十歳のころ・馬の稽古
馬の稽古をはじめたのは、十になった年の夏だった。師匠は深川菊川町両番(注1)を勤める一色幾次郎先生。伊予殿橋にある六千石とりの神保磯三郎という人の屋敷を馬場にして、稽古をするのだ。
おれは馬が好きだから、毎日毎日門前乗り(注2)をした。二月目に遠乗りに行ったら、道で先生に会って困ったから、横丁へ逃げ込んだ。
そんな勝手をしていたから、次の稽古で先生が小言を言いおる。
「まだ鞍も座らせぬ未熟者のくせに。今後、遠乗りはするな」
などと言いおったので、ならば熟達してやろうと大久保勘次郎という先生の所へ行って、責め馬(注3)の弟子入りをした。この大久保という師匠はいい先生で、毎日木馬に乗れと言って、色々教えてくれたよ。
毎月五十回は馬に鞍をつけて乗れと教わったので、藤助・伝蔵・市五郎といった面々の借馬引き(注4)から馬を借りて、毎日毎日馬の相手をした。しまいには馬を買って、藤助に預けておいた。火事があると、いつもその馬で野次馬に行ったものだ。
ある時、馬喰町で火事があった時も、馬で火事場へ乗りつけた。すると今井帯刀という御使番(注5)に咎められて、一目散に逃げた。しかしその人も大したもので、馬に徒士で追ってきたが、馬の足が達者だったので本所の津軽の前でとうとう逃げおうせた。後で聞いた話だが、火事場では火元の三町手前に行くものではないとい、ということだよ。
またある時、隅田川へ馬で乗りつけた時のこと。
その時は伝蔵の馬を借りて乗ったが、土手で盛大に落馬した。どのはずみでかあぶみを繋ぐ力皮が切れて、そのままあぶみを片っぽ川へ落としてしまった。しかたないから、帰りはそのまま片あぶみである。
【注釈】
注1 … 徳川将軍直属の書院番と市中巡回などを行う小姓組番とを合わせて呼ぶ総称。
注2 … 神社や仏閣の前を馬に乗ったまま通り過ぎる、失礼な行為。
注3 … 馬を乗りこなすトレーニング。
注4 … 馬を貸す仕事をする人。
注5 … 若年寄の配下で、火消しの監督などにあたった役人。