したいことをして死ぬ覚悟
この年の夏、男谷の本家から呼ばれた。妻に跡の事や子供の事まで言い置いて、おれは本所の家へ行った。
到着すると、兄嫁を始めみんなが泣いている。おれは精一郎の部屋へ行き、それから姉と話した。
「左衛門太郎殿、お前様はなんでそんな心得違いばかりしなさる。お兄様がこの間から世間の様子を残らずお聞きになって、『捨て置けぬ』と心配しておられました。今度は庭に檻を造ってお前様を入れると言いなさるからみんなが色々と言って止めたのに少しも聞いてもらえず、昨日檻が出来上がったから晩に呼び出して、押し込めると決め込んでしまいました。精一郎も止めたのですが中々聞き入れられず、私も困っています。お前様も庭に出て、見てみなさい」
姉がそう言うから庭に出て見たら、二重囲いの厳重な檻が造られていた。
「また兄様のご親切は有難いが、今度は檻ではなく刀身でもお拵えなさればよろしいのに。なぜというのも、私も今度入ったら最早出してやると許されても、檻から出はしません。というのも、この節はまず本所にて男伊達(注1)のようになってきまして、広く世間でも私を知らない者はもぐりだと馬鹿にされるようになりました。このようになると、最早世の中へ顔を出すこともできませんから、断食をして一日でも早く死にます。どうせこうなるだろう思っていたので、妻へも跡の事をよくよく言い含めてきました。後は思し召すままになりましょう。精一郎さん、大小をお渡しします」
そう言っておれは刀を精一郎に渡した。しかし姉はまだ納得できないらしく、「この上は改心なさい」と言ってきた。
「この上に改心するなど、気が違ったような事は出来ません」
おれがきっぱり断ると、精一郎が「その言葉はごもっともでございましょうが、多少身の上を慎まれてはどうか」と言う。
「慎みようがない。もう親父も死んだから、役に着くなどという望みも捨てて、心願もやめてしまった。せめてしたい事をして死のうと思っていたからしたい放題したが、これ以上兄に世話をかけるのも気の毒だから、今よりはここにおりましょう」
覚悟を決めるおれに、「牢に入れば必ずお前様は食を絶って死ぬだろうと私も思ったから、義父の機嫌を見てなんとか思い留めた。しかしそれは聞き入れられず、こうなってしまった」と精一郎がおれを案じてくれた。
「なんにせよ兄の心が休まることが肝要だから、檻にはいるのがいいだろうとおれは思う。実は先だって友達から薄々情報を教えてもらっていたから、もう覚悟は出来ていた。こうなっても、一向に驚かんよ」
言うおれに、「なんにしろまずは一度家におかえりになって、妻とも相談されよ」とまだ止める。
「それには及ばん。さっき言った通り、跡の事は任せてあるから気にかかる事はない。息子も十六だから、おれは隠居して早く死んだ方がましだ。長生きすると息子が困る。息子の事は、何分頼む」
おれはそう言って事を待っていたら、その内に姉が来て、「ひとまず帰りなさい」と言う。
姉に言われてとりあえず家に帰り、夜五つ(注2)時分までは呼ばれるかもしれないと待っていた。しかし一向に沙汰がないので、その晩は吉原へ行って、翌日に帰った。
このまま兄に何もせずではすまないから、書付を出せと言われたが、それもしなかった。
姉は色々と心配してくれたらしく、寺や山へ祈祷を頼んだという話を聞いた。姉への挨拶と安心のため、その翌年のはるに隠居した。三十七の年だ。
【注釈】
注1 … 本来の意味は弱きを助け強きを挫く侠客であるが、この場合はやくざ者。
注2 … 午後8時。