第10話
ストックが……もう……!
「…………ほう」
───それの前では、何もかもが無力だった。
100年と少し前。タイミングが悪く、『勇者』という抑止力がまだ生まれていなかった時間に、たまたま目に入った大陸の一角を魔法の試運転にと、消滅させてしまった功績を持つ彼の『魔王』フェリルが、それに対しては固唾を呑むことしかできなかった。
大きさはたったのコブシ程度。しかし、内包しているものが段違いだった。恐らくそれは、ただ力を込めて固められたものではない。なにかよくわからないすごい人の技術によって出来たものだ。魔王としてただ破壊のみを行ってきたフェリルには、到底理解の及ばないもの。
故にこそ、第二の生を得た魔王はそれらを尊み、慈しみ、最大限の感謝を持って───生命を平らげるのだ。
「───いただきます」
ハンバァァァァァァァァグ!
中年の一人客から家族連れ、『ベール牛』目的で訪れた旅人など、老若男女問わず皆の視線を奪ってしまうほどの清廉な表情の下で、フェリルは目を見開いて叫ぶ。
ステーキ? そっちもいいが今の気分はハンバーグだハンバーグ。好きな時に好きなものを食う。崩す体調もない魔王は臆面もなく言い切ることができる。ほれ、ここか? ここがいいのか? お? 元の肌が白いためによく目立つ、興奮した赤色で、そう切開しようとナイフを押し付けた瞬間。
「───っ」
「…………うわぁお」
肉汁が溢れでる。接した外敵に迎え出た兵士のように、茶色い狼煙と共に止めどなく流出し、城を囲う。その気迫は魔王すら臆し、手を止めてしまう。
いや、いや、しかし。
ここで逃げては魔王の名が泣こう。今なお、辺りの野菜へと進軍せんとする兵士を視界の隅にし、本丸へと大胆に手を進める。
「〜〜〜ふん、ふふ〜ん♪」
固唾を呑みながら、兵を払いのけるようにして斬り込んだ刃をスライドする。すると、切断面には光り輝くデミグラスソースが流れていき、内包した力を凝縮するかのように纏わり付いていく。
魔王の心眼が、敵の心臓部の片鱗を捉えた。100%ベール牛が用いられたハンバーグに合わせられた、特製のソース。鼻腔が一つの信号を検知し、より情報を得んと入り口を広げる。
「(これは、にんにく? ……いや……)」
決めつけるのは些か早計だ。敵が発した信号の意図を読み違えれば、即座に敗北が決定する。情報だ。圧倒的に情報が足りない。
挑発的な茶色い香りが、腹の渇きを加速させる。ここまで来てしまえばもう一思いに齧り付いてしまいたいという気持ちもある。
───しかし、それに駆られれば『ナニカに負ける』という確信があった。
【これは、魔王たる我と、人類の誇りをかけた戦いである】
思考を加速させ、相手のコンディションが最高潮を保っていられる時間までに勝負を決せられるよう、罠の看破を急ぐ。
もう我慢できないんじゃないのか?
一思いにいっちまえよ。
後はそれを口に運ぶだけだ。
敵兵に刺激される胃の悲鳴が体を揺るがし、脳を焼く。彼らの正体が「にんにく」であることは魔王の中で確定している。城門を突っつく、敵兵の槍をコーティングし強化している者の正体がわからないのだ。
うんと考えて、加速した世界で思考すること3秒。現実世界ではたったの0.05秒。ヒャッハもう我慢できねぇと口に運んだ瞬間、
「〜〜〜♪」
淡く、桃のような甘い香りが鼻をついた。
途端、胃を突っついていた白兵が、薄紫色のガスに包まれたかと思えばバタバタと倒れていく。野菜へと進軍し黄金比の拠点を造り上げていた兵士もが戦意を失い、剣を放り投げる。無論、軍を失った王に価値はなく、匂いは臭いへと変わり果て、極上のハンバーグはただの肉塊となった。
腐りかけの肉は美味い、と聞くが腐っているかのような風味のする肉が美味しい訳がなく、ぺ、と元凶に向かって吐くも避けられてしまい、はぁとため息をついて床に落ちた肉を処理しておく。
残りは後で食うか、と死した兵の埋葬が遅れてしまうことを残念に思いながら、一般人が見られれば気絶する程度には殺意の乗った視線を、眼前の女へと向ける。
「…………敢えて視界に入れずにいたが、食事の場に香り物を漂わせるとはな。どうにも死にたいとみえる」
「はあぁい先代魔王さまぁ。やぁっと見てくれたぁ」
