3.そして奴隷生活が始まった
この日から、過酷な奴隷生活が始まった。
暗い炭鉱で石炭を運ぶ、シンプルかつハードな重労働が課せられた。
中央で偉そうに立っている巨躯のハゲ男が、この炭鉱を仕切るボス。
交代制なのだろう。
毎日、別の男がやってきては、偉そうに檄を飛ばしてくる。
今日は一段とヤバそうだ。
シャツからは鍛え抜いた大胸筋が覗いており、濃く吊り上がった眉毛は彼の残忍さを物語っているようだった。
「おら! しっかり運べ! 遅いぞ、奴隷No.26」
俺の名前は、ナンバー26という記号にされた。
むせるような暗闇。
顎から垂れる雫。
苦しすぎてよく分からない感覚に陥っていた。
もはや生きている心地すらしない。
千鳥足になり、そのまま地面に倒れ込んだ。
「こら! 奴隷No.26。勝手に休むな!」
鬼軍曹が、俺をしばきにきたのか。
だが、これ以上、どんなにどやされても、何もできないぞ……
「……もう勘弁してくれ。お、俺には肉体労働は向いていない。デスクワークをたのむ……」
「は? 何言ってやがる! 貴様、文字すら読めないのだろ?」
「が、学習すれば……読めるようになる……」
「は? てめぇ! すでに何年生きている? 今まで文字すら読めなかった者が、そう簡単にできるようになるものか!」
「言い訳に感じるかもしれないけど、この世界の文字を見たのは数日前……。学習さえすれば……」
「だから、貴様、今まで勉強してこなかったんだろ? これからしたところで、どうなる??」
「……い、いや、そういう意味ではない。俺は強制的に呼び出され……」
「は?? 何言ってんだ、お前のようなダメな奴を誰が呼び出す?」
「いや、違うんだ。あ、そ、そうだ、……お、俺はプログラマーをやっていたんだ。た、頼む……コーディングなら自信があるんだ……。今までマルチに働いていた。設計でも経理でもそれなりにこなせる自信はある。た、頼む……ホワイトカラーに変えてくれ」
「だから文字すら読めない貴様には無理なんだって。体使うしかねぇんだよ。俺だってもうちょっと賢ければ、こんな仕事なんざやりたかねぇ。早く立てよ」
そう言うと鬼軍曹は、ぶっ倒れている俺を抱き起してくれた。
「……え、えーと……」
「俺はバルンだ。もーいいから、早く仕事に戻れよ、奴隷No.26。ボスが来たら俺が怒られちまう」
そういえば彼だけだ。
ちゃんと俺の名前(記号だが)を覚えてくれているのは。
他の連中は、指差して怒鳴るだけだ。
「バルンさん。意外と優しいんですね……」
「やめろや。そんなんじゃねぇ。……ムチで脅す残忍な奴も多いけど、俺はなぁ、もうあんなのを見るのはもう嫌なんだよ」
バルンさんの視線の先には、一人の華奢な少女があった。
赤毛の髪の上には猫のような耳がある。
亜人というらしい。
ボロを着た少女は、無表情のまま石を運ばされている。
まるで感情の無い亡霊のように、ただただ歩を進めている。
「カリアはもう壊れてしまっている。昔はあいつだって表情があったんだ。それが、だんだんとあんなになっちまってさ……」
「……そうだったんですか?」
「てか、おい、和んでじゃないぞ! 早く運べよ。これをやるから、こっそり飲んどけ」
バルンさんに竹筒を貰った。
喉を潤わすと、ほんのちょっぴり力が戻ったような気がする。
「す、すいません。生き返りました」
「奴隷No.26。貴様は不思議な奴だ。文字すらかけないのに、なんかデキそうな奴みたいな顔をしている。言っている俺もよく分からんが、まぁせいぜい頑張って、せめて俺くらいの地位にはなれよ」
――俺くらいの地位??
