第6話
出発の日から数日が経った。今なお街道を歩く馬車の上には快晴といって申し分ない天気が広がっており、太陽もこれでもかと身を晒している。そんな彼には目もくれず、後部座席の二人は屋根の下で暇そうにトランプで遊んでいた。オルディナはオルディナで、時折飛んでくる怒声をBGMにして鼻歌交じりに手綱を握っている。
たった数日であれど、皆がこの『旅』という雰囲気に慣れてきていた。
パーティ独特の空気を楽しんでいると、遠くに街を囲っているであろう壁がオルディナの視界に入ってきた。
「おーし、街が見えてきたぞー」
「あ〜やっと着くの? もう体バッキバキだよー」
「肉、肉だな。あぁ、わかるぞ、匂いがわかる。そこにお前はいるのだな? もう少しだ、待っておれ……」
「えっ、ここから匂いわかるの……くんくん…………あれ、変な臭いがする」
「頭大丈夫?」
窓から顔を出して、ヨダレを垂らし始めたフェリルに思わずドン引きしてしまう。しかし、馬もその匂いに気づいているのか、目標地点に近づいたことが分かったのか、心なし足取りが軽やかになっているのを感じた。おぉ、お前らも嬉しいか嬉しいか、と街に着いたら餌の他に、褒美として良い人参を買ってあげることを決めつつ、一度手を離して背筋を伸ばす。
「まぁ旅の始まりとしては良い出だしだったのではないか? 賊に襲われることもなく、魔物に遭遇することもなく。些か物足りなさは感じるがな」
退屈そうにトランプをぺらぺらとさせながらフェリルがいう。一般的な旅であれば無条件に襲ってくる魔物や、物資狙いの賊を警戒してパーティが全体的にピリピリとしているものだが、
「あんたが気ぃ張ってるからだろうが」
来る吉もない。
当初のオルディナの予定では事前に購入した干し肉などの保存食を食べつつ、道中にできれば動物、妥協して魔物(優香は酷く嫌がった)を狩って食料にする予定だった。しかし、フェリルが『賊供を警戒するという旅の醍醐味』を楽しみすぎたために、族は愚か、動物すら半径100メートル圏内に寄り付かぬ平穏すぎる旅路を過ごしてしまったのだ。
「ぐっ………まぁ、いい。これ以上予定が狂わなくて良かったと思うとしよう。あぁ、それがいい」
自分に言い聞かせるようにしていう。しかしまぁ、襲われたら襲われたで嬉々としたながらブチ切れてぶっ殺すんだろうが。
次は極力無防備な旅路にしよう、と一人意気込んでいるフェリルを見てめんどくさい奴、と言葉を落とす。緩やかな旅は貴重だというのに。強者の立場である魔王にはこれが分からんのです。
息を吐いて、街についたら娯楽類の物資も増やそうと決意した。
そうこうしていると、ベールの街が近づいていた。フェリルほどではないが、オルディナもパーティで旅をするという行為に少なからず高揚している。そして、もうすぐ第一村人ならぬ第一街。期待と一緒に手綱を握りしめた。
◆
「さて、やっと着いたわけだったのですが」
「あぁ」
「取り敢えず点呼しましょうか」
「あぁ」
「はい、1」
「2」
「………」
「………」
「魔王サマ、勇者サマはどちらに?」
「すまない」
「いつ?」
「すまない」
「どうやって?」
「本当にすまない」
「いやすまないじゃないだろう!? どうして同じ馬車でしかも対面にいるのにどっか行ったことに気づかないのかな魔王サマ!?」
項垂れて正座をする魔王の前に立つ村人の口が噴火したかのように走る。
その剣幕と己の不甲斐なさからか、魔王は汗をダラダラと流して申し訳なさそうに言葉を絞り出した。
「その……あれだ……肉が、美味そうだったから」
「本当に嗅げてたのかよあの距離で!?」
もしも彼らの身分を知っているものがここにいたなら、喫驚すること間違いなしの光景だ。しかし、一緒に旅をしてきた優香がこの場に居たら、あぁ今日はそっちか、となるものだった。そう、意外とこの魔王様、抜けているところがあるのだ。こうして村人のオルディナに説教じみたことをされるのはそこまで珍しくはない。
寝ぼけて馬を食べようとした前回よりも、意識の有無という観点から見ればより酷いと査定できる今回の事件。その始まりはいまから十数分前、門番からの検査を受けていたときのことだ。
───あれ、申請より一人少なくないですか?
