、少しは気が楽だ。汗ばんだ手を拭うように操縦桿を握り直す。
『敵』は、まだこちらには気づいていなかった。遥か先で一心不乱に槍をぶつけ、シールドを破壊しようと藻掻いている。
どこか滑稽なその姿に、少しの安堵と罪悪感を覚える。
(…知能の高いやつじゃなくてよかった)
宇宙の彼方から飛んでくる『奴ら』は、当たり前と言えば当たり前なのか、地球にいたとされるどんな動物とも違う形をしている。
ただその見た目の特徴から、地球の動物になぞらえて熊型、魚型などの名前を付けられていた。
今そこにいるのは『熊型』。熊を無理矢理引き延ばして脚を6本にしたような姿をしている。色は鈍色で、ぶよぶよしている。
一番知能が低く、動きも単純だ。
『じゃ、行くぞ』
そう言い残して、楊先輩の機体、『MONDO』が滑るように遠ざかっていく。
熊型はまだ気づかず、同じ場所でもがき続けていた。シールドに小さなヒビが入ったことを計器が示し、少し動悸がする。
(動こう)
熊型が楊先輩に気付くまでにかかる時間を計算しながら、MONDOとは別の方角へ駆ける。
ちょうどの位置につくと同時に熊型の後ろに先輩が躍り出る。無駄のない、きれいな動きだ。
熊型はまるでシミュレーションのお手本みたいにMONDOの方へ振り返り、その持った槍をナイフのような近接武器に変化させた。
そのタイミングでシールドの向こうから、至近距離でバズーカを撃つ。
(さすがに、当たれ…!)
またお手本みたいに、弾が直撃した熊型の後部が大きく抉られる。
熊型から弾けた蒸気が虹色に輝いた。その身体は鈍色なのに不思議だと毎回思う。
MONDOは素早く距離を取って、俺が次に取る行動を見つめている。
熊型はさっきまでより安定しない動作で、こちらを振り返る。
その動きに合わせるように、放った銃弾がその化け物の中心の孔を貫いた。
ぐっと鈍色の身体が縮み、内側からの圧に負けたように破裂する。
『いいな、串刺しじゃん!』
飛び散る熊型の残骸の向こうで、MONDOが手を振っている。
残骸でノイズまみれになりながらも聞こえた、先輩の褒める声に思わず顔が緩んだ。
(一番弱い種類とはいえ、仕留められるのはやっぱり……嬉しいな)
『おう、StellaもMONDOもお疲れ』
妃さんの落ち着いた声が流れてきた。燃料の無駄遣いをしないように、すぐに向き直ってスタジオに向かう。
背後では薄緑のシールドが淡く光り、自動修復が始まっているようだった。
***
「ほい、無事帰還賞」
「…ありがとうございます」
妃さんにカップに入ったコーヒーを渡され、ようやく人心地つく。
「MONDOもStellaも、共に損傷なし。上出来じゃん」
「…なら良かったです」
背中を軽く叩かれて、声が少し上擦る。
この人たちは時々俺を褒めすぎだと思う。けれどもちろん、嬉しくもある。
「てか亜鷹は何してんだよ、マジで」
同じくカップを片手にした楊先輩に聞かれ、妃さんが頭をかく。
「やっぱ急な呼び出しだってよ」
「あいつ最近呼び出されすぎじゃね?」
「まあ何かと色々あるからな」
「何かと色々、ね」
二人は意味深な視線を交わす。多分この『何かと色々』は俺が知ってはいけないタイプのやつだ。
(…早くもっと役に立ちたい)
急いては事を仕損じる、という遥か昔のことわざを常に頭の隅に置いてはいるけれど、この職場に即戦力が全く足りていないのも確かだ。
足手まといだけにはなりたくないし、早くもっと役に立ちたい。
「…お前がそんなこと言うから新人が思い詰めてんぞ」
気づけば、楊先輩がへらりと笑っている。
「おうおう、生き急いでんなあ」
「張り切りすぎてうっかり死ぬなよ?」
楊先輩がさらりと続けた、その一言が重い。
