第2話 侯爵令嬢に絡まれました
正直、あまり期待はできない。
私が先行きに不安を覚えていると、突然教室がザワつき始めた。周りの生徒たちが口々に「アイリーン様……」「アイリーン様だ……」と呟いている。
と、教室に入ってきた1人の少女が、つかつかと私の席の前にやってきた。そして、バンッと両手を机に叩きつけると私の顔をじっと見つめる。ウェーブのかかった金髪が特徴の、気の強そうな令嬢だった。
「ふーん、貴女が平民上がりのなんちゃって公爵令嬢ですの? ……案外普通ですわね」
その人は露骨に落胆したような表情を浮かべると、すぐに見下すような顔をして皆に聞こえるような声でそう言った。
「え……?」
「どうして貴族の学校に平民が通ってるんですの? 訳が分かりませんわ」
その人はフンッと鼻を鳴らしてそう言った。
「それは……」
「あの、アイリーン様……初対面の人にそういう言い方はよくないですよ? フィーネさんは公爵家の養女になったばかりなんですから、もう少し言葉を選んだらどうですか?」
見かねたメリーナが注意する。だが、アイリーンと呼ばれた少女は引き下がる様子はない。
「はあ? 何ですの貴女は。伯爵令嬢風情が侯爵令嬢であるこのわたくしに意見するつもりですの?」
「そうじゃありませんけど……でも、フィーネさんだって貴族として入学してきたんですから、ちゃんとした対応をしてあげないと可哀想じゃないですか」
「貴族とは、幼い時から厳しいしつけを受け、書を読み、学問に触れて気品を身につけるものです。それをどこの馬の骨ともわからない平民が、一朝一夕に貴族の仲間入りをするなんて、笑止千万ですわ!」
アイリーンは声高に叫ぶように言う。
「あの、私……」
「そもそも、貴族というものは本来、生まれながらにして高貴な存在なのですわ! それを、こんな成り損ないの偽物が貴族面するなんておこがましい!」
「そんな……」
私は返す言葉もなかった。彼女の言っていることは事実なのだから。
「ねえ、皆さんもそう思いますでしょう!?」
彼女が教室にいる他の生徒達に同意を求める。すると、それに同調するように、「確かに……」「平民ごときが……」といった陰口を叩く生徒達がチラホラ現れた。
「ほら、見てみなさい! 皆さんもこう言ってますわ!」
勝ち誇った顔で彼女は私を見下ろしてくる。
私は何も言えなかった。悔しくて涙が出そうになる。
(やっぱり私なんかが貴族になるべきではなかったんだ……。結局、平民と貴族の間には高い壁があって、そう簡単には乗り越えることができない。……あの子にも、私じゃ届かないんだ)
「わかったらさっさとこの学校を去りなさい。ここは貴女のような平民が来ていい場所ではありませんわ?」
「……」
と、その時だった。
「ちょっといいかな? 君の言い分は少し行き過ぎじゃないかい?」
一人の少年の声が教室中に響き渡った。
「あなたは……」
アイリーンが目を大きく開く。そこには、先ほど廊下で助けてくれたルイス・オッペンハイムの姿があった。彼はゆっくりと私の方に近づいてくる。
「フィーネさんも、僕らと同じこの国の人間だ。彼女は公爵家令嬢としてこの学校で学び、国のために尽くすことを選んでくれた。その点については、僕は彼女を応援するよ」
「ふん、平民が貴族になっただけでも烏滸がましいというのに、そのうえ貴族の真似事までしようと言うのですの? 全くもって度し難いですわね」
「まあ、君にとってはそうかもしれないけれど、僕個人としては、フィーネさんの生き方を否定したくない。だから、あまり彼女を責めるような発言は控えてほしいな」
「……そう言われましても、わたくしは間違ったことは言っていませんわ。貴族は貴族らしく、平民は平民らしく振る舞うべきだと──」
「それを決めるのは君じゃない。少なくとも、ここの生徒はみんな貴族として国のために尽くしたいという志を持っているはずだ。違うかい?」
「……」
「それと、一つだけ忠告しておくけれど、あまり他人に干渉するのはやめた方がいいよ。君は自分が思っている以上に目立つから、いつか誰かに目を付けられる」
「な、何を……」
「悪いけど、これ以上は言わないよ。君が過去にどんなことをしたのか……あまり僕の口から言いふらすような内容でもないからね」
ルイスはそれだけ言い残すと、自分の席に戻っていった。アイリーンも観念した様子で、1度だけ私を睨みつけた後に自分の席に戻っていく。
(か、かっこいい……あれが貴族……!)
ルイスの後ろ姿が、私を衛兵から庇ってくれた『あの子』と重なって、私は不覚にもドキッとしてしまった。
「……ああいう人もいるけど、本当に気にしなくていいからね! フィーネさんのことはあたしが守るから! ルイスもいるし」
メリーナが私の肩に手を置いてそう言った。
「あ、ありがとうございます。私、怖くて……何も言えませんでした……」
「仕方ないよ。だってフィーネさんはまだ貴族になって日が浅いし、いきなりあんなこと言われたら誰だってびっくりするもん。でも大丈夫! 何かあったらあたしにすぐ相談してね?」
「はい、メリーナさん……!」
私は彼女に励まされながら、何とか笑顔を浮かべることができた。
(ルイスさんやメリーナさんのおかげで助かった……。やっぱり貴族はすごい。でも、私も負けていられないよね?)
私は心の中でそう決意を固めるのであった――。
*
それからというもの、ルイスやメリーナのお陰で私は陰口を言われることもなく、嫌がらせをされることもなく、順調に学校生活を送ることができた。ルイスやメリーナは私とよく遊んでくれて、放課後に自宅に招いてくれることもあった。そして、私がこの学校に通ってから2ヶ月後、ついにその時はやってきた。
「フィーネさん、実は今度の休みに、我がオッペンハイム子爵家のパーティーが開かれるんだけど、よかったら一緒に行かない?」
「あ、はい。ぜひお願いします!」
「じゃあ決まりだね!」
「楽しみですね!」
「うん! あっ、あともう一つあるんだ。その日に、フィーネさんが貴族になったお祝いも兼ねようと思って、父上がドレスを用意してくれてるんだ。だから、当日はその服を着てきてほしいな」
「そうなんですか!? わざわざすみません……」
「ううん、気を使わなくてもいいよ。それに、せっかくだからフィーネさんの晴れ姿も見てみたいしね!」
「あ、ありがとうございます……」
「どういたしまして! じゃあ当日楽しみにしてるね!」
そう言って、ルイスはにこやかに笑う。素敵だなぁ……貴族って皆怖いイメージがあったけれど、ルイスやメリーナみたいに優しい人たちもいるんだな……。そういえば『あの子』も優しかったし。……もしかしてルイスってあの時の……?
「フィーネさん、どうかしたの? ぼーっとして」
「いえ、何でもありません。ちょっと考え事をしていただけです」
「そっか。ならいいんだけれど……じゃあそろそろ時間だし、教室に戻ろうか」
「はい、そうですね」
こうして私達は教室に戻った。