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通学を怖がっている

 ある晴れた春の日の朝、僕は高校へ向かう途中、電車に揺られながら、1つの懸案事項を抱えていた。

 新学期1発目の小テスト。それが不安で不安で仕方がないのである。

 第一に、担当の先生の初めての問題だから、一体どんな問題が出るのか皆目見当が付かない。勿論試験範囲は予め告知されており、一応それに向けてそれなりに対策してきたつもりだ。決して一夜漬けで本番を迎えるというわけではない。だが、僕が極度の心配性であるせいで、いくら勉強したって、本番に取り返しがつかないくらい大失敗するのではないかという不安は取り除けないのだ。

「定期テストじゃないんだからさ。たかが小テスト位でそんなに気にする必要ないだろ?落ちたら適当に再テスト受けたらいいだけだって」

 いつもこんな事を茶化しながら言う友人に今回も励ましてもらえたらどんなに良かったことだろう。その友人とは腐れ縁で、毎朝待ち合わせて一緒に学校まで行っているのだが、今日に限って集合時間をいくら過ぎても一向に姿を現す気配がなかった。それで仕方なくラインで彼に先に行くと連絡して、今日は一人で電車に乗ったのだ。いつもと違う事態が起こっている。このこと一つを取っても僕を不安にさせるには充分すぎた。

 一人で居ると、不安はどんどん増大するもので。まさか今乗っているこの電車が人身事故とかで遅延したりしないよな。そんな不安さえもがふと頭をよぎる。今日のテストへの不安で頭がおかしくなりそうだ。事実さっきから教科書の同じ箇所を行ったり来たりしている。これ、寝落ちするのと同じくらい意味のない事をしているよな。

 このままじゃ時間を浪費しかねない。そう思い、取りあえず気分転換を兼ねて前の方を見やった。毎度毎度思うことだが、息が詰まるほどの満員電車だねえ。━━そんな中、僕は、本当に偶然の偶然、見てしまったのである。黒くて長い髪をした美少女が、中年と思わしき男性に痴漢されているところを。その少女は僕の学校のクラスメート━━四日市優花だった。

 四日市さんと僕は普段はほとんどろくに会話を交わしたことがなかった。よって僕が彼女を助ける義理は特にない。だから、見て見ぬふりをしていても別に問題はないのかもしれない。

 目の前の四日市さんは震えている。そして僕もこの目前の異常事態にガクガクと震えが止まらない。

 四日市さんを助けるべきか否か━━。痴漢が怖い人だったらどうしよう。助けたところで逆恨みされて、恫喝されたり、最悪の場合殺されたりするかもしれない。そもそもクラスメートでしかない彼女を助けたところで、自分に何の得があるのか。いっそのこと見て見ぬふりをして助けないでおこうか。だがそれではあまりに四日市さんが可哀想だ。彼女を助けなければ後々、罪悪感も募ってゆくだろう。どうしようか。 

 いつもならそんな風にあれこれ思い悩むことだろう。しかし、今日はそう思う前に、体が勝手に動いていた。彼女の臀部にあった痴漢の手を咄嗟に掴み、思い切り振り払った。痴漢の目がギロッと一瞬僕を見たような気がしたが、気に留める余裕はなかった。もう一度痴漢が手を同じ位置に当てれば、今度はその手を思い切り強く握りしめるつもりでいた。が、それでも相手は大の大人。力いっぱい抵抗されれば一巻の終わりだ。

 そうこうするうちに次の駅が近づいてきた。それは学校の最寄り駅ではなかったが、この際仕方がない。駅につき、降車ドアが開くと同時に僕は席を立ち上がり、金縛りにあったかのように動かない四日市さんの手を引いてパッと駆け出した。乗客の人混みを押しのけて外に出る。もし追ってきた痴漢に捕まったらどうしようとか、そんな後のことは考えられない。