間延びした、柔らかく甘い声がフェリルの首筋を撫でる。嫌悪の表情を隠すことなく、ナイフとフォークを皿に置き、店内を見渡す。
「不味くなる前にしておくべきだったか」
漂っていた艶かしい臭いの一切が浄化され、例外なくその『魔力』に苦しみもがき、肉を前に気絶していた人々の表情が少し緩くなる。興ざめだ、と言いたげに椅子を引くと隙間で足を組み、探るように目を細めた。
対してその女性は肘を支えに、だぼっと余った長い袖に隠れた両手を頰に添えて、フェリルの様子を愉しそうにみていた。
途中で折れ曲がった三角帽子からは、覗かせるようにウェーブがかったピンク色の髪が腰あたりにまで流されている。肩から胸にかけて肌色が曝け出された薄い紫色のドレスを着流すその姿は、さながら人を誑かし邪道へと堕とす魔女であり、綺麗だ美しいだという美辞麗句よりも、腐敗堕落といった退廃的な言葉がよく似合う、妖艶な雰囲気を纏っていた。
両腕に潰され、溢れ出すように強調され乳房があげる悲鳴を聞き流しながら口を開く。
「何用だ? 『色欲』の」
「んふふぅ……ただの勧誘ですよぉ〜、か・ん・ゆ・う」
にへら、と見た者の腰を崩す勢いの笑みと、耳を触るだけで心を溶かしてしまいそうな甘い声色は、男の情欲を掻き立てるのは当然のように、女すらもドキリとさせてしまう代物だった。
もっとも、無性であり男女という概念が存在しないフェリルにとって、それは眉をヒクつかさる程度にはイラァとくる部分を撫でる声である。
その上、愛する『食事』を邪魔されたことは万死に値する罪だ。『魔王』の怒りゲージを最大まで持っていくのも充分な代物だった。『色欲』は鋭くなった視線にヒェと身を引かせて、挑発的に薄めていた紫色の瞳を痙攣らせる。
「そぉ睨まないでくださぁい。わたし、怖いですぅ」
逆鱗に触れにきたの間違いではないのか、と頰に袖を持っていき「いやんいやん」とする色欲の魔人に殺意を持つ。流石の魔王も堪忍袋の尾が切れそうだった。
時間を食われるだけで、結局こいつの目的がわからない。人が違えど昔の部下の後継であるし、なにより必要がないため殺すのはやめておこうかと考えていたが、やはり殺すか。結論をつける。必要はなくとも恨みがある。
そう思い殺気だった途端、流石に窮地と見たのか冷や汗をだらだらと垂らせながら、ポフと袖を合わせてぷくりと膨らんだ艶やかな唇を開いた。
「まぁ、まぁ、怒りを収めてくださいな先代魔王様ぁ。こんな所でわたしに手を出すなんてぇ、器が知れますよぉ?」
なんと三球でスリーアウト。この魔族、駆け引きがド下手クソなのであった。
まさかここで器を測られるとは思わなんだ。魔王がほう、と口尻を吊り上げた。
本来の目的なのか、もしくは保身のための愚行なのかは定かではないが、なんにせよ度胸があるというべきか蛮勇というべきか。その頭の悪さ加減は胸の大きさに比例しているのか? ン? と目の前の道化に讃美の拍手をしてやろうか、とまでは考えた。
───だが、まぁ。と少しだけ昔を思い出して怒りを収める。
ここに『魔族』が来て交渉をし始めた瞬間から、わかりきっていた結果である。
基本的に、魔族とは頑固な感情を具現化させたような存在だ。相手を理解し、納得させ、手を組むという手口の交渉は不得意だとかそういうレベルではなく、不可能といっても過言ではない。
フェリル自身も『昔』、物は試しとやらせてみて見事失敗し、予定より遅れて滅んだ村が存在していた。少しだけ、苦い思い出だった。
もっとも、彼女の場合、相手が男であるなら話は別なのだろう。見るからに「対男」に特化している。無性である魔王でさえ、強い精神力と魔法による抗体で完全にレジストしているに過ぎず、魔法抜きで話せば“半分程度はかかる”。並の男であれば無条件で骨抜きにしてしまうだろう。
「───よい、貴様の道化に免じて無礼を許そう。無論、二度はない」
「あ、うぅぅ……魔王様ぁ、やっぱり私には無理でしたぁ……」
「できるだけ余裕ぶってだな……表情を取り繕って……そう……後は…………そう、頑張ってくれ!」じゃないですよぉ、と愚痴りながら胴体ごと袖を机に伸ばし、豊満な胸が潰されて広がる。まぁ、無茶な話だなと同情の色を漏らした。
しかし。まぁ、でかい胸だな。
この魔族に興味が失せたならば、その容姿に目がいった。スライムのように机へと広がるそれは、少しだけ興味がある。