「…まずは死なないよう頑張ります」
「そうそう、死ななきゃ合格だから。マジで」
「まずは生き残ることだからなー、この業界」
妃さんの、眼鏡の奥の目が笑っていない。なんだかすごく遠くを見ていた。端的に言って怖い。
(死ぬ、か)
今なら嫌ってほど守られていると分かるこの環境でも、一番最初の出撃では死ぬかと思った。
今だって時々、死ぬかもと思うこともある。
(死ぬのが怖いなんて言ってたら、こんな仕事やってられないけど)
でも、死んだら困るのも本当だ。
自分はもちろん、残された人も。
(少なくとも、今は死ねないな)
「ま、俺がいれば大丈夫だろ」
「楊お前、死亡フラグ立てんな」
笑い合う先輩たちは本当に仲が良さそうだ。
「……頼りにしてますから」
自然と出た一言に、楊先輩が驚いたようにこちらを見る。
「…死亡フラグ立てんな」
一拍置いて、三人分の笑い声が響いた。
***
(でも実際、なんで呼び出されてるんだろう、亜鷹さん)
自分の部屋へと長い廊下を歩きながら、考えを巡らす。
深夜に敵襲があることはそんなに珍しいことじゃない。
だからこそ、当直の日にまで担当班のパイロットの一人が呼び出されているというのは、少しおかしい。
(よっぽど大事な用なんだろうけど…)
亜鷹さんは俺と同じA班の所属で、楊先輩に次いで撃墜数の多いパイロットだ。主戦力と言っていい。
そんな人を警備が手薄で敵襲があるかもしれないタイミングで呼び出すなんて、余程上はこのチームを信頼しているか、文字通り緊急の用事だったか。
(……もしくは、上は何も考えてないか)
あり得なくはないのが怖い。そもそもこの基地は、そんなに重視されていないから。
『鳥型』の襲撃経験のある基地なのに、配備基準とされる10体の半分しか戦術四肢は配備されていないし。
更にその内性能が良いとされているのはStella、MONDO、それから亜鷹さんのEchoだけ。
(…もし万が一、『鳥型』が来たら、到底立ち向かえない気がする…)
特に自分はまだ鳥型と実際に戦ったことはないし、足を引っ張る気がして仕方がない。だから亜鷹さんには絶対居てほしいのに。
そんなことを思う自分も、情けない。
よるべの無い重い気持ちを吐き出すように溜息をついて、ドアノブに手をかける。
「…だいじょうぶ?」
心配そうに自分を見上げる瞳に、ふと気づく。
ドアのすぐそばに立っていたのは、この部屋を出た時に心配そうに見ていた子供たちの一人。
「…安全基地にいなさいって言っただろ」
そう言いながら抱き上げてやると、その子……ナナちゃんは安心したように微笑んだ。
「ね、ヒロにい、メガネちょうだい」
「ダメ」
そう言ってもお構いなしに眼鏡を取られて、視界がぐにゃりと歪む。
けどその眼鏡を自分の顔に掛けて何故か嬉しそうにしているナナちゃんを見ると、怒る気も失せてしまう。
「ね、なんでヒロにいのメガネは、かけると見えにくくなるの?」
「…それはナナちゃんのために作られたメガネじゃないんだ。俺が見やすいようにって、造られてるんだよ」
「ふーん。メガネないと、デクマ乗れない?」
「…多分?」
「じゃあ、返してあげる」
満面の笑みで、ナナちゃんは俺の顔にメガネをなんとか掛け直す。
「ね、キチまでつれてって!」
「……しょうがないなあ」
よいしょ、と歩きやすいように抱き直し、薄明るい廊下を安全基地の方に歩き出す。
「…おしごと、がんばってね」
耳元で、小さな声が響く。
「…うん、ありがとう」
こんな子どもに、心配させるような顔をしていたみたいだ。
(…ごめんね)
守れる力があるのに、弱音を吐いちゃだめだ。
俺たちにしかできないのだから。
軽すぎる命を落とさないよう、しっかりと抱え直した。