体育を怖がっている(2)
「え、今何でもするって言った?」
「ええ、あたしに出来ることなら何だってするわ!」
目の前の少女は自分の言っていることの意味が解っているのだろうか。自分のことを大切にする気持ちが少しでもある人間なら、まずそのようなことは言わないはずだ。となると、考えられる可能性は大きく分けて2つ。まず彼女が自分の何でもという発言の怖さ━━つまりいかがわしいことをされることによって、自身の身体に強いられるであろう苦痛を理解していない可能性。しかし、これは彼女が常日頃、痴漢被害で苦しんでいることからしてありえなさそうだ。となると残る可能性はただ一つ。四日市さんは僕がそのような彼女を脅かす願望を実際に提示してくるとは思ってないということ。
具体的にいえば、僕が彼女にいかがわしいことをしたり、大金を要求したりしたすることはないということだ。
もし僕がそれらの要求をしたら、それに対しどれほど秘密裏に四日市さんが応えたとしても、その事実がどこから漏れるかわからない。バレた時点で僕は言い逃れの余地なく他人に法に抵触するようなことを強いているわけだから、僕の学校生活、いや、下手すりゃ人生が終わる。それは何としてでも避けるべきだ。そう思い、僕が無難なお願いをすると判断している可能性がある。
ドアインザフェイスという心理学のテクニックがあるが、それは、はじめに大きな要求を提示することで、自分の本来通したい要求を相手に飲ませやすくするテクニックである。それに近いかもしれない。
つまり、僕が彼女を脅かすリスクのある選択をしても良いという四日市さんの願いを避け、それより安易な、彼女自身が提示し僕が飲みやすいリスクのない条件で僕が協力するように仕向ける。
だとすると、次の言葉を受けたら、恐らく彼女は自身の条件を緩めてくるはずだ。そして僕がより頼みやすい条件を出してくるはず。
「何もそこまでしなくてもいいだろ」
━━だが実際にはそうではなかった。
「必死なんだからそれくらいするわよ!」
だから僕はまず、四日市さんが究極の状況を前にして理性を失っているのだと考えた。
「いくら必死だとしたって冷静になったほうが良い。いっときの衝動に任せて何でもするなんて言っちゃったら後で必ず後悔することになる」
そして四日市さんが何も反論してこないのを確かめて続ける。
「報酬は君自身が提示すればいいし、第一報酬なんてなくたってクラスの中心的人物である君の要求に対し、陰キャである僕は無条件で逆らうことができない。どこで陽キャのクラスメートが見ているかわからないもんだから、カースト下位の奴には生意気なことが出来ないしな。違うか?」
「そ、無条件でそんなことを強要して、後でパワハラで訴えられたら怖いじゃない!」
パワハラ、ま、一応そうなるのか。じゃあ方向性を変えてみよう。
「じゃ、残念だがやっぱやめておくさ。第一僕にとって君に何かをしてもらっても、僕が背負う社会的リスクに対して得がないじゃないか?下手なことを要求すればクラスメートの大半を敵に回すというリスクを冒してまで君に何かを求めようとは思わないし、求める権利自体もないだろうしね」
勿論君に何かをしてもらうこと自体に魅力がないわけじゃないけど。そう付け加えてフォローしようと思ったが、流石にこれを陽キャに対して陰キャが言うのはかなり大問題になりそうだと予想できたのでやめた。
「得がない━━じゃあお金なら、お金を要求すれば君にも十分利があるわ!」
「確かにそうだが、それでもここで僕が何でもしてほしいと君に言うのは、まるで僕が君にいかがわしいことをしたいと考えているかのように映る。それはかなりリスキーなことだ。それとは裏腹に君はどうだ?何でもするったってそんなの口約束だ、後でいくらでも反故にできるさ。それは明らか釣り合っていない。不公平だ。よって僕は君の条件を飲むとは言えない」
ここまで言ったら流石に彼女は僕を社会的に苦しめる無謀な条件を取り下げてくれるだろうと踏んでいたのだが。
「もう!つべこべうるさいわね!あたしが何でもするだなんて無謀なことを腹を据えて言ってんだから、君も降りずにちゃんと覚悟決めて協力しなさいよ!」
「何じゃその理論はーー!?」
カオス過ぎるだろ。ほとんど暴論に近い感情論だ。彼女と話し合っても埒が明かない。観念するしかないか。
しかし気になるのは、さっき(前のエピソードの最後あたり)彼女が言っていたが、なぜ『何でもする』ということが僕が飲むであろう条件になると彼女が確信していたのかということ。何でもするってことはそれこそ自由度がある表現だが、エロの欲情にまみれた一般的な男子高校生にとって、何でもするという言葉の意味するところは大きくは一つに絞られる。それに対し僕もまた食いつかないわけがないと踏んだのか。それほど彼女が自分の容姿に自信を持っているようには見えないが、まぁ男子高校生の性質上、異性全般に対してそういった関心をもっているのだろうと推測すること自体は99.9%外しちゃない。しかし残りの0.1%。僕が全くその手のことを興味を示さない可能性も、ゼロではない以上否定はできないのではないか。万が一そうだったならばそのときは運が悪かったと諦めて、条件が不成立になっても良いと思ったのか。
━━いや違う。敢えて無謀な条件を出すことで僕を食いつかせた。その事自体にきっと意味があったんだ。条件を飲む如何に関わらず、何でもするからなんて言われたら嫌でも待て待てと言わざるを得ない。その条件自体には無関心ではいられないんだ。そこが肝心。彼女は是が非でも自身の必死さを示したかった。だからそれ以外のあらゆる条件を頭から拒んだんだ。