無性のため、どちらの性別でもないフェリル自身にとっては、男がどうしてコレに惹かれるのかも、女がどうして僻むのかも分かりやしない。
一見邪魔そうにみえるが、歓楽街へ出向こうとカジノをするだけの村人も、流石のこれには飛びつくのだろうか、とふと思いつき色欲を見る。鼻先で弄んだ桃色の髪ごしに目が合い、首を傾げられた。まぁ栓無き話か、思考を切る。
あちらの話もたけなわといった所だろう。そろそろハンバーグを食べ終えなければ、奴らの飯にあやかって二枚目が食べれないではないか。
先よりも少し威圧を強めに、長くは待たんぞ、とため息を落とす。えぇ〜、と批判の声が上がるがそれを無視して、料理長に《回復魔法》を付与し体力を増強させて叩き起こす。それでもまだボウとする彼の頭に直接ハンバーグを注文し、彼女に向き直った。
抗議をしながら、ゆったりとした動作でありながら、渋々といった様子でありながらも、一応、といった様子で彼女はしっかりと背筋をぴしりと戻し、口を開いた。
「“私たちに付きませんかぁ”? 別にぃ、変な話じゃあないですよねぇ?」
色欲のゆるりとした桃色の瞳が薄く閉じられ、間延びしながらも真剣味の帯びた声色で切り出した。
魔王の相手を見下げた態度はそれでも変わることなく、嘲笑に口尻を吊り上げ、言葉を吐き捨てる。
「却下だ。 我が元魔王だからといって今の魔王に付くとでも?」
「でもでもぉ、勇者に付くメリットもないですよねぇ?」
「無論。だが、メリットがなくとも必要性がある」
「ないですねぇ。先代様の目的を達成するためなら、勇者が辿り着くまで城に篭っていてもいいんですからぁ」
「ほう? 我が目的を語るか、小娘」
にこり、と小首を傾げる。
「理解しているつもりでございます。だからこそ、我々と同様の目的を持つ先代様に協力を願いたいのですよぉ」
彼女の発言に引っかかるところがあったのか、殺気を込めた威圧すら取り除き眉をひそめた。
「今の魔王に歴とした目的がある、と言いたいのか」
「肯定いたしますぅ。我らが王は、貴方様の目的を達成する必要あります。ならば、同じ魔王の好みである〈先代魔王〉フェリル様に協力を求めるのは道理というもの。どうですかぁ? デメリットは無いと思いますが」
確かに、デメリットはない。少々奇妙な話もあって、好奇心さえ計算に入れれば充分、手を組むに値しよう。───しかし、やはり必要性を感じなかった。
魔王クラスの戦力が一人増えたところで、フェリルが想い、現代魔王の考える『その目的』の最終的な結果は変わらない、と知っている。役不足とでも言うべきか。フェリルはそう判断した。
「……興味が湧いた。考えも変わった。だが、貴様らに付く気は起こら───」
「ご飯、美味しいですよ?」
「……ほ、ほう……?」
「ちなみに『わしょく』なるものらしいです」
「なん、だと……?」
「それに本場からきています」
「なん……だと……!?」
先の真剣みを帯びた表情は何処へやら。動揺の色を濃くして、100年と少しの生涯の中で最も魔王の心を揺るがしていた。
わしょく。
いつぞやの勇者が持ち運んだジャンルの料理だ。ケトス辺りにその名残があるとオルディナがいってたのを思い出す。さしみ、といったか。魚の生身を豆をどうにかして液体にしたものに付けて食べるもの。
「購入品と自家製はアレと何か違うんだよな」と首をひねるオルディナと「こっちとあまり変わらないなぁ」と小首を傾げる優香、そして「美味い!」と平常運転のフェリルらは、食卓に定期的に訪れる光景だ。
しかし、そうか。しょうゆ、しょうゆか……。
なぜだか、『その』気分になってきた。
「……しょうゆ」
「……、しょうゆ?」
「……そう、しょうゆだ。ソイツはしょうゆの造り方について詳しいか……?」
もしもこちらで一般化されていない知識を持っており、ソレを確立しているのならば、一考に値しよう。と、フェリルは珍しく、非常に珍しく、恐る恐るといった様子で言う。
───おかしくない? と色欲は困惑した。
交渉の初っぱなから破綻するのは、まぁ魔王との作戦立案の時点から織り込み済みだった。ボロ船の補強の為にした事前調査で、この魔王が料理に強い関心があるのもわかっていた。
『うちの料理すっごい美味しいんですよ〜』
『ほほう、それは是非とも食してみたいものだな』
