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[現代語訳]夢酔独言  作者: 雪邑基
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鶯谷庵独言

《参考資料》

「夢酔独言」著・勝小吉/編・勝部真長(講談社)

 生来の無頼な性分のため、おれはこの一両年外出を禁じられた(注1)。外出を禁じられ、毎日毎日諸々の書を眺める日が続いた。

 読んだのは誰かの著述、物の本、軍団など様々だ。御当家の記録なんてものも見た。

 色々見たが、どうにもいかん。昔よりの名大将、勇猛な諸士に至るまで皆々、事々く天理を知らん。

 諸士を扱うという事、又は世を治める術。乱世でも治世であっても、あるいは強勇にし、あるいは法を悪くし、あるいは奢り、女の色香におぼれる人の多い事。

 一事は功績を立てたけれども、久しからずして天下国家を失う。又は智勇優れた能力のある士であっても、聖人の大法に背くような輩は始終功績も立てられず、結局その身を滅ぼしてしまう。そんなためしを数えても、数えきれるものではない。


 日本だけでなく世界と天理に照らして見ても、君臣の礼もなく、親兄弟への愛もなくして、貪欲で奢れるが者はそれゆえ、己の身命を亡して家国をも失う。そうなってみれば、皆々天の罰であったとはじめて悟る。

 となると、おれの身がこれまでつつがなくあったことが不思議に思える。いよいよ天の照覧だとおそれかしこめば、なかなか人の中へ顔を出すのも恥ずかしくてできん。

 さりとて、ろくでもないおれの生涯も悪いばかりではない。金銀をおしまず世話してやったやつもいくらかいるし、人々が大事となればやった事もある。それゆえ少しは天の恵みもあったらしく、こんな風に安穏としていられるのだろうとも思う。


 それもこれも、子供達のおかげだ。

 息子は良く出来ている。いい友達と一緒にすごし、悪友とはつき合わず、おれなんかにも孝行の心を忘れない。兄弟の面倒もよく見る。倹素で浪費癖もなく、麻の服でも恥じず、飯は粗食で、おれが困らないようにしてくれる。

 娘も家内中の世話をしてくれて、おれ夫婦が少しも苦労しないようにしてくれるから、今は誠に楽隠居の身だ。

 もしもおれの子がおれに似ていたら、なかなかこんな楽はできなかっただろう。そう考えると不思議だ。神仏のおかげかもしれない。孫やその子供たちもよくよく義邦(注2)を見習って、子々孫々と栄えるようにこころがけるといいぜ。


 年の頃が八つか九つになったら、外の事はしないで文を学ぶべし。へたな学問修めるより、武術に昼夜勤しんで、諸々の著述を見る方がはるかにましだから。

 女子は十歳にもなったら、髪の手入れの仕方を習って、己の髪の手入れに人の手を借りぬですむようにする事。裁縫を覚え、十三歳くらいになったら我が身が人厄介にならぬよう手習いもし、人並みに書くことを覚えよ。外に嫁に行っても、事あれば一家の事を大切にするといい。

 おれの娘(注3)は十四歳の時から、自分の身の事で他人に厄介になった事はない。むしろ、家内中の者が世話になっている。

男は五体を強くし、粗食を心がけよ。武芸に励んで、諸人にまねできない一芸をもつといい。体をたくましくして旦那のためには忠義をつくし、親のためには孝行をいつもしろ。妻には慈愛をもって、下人には仁愛をかけてやれ。しっかり勤め、友達とは信義を持ってつき合う。専ら倹約して驕らず、粗服を主とし、いい友達は厚く慕って道を聞くがいい。師匠をとるなら、最高の技術をもっていなくても、確固たる道を行き優れた仁を持った人を選んで入門すべし。


 無益な友とはつき合うべからず。多言はしないようしなさい。目上の人は尊敬すべし。万事は内輪の事と思って慎み、先祖を祀って穢すべからず。

 勤めには半時早く出るべし。文武を農事のように大切に思え。

 若い頃は暇を持て余すことがないよう、道々について学ぶこと。暇がある時というのは、外魔が入りこんで、身を崩している最中である。遊び事にうつつをぬかすことなかれ。

 町のことに関わる年寄の勤めは心して、少しはすべし。ただし、過ぎたればおれのようになる。

 庭には木なんて植えず、畑をこしらえろ。農事を行えば、百姓の情もわかる。世間の人情をよく理解して、心の中に納めておきなさい。

 人に芸事を教えるならば、弟子を愛して誠を尽くし、指導がうまくいかない相手にもなおなお丹精を尽くすべし。決して依枯の心は出すな。

 万事に厚く心をかけて行うというのは、天理にかなっていて、己の子孫の幸となる。そして何事も勤めだと思えば、憂うこととはならぬだろう。


 第一に、利欲は断つべし。寝間の夢にも見ないように。おれは多欲だったから今の姿になった。これが悪い見本だ。

 普段は倹約してたくわえて、もしも友達や親類縁者に不慮のことがあったら、惜しまず施してやれ。その縁者についても、己より位の高い人と縁を組むべからず。なるたけ貧窮より相談し、己の器に勝る縁は驕りとなるから戒めよ。家来は貧乏人の子を使い、年季が来たらそれなりの格にして片付けてやれ。