「ちょっ、ちょっと」

 戸惑う四日市さんを慌てて引きずり出して、駅のホームを早歩きする。取りあえず安全圏まで避難せねば。逃げることしか出来ない自分を不甲斐なく思う。

 人通りの多い場所に来て、ようやく後ろを振り返る余裕ができた。幸い痴漢は僕らを追ってきてはいなかった。後ろにいる彼女は驚いたように目を丸くしている。

「あの、そろそろ、手を離してくれない?」

 四日市さんは気恥ずかしそうな声でそう言った。

「あ、ごめんなさいごめんなさい!僕みたいな陰キャ男子に手を握られてて、キキキ、キモいですよね?」

 そう言って慌てて手を放す。ついいつものくせで過剰に反応してしまった。

「そ、そもそも女子の手を男子が握るというシチュエーション自体が気持ち悪かったですよね?てか、こんな事を意識していることがキモいですか?」

 いつものように言わなくてもいいような余計なことが次から次へと出てくる。彼女に言わせりゃ僕がこんな無駄に変な思考回路に陥っているのを見ることこそが気持ち悪いだろう。

「そ、そんなことないよ?!」

 案の定四日市さんはドン引きしていそうだった。その声は若干裏返っている。

「それより恐杉君、あたしと一緒に電車降りちゃったけど、次の電車になっちゃってよかったの?確かうちらのクラス1限に小テストあるわよね?遅れちゃうかもしれないけど、大丈夫?」

 一応彼女は僕と同じクラスであるということを覚えてくれていたらしい。

「え?どうして僕が君と同じクラスだって解ったの?僕、無自覚のうちにクラスでなんかやらかしちゃってました?」

 思わず驚きが声に出てしまっていた。四日市さんはふふっと笑う。

「そういえば確かに私たち接点全然なかったわね」

 その言葉をきっかけにして、しばらくお互い無言の時間が続く。さすがもともと接点のなかった二人だ。恐ろしいほど会話の話題がない。しかし、この無言の時間が四日市さんを著しく不快にさせていないだろうか。不安だ。クラスの、いや学年のマドンナ的存在である彼女から不快がられ、嫌われでもしたら僕の学校生活はもう終わりだ。

「そうだ」

 長い沈黙の末、彼女が手を叩いた。

「時間大丈夫なんだったら、今から助けてくれたお礼をさせてよ!」

 四日市さんは焦っているのか、早口で一気にまくし立てる。

「い、今から?放課後で良くないすか?」

 その圧倒的迫力に気圧されつつ、僕は何とか声を絞り出した。

「あ、そうね。じゃあそうしよ。━━てか今めっちゃ勢いよくしゃべっちゃったけど、唾とかかかってない?大丈夫?」

「いや、全然大丈夫」

 何となく陽キャって気が遣えないイメージがあるが、実はそうでもないんだな。ま、唾は若干かかってしまっていたが。

 ━━というわけで勿論ちゃんと全ての授業を真面目に受け終えてから、放課後にファミレスに寄ることにした。

「あたしのおごりだから何でも遠慮なく頼んでね」

 注文をするときに、四日市さんはそう言った。その言葉を聞いた僕は、一旦注文を済ませてから、急いで言った。

「いやでもやっぱり僕も払うよ。後々これをもとに脅されたら嫌だし」

「あたしがそんな事をするように見える?」

「どんなことが起こるか解らない世の中だから、これくらいの事は常に想定してるようにしてるんだよ」

「確かにそうよね。また今朝みたいな事があるかもしれないし」

 僕はふと気になったことを聞いた。

「いつも、今日みたいなことがあるの?」

 すると、意外な答えが返ってきた。

「うん、実はしょっちゅうあるのよ」

 四日市さんは、

「だからね、女の子はいつもビクビクしとかなきゃいけないのよね〜」

 と付け加えて、それから微笑みかけた。

「なんで恐杉君はあたしを助けてくれたの?」

「人が、しかもクラスメートが苦しんでる姿を目の当たりにして、放っておけるわけないでしょ?」

 そっか、ありがとう。四日市さんは言った。

「いや〜今朝の君、カッコよかったわね。あたしを駅へ連れ出して痴漢を撃退してくれて。惚れ直したわ。これまであんま君と関わったことなかったからよくわからなかったけど、見た目によらず強いのね、君」