『なら、是非ともうちへ〜』
『よいともよいとも』
『うわぁーい』
ほわわわわわーんと魔王と談笑した理想が儚く浮かび、散る。目の前に座る美しい銀髪を流す無性の美しい人は、いま、誰よりも、真剣に、『しょうゆ』によって世界の破壊を検討しているのだ。
『魔王』に従くということは、即ちそういうことである。どのような形であれ、どのような意図であれ、魔王の行いは今ある世界の秩序を根底から破壊する。“そうなるように出来ている”。その事を、もちろんフェリルは知っている筈。
更に勿論のこと、それは今フェリルが手を組んでいるオルディナと優香への裏切りも意味する。
だからこそ、『しょうゆ』を基準にソレを判断せんとする先代魔王に色欲の魔族は畏怖を覚える。アタマおかしいでしょ、と。ここまでくると、交渉に用意した土台自体から間違えていた。
───逸ったか。
時期尚早でしたかねぇ。
観念したかのように目を閉じる。
「……聞いてみます?」
「今すぐにだ」
視線が獲物を品定めするヘビのようなモノに変わったことを、肌で感じた。魔王が用いる『しょうゆ』は普通に購入したものと記憶している。
つまりは、───
「…………豆をどうにかする程度とのことで、」
「───契約は無しだ。理由を教授してやろう」
ひゃ、と声を上げた色欲の魔族は【立ち上がりながら詠唱】を行うが、
「えっ、うそ!? 転移ができない……!」
「【魔王からは逃げられない】」
組まれた足の上で左手をクッションに頬杖をつき、意地悪く、愉しむような薄く曲がった目つきで、“足が動かなくなった”色欲の魔族を射抜いた。
「まず一つ。我の機嫌を損ねた」
【トン、と人差し指で米神を叩く】
足元から紫色を帯びた透明な蛇が、ぐるぐると巻きつく。生理的な悪寒と本能的な恐怖から「ひ、」と手で払おうとする。
「そうだな。せめて名前くらい名乗ったらどうだ?」
しかし、体が思うように動かない。魔の王の、艶めかしくすら感じるその瞳に魅入られたようだった。混乱と焦りが入り混じる思考とは裏腹に、腕がだらんと落ちる。動悸だけが加速していく。
「その二。我は奴らとの旅を楽しんでいるし、楽しむ予定だ。貴様らの水差しも含めて、な」
【トントン、と音がなる】
共に、色欲の魔族を優に超える大きさの、女を象った鉄の塊が背後に現れる。もはや言葉すらでず。砕けそうな足は意思に逆らい、皮肉にも気高々と振る舞う。
震える瞳が何かに誘われるかのようにズレていき、その脅威を視界に収めてしまう。───自らを抱擁せんとする針の数々が。
「その三。命拾いしたと思えよ、そこの若造。よく覚えておけ」
【トン、と最後を締めた】
「この世界に───魔王は一人で充分だ」
軋んだ、重苦しい音と共に、不自然なまでの静寂と、激しく揺れる鉄の塊。
嗜虐に歪める唇が、チロと覗く赤い舌になぞられる。紅潮した頰を隠すように顔を手で覆い、クククと嗤う。ガタガタと、ガタガタと震えていた鉄の処女に、白く細長い指先が向けられる。
「啼き止むことを誰が許した? 貴様らに肉体の死は無かろう。せめて啼いて我が無聊を慰めるのが、我への返礼であり貴様の主人への償いである。そうは思わんか、ンン?」
一つひとつ指を折り握り拳を作ると、鉄の処女がほんのりと赤く彩られ始める。あまりの熱さにのたうち回りながら、自らの体に穴を空け、回復し、精神を削られていくヤツの姿を想像して、発情するのを感じていた。はぁ、と紅潮して、色気を帯びたため息を落とす。
此れが、本能。魔王であった己が性分。とうに無くした気でいた物だが、存外に悪くない。ましてや、食べ物を無駄にさせた罪に対する罰だと考えれば、食材が浮かばれるという訳ではないがスッキリする。昔を思い出す、良い自己満足だった。
「奴らが来るまでには帰らせてやる。それまで、飯の肴になるくらいはしてみせるといい」
シャランと置かれたナイフとフォークを、舌舐めずりをしながら『肉の王』へと差し込んだ。
社会人で小説書いてるひとほんとすげぇですわ……すごい……いや、ほんと……すごいです……(疲弊
ストックも切れたんで、しばらくは更新ストップとなります……もし読んでいただけたら感想のほうよろしくお願いします! 活力にもなりますし、小説の質向上にも繋がると思いますので……!
では、またいつかどこかで!