 女色にふけるべからず。女には気をつけろ、油断すると家が潰れる。世間に義理を欠くことがないよう、友達は陰から取りなすべし。

 常在坐臥、いつでも柔和にあって家事をおさめ、主人の威光を貶めることなし。聖賢の道を志して万を慎み守る時は、一生安穏にして身をあやまつことないだろう。


 おれはこれからこの道を守る心だ。なんにしろ学問を重んじて、よくよく上代の教え(注4)にかなうようするがいい。やってやれぬことはないものだ。そしてそれに慣れると、しまいには楽に出来るようになる。

 決して理外の道へ行かないように。身を立て名を上げ、家を起こすことが肝心だ。たとえば俺を見てみろ。理外の道に走り、人外のことばかりしてきた。祖先より代々真面目に勤め続けた家も、俺一人が勤めないからきずがついた。これがなによりの手本だ。

 今となって過ちに気づき、いくら後悔したからといって、仕方がない。世間の人からは悪漢のように噂され、持っていた金や道具も貸し取りにあう。それについて声をあげても、お前の行いの悪さで手に入れた道具など返すに及ばないと言われるし、金を貸した相手ももまたその心持ちだから、頭も下げねばろくに返ってこない。悟って、向こうの言い分ももっともだと思うがいい。

 このような事があったとしても、人を恨むものではない。自らに非がないか振り返ることが肝心だ。怨敵には恩をもってこたえれば間違いない。

 おれはこの度も押し込まれた頭から、それを行ったやつらを恨んだが、よくよく考えればこれはみんな俺の身から出た火事であると気がついた。おれにつらく当たった人というのは心得違いだから、毎晩毎晩罪ほろぼしのために法華経を読んで、彼らが立身するように祈った。

 そのおかげか、このごろはおれの体も丈夫になり、家内のうちにはなんの災難もない。親子兄弟とも一言のいさかいもなく、毎日笑って暮らせている。これは誠に面白いことだと思う。子々孫々ともこうすればいいだろうと気づいたから、暇に明かして折々書いている。

 善悪はむくうものだと、よくよく味わうべし。


 恐れ多くも東照宮(注5)のはじまりの御事、長年の戦乱を治めたが故に、今の憂のない太平が続いているのだ。妻子が安楽に過ごせるよう心がけて、なおかつ先祖が苦労して勤めたことを思いやるべし。

 戦国以後の子孫が懐に入れているのは、祖先が貰った高である。しかしそれを忘れ、ろくに奉公もしないのに、不相応に豪華な着物を着たり飽食に贅を尽くす。これが不忠不義不孝ならずしてなんとする。

 ここをよく考えてみろ。今の勤めは畳の上での書き物だから、戦の頃のような怪我の気づかいは少しもいらない。万一あっても、すべって転ぶくらいのことだ。

 せめて朝は早く起きてその身の勤めにかかり、夜は心安らかにして寝る。淡白なものを食べて、驕ることなくあらゆることに心を尽くす。普段着るものは破れてなければ良しとして、勤めの服は洗濯され垢がついていなければ良しとする。家は雨が漏らねば良しとし、畳があればなお良しである。

 もっぱら倹約して、よく家計を治めること。勤めでのつき合いもあろうが、己の身分に相応のこととせよ。ただし、なんぼ倹約を常としても、不要な吝嗇(注6)はすべからず。倹と吝の二文字の意味を味わうべし。

 数巻の本を読んでみても、その心得を違えると、知識ばかりの頭でっかちになってしまう。だからここは間違わぬように。武芸についてもそうだ。無骨な技だけを学ぶと、野郎の姿をした刀掛の置物のようになってしまう。だから学ぶ時は、己が何を学ぶか心すべし。


 人が人であるためにも、心得違いがあってはならない。

 貪欲に迷うと、上部は人間なのに、心は犬猫のような畜生同様になる。真人間になるよう心がけることが、人を人とする専一の手段だ。文武諸芸みなみな学ぶ心を用いなければ、結局の実はなく半端なものしか残らない。半端なものならば、学ばない方がましだ。よくよくこの心を間違わぬよう守ること、それが肝要である。


子々孫々とも、おれの言うことをかたく用いるがいい。先にのべた通り、おれは今でも難しい文章は分からぬ。この文章にも書き間違いが多くあるから、よくよく考えて読むべし。

  天正十四年 寅年の初冬、於鶯谷庵で書きつづりぬ

   左衛門太郎入道 夢酔老


【注釈】

注1 … 水野忠邦の天保の改革により、不良御家人として謹慎を命じられる。

注2 … 勝海舟(1823~1898年)のこと。幕臣、政治家。

注3 … 勝小吉の長女、華のことだと思われる。

注4 … 日本の歴史区分としての神の時代、奈良時代より前の時代。転じて古くからある教え。

注5 … 徳川家康を祀る神社。この場合は徳川幕府。

注6 … りんしょく、ケチのこと。

○気心は勤身○

気は長く こゝろはひろく いろうすく

つとめはかたく 身をばもつべし

外に

まなべたゞ ゆふべになろう みちのべの

露のいのちの あすきゆるとも


[気は長く心は広い、そして虚飾の気がない。

実直な勤めの人となるべしと。

また、

学ぶこと、明日には昨日となる今日という道程に。

たとえ自らの命が、露のように明日消えてしまうとしても。]



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