「そ、そんなことないよ」

 本当にそんなことはない。事実無根である。見た目通り僕は弱い。さてはなにか勘違いしているな、この人。

「あたし強い人ってタイプなのよね。ねぇ、良かったら付き合わない?」

 四日市さんは微笑みながらそう言ってきた。僕は当たり前のことだが、耳を疑った。この話があまりにも魅力的だったからだ。勿論ここで黙って首を縦に振ることも出来ただろう。だが、仮にこの場で強い人だと騙し通せたとしてもいつ彼女に僕の怖がりな本性がバレてしまうかわからない。そうなってしまったときが怖い。それにいつバレてしまうかという恐怖に苛まれ続けるのも嫌だ。だから僕はクラスのマドンナ的存在と付き合うチャンスを逃してしまうことを惜しみつつ、

「でも、僕は君が思っているような人じゃないよ?」

 と素直に白状することにした。

「え?」

「四日市さんはさっきから誤解しているよ。僕はただの臆病な高校生だよ」

「でも勇気を振り絞って痴漢からあたしを助けてくれたじゃない?それは事実でしょ?」

「事実だけど」

「あれは凡人にはなかなかできることじゃないわよ?」

「それは人として当然のことをしたってだけで。別に大したことはないよ」

「いや大したことでしょ?━━それとも君がヘタレ凡人だっていう証拠ある?」

 証拠と言われても困る。

「いや、証拠はないけど」

「じゃ君は無自覚なだけで強いのよ。あたしの直感は間違えていないはずよ!」

 四日市さんは自信満々だった。僕がしばらく黙っていると、彼女は不審そうな顔をして

「あ、もしかしてあたしと付き合うのが嫌だからそんな事を言ってるんでしょ?嫌なら嫌とはっきりいえばいいのに」

 嫌じゃなくて、クラスのマドンナ的な存在である君と付き合えるんなら光栄だよ━━いや、やっぱこんな事を言うのは気持ち悪いかな。そうあれこれ憂慮しているうちに、四日市さんはこう切り出した。

「やっぱ付き合うどうこうってのはいきなり過ぎたわよね。あ、誤解しないでよね?いきなり付き合うとか言ったけど、あ、あたしそんな軽い女じゃないんだからね?」

「そ、そうなんだ?」

「じゃあさ、付き合うとかそんなハードルの高いことはしなくていいからさ。その代わり一つお願い聞いてくれないかしら?」

「お願い?」

 僕は思わず聞き返した。四日市さんは丁寧に説明してくれる。

「あたしね、実は一つ凄く大きな悩みがあってね。あたし、誰かと付き合うことができてもいつもすぐに振られちゃうの」

「意外だね」

 だがその理由を聞いて、ますます驚いた。

「その理由はあたしが怖がりにもほどがあるからなの」

「え?」

「あたしが何でもかんでも過敏に怖がっちゃうから、いつもすぐに彼氏に気味悪がられたり愛想つかれたりして破局しちゃうのよね」

「へえ、そんな別れ方があるんだ」

 世の中知らないことだらけだ。

「そこで恐杉君に手伝ってほしいのよ!怖いものが山ほどあるあたしが、怖いものを克服するのを。あたしが次彼氏ができたときにちゃんと長続きするように。ほら、あたしを守ってくれた強い君なら、どうやったらあらゆる怖いものを克服できるのか分かるはずでしょ?」

 四日市さんは唐突にそんなことを言った。

「だから僕は強くないよ。ただの凡人なんだって」

 そんな僕の言葉は、一切届かなかった。

「というわけなんだけど、恐杉君、手伝ってくれるかしら?」

 ここで手伝わない、なんていったらどうなるか。学年のマドンナである彼女を大きく失望させ、彼女を恋い慕う周りの大勢の人間の反感を買うことになるだろう。そしてその結果、必然的に僕の学校生活が終わってしまう。

 ━━てなことを考えるまでもなく、僕は半ば反射的に頷いて肯定の意を示していた。残念な振られ方をするせいで、青春をエンジョイしきれない彼女の助けになれたら。そんな些細な考えから決めたことだったが━━家に帰ってから死ぬほど後悔した。

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