「……バルンさん……、奴隷だったんですか?」
「まぁな。……てか、そんなことどうでもいいから、とっとと仕事に戻れ!」
巨体でスキンヘッド、だれがどう見ても悪人と間違えそうないかつい顔つき。
その外見とは裏腹に、意外と優しかったバルンさん。
彼のおかげで、即、過労死だけは免れたが、とてもこの状態から抜け出せるような気配はない。
*
そして数日が経った。
この日も過酷な労働が終わり、鉄格子の部屋に戻ってきた。
俺は背中から崩れ落ちるように、石畳に仰向けになった。
この牢屋には他にも奴隷もいるが、誰も他人に興味すらないようだ。
みな、頬はやつれこけ、死んだ目をしている。
無言のまま、何か見つめている。
まぁ、俺も似たような一人か。
もう他人に干渉する余裕すらない。
俺の肉体は、とうに限界を超えていた。
バルンさんが担当の日はまだいいが、それ以外の指揮官がくると地獄を見る。
そして今日は一段と酷かった。
全身打撲。
どれだけアザがあるのか、数えるのも嫌になる。
もうメシすら喉を通らない。
このまま死んでしまうのだろうか。
「何カ食ワナイト、死ヌ」
だれ?
重い瞼をなんとか開いた。
カリア……!?
俺の前にちょこんと座っていたのは、バルンさんに感情がないと言われていた少女だった。
彼女の声、初めて聞いた。
「少シ、食ベロ」
そう言うと、ひび割れた皿を差し出してきた。
「……カリアはちゃんと食べたのか?」
「ワタシ、食ベテル、生キタイカラ」
生きたい……か……
そりゃ、俺だって死にたくないさ。
でも、こんなところにいて、どうなる。
毎日が地獄だ。
いっそこのまま野垂れ死んだ方が、楽なのかもしれない。
「カリアはこんなところで命を大事にしてどうするつもりなんだ?」
「ワタシ、夢ガ、アル」
夢??
「ユメヲ、少シ、見セル」
そういうと、腰の鞄を開いて、数枚のコインを見せた。
カリアは少し笑った。
笑うと可愛いんだな、この子。
「……このお金は?」
「ココデ、貰エル」
月末に支払われる給与のことを言っているのか。
一ヶ月頑張ったら、1ゴールドというゴミみたいな金が支給されるシステムのようだ。
バカにしているのか。
自由を取り戻すには、自分の販売価格の3倍を支払えば良いと、ここにぶち込まれたと聞かされた。
結局、俺には300ゴールドの価値しかつかなかった。
それでもその3倍、900ゴールドに辿り着くためには、900ヵ月間、こんな暮らしを続けなくてはならない。
そんなの無理に決まっている。
カリアはお金を見つめたまま、少しだけ微笑んでいる。
でも分かるよ、カリアの気持ち。
強引にでも何か夢を見つけなきゃ、やってられないもんな。
俺はパンを手に取ると、口へと運んだ。
「……ナマエ……」
「俺の名前か? 俺は黒崎緋色」
「ク……クロチャケ……」
「呼びにくいか。面倒だし、クロでいいよ」
「クロ……」
そう言うと、ままほほ笑む。
「カリアのおかげで元気がでたよ。俺はもう大丈夫だ。君はここから出たら、どうしたいんだい?」
自由になった先には、きっと明るい未来が待っている。
そんな楽しい話題で、場を盛り上げようとした。
「……フルサト、カエル」
「そっか。故郷か。いいな。俺も帰れるものなら帰りたいぜ」
「……フルサト……モウ、ナイ……」
え?
彼女は奴隷。
それって……
もしかして、国を滅ぼされたのか?
そして悪い奴らに捕まって??
でも、そんなこと、とても聞ける内容ではない。
「ドウシタ、クロ? ナゼ、暗イ顔スル?」
カリアは終始、微笑んでいた。
でも彼女の瞳、こんなに赤かっただろうか。
「……俺も頑張るからさ、頑張ってこんなとこ抜け出そうな!」