第8話
柄まで刺さった剣を動かなくなった魔族の体に足を置き、支えにして引き抜いた。赤い濁流と共に、染まることのない白が身を晒す。たとえ発生した生き物であれど、人間と同じ赤い血が流れている。だからといって容赦をする訳でもないが、感慨深いものを感じていた。
鉄分の臭いが充満した空間でとうとう魔族の死体が膝をつく。両腕をワイヤーで吊るされ項垂れる様は罪人のようにも見える。オルディナがそれに近づき、鍬を振り上げる。
「……そういうの、良くないと思うんだけど」
それを、優香が止める。
「もう死んでるでしょう? 死者を無闇に傷付けるような真似は───」
「フンッ!」
「えぇ───って……あれ?」
聞いた上で振り切った。ひどい、だとか思う前に発した鈍い金属音に疑問符を浮かべる。
はぁぁぁぁぁ、とオルディナが息をつくと首を傾げ動かない優香の首根っこを掴みその死体から距離を取った。
「勇者サマのそういう美徳も悪くないと思うが、魔族に対しては控えてもいいかもな」
「はぁ……うん。善処はするよ、善処は」
優香は剣を掲げ、片やは鍬を構え、罪人は頭を上げた。
───ア、ァ……与えられた任務すら遂げれず、道半ばで力尽きるなど……なんと怠惰なこと……かァ……
燃えるように蒼い視線が二人の肌を焦がす。岩などではない。これは最早、火山と言うべきか。地面をも揺るがす爆風が、周囲の木々を燃やし川を干す。
魔族はその概念に則するほど強力になるという性質を持っている。つまるところ、ヤツは『死んでいる』という状態が最も『怠惰』であると『定義』して、復活したのだ。その余波がこれだ。理不尽の塊め、とオルディナは気を失わぬよう舌ごと歯を噛みしめる。死にかけようが、死んでいなければ優香が魔法で回復してくれる。
それを最後の思考に、舌を噛み切った。勇者はともかく、鎧らしい鎧も着ていない村人にとってこれは地獄に他ならない。身にまとった麻の服は魔王によって特殊な加工を施されているが、それでも所々が消し飛ばされ、晒された肌が徐々に炭化していく。
「っぅ───」
怠惰の魔族がワイヤーを焼き切り立ち上がった頃合いには、なんとか意識を繋いで膝をつく村人の姿と、彼に治療を施す勇者の姿があった。服同様の加工を施した鍬は持ち手が炭となり、見る影もない。
「ハァ……勇者でもない貴様が生き残るとはなァ……ということはァ」
魔族が仁王立ちで、オルディナを一直線にみてそう告げる。
「貴様が……村人で……合ってるかァ……?」
「え?」
突然の身分確認に優香が思わず聞き返す。それに答えるように、ペッと草に血を吐きながら立ち上がる。
「あぁそうだよ。ハッ、なんだ。もとよりこっちが目的か」
「いかにも……与えられた任務は『村人の調査』……及び……『勧誘』だァ……」
「───、は?」
パチクリ、と痛みをも忘れて魔族を見る。
「アァ……そう命じられている……他意はァ……知らん……」
うつらうつらとしながらそう答える。案の定置いてけぼりとなった優香の視線は、魔族とオルディナを行ったり来たりとしていた。隙だけは見せぬよう剣を構えつつも、その頭の中にあるのは「『村人』ってなに?」の一つだ。
記憶にある『村人』といえば平凡オブザ平凡の極々一般的な身分だ。決してこのような場所で魔族に身分確認を迫られるような立場でも、調査されるような怪しい者でもない。
「いや、言うまでもなく拒否するが……どれの発案だそれ。ぜってぇ魔王じゃないだろう」
「その是非に答えてやるほど怠惰ではないのでなァ……俺には魔王様ではないとしかいえんなァ……」
「───、そ、そうか。魔王じゃないのか」
「………ア、ァ……守秘義務を守る勤勉さもォ……持ち合わせていなかった、なァ……」
それを最後にがくり、と項垂れ寝息を立て始めた。
【なんだこいつは】と宣言詠唱を唱え、体の大部分を覆い隠すほどの縦長の緩い三角形をした盾を取り出し、構える。次いで反応に遅れた優香が両手で剣を握りしめ様子を伺った。すると間もなく、
「頼まれた任務はァ……一部成功……引き上げ、だなァ……」
思い出したかのように顔を上げて、そう告げる。は、と疑問視を浮かべる暇もなく、彼は優香たちの対岸へと跳んだ。
「っておい、ちょっと待て! せめて名前くらい名乗っていきやがれ!」
別に、そういう礼儀作法という物を求めている訳でもないが、ポロリを期待して野次を飛ばすように対岸に向かって吠える。すると、ぐぐ、と気だるそうな背中が反れていきイナバウアーの状態となって、彼は口を開いた。
「ア、ァ……そうだなァ。戦いの流儀をも忘れるとはァ……なんと怠惰なことか、ァ……───与えられし名は『ベル』。怠惰の魔族な、り……ィ……」
そのまま返す言葉を待つことなく、頭から川に落ちて、どんぶらこっこどんぶらこっこと流れていった。
「………えぇ………」
なんというか、筋肉にはロクな奴がいないのか。王様しかりこいつしかり。ゲンナリとしつつ、戻す魔力もないために盾を背負う。
「よし、じゃあさっさと川の浄化をしてく───」
「い、いや! ちょっと待って!」
何事もなかったかのように帰ろうとしたオルディナは優香の声に少し固まり、やっぱり? と振り返る。
「あー、是非もなしか…………とりあえず浄化して、ベールに向かいつつ話すとするか」
「絶対だよ? ただでさえオルディナたち秘密主義なところあるんだから」
「お前が知るべきことは話してやるつもりさ。そら、さくっとベールの街を救ってやれ」
「今に始まったことじゃないけど、やっぱむかつくなぁ……【契約の履行を開始】───ちゃちゃっと終わらせて、教えてもらうからね……『貴方』のこと」
首だけを回して視界にオルディナを収める様は、まるでカエルを睨む蛇のようで。睨まれたカエルはぶるりと体を震わせて頭を掻く仕草をすると、観念したようにため息を吐いた。
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「───さて、勇者にまつわる伝承については覚えているな?」
「もちろん」
曰く、その剣を抜きし者は多大なる光を手に入れるであろう。
曰く、其の者は運命を共にする者と巡り合うだろう。
曰く、其の者は世界を救うであろう。
誰が言ったのか。何処から伝えられたのか。勇者が勇者と囃し立てられたころに、どうやってかコレは世界中に広がっていた。後ろから付いてきた説得力がコレを確信へと昇華させ、現代にまで語り継がれている。
「結論から言って、二節目の『運命を共にする者と巡り合うだろう』は俺だ」
「えー」
「おいなんだその不満そうな顔は」
じとっとした灰色の目に合わせることなく、川辺に沿って誘導するコウモリをよっ、と追いかける。
「だってさ、運命を共にする、だよ? それはもう白馬の王子様! だとか想像しちゃう訳じゃん?」
「おっと。白髪の村人サマじゃご不満だったか?」
「見当違いとかそんなレベルじゃないよね」
「さいですか」
戯けるように肩を落としたオルディナを気にすることなく、テキトーに拾った手頃な枝でぺしぺしとゴブリンの残党を狩る。
「それで、どんな役割なの?」
「んー、そうだな。ベールまで結構あるし成り立ちから説明していくか」
正面から襲いかかってきたゴブリンを後ろの優香へと流しながら口を開く。
「まず、疑問に思ったことはないか? 初めて魔王が降臨した1000年くらい前。ポッと現れた勇者がどうしてこの世界に認められたのかを」
「……? 初代勇者様が魔王を倒したからじゃないの?」
「50点だな」
ちっちっち、と指を振る。
「人間そんな上手くいかないもんでさぁ」
諦めたかのような流し目で優香を見て、一拍おいてから続けた。
「彼の勇者が魔王を斃したとき、救われた人々は考えたわけだ。突如現れ、強大な力を持って滅ぼさんとした魔王をも倒した───身元不明の勇者サマ。次に我らを脅かすのはこいつではないか。救い、油断させて手の平を返すのではないか。赤の他人である我々を、ただ救うなどありえない。腹の内に抱えるものがあるはずだ。嗚呼、恐ろしい。気持ち悪い。理解できない。何時だ、何時こいつは本性を見せるのだ。───いっそ、やられる前にやってしまおうか」
「───。…………それで、初代勇者は?」
「へいへい、最後まで聞け」
勝手な結論に走ろうとする優香をなだめ、言葉を紡ぐ。
「そんな不満を観た『神』は、これでは約束を違えてしまいかねない、と対策を考えた。基本的に観ることしかしない『神』はウンと悩んだだろうさ。知っての通り、信仰されている訳でもないのだから民の前にシャシャリ出たところで意味もないし、干渉しすぎるのも好きじゃない。けどするしかない───だったらせめて、見応えのありそうな方法にしよう、とした」
「見応え……」
神妙そうな声を背中に、岩に引っかかっている怠惰の魔族を見つけて石を投げ込む。当然のように避けて流れていき、その後には波紋が広がっていった。驚いた魚の足跡と重なってできた扇は、岩にぶつかり潰れていく。
「感情ってのは波みたいなものでさ。立てば周りに影響を及ぼし、同じのがぶつかれば共振して大きくなる。一つや二つはなんてことはない。だが、何百何千何万という単位になってくると話は違う。隣り合うそれが重なって、重なって、重なると……充分に人を殺せる感情が出来上がる」
次のために鋭利でかつ、手に収めやすい手頃な石をしゃがみ取る。
「あぁそうだ。神サマは思いついた。一つや二つなら問題はなく、増幅しても大したことにならない。大きくなったとしたら、それは相当なものだろう。───よし、ならば勇者に対する悪感情を一人に押し付けてしまおう、ってね」
「…………ぇ」
勘のいい優香はすぐにその先の結論に達してしまい、思わず立ち止まる。村人もそれに合わせて振り返り、嫌にわざとらしく、まるで勇者を試す魔王のように腕を広げて言う。
「『勇者』に対する不平不満を一人にだけ持たせるようにすることで『唯一、勇者に害を持つことができる』人間を造り、無辜の民の代表者として勇者の監視役とした。───それが村人であり、民草に勇者が認められ続けている理由だ」
口角を吊り上げ様子を伺う彼からは、彼女の反応を楽しみにしているようなものさえ感じた。