精神的に切羽詰まっている様子が最も効果的に生まれる『何でもする』という一言だからこそ同情され協力も得やすい。あとは僕に自分から妥協点を示させるか協力を得た後で適当に誤魔化せば良い。とにかく僕が彼女の話題に興味を示した。それだけであの場の彼女には十分だったのだ。
でも何でもするといった手前、本当に誤魔化しなんてきくのか。
第一に何でもするということは犯罪とか取り返しのつかないことも、━━いや、そうじゃない。四日市さんは自分に出来ることなら何でもすると言っただけだ。ということは、僕が願望を提示した際に彼女が一言、出来ない、と言ってしまえばその時点でどうやったって願いは叶わない。その結果僕は必然的に陳腐な願い事しか出来なくなる。四日市さんは最初からそのつもりでこの条件にしてきたのか。敢えて事前に何も提示しない、あるいはさせないことで、彼女が飲まなければならない条件を著しく下げる。なるほど。なかなかやるな。僕はまんまと彼女の罠にハマっていたわけだ。
だが僕は今、この条件を飲む事自体を何としてでも回避したい。阻止せねばならない。この瞬間だって誰に見られているか解らないのだ。この場で僕が彼女に何でもしてほしいと言ったら誰だって僕が四日市さんに下心があるかもしれないと少なからず思うだろう。ならどうするべきか。考えろ、時間がない。このまま時間を浪費して彼女を諦めさせるのも無理だろう。ちんたらしてたら彼女はすぐにでもより強力な言葉を使って僕を何としてでも説得しにかかるだろうからな。他にも何かもっといい策を弄してくるかもしれない。目と鼻の先にいる彼女の必死さがそれを示唆している。
どうしたら彼女の条件を取り下げることができるのか。考えろ。時間の浪費はお互いのためにならない。
━━数秒の間のめまぐるしい熟考の末出した結論。正解。それは。
「分かった、ならこれでどうだ?君が条件を提示する前に僕が100%君がペアづくりを成功させる方法を教える。もう思いついてるんだよ、秘策がね」
「え、ほんとなの?」
「本当さ。そしたら君ははなからその条件を出さなくてもペア作りができる。これでいいだろ?君は善意で提案しているつもりかもしれないが、僕は怖いのさ。白状しよう。僕は何でもするという条件の大きさにビビっている。取り返しがつかないことを手に染めようとしている気分だよ」
「うーん、その方法━━いいえ、まだ良くない!」
「え?」
「方法を聞いた時点じゃまだ何一つ解決されていないわ。たしかに秘策は知りたいけど、知るだけじゃダメ!実際にあたしがペアを作れていないじゃない!一世一代の勝負、適当なこと言って煙に巻かれ、無責任に逃げられでもしたら取り返しがつかないの!ていうか100%とかいう薄っぺらい言葉を使って、あたしが騙されるとでも思ったの?舐めるのもいい加減にして!」
彼女が思惑通り激昂したのを確認して僕は間髪入れずに言った。
「そう思う?ならこうして揉め合っているうちに他の人を頼んだほうが良いんじゃない?もっと僕より信頼できる仲良しな人間をね」
「そんな人間いないから言ってるんでしょ。心から信頼できる人間なんていないからこうして怖いものを克服するとか何とかこつけて君に相談しようとしてるんじゃない!それに大体こんな些細な不安、君にしか言えないわよ!まだ新学期だから信頼関係も浅いし。周りにそんな心配性な一面見せたらすぐに変な目で見られるようになるわ」
確かに人間関係は何かをきっかけとしてしか成立しない壊れやすくて脆いものだ。信頼関係なんてものはあてにはならない。本当の友情なんてものは、まやかしに過ぎないのだ。
その意味では心配性を打ち明けるハードルは、四日市さんにとって、僕も仮初の親友たちも何一つ違わない。
「分かった。じゃあ何でもするという条件を飲んで協力し、かつ僕は君に何も要求しない」
「どういうこと?」
「君のペアづくりの成否については一切確認しないということさ。証拠がないんだから僕は結局君に何も要求できない。それでいいか?」
「ダメダメ。それじゃ君に責任がなくなっちゃうじゃない!」
「まあ確かにね。最も口約束である時点で双方がどこまでも責任逃れはできるし、どっち道僕がここで本気で条件を飲んだふりをするのと大差ないよ。僕が本気かどうかを確かめる術なんて君にはないしね」
「じゃあそういうことでいいわ。折れてあげる。その代わり早く聞かせてくれない?あたしがペアを作る秘策を。ハッタリじゃなかったらだけど」
「確認なんだけど、クラスの女子の人数は偶数で今日は欠席者もいない。だから別に最後に1人だけ、君だけが余ってしまうようなことはないから大丈夫━━ってわけにはいかないよね?」
僕自身の経験から、仮に一人だけ余る事態が人数的に回避できても、最終的にペアを組まされることになる余った二人はかなり惨めであることぐらい想像がつく。
「そりゃそうよ!そんなんでいいんだったら君になんか頼んでいないわ!」
「じゃあもう一つ聞くが、見張りの先生は男性と女性の両方いるんだったよね?」
「なんであたしがそんな事を知ってると思ったの?」
「交友関係広そうだし先輩とも繋がってるかと思って」
「あ、そう。まぁ間違ってはいないわね。あたしは交友関係は結構広くて浅い方から。━━そう。先生は二人。女の先生もいるわ」
「なら大丈夫。実行できる」
「え?」
「完璧だ。ペアづくり必勝法が寸分の狂いなく実行できる」
「勿体ぶらずに早く教えなさいよ!」
「わかったよ。君が体育の時間にペアを確実に作る方法。それは」
彼女が息を呑むのが分かった。
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