第7話 『彼女』の正体
「なんだ、アイリーンさんか」
ホッとしたような声でつぶやくメリーナ。アイリーンは何故か酷く怒ったような表情で、つかつかとこちらに歩いてくる。
「今、身の程をわきまえない平民を懲らしめていたところよ。アイリーンさん、あなたも平民が嫌いでしょ? 一緒にどうかな」
平民嫌いのアイリーンのことだから、きっと私に散々なことをしてくるに違いない。
けれど、アイリーンは答えなかった。黙ったままルイスの前にやってくると、彼の顔面を思いっきり殴りつけた。
「えっ……?」
突然のことに、場は騒然となった。アイリーンは構わずにルイスに向かって一喝する。
「恥を知りなさい!」
「……はぁ?」
ルイスは訳がわからないといった様子で呆然としている。
「貴方がやっていることは最低ですわ! 貴族の風上にも置けないど底辺野郎です! 今すぐ彼女を解放してあげなさい!」
「な、なにを……」
ルイスは殴られて赤く腫れた自分の顔を手で押さえながら、よろりと立ち上がった。
アイリーンはへたり込む私を庇うように、両手を広げて立ちはだかる。その時、私は思った。あっ、これどこかで見た事のある光景だと。
そう、小さい頃あの花畑で! 『あの子』はアイリーンだったのだ!
「貴様……僕を殴ったな? この僕の顔を殴ったな……?」
「それが何か問題でも? 彼女の負った痛みに比べれば、100倍マシですわよ!」
「ふざけるな! 貴様、この女を庇う気か? この薄汚い平民を?」
「ええもちろん。貴方がたのような腐りきった貴族なんかよりも『薄汚い平民』の方が遥かに美しいもの」
「……! こいつ、僕を侮辱するつもりなのか……!」
「あら、まだお仕置きが足りないようですわね。もう一度殴って差し上げましょうか?」
「……ッ!」
ルイスが怒りに任せて再び拳を振り上げた。しかし、そんな彼の腕に金色に輝く鎖のようなものが巻きついて動きを封じた。見ると、鎖はアイリーンの左手のひらから伸びている。
「……まっ、魔法だとぉ!? 貴様、どうやって!」
「ふんっ!」
アイリーンはルイスの問いには答えず、右手に金色の光をまとってルイスの腹を殴りつけた。
ドゴォッ! と凄まじい音がして、ルイスは壁際まで吹き飛ばされ、気を失った。
「うわぁぁぁっ! ま、魔法だ!」
「逃げろ! 魔女がいるぞ!」
パーティー会場は大騒ぎになり、貴族たちが我先にと逃げ出していく。
「あ、あぁっ……あわわ……」
私の近くにいたメリーナは、腰を抜かしてその場に座り込んでいた。そして、しきりに気を失ったルイスと、出口と、アイリーンと、私を、交互に見ている。
アイリーンはメリーナに視線を移し、憐れむような表情で見つめた。
「た、たたた助けてくださいぃぃぃっ!」
メリーナはその場で土下座をする。
「あ、あたしはルイスに脅されてやってただけなんですぅ! 許してくださいこのとおりですぅ!」
叫びながら何度も地面に頭を擦り付けるメリーナは、機械仕掛けの人形のようで少し滑稽だった。
アイリーンは表情を変えずにただ一言、冷たく言い放つ。
「……失せなさい」
「ひ、ひゃぃぃっ!」
メリーナはすぐさま立ち上がり、転げ落ちるようにして壇上から降りると、何度もつまずきながら、よろよろと走ってどこかへいなくなってしまった。
メリーナがいなくなったことを確認したアイリーンは私に駆け寄ると、抱きついてきた。
「フィーネさん、お怪我はありませんか?」
「あ、アイリーンさん……あなたは」
「ええ、わたくしは平気です」
「う、うぅぅぅっ」
安心したら急に涙が溢れてきて、私はアイリーンの胸の中で子供のように泣きじゃくった。
「怖かったですわね。もう大丈夫ですわよ」
アイリーンは私の背中をさすってくれた。その優しい手つきにまた泣いてしまいそうになる。彼女は半裸の私に羽織っていた上着を被せてくれて、そのままもう一度私を抱きしめてくれた。それだけで、冷えきっていた心と体がぽかぽかと温まるのを感じた。
ようやく落ち着いてきた頃、アイリーンがポツリと呟く。
「あなたを守って馬鹿なことをしてしまうのはこれで二度目ですわ……まったく、わたくしもお人好しですわね」
「アイリーンさん……やっぱりあなたが……」
「ええ、フィーネさんとは小さい頃うちの屋敷の近くのお花畑で会いましたわね」
「……」
「再会できて嬉しかったのに、フィーネさんったら全然気づいてくれないから、つい意地悪なことを言ってしまいましたわ……許してくださいまし」
「……いいんです! 謝るのはこちらの方です! ごめんなさい、あの時の子がアイリーンさんだったなんて全然気づかなくて……。衛兵から守ってもらったのに」
「ふふっ、そうでしょうとも。だってあの時のわたくしは、男装していたのですもの。わたくしの家にはしばらく男子が生まれなかったので、わたくしが跡継ぎになる予定だったのですわ」
「あっ……!」
そういえばそうだった気もする。
私は改めてアイリーンの顔をじっくりと見つめた。女性らしく整った顔つきだが、瞳はキリッとしていてかっこいい。その中にもどこか優しさがあって、私は鼓動が早くなるのを感じた。
「しかし、貴女との関係がバレて、わたくしは跡継ぎの候補から外されました。まあでも、それはいいんですの。……貴女と過ごした時間はわたくしにとってかけがえのないものでしたから」
「……」
「ルイスさんとの婚約の話もありましたが、わたくしの過去を知ったルイスさんに突っぱねられましたわ。彼、よっぽど平民が嫌いなんですのね」
えっ、じゃあ私が入学した時の教室での言い争い。──あれはアイリーンとルイスがそれぞれ自分の考えとは真逆のことを主張して言い争っていたというのだろうか。
「まあ、結局またこうして貴女のそばにいることができて嬉しいですけれど」
「アイリーンさん……」
私はもう一度彼女の胸に抱かれた。今度は、私からもぎゅっと強く抱きしめる。
アイリーンは、そんな私を愛おしそうな目で見つめていた。
「そうですわ、貴女から貰った手紙の返事がまだでしたわね」
「ばっ!?」
私は自分の顔が急速に火照るのを感じた。
きっとアイリーンと花畑で会った最後の日、私が彼女に手渡した『好き』と書いた紙切れのことだ。
「うぅっ」
「ありがとうございます、とても嬉しかったですわ。……わたくしもずっと前からあなたのことが好きです」
「っ!」
「貴族であるわたくしに隔てなく接してくださる平民なんて、貴女が初めてで……それに、最初で最後の親友で、とても嬉しかったんですのよ?」
「アイリーンさん……!」
私たちはどちらともなく唇を重ねた。
アイリーンの柔らかな感触が伝わってくる。甘い香りが鼻腔をくすぐり、頭がぼうっとしてくる。……幸せだと思った。
やがて名残惜しげに離れると、アイリーンが悪戯っぽく微笑む。
「ふふっ、キスしてしまいましたわね?」
「うぅ……はいぃ」
「女の子同士で、可笑しいですわよね。わたくしたち」
「そ、そうですね」
確かに変だけど、私にはこの気持ちを否定することはできなかった。アイリーンはすごく素敵だし、一緒にいるなら絶対に彼女がいい。そう心の底から思っていた。
アイリーンは私の手を握りしめながら言う。
「わたくしたち、恋人になりましょう?」
「え? こ、こいびと……ですか?」
「嫌ですの……?」
「いっ、いえ! そういうわけでは……ないですけどぉ」
私は俯き、ぼそりと呟いた。
「……私なんかでいいんですか?」
「あら、わたくしは貴女だから良いのですわ」
アイリーンが自信満々にそう言ってくれるのが、なんだかくすぐったかった。
「じゃあ……よろしくお願いします……アイリーンさん」
「恋人なんですから、さん付けはおかしいですわ。フィーネ」
「あわわっ、呼び捨てなんて恥ずかしいですよ! ……うぅ、顔あっつぅ」
「ほら、呼んでくださいましフィーネ」
「……アイリ……んっ」
アイリーンの顔が迫ってきて、私はそのまま口づけされた。二度目のそれは、先ほどよりも熱く感じた。
「ふふっ、こんな騒ぎを起こしてしまっては、わたくしたちはもう貴族ではいられませんわね。……2人でどこかに逃げます?」
「それもいいかもしれません」
「ずっと遠い──平民も貴族も関係ないような異国の地で、静かに暮らしたいですわ」
「そうですね……」
アイリーンは私の手を取って歩き始める。
「行きましょう。長旅になりますわよ。……でも、不思議とフィーネとならなんでもできる気がしますわ」
「はい!」
私はアイリーンの手に引かれて走り出した。
その先に何が待ち受けているのか、今の私たちに知る由はなかった。だけれど彼女の言うとおり、私もアイリーンと一緒ならなんでもできる気がした。
だって、彼女は私の憧れの人なのだから。
──終わり──