ごめんちょっと待って。現実を受け入れるのに二秒かかったオルディナが繰り出した言葉だ。嘘だろと絶叫しつつTの字を喋っていた門番に見せてから来た道を少し戻り、作戦会議に入って今に当たる。
「馬車が途中で軽くなった訳だ!」
「くそ、我も油断していた。まさか馬車の中にいるにも関わらず迷子になるとは思わなかった」
「いやこの際、魔王サマは悪くねぇ。あの天性の迷子体質をなんとかするべきだろ……!」
「………不可能だな」
「………すでに一ヶ月間全力で頑張ったもんな俺ら」
森で出会って王都に行くまでの決して短くない期間、魔王が割と本気で矯正しようとしたもののどうにもならなかった代物だ。諦めのため息が二人から漏れる。
「にしてもなんで門に着く前に気づかなかったんだよ……俺とあんたが二人いて……!」
「我は窓から匂いを辿っていたな」
「ずっと鼻歌歌ってたわこんちくしょう!」
あーだのうーだのがーだの不毛な叫びを続けた後、はぁ、はぁ、と息を切らしたオルディナがフェリルに問いかける。
「はぁ………それで、どうする? 俺は勇者サマを探しに行くが」
「貴様一人いれば問題ないだろう。アイツには我の魔法が効きにくい故、漠然とした位置しか分からんが、あっちの森の方だ。水辺あたりに反応がある。帰りは………そうだな」
するとポンっと一体のコウモリが現れる。
「コレに我のところまで誘導してもらえ。一々道を覚えるのも面倒だろう」
「あぁ、助かる」
コウモリが影に溶け込んで行くのを見届けたあと、よし、と肩を回して筋肉をほぐす。馬車から降りた時に軽くしたが、それは簡易的なものだ。動くとなればもう少しした方が無難だと考えた。
「よし、行ってくる。門はもう顔パスで通してくれる筈だから、あいつには迷子を探してくるとでも言っといてくれ」
「相変わらず親しくなるのが早いな」
「オレの横の繋がりを舐めるなよ? んじゃあ、行ってくるわ」
一通り体を動かしたあと、街道を無視してフェリルの指差した森に一直線走っていった。表情からは感じ取れなかった彼の急ぎように、思わず口端を吊り上げ嗤ってしまう。
「クカカ……相変わらず、面倒なものを背負っているなァ。キサマは」
見ていて飽きんわ、と笑って、嗤う。愛しむように、貶すように、憐れむように。決して単純なものではなく、いくつもの感情が入り混じる。
「我も貴様の行く末を見たいところなのだ。簡単にくたばってくれるなよ?」
森へと消えた背中に向かって投げかける。
アレとは利害の一致による協力関係であって、互いの事情に深く干渉し合う仲ではない。気にはなるが、それはそれ。なにより、アイツの目的に関わるなど無粋極まりない。そんなやつは馬にでも蹴られてしまえばいいのだ。
「なぁ、お前もそう思うだろう?」
触ると怯えた様子を見せる馬に嘆息する。そこまで怯えなくとも良いではないか。いつかの夜、寝ぼけてちょっと食べようとしたくらいで。苛立ちげに落とした言葉に馬が震える。
ちょっととかそういう問題じゃねぇですよ姐さん!
ケチめ、と眉を寄せる。
ベール牛の野郎で満足してくだせぇ!
それもそうか、と眉が広がる。
「ククク……いくつか邪魔が入ったが、漸く時が訪れた。今行くぞ、ベール牛……!!」
グエッ、と悲鳴を上げた馬車が、街道を歩